第320話 残り30時間、兄妹は合流する
サイディ・ブラウンから報告が入ったのは、午後に入ってすぐのこと。
キリオ・バーンズに『真念』到達の兆しあり。という内容だった。
「……そうかね」
スマートフォン越しに、老いた『キリオ・バーンズ』は相手の話に相槌を打つ。
『そうかネ、じゃネェヨ! あいつが『真念』に至ったらヤベェダロウガ!』
「心配はいらないとも。至ろうとして至れるものではないからね」
現状、唯一『真念』に至っている身である『キリオ』の言葉は重い。
サイディも何か言いたげではあるが、納得はしたのか、反論をしてこない。
「それよりも、君の方だよ、サイディ・ブラウン」
『ア?』
「よもや『最終決闘』を受けるとは言うまいね?」
そう、そちらの方がキリオの『真念』到達よりもよほど問題だ。
「あちらが何を意図して君に『最終決闘』を挑もうとしているのかは、私もわかりかねる。しかし、こちらへの対抗手段としてそれを企てている以上、相応の意味はあるのだろう」
『ダカラ、何ダヨ?』
「君とラララとの『最終決闘』はすでに君の勝利で終わったことになっている。それが、今現在の事実なのだよ。再戦など必要かね? 私は不要にしか思えないが?」
そう釘を刺す『キリオ』に、サイディはしばし無言を返す。
だが、そこにははっきり不満と憤りが感じられる。息遣いでわかるというものだ。
「サイディ、私は君に期待しているのだよ」
『だったらワタシの好きにさせロヤ、ナァ、キリオ・バーンズ様ヨォ?』
「サイディ……」
ため息をつきたくなるが、しかしこれも『キリオ』の想定内ではあった。
サイディ・ブラウンはわかりやすい狂犬だ。鎖で繋いでも、その鎖を噛み千切る。
「――受けるというのかね?」
『当たり前ダゼ、BOSS。何を画策しようガ、ラララ如きガワタシに勝てるカヨ』
大した自信で、大した自惚れだ。
しかし、その高すぎる自尊心に見合った実力を、サイディは有している。
だからこその『帝威剣聖』。そこは『キリオ』も疑っていない。
サイディ・ブラウンは粗野で尊大で、他者を過小評価して自己を過大評価する。
それだけ見ればそこら辺のチンピラとほとんど大差ない。
だが、強い。
己への過大評価も、決して過大すぎるワケではない。ただ自惚れが強いだけだ。
その辺を加味して考えれば、答えは一つしかない。
「仕方がない。君の好きにしたまえ。だが、わかっているね?」
『HAHAHAHA、いつだって『剣聖』は勝利が絶対条件ダゼ、BOSS』
「それがわかっているなら、いい」
そして『キリオ』はサイディとの連絡を終える。
エンジュの方もラララに襲撃を仕掛けるとのことだが、そっちはどうなったか。
「……案じるに値しないな」
軽くかぶりを振って『キリオ』はソファを立って部屋を出る。
ここは、宙色市内最高級ホテルの最上階。毎月の宴会に使われている場所だ。
「随分と色々動いてはいるようだが、何とも涙ぐましいものだ」
通路を歩きながら、彼は顔に表情を浮かべず、独りごちる。
家族達は、まだ話を聞いてくれるかもしれない。その可能性があるのは確かだ。
何故なら自分の異能態は現実改変は行なえても、自由意思の剥奪まではできない。
異能態は絶対に近い絶大。それは言い換えれば、完全に近い不完全でもある。
「そうだね。過去を改変されている以上、彼らが私の敵に回ることはない。何せ家族だ。それは確信しているとも。ほかならぬバーンズ家の私なのだから。しかし――」
ホテル最上階フロア。
その一室の前で『キリオ』は足を止めた。
「それは、家族が私の味方であり続けるということと同義ではない」
呟く彼の顔に、変わらず表情が浮かぶこともなく、
「彼の行いによって、家族のほとんどは中立となるだろう。そうなれば、あとは純粋に彼と私の対決になる。……ああ、この展開がありうることも、想定のうちだとも」
そこで一度言葉を止めて、『キリオ』は部屋のドアに手を伸ばす。
「――そのための君だ、《《マリエ》》」
そして『キリオ』はその口元にうっすらと笑みを浮かべる。
耳を澄ませば、そのドアの向こうでひどく生々しい音が響いているのが聞こえる。
ミシッ、ゴキャッ、ブボッ、グヂュ、ベキョ、ミチミチ、ブチッ、ゴギッ。
音そのものが濡れていて、聞けばそれだけで生物の体が立てている音だとわかる。
「マリエ、私のいとしい妻よ」
小さく呼びかけると、ドアの向こうから『彼女』の声が返ってくる。
「ギ、ルィ、オォォ、ザ、マ、ぁぁ、あ゛ァ、ア……ッ」
人の声ではない。
こんな、苦しみ抜いた生物が漏らす断末魔を幾つもより合わせたような音が、人の声であるものか。一度耳にしただけで正気を壊されかねないような、こんな音が。
だがそれは、マリエ・ララーニァの声だ。
生理的な悪寒を掻き立て怖気を引き起こすその声は、確かにマリエのものなのだ。
「マリエ。君は私を、愛してくれるかい?」
「あ゛ァァ、ア゛、な、ダさ、ま゛……、ギリ、ォ、ザマァ、ァァ、あ、ァ……」
「――そうか、嬉しいよ、マリエ。私も君を愛している。愛しているとも」
込み上げてくるものを抑えきれず、『キリオ』は口元の笑みを深める。
「クク、ククククク……、君には無理だよ、キリオ・バーンズ」
胸に抱くは絶対的な勝利の確信。
指先でマリエがいる部屋のドアを撫でて、『キリオ・バーンズ』はほくそ笑む。
「君は『真念』には至れない。……それを、君自身もわかっているはずだ」
笑う。笑う。『キリオ』は笑う。
ドア越しに肉が膨れ骨が変形する音を聞きながら、笑っている。
「ギ、リオ、さ、ま゛ァァ、あ、ァァァァァァ、ぁ、ぁぁ……、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァァァァ――――ッッ!」
ドアの向こうに轟き渡るマリエの悲鳴など、『彼』は意に介してもなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
待ち合わせ場所に指定されたのは、駅前だった。
キリオとサティが到着する頃にはすっかり日も暮れて、確かめてみれば午後六時。
「サラ殿の部屋を出てから半日近く経ってるでありますな……」
「どうにも焦りが募りますね」
帰宅ラッシュの人々が作る雑踏の中に紛れ、キリオは待ち合わせ場所を目指す。
そのさなか、ふと、サティが疑問を口にする。
「ここにいる人々も『絶界』が造り出した虚像……、なのでしょうか?」
「わからんであります。『金色符』とやらで何ができるのか、それがしはそこまで知識はないでありますからなー。ガルさんであれば知ってそうではありますが……」
『無論、知っとる! あれらは現実空間をそのままコピーした影法師とでも思え!』
いきなり頭の中に響いてくるガルさんの声。
「わ、びっくりしたであります!」
「何で収納空間の中にいるのに喋れるんですか!?」
『俺様だからな! この程度は容易いわい!』
ベリーにできたことが、ガルさんにできないワケがないのである。
だが、キリオもサティも大層驚いていた。
『何か気持ちがいいわい! ガッハッハッハッハ!』
「ガルさんらしいといえばらしいでありますが……。しかし、影法師とは?」
『そのままの意味よ。『金色符』は異世界構築を可能とする古代遺物だが、生命を創り出す機能はない。ここにいる連中は、現実空間の人間共を忠実に再現した極めて高度な幻影とでも思えばいい。殺してみればわかるぞ。死体は残らんはずだ』
「さすがにそいつはやめておくでありますよ」
要はゲームにおけるNPCのようなものなのだろうが、人の形をひて人としての反応をする相手を理由もなく殺すのは、キリオとしても御免被りたい。
『ところでキリオ、貴様はどうなのだ?』
「どうなのだ、とは?」
質問が唐突過ぎて、キリオは思わず聞き返してしまう。
『決まっているだろう。唯一の逆転手段である貴様の『真念』とやらだ』
「ああ……」
言われてみれば、それしかないというものであった。
『俺はそれについては知らん。いや、貴様の言葉が真実ならば、俺様もあの『キリオ』の異能態とやらに記憶を封印させられているのだろうが――、どうなのだ?』
「大丈夫ですよ、ガル様」
キリオが答えるよりも先、サティが自信ありげに請け合うようなことを言う。
「すでに二回、キリオ様は『真念』に至る兆しを見せています。焦りは募りますが、それでも残りはまだ三十時間もあるのです。キリオ様なら、必ずや到達できますよ」
『――ふむ』
サティの言葉は、それだけ聞けばいかにも説得力を持っていた。
キリオ自身、自分が第三者ならば安心はできずとも多少楽観できたかもしれない。
しかし、その当人は、楽観どころではなかった。
「兆しはあれど、未だ至ってはいないであります。油断はできんでありますよ」
「そう、でしたね……。しかしキリオ様は強きお人。必ずや至れると信じています」
サティからの言葉と信頼は心強くはあった。
だがキリオは、至れるとは言っていないのである。ガルさんも沈黙したままだ。
『何かあればいつでも俺様を呼べ、仮初めの我が主よ』
「わかっているであります、ガルさん」
それっきり、ガルさんの声が途絶える。気を遣わせてしまったかもしれない。
「……それがしの『真念』、か」
至れない。
そこに思考をやって浮かび上がってくるのは、その確信。
このままでは、自分は『真念』に至れない。
理由は非常に簡単だ。
キリオ自身が、キリオ・バーンズという人間の本性を忌み嫌っている。
昼間、サイディを前に『真念』への兆しが発現したとき、はっきりわかった。
自分の本心がそこに至ることをいやがっている。
自らの本質が『怒り』だと認めることを、本能が拒絶してしまっている。
何故そんなことになっているのか、理由もわかっていた。
「――マリエ」
そう、マリエだ。マリエ・ララーニァだ。
サティとの真問真答一対呪でも答えた、自分の最悪の思い出。
死の瞬間にマリエを笑わせてしまった事実を、キリオは未だ消化しきれていない。
自分の中にある間違った『怒り』が、マリエを死に追いやった。
その忌むべき過去をどうにか飲み下さない限り、自分は『真念』に至れない。
マリエが『出戻り』する前にケントが言っていたことを、今さら思い出す。
『重要なのは、反省したあとで、失敗したのが自分であることをちゃんと自分の中で噛み砕いて消化することですよ。そしてそれを忘れないこと。この二つができなきゃ、また繰り返しますよ。痛みや苦しみなんてのは、忘れれば消えるんですから』
ケントのそれは、まさしく正しかった。
忘れることは生涯ないだろう。だが、噛み砕いて消化することもできていない。
繰り返したくないという恐怖が、忌避感が、キリオの心を縛っている。
我ながら嫌気がさす。トラウマが、思った以上に根深い。
残る時間は、あと、三十時間。
いや、ラララの『最終決闘』を考えればもっと短い、か。
表には出さないよう努めてはいるが、焦りは増していくばかりだった。
「あ、キリオ様、あちらを!」
サティに服を引っ張られ、キリオは我に返る。
彼女が指さした先に、一台のミニバスが見えた。窓から誰かが顔を出している。
「キリオの兄ク~~~~ン!」
「おお、ラララであります。それにあれは、タクマの兄貴殿のミニバス!」
「やっと、合流できましたね……」
ホッと安堵するサティの声を横に聞きながら、キリオは覚悟を決める。
ときは止まってくれない。ならば、何とかして自らの『真念』に至るしかない。
「やるしかねぇでありますな……」
ミニバスの走行音を耳にしながら、キリオは悲愴な決意と共に呟くのだった。




