第321話 キリオ・バーンズとキリオ・バーンズ、再び
タクマのミニバスには、ラララの他にシイナとスダレも乗っていた。
「おや、サラ殿は?」
「帰っちゃった。何か、清々してた感じだったよ」
ラララが肩をすくめる。
キリオが見ると、シイナが何故か笑っている。サラとの間に何があったのか。
しかし、それは自分が立ち入ることではあるまいと思った。
「スダレの姉貴殿、それにお二方も」
バスの中、そこにいるスダレとタクマ達へ、キリオが視線を送る。
「……『ミスター』」
その名を口にしたのは、シイナだった。
彼女はキリオを見るなり、浮かべていた笑みを消してこっちを見据えてくる。
「それは、姉貴殿が『キリオ』と呼んでいる人間であります。それがしはバーンズ家四男、キリオ・バーンズ。それ以外の何者になったつもりもないであります」
誰に言われようと、どう扱われようと、彼はその主張を一貫し続けてきた。
今度も同じ。シイナは、自ら名乗るキリオをジッと観察する。
「……参りました」
やがて、そう言って肩をすくめた。
「この人は本気の本気で言ってますね。もし、この人が本当にキリオ君だったら、私達、何百回土下座しても足りませんよ、これ。今はまだ『もし』の話ですけど」
「え……」
シイナの反応は、キリオにとっても意外だった。
まるで、その可能性が存在することを認めているかのような言いぶりではないか。
「スダレお姉ちゃんだよ、お兄ちゃん」
近づいてきたラララが小声で言ってくる。キリオの目がスダレへ向けられる。
「スダレの姉貴殿……」
「ん~」
その手にタブレットPCの形状をした自身の異面体である『毘楼博叉』を持って、スダレは、シイナがそうしたようにキリオのことを食い入るように見つめる。
そして、五秒ほどしてから、彼女はやっと口を開いた。
「不快だねぇ、あなたに姉って呼ばれるのってぇ~」
「ちょっと、姉様!?」
にっこり微笑んでの抉るような一言に、¥シイナの方がビックリする。
「だって~、見ず知らずの人が~、しかもウチ達の敵がぁ~、ウチ達を姉とか呼ぶんだよぉ~、不快だよねぇ~、すごく気持ち悪いよぉ~。心底不快だなぁ~、って~」
「容赦なさ過ぎて俺もドン引くんだが……」
フニャフニャしながら歯に衣着せぬ物言いのスダレに、タクマまでもがおののく。
しかし、まだスダレの言葉は終わっていなかった。
「だから不思議ぃ~、何でこんなに不快なんだろうねぇ~?」
「どういうことですか、姉様」
「いくらこの子が敵でもぉ~、ここまで不快に感じるのって、何でかなってぇ~」
それを聞いて、ラララはシイナとタクマを見る。
見られた二人は、互いに顔を見合わせている。
「そういえば、そうかもですね……」
「あ、あぁ、言われてみれば……」
「そういうことでありますか。それもまた、異能態の効果なのでありますな」
ずっと話を聞いていたキリオは、スダレの言葉の主旨を理解する。
思えば、美沙子やシンラも当初は自分に対して、かなりの嫌悪感を示していた。
「それがしに対する悪印象、か。何とも細かいところまで手の込んでいる」
「でもそれは逆にいうと、皆さんの意志までは操れないという証明にもなりますね」
「で、ありますなぁ」
サティの言う通りであった。
あの『キリオ』の異能態でも、自分に対する悪印象までが限界ということだ。
自由意思を奪えないという推測に、さらに真実味が増してくる。
「ねぇ、おミス君さぁ~?」
タブレットをポチポチしつつスダレが問いかけてくる。
「人を失敗の権化みてーな呼び方しないでほしいでありますが、何でありますか?」
「そのかりゅぶでぃす? っていうの? あなたは使えるのぉ~?」
「使えんであります。というか、使えてたらとっくに事態解決でありますよ」
だから、使えるようになるために模索中な現在のキリオである。
「ふぅ~ん、そっかぁ~」
「スダレの姉貴殿?」
「ん~、情報確定するまで、姉呼びは禁止でぇ~」
スダレはタブレットから目を離さず、それを通告してくる。
実は、これが最もキリオのダメージが大きかった。グッと言葉に詰まってしまう。
だが――、
「それはイヤだよ、スダレお姉ちゃん」
キリオではなくラララの方が、スダレに向かって『否』を告げる。
「おララちゃん?」
「お姉ちゃん達がどう思ってても、この人は私のお兄ちゃん。それを私は知ってる。だから、お姉ちゃん達が私を家族と思うなら、この人だって家族だよ」
「事実が確定するまでのぉ~、暫定だよ~?」
スダレの中では、そう大したことのない話のような口ぶりだ。
しかし、それにラララがカチンと来る。
「……ジュンお義兄ちゃんに言いつけてやる」
「え」
いきなり出されたジュンの名に、スダレが固まる。
「この一件が終わったら、ジュンお義兄ちゃんに言いつけてやる。スダレお姉ちゃんが、キリオお兄ちゃんのことを家族扱いしなかったどころか、気持ち悪くて心底不快とまで言ってたって、全部、全部、嘘なし誇張なしで説明してやるからね」
「待って、待って、おララちゃん。お、落ち着こう? ね? 落ち着こう?」
愛する夫の名を出され、スダレは一気に追い詰められる。
顔は青ざめてるし、汗ダラダラで、ラララを前に二の句を告げられずにいる。
「シイナはどう思うよ?」
「どう思うよ、って。身から出た錆以外に何かありますか、タクマさん」
「いや、ないな」
シイナとタクマもこんな調子で、この場にスダレの味方はいないようだった。
「みゅ~、わかったよぅ~、おミス君の自由にしていいよぉ~」
ラララの訴えの前に、スダレがついに陥落する。
「ありがたく、そうさせてもらうでありますよ。姉貴殿」
「やったね、キリオの兄クン!」
「ラララのおかげでありますな、正直、嬉しかったであります」
「どんな形でも、家族が離れるのは嫌だよ、私……」
「そうでありますな」
表情を曇らせるラララの脳裏には、きっとエンジュのことが浮かんでいる。
それを察し、キリオは同調を示して、うなずいた。
「でも、キリオ様は強き人なので、例えスダレお義姉さんに禁じられても堂々と姉と呼び続けていたに違いありません。そうですよね、キリオ様!」
「ここでおまえが首を突っ込んでくるでありますか、サティ……」
自分の妻の『強き夫推し』もここまで来ると芸風だな、と、キリオは思った。
これまで口を挟まずにいてくれたおかげで、自体はシンプルに収まったが。
「――で、そろそろ着くぜ」
会話に区切りがついたところで、バスを運転するタクマが言ってくる。
フロントガラスの先に見えるのは、宴会に使っているいつものホテルだった。
「ここに、いるのか?」
「そうらしいよ、キリオの兄クン」
ラララがうなずく。
元より、明日にはこのホテルの最上階に皆を集めようとしていた。
だがそこにはすでに『キリオ』が陣取っているという。
「停めるぜ」
駐車場にミニバスを置いてキリオとラララは降りる。
同行者は、サティ、タクマ、シイナ、スダレ。
「まずは口頭で確認しなくちゃねぇ~」
スダレ達の目的は『キリオ』が『ミスター』かどうかを確認すること。
ラララの目的は『キリオ』と一緒にいるであろうサイディに決闘を申し込むこと。
――では、自分の目的は何なのか。
このキリオ・バーンズの、今現在の目的は何なのか。
あの『キリオ・バーンズ』と会うことで、自分は何を遂げようとしているのか。
「キリオ様」
サティが、キリオの手を握ってくる。
その手の感触に、彼は己がまずするべきことを悟る。
「ああ、わかっているでありますよ」
そして、エレベーターに乗って最上階へ。
シイナやラララは、近づくそのときを想像してか、心なし緊張しているようだ。
「あ、キリオ様!」
最上階につくなり、キリオは真っ先にエレベーターを出て中へと進む。
サティ達の声にも応じず、大股に歩いて、いつも宴会の会場に使っている部屋へ。
途中、彼は異面体を発現させて、マントと盾と剣を発現させる。
見えたドアを思い切り蹴破ってやれば、そこにはソファに座るスーツ姿の老人。
脇に控えていたサイディが、キリオを見るなり表情を変える。
「テメェ……!」
「いいさ。そのままで」
キリオは、まっすぐ老人に近づいて、自身の持つ剣を抜き放って突きつける。
ソファの老人は微動だにせず、キリオを見据えている。
「貴殿と対話をしに来てやったでありますよ、『ミスター』」
「そうかね。私は頼んだ覚えはないのだがね、『ミスター』」
あの雨の夜と同じように、二人のキリオ・バーンズが、ここに再び相対した。




