第323話 それではまた24時間後に、ここで
空気は熱を帯びているにもかかわらず、誰も、何も言えずにいた。
二人のキリオ・バーンズ以外は。
老いた『キリオ』が若きキリオを笑う。
「『守るべきもの』。君はそれを間違えたという。その認識が間違っているのだよ」
若きキリオが老いた『キリオ』を睨む。
「『正義の在り方』。貴殿はそれを貫けなかったというが、貫かないことが正解だ」
老いた『キリオ』が若きキリオを睨む。
「私に説教か、愚かな『私』よ。言ったろう、君にキリオ・バーンズの資格はない」
若きキリオが老いた『キリオ』を笑う。
「私に苦言か、愚かな『私』よ。教えてやろう、私こそがキリオ・バーンズ本人だ」
鬼気迫る二人の応酬を、スダレもラララも、サティでさえ、見守るしかない。
「口調をまねたところで君は私にはなれんさ」
「それがしは貴殿になるつもりなど毛頭ないでありますよ」
二人のキリオが共に笑う。
だがその笑みは、互いに相手に対する100%の拒絶に彩られた笑みだ。
「守れなかったというならまだしも、守るべきものを間違ったなどと、そんな言葉は負け惜しみにすらならないぞ、キリオ・バーンズ。足りなかったのは力だよ。強さだ。それさえあれば、私はあのときに敗れることなく、己の『正義』を貫けたとも」
「その考えがすでに間違っていることに、貴殿は永劫気づけんのでありましょうな、キリオ・バーンズ。足りなかったのは考えでありますよ。思慮の深さだ。それさえあれば、それがしはあのときに間違えることなく、己の『守るべきもの』に気づけた」
どこまで言葉を重ねても、二人のキリオの主張は完全に平行線だった。
互いに、決して相容れぬもの同士。
この会話は、それを改めて確認するための儀式のようなものだ。
「ふむ、よくわかったよ」
「ああ、よくわかったであります」
二人のキリオの顔から、同時に笑みが消える。
「「私は、おまえの存在を決して認めない」」
それは相手に対する徹底抗戦の宣言。
この世界に、キリオは一人。もう一人はいてはならない間違った存在であるはず。
ならば『正しきキリオ』は自分であると、二人は共に主張する。
「午後七時でありますな」
「ああ、七時になったようだね」
最後に交わした言葉はそれ。
キリオが『キリオ』に背を向ける。
「キリオの兄クン?」
「キリオ様……」
「行くでありますよ、ラララ、サティ。ここでやるべきことは終わったであります」
自分からの『キリオ』への宣戦布告。
ラララによるサイディへの宣戦布告。
十分だ。
ここでやることは、もう他には何もない。
「そっかぁ~、そしたらウチ達も出よっかぁ~」
「いいんですか、姉様」
「うん。知りたいことは知れたからぁ、いいよぉ~」
スダレも、キリオと共にホテルを出ていくつもりのようだ。
しかしそれを『キリオ』が呼び止める。
「お待ちを、姉上」
「なぁにぃ~、おキリ君?」
「最後に、戯れにお尋ねします。今は、私への疑念は何%ですかな?」
「5%だよぉ~」
結局、そこは変わることはないようだった。
しかし、さらにスダレは続ける。
「でもねぇ~」
「はい、何ですかな?」
彼女はテケテケ歩いて、ポン、と、キリオの肩を叩き、
「こっちのおミス君がおキリ君である確率もぉ~、今は5%くらいかなぁ~」
「へ?」
キリオ、全力全開、全身全霊のポカン顔。
「スダレお姉ちゃん?」
「何でだろうねぇ~。おミス君は敵のはずなのに、何でこんな風に思っちゃうんだろうねぇ~? おかしいなぁ~。おキリ君はぁ、何でだと思う~?」
「それは、何故なのでしょうな。ただ、私としては心外というほかありませんな」
問い返されても『キリオ』は特に反応を見せることなく、反論も最小にとどめる。
彼にとっても、これ以上の問答は必要ないようだった。
「私はここにおりますので、またいつでもお訪ねください」
「うん、そうするぅ~」
「それではまた24時間後に、ここで」
こうして、キリオと『キリオ』の一日半ぶりの対面は終わった。
残り時間は、二十九時間。
キリオはまだ『真念』には至れていない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
スダレ達とは、ホテル前で別れることになった。
「色々助かったであります」
礼を言うキリオに、シイナはニコリと笑って、
「今のあなたに言われると、正直ちょっと複雑です。私はどっちかっていうと、あなたではなくラララちゃんに肩入れしてる部分が大きいんですよね」
「え、わ、私……?」
「そうですよ。そっちの『ミスター』さんは、まだ本当にキリオ君かどうかは判断はつきかねます。でも、ラララちゃんは私の妹です。それは確かじゃないですか」
「でも、今の私は……」
「妄想に支配されて、異世界では幽閉されたバーンズ家の落伍者、ですか?」
それはあり得ない『虚構』でしかないが、今のシイナ達にはそっちが現実のはず。
だが、そうであるはずなのに、シイナは神妙な面持ちでかぶりを振る。
「それはもう半分、間違ってるんじゃないかと思い始めてます、私」
「え……」
「おい、シイナ。そりゃどういうことだよ?」
軽い驚きに身じろぎするラララと、理由をきいてくるタクマ。
シイナはあごに指を当てて小首をかしげつつ、
「昼間、エンジュちゃんがラララちゃんを狙って襲ってきたじゃないですか」
「ミニバスの危機だったな、あのときは……」
「あのときのラララちゃんの姿が、私には『母親』にしか見えなかったんですよね」
シイナの説明に、ラララはさらなる驚きに身を強張らせた。
「シイナお姉ちゃん……」
「だから私は『ミスター』さんの方は中立ですけど、ラララちゃんとサイディさんの件については、ラララちゃんを応援しちゃおうかな。って思ってます」
「ありがとう、その言葉だけでも、千人力だよ!」
嬉しそうに、本当に、心から嬉しそうに、ラララはシイナの手を握る。
そんな二人を見て和んでいるキリオに、タクマが声をかけてくる。
「あ~、おい、『ミスター』」
「キリオでありますぞ、タクマの兄貴殿」
「うるせぇな、他に適当な呼び方がねぇんだから仕方ないだろ」
「素直にキリオ、と……」
「俺達にとっちゃ、キリオってのはあのホテルにいた方なんだよ」
当たり前のように、タクマは言う。
それは仕方のないことだが、やはり面と向かって言われると、まだ少し、痛い。
「けどよぉ!」
タクマが、いきなり声を荒げさせた。
「もしも――、もしも全部がおまえの言うとおりだったら、こんなに情けねぇことはねぇ。その異能態とかいうのにいいように支配されておまえをずっと苦しませてきたんだとしたら、俺達は最悪だ。……だから、おまえの言うことが本当だったら、だ」
「何でありますか、兄貴殿」
「なぁなぁにするな。甘さを見せるな。《《必ず》》、《《俺達に仕返しをしろ》》」
それは、キリオをして聞き捨てならない言葉であった。
だがタクマは本気だ。いたって真剣に、キリオにそれを言ってきている。
「おまえの言うことが本当だったなら、俺達は被害者じゃねぇ。俺も、シイナも、スダレ姉も、タマキ姉も、シンラ兄も、美沙子さんも、ヒナタも、リリスばあも、全員が全員、加害者だ。許すな。躊躇すんじゃねぇ。ほだされるな」
「タクマの兄貴殿……」
タクマはキリオの両肩をしっかり掴み、まっすぐ彼を見据えて、
「わかったな、《《キリオ》》」
異能態が発動してから、初めて、キリオを名前で呼んだ。
それだけで、キリオには十分だった。
「しかと承りました、兄貴殿。全部終わったら、存分に覚悟召されよ」
「おまえが『ミスター』であることを心から願ってるわ……」
そんなタクマの軽口も、今なら受け流せるくらいには嬉しいキリオだった。
そして最後に、スダレから――、
「ウチ達じゃ、できてここまでみたいだよぉ~、おミス君に、おララちゃん」
「いいえ、スダレの姉貴殿、5%でも信じていただけたなら十分でありますよ」
「95%は信じてないのに~?」
「それをひっくり返すのが、これからのそれがし達の目標でありますよ」
「ん、そっかぁ~、そうかもねぇ~。なら何も言わない~」
スダレはそこで話を切って、でも、最後に一言だけ、
「がんばってね」
とだけ言って、タクマのミニバスに乗り込んでいった。
タクマもシイナも、それ以上は何も言わずに、バスに乗っていく。
そして、ホテルの駐車場にキリオ達を残し、ミニバスは走り去っていった。
キリオとラララはしばらくの間、ずっとバスを見送っていた。数多の感謝と共に。
「――準備は、整いましたね」
ポツリと呟く、サティの一言。
明日の午後七時、このホテルの最上階に皆が集う。今いる家族達が、皆。
「長い道のりでありましたな」
おとといの夜から始まったこの一件、キリオ達は家族全員に狙われる立場から、何とか全員を中立の状態にして、ここまで来た。本当に、長い一日半だった。
だがそれも、明日終わる。
ここからどう展開しようと、明日の夜には必ず終わる。
あとは、やるべきことは二つ。
それは共に、アキラとミフユから示された条件だった。
一つ、ラララがサイディに勝つこと。
一つ、キリオが己の『真念』に目覚めること。
キリオに許された時間は、残り丸一日。
焦りを募らせるばかりの彼だが、やるしかないのであった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
少しだけ思い詰めているところに、ラララが話しかけてくる。
「どうしたでありますか、ラララ」
「私、一回、家に帰ろうと思ってるんだけど」
彼女は、急にそんなことを言い出した。




