第324話 終末前日譚/田中楽々々の帰宅:前
田中が田中んチに帰ってきた。
何日ぶりのことだろうか。
「あー……、二日ぶりくらいかな。やけに懐かしく感じるけど」
そう独り言をこぼしながら、ラララは家の鍵を開ける。
「ただいまー」
いつものように、彼女は誰もいない家で帰宅の挨拶をする。
家族はいない。よって、返事などない。
ここで返事をするのは家族ではない。佐藤だ。
『ああ、おかえり』
と、いつもならば返してくれる。
大体何故か毎日、タイジュの方が帰りが早いのだ。何故か。
しかし、今日に限ってはその返事もない。
タイジュは夢見の封印水晶の中で眠っていて、所持者はラララ自身である。
サラの家で借りた服から部屋着に着替えて、ラララは楽な格好になる。
少しはしたないかもしれないが、彼女は自分の部屋の畳の上に盛大に寝転がった。
「あ~~~~、疲れたよ~~~~!」
中学生の肉体といえども、動けば疲れるし、疲れれば愚痴りたくもなる。
キリオ達には見せられない姿ではある。見せていいのは、やはりタイジュだけだ。
兄に対してわがままを言った、という気持ちはある。
だが、どうしても一度帰ってきたかった。
昨日から緊張の連続ではあったが、今日は特にひどかった。心身共に疲れ果てた。
あのあと、キリオとサティとはホテル前で別れた。
理由はちゃんと説明した。
ラララは、明日の『最終決闘』前に、気持ちの整理をつけておきたかった。
キリオはそれを了承してくれた。
サティはサイディの襲撃を危惧していたようだが、それはきっとない。
ラララは、サイディ・ブラウンことザイド・レフィードのことをよく知っている。
彼は約束事を破ることなど屁とも思わない人種だ。
傭兵ではあったが、アキラがいなければ契約も軽く扱っていただろう。
そして、ザイドはわかりやすい人間でもあった。
自らを至上とし、自分以外は下に見ていた。唯一対等と認めたのは、アキラだけ。
厚顔無恥で傲岸不遜。尊大で自信過剰。唯我独尊で高慢ちき。
居丈高で、常時ナチュラル上から目線なプライドの塊、エゴが人の形をしたもの。
それがザイド・レフィードという男。
要するに、サティが危惧していたようなことは起きない。
それを、ラララは自信をもって断言できる。
あんなプライドだけで生きてるような人間が、自分を不意打ちするはずがない。
ザイド――、サイディはラララのことを絶対的な格下と決めつけている。
彼女が奇襲を仕掛けるなど、自分で自分のプライドに傷をつける行為でしかない。
だからこそ、ラララはキリオに一時帰宅を言い出した。
番外としてエンジュが奇襲を仕掛けてくる可能性も考えたが、それもないだろう。
ザイドの目的は、ラララにとことん嫌がらせをし尽くして殺すこと。
一番の嫌がらせは、エンジュが見てる前でラララを斬り伏せて敗北させることだ。
それを思えば、エンジュが来る可能性も極めて低い。
よって、明日の夜まではゆっくりできるワケだ。
それを再確認し、ラララはヒョイッと跳んで立ち上がる。おなかすいた。
「お米炊かなきゃ……」
時計を見れば、もう午後九時近い。そりゃあ、空腹にもなるってモンである。
考えてみればサラ・マリオンの部屋で食べて以来、今日は何も食べていなかった。
「ダメだよー、ご飯はちゃんと食べないとー」
一人で呟きつつ、お米を研いで早炊きセット。
冷蔵庫を確認すると、魚の干物があったのでそれを焼いて食べることにする。
野菜も幾つかあるので茹でるかサラダにするか。
「ベリーちゃ~ん」
『はぁ~い、仮マスター、お料理の時間ですか~!』
収納空間からポンッと出てきたのは、真っ白い聖剣包丁のベリーであった。
「野菜をね、ザクっとね」
『はぁ~い! ベリーちゃんにお任せ~♪』
今日の午前中、サラの部屋でもベリーを使ったラララだが、正直、ヤバかった。
よく切れる包丁というものは割とあるが、思うように切れる包丁は初めてだった。
「今後、ベリーちゃんをママちゃんに返したあとが心配だよ、このラララは……」
『フフ~ン、ベリーちゃんは最高よりも最善をお届けする包丁で~す』
「それね。本当、それね」
その言葉に一切の誇張がないからこそ、困る。
今後、確実に包丁を使う場合はベリーを基準に考えてしまうだろうから。
やがて、おかずを作り終え、米が炊けて夕飯の時間。
とっくに夜の十時過ぎ。
食べてはいけない時間に突入しているが、腹に背は変えられない。おなかすいた。
「いただきます!」
元気に言って食事を始める。
正直、自作料理はあまりおいしいとは思わないがベリーのおかげでかなりマシだ。
普段から自分より上手なタイジュが作ってくれるから、舌が肥えてしまっている。
「…………」
ラララは、一人無言で食事を終えて、食器を洗ってシャワーを浴びる。
その間にサラに借りた服を返さなければならないで、洗濯機に突っ込んで洗う。
風呂場に向かうと、洗濯機の回るゴウンゴウンという音がうるさい。
新しい洗濯機が欲しくはあるが、ちょっとの音程度で買い換えるのも何だかなぁ。
ラララは髪は短いが、相応に風呂に時間をかける。
今日はシャワーで済ませたが、いつもはしっかり湯を張ってじっくり体を温める。
疲れているので風呂に入るべきなのだろうが、それも億劫だった。
「はぁ……」
シャワーヘッドから注ぐ熱い湯を浴びてるうち、何となくため息が漏れる。
冬の風呂場はすぐに白い湯気に染め上げられ、自分の姿をほぼ覆い隠してしまう。
自分しかいない家。
自分しかいない風呂場。
自分しかいない真っ白い湯気の中。
「参ったなぁ」
シャワーヘッドを見上げながら、ラララが濡れた髪を両手で掻き上げる。
こうしていると、どうしても感じてしまうことがある。
「ん……」
ラララはシャワーを止めて、湯気が消えないうちに風呂場を出た。
そしてバスタオルでしっかりと体を拭いて、寝間着に着替える。
髪が短いとドライヤーで乾かすのも楽だ。
洗濯機はすでに止まっていて、中身をカゴに出して、さっさと干してしまう。
その後、自分の部屋へ。
古い家なので、畳の上に布団を敷いて寝る。
時刻を見るとすでに日付が変わっていた。思っていたより長風呂をしてしまった。
「時間が、過ぎていくなぁ……」
一人だけの部屋、ラララは敷いた布団の上に大の字に寝転んだ。
そして、ついに言ってしまう。
「さみしぃ~~~~!」
両手両足をピーンと伸ばして、彼女はそれを叫んだ。
「あ~、さみしぃさみしぃさみしぃ、すっごいさみしぃよぉ~~~~!」
ここには、タイジュもいない。エンジュもいない。自分一人しかいない。
あの二人は、キリオ達とはまた違う意味で特別な二人。
今はどちらも会えないのが、とにかく、さみしくてさみしくて仕方がない。
そんなに大きくない田中んチが、広々感じてどうしようもないのだ。
『あれ~、仮マスター、さみしいんですか~? ベリーとお話しますか~?』
「ベリィィィィィィィちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!』
またしても収納空間からポンッと出てきたベリーに、ラララは叫んでしまう。
ヤバイよヤバイ、この聖剣タイミングが凶悪すぎる。依存しちゃいそうかも……。
気持ちの整理をしたい。
帰宅理由はキリオに語った通りだが、いざ一人になると孤独感がすごかった。
一刻一秒間断なくさみしさが押し寄せる自宅は、何か精神が汚染されちゃいそう。
「あ~、我ながら弱ってるなぁ~……」
『それならキリオさんと一緒にいればよかったのに~』
「私だってここまでさみしく感じるとは思ってなかったの~……」
ため息を共に、ラララは手の中にタイジュが眠る封印水晶を取り出す。
そこに眠るタイジュの姿を見て、ラララは口を半分開けて声を垂れ流す。
「あ~~~~、タイジュ~~~~」
『参ってますねぇ~、仮マスターったら~』
「いよいよ、明日だからねー。どうしたって緊張もするし、怖くもなるよー」
唇を尖らせて反論したのち、ラララは封印水晶を握り締める。
そして、彼女は目を閉じて両腕で自分の体を抱きしめた。
耳の奥に、別れる前にタイジュから聞いた言葉がはっきりと蘇ってくる。
――覚えておいてくれよ、ラララ。これが俺の感触だ。
まぶたの裏に浮かぶタイジュへ、彼女は微笑んで小声で呟く。
「覚えてるよ、タイジュ。私、ちゃんと覚えてるよ」
『タイジュさんのこと思い出してるんですかぁ~? 仮マスターったら~♪』
「い、いいでしょ、別に!」
おだてるように言うベリーに気恥ずかしさを感じて、ラララは声を張り上げた。
だが直後、その声も一気にしぼんでしまう。
「ねぇ、ベリーちゃん……」
『はぁい、何ですか、仮マスター!』
元気に返事をするベリーに、ラララはこれまで口にしなかった本音を吐露する。
「……私、明日、勝てないかも」




