第322話 私が犯した大いなる過ち。ゆえに、
部屋に、ラララはスダレ達が入ってくる。
「キリオお兄ちゃん!」
走ってきた様子のラララが、そこに来るなりキリオの名を叫んだ。
彼女が見たものは、ソファに座る『キリオ』と、それに剣を突きつけるキリオ。
「な、何してんだよ!?」
同じく部屋に入ってきたタクマが血相を変える。
しかし、キリオは冷静そのもので、
「何も、問題ないでありますよ」
言って、皆が見ている前で剣を振り下ろした。
シイナとタクマが驚きの声をあげそうになるが――、
「そう、何も問題はないね」
あろうことか、キリオに同調したのは『キリオ』だった。
振り下ろされた刃は、彼に届く前に目に見えない壁に阻まれて止まっていた。
「……やはり、貴殿は無敵か」
「いかにも、その通りだよ『ミスター』。今の君と同様にね」
キリオは、最初から知っていたようだった。
「異能態を発動中、自分だけ無防備を晒すようでは片手落ち。貴殿自身にも何某かの効果が及ぶであろうことは予想していたでありますよ。そして――」
「異能態というものが何かは知らないが、私は『キリオ』だ。私の異面体の力は、この場にいる皆が知る通りだよ。私は、バーンズ家の防御最強なのでね」
いけしゃあしゃあと異能態を知らないと嘯く『キリオ』。
だが、その身がキリオと同じ無敵であるならば、ラララには手の出しようがない。
いや、違うか。
自分の相手は彼ではないはずだ。
「――サイディ・ブラウン」
ラララは、自分の敵となる背の高い女をジロリと睨みつける。
あっちも同じように、こちらを睨んでいる。
「来たナ、ラララ・バーンズヨォ」
その顔に浮かぶ笑みは、人の笑顔というよりは唸りを上げる肉食獣のような印象。
「テメェ、ワタシに『最終決闘』を挑むんダッテ?」
「そうとも。このラララは、君の顔を真っ二つにしてやりたくて仕方がないんだ」
「ハン! テメェがワタシに勝ったことが一回でもアッタカヨ!」
「それはもしかして、この前の『最終決闘』のことを言っているのかな?」
ラララが、そこでニヤリと笑う。
「いつから君は、ありもしない虚構の勝利を誇るような人間になってしまったんだい。このラララとタイジュの『最終決闘』を、君は傍観していただけだろう?」
「……テメェ、言うじゃネェカ」
サイディの顔に険しさが増す。
皆の記憶にはあるが、事実として存在しないラララとサイディの『最終決闘』。
それを持ち出してサイディを揶揄するのは、少しだけ気分がよかった。
「――フン、ダガ」
苦々しさに溢れていたサイディの顔つきが、一転して笑みに変わる。
彼女の視線はラララではなく、その向こうの部屋のドアを見ているようだった。
「ママ」
聞こえた声に、ラララの胸が竦む。
振り向けば、そこに立っていたのはセーラー服姿の三つ編みに眼鏡の少女。
「……エンジュ」
ラララが呼ぶと、エンジュはその顔を激しい憎悪に歪ませて、
「気安く私の名前を呼ぶな、妄想女」
以前よりもキツイ物言いで、ラララを拒んだ。
「来ナ、エンジュ。待ってタゼ」
「はい、ママ!」
だがサイディに呼ばれて、エンジュは顔つきをコロっと変えて駆け寄っていく。
「イイ子ダゼ、エンジュ。テメェは素直なイイ子サ」
ラララの前で、サイディはひけらかすようにしてエンジュの頭を撫でる。
「……ん、やめてよ、ママ」
そう言いつつも、撫でられるエンジュの顔には嬉しさがにじんでいる。
「HAHAHAHA、テメェはワタシの娘サ。イイだロ、別ニ。ナァ――」
サイディが、顔から表情を消したラララに向かって笑いかけた。
「テメェもそう思わネェカ、ラララ?」
「おまえ……ッ」
ラララが、拳を強く握りしめる。
その瞳に宿る殺気は、睨むサイディを今すぐにでも射殺さんばかりである。
「静まるであります、ラララ」
それを止めたのはキリオだった。
「明日で、全てが終わるであります。おまえの怒りと無念は、そのときまでとっておくでありますよ。そして、そのときになったら存分にぶつけてやればいい」
「わかってるさ、キリオの兄クン」
底冷えするほど低い声で返し、ラララはサイディに指さす。
「サイディ・ブラウン。君に『最終決闘』を申し込むよ。日時は明日の午後七時。場所はここ、試合場はスダレの姉ちゃんの異空間にて!」
「イイゼ、ラララ・バーンズ。テメェに格の違いってヤツヲ教えてヤルヨ!」
サイディは楽しそうに目を見開いて、エンジュの方に腕を回した。
「見てロ、エンジュ。テメェの前でワタシがこのイカれた女を八つ裂きの八つ裂きの八つ裂きにシテ、いとしいパパを取り戻してやるカラヨ! HAHAHAHA!」
「うん、応援してる。がんばってね、ママ!」
豪快に笑うサイディに、エンジュも笑って頬を寄せる。
そうして頬をピッタリ付け合う二人の姿を、ラララは間近に見せつけられる。
刹那、笑うサイディと彼女の視線がぶつかって、激しく火花が散る。
「エンジュ」
ラララがその名を呼ぶと、エンジュはすぐさま表情を厳しいものに変える。
「私の名前を馴れ馴れしく呼ぶなって言ったでしょ、妄想女!」
「…………」
叩きつけるようなその言い方に、見かねたシイナが間に入ろうとする。
「あの、エンジュちゃん。さすがに言い方がキツイのでは……」
「大丈夫だよ、シイナの姉ちゃん。このラララは特に気にしてはいないさ」
「ラララちゃん――」
シイナにそう言いつつ、ラララはキリオに向かって魔力念話を飛ばす。
『エンジュ、やられたね』
『ラララ?』
『あれ、サイディから再洗脳を受けてるよ。ふざけやがって……』
エンジュの目を見た瞬間にわかった。
今の彼女は、サイディから新たに洗脳を受けた状態にある。手段は、呪い辺りか。
『また一つ、私がサイディを八つ裂きの八つ裂きの八つ裂きにする理由が増えたね』
『溜め込めるだけ、怒りを溜め込んでおくでありますよ、ラララ』
『わかってる。……絶対、ブッ殺してやるわよ』
現状唯一、心から頼れる兄に己の心情を吐露し、ラララはその場は引いた。
そして話は、スダレの『キリオ』に対する質疑応答に移る。
「あのね~、おキリちゃん。聞きたいことがあるんだぁ~」
「何ですかな、姉上」
スダレを前にしても『キリオ』の余裕が崩れることはない。
彼はソファに座ったまま、周りを囲まれていても一切動じることなく笑っている。
その態度、その佇まいには『大物』という言葉こそが何より似合うだろう。
「おキリちゃんさぁ~」
スダレが問う。
「――本当に、おキリちゃん?」
投げられた問いは、剛速球すらスローボールに見えるマッハなストレートだった。
「え、何、その質問……!?」
近くで見ていたラララまでもが面食らう。
「フフフ、何とも突拍子のない。姉上には私はどう見えておられるのか」
「ふみゅ~ん、じゃあやっぱりぃ~、おキリ君はおキリ君なんだねぇ~?」
「いかにも。私はキリオ・バーンズですよ」
スダレの問いに『キリオ』は当たり前のように返答する。
それを受けて、スダレの目は彼からシイナの方へと向けられた。
「ど~ぉ、おシイちゃん。何か見えた~?」
「いえ、見えませんね。この人は何も隠し事はしてないと思います」
二人のやり取りを見て、ラララはスダレの質問の意図を知る。
兄弟の中で最も洞察力に優れたシイナの眼力を頼っての質問ということか。
「ふぅ~ん、そっかぁ~」
「何ですかな、姉上方。私に何か、疑念を抱かれていると?」
「うん、そぅ~」
スダレがこれまた直球で認める。
「ウチねぇ~、今のところ5%くらい、おキリ君を疑ってるよぉ~」
「それは、取るに足らない割合ということでは?」
「かもぉ~。でも重要なのはパーセンテージじゃないんだぁ~。重要なのはぁ~、元々1%だった疑念が、調べたら5%に増えたっていう事実の方なんだよねぇ~」
スダレの言葉が示唆するところを、ラララも理解する。
疑念を晴らすべく調べたら、結果として『キリオ』に対する疑念は深まった。
この三女が重く見ているのは、その事実。
割合としては意に介するほどではないとしても、それはあまり関係がないのだ。
「ねぇ、おキリ君。ウチはねぇ~、こっちのおミス君が言う異能態っていうものの存在を割と本気で疑ってるよぉ~。実在するんじゃないか、ってぇ~」
「仮に、それが実在する場合、私への疑念は何%になりますかな?」
「アハハァ~、おキリ君ったら面白いこと言うねぇ~」
何故かここで、スダレがヘラヘラ笑う。
「疑念なんて消えるに決まってるでしょぉ~、もし実在したら、おキリ君が『ミスター』で確定なんだからぁ~。そしたら、疑う必要なくなるしぃ~」
「……なるほど、確かに」
朗らかに笑って言うスダレに、ラララ含めて場のほぼ全員がゾクリとした。
だが、そんな中でも『キリオ』は一切余裕を崩すことなく、スダレに対応する。
「しかし、私としては何とも悲しい話ですな。これまで共に過ごした記憶を、姉上方はお疑いになられているご様子。それは、これまで私との間に日々積み上げてきたものを蔑ろにする行為ではありませんかな? いかがです、姉上、兄上?」
「……うぐ、それは」
シイナとタクマは、この『キリオ』の切り返しに声を詰まらせる。
彼らにしてみれば未だ『キリオ』こそ家族という認識だ。この反応は仕方がない。
だが、そこに言い返すのは、スダレではなくキリオだった。
「そうでありますな。確かに、これまでそれがしと家族との間に日々積み上げられてきたものが蔑ろにされている。今この瞬間も現在進行形で。異能態を用いて、それがしの立場を乗っ取った貴殿によって。……到底、許せるものではありませんな」
「君は、この場ではそう言うしかないのだろうね、『ミスター』」
「貴殿は、この場ではそう言うしかないでありましょうな、『ミスター』」
静かに怒りを表すキリオに、大人の態度で接して笑っている『キリオ』。
両者が真っ向から視線をぶつけ合う中、サティが一歩、前に出る。
「私は、彼と共にあります」
「サティか……」
「今のあなたには、その名で呼ばれることも不快ですね」
サティが『キリオ』を見る目は冷たく、その顔にある表情も硬い。
だが『キリオ』は違った。彼はそこで初めてこれまで見せていた余裕を崩した。
「口惜しいよ。愛した女性が誤った道を進んでいるのに、どうにもできないとは。今からでも構わない。私のもとに戻ってきてくれないか。我が妻、サティアーナ」
告げるその声は揺れている。震えている。懇願にも等しい言い方だ。
純粋に妻を想って言っている。タクマ辺りにはそう見えるだろう。
「戯れ言もほどほどにしてください」
だが、サティはそれをあっさりと切って捨てた。
「口惜しい? 何をバカなことを。私を苦しませて殺そうとして、マリエ様をキリオ様を仕留めるための刺客にするような男が、どのツラ下げてそれを言うのか……」
「マリエか……」
言われた『キリオ』は、サティの言葉にはさしたる反応を見せなかった。
しかし、マリエの名が出た瞬間に、悲しげに息を吐き出した。
「マリエは、自分から『ミスター』を追いたいと私に願い出たのだ。彼女がそう言ってくれた以上、私に彼女の想いを無碍にする選択肢はなかった」
「その結果が、邪獣でありますか」
「それは君が勝手に言っていることだろう。マリエは元気だとも」
キリオが言うと『キリオ』は態度を一変させ、顔に笑みを戻して肩をすくめた。
サティが、それに顔を歪める。もはや彼女の『キリオ』への敵意は明らかだ。
「マリエを返せ、『ミスター』」
「マリエは私の妻だ。君に渡す筋合いなどないよ、『ミスター』」
また、キリオと『キリオ』が真っ向から視線をぶつけ合う。
そこに生まれる緊張が、場にいる全員を飲み込む。そしてキリオは呟いた。
「――かつて、私は間違った」
まるで『キリオ』のような物言い。これにスダレも「え?」と小さな驚きを示す。
「――そう、かつて私は間違った」
そこに『キリオ』が追随する。
「私は間違った。『守るべきもの』を間違った。そして私は全てをなくした」
「私は間違った。『正義の在り方』を間違った。そして私は全てをなくした」
同じようで少しだけ違う、キリオと『キリオ』の独白。回顧。述懐。
「私が犯した、大いなる過ち。それは『守るべきもの』を見逃していたことだ」
「私が犯した、大いなる過ち。それは『正義の在り方』を貫けなかったことだ」
「「――ゆえに!」」
キリオが『キリオ』に指を突きつける。
そして『キリオ』もキリオに指を突きつける。
「それがしは二度と間違えぬ! 貴殿を倒して『守るべきもの』を守り抜く!」
「私は二度と過ちを犯さない! 君を打ち倒し『正義の在り方』を貫き通す!」
――ここに、宣戦布告はなされた。




