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【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
第十三章 怒りと赦しのジャッジメント・デイ

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第319.5話 ミュルレとララーニァ/転

 ――これは、キリオ・バーンズの『苦しみ』の記憶。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ヒメノでも、治せないのだという。

 キリオ・バーンズ、48歳のときの話である。


「……何ということだ」


 届いた手紙の中を確かめ、キリオはそれを両手で握り潰した。

 耐えがたいことだった。

 待ちに待った姉からの手紙。彼女ならばと、最後の希望を託し、返事を待った。


 だが、それも淡い期待に終わった。

 夫と共に世界中を旅し続けている流浪のヒーラー、ヒメノ・バーンズ。


 今や世界にその名を知らぬ者はいない最高の魔法医。

 彼女に治せぬ病はないとまで言われた、半ば生ける伝説と化した、誇らしき姉。


 だが、ダメなのだという。

 そのヒメノをして、治せないのだと断言されてしまった。


 ――妻、サティの病である。


 発症は三年前、サティが熱を出した。

 咳などはなくて、軽い熱程度だったのでそのときは重く考えなかった。

 ただ、全回復魔法でも熱が引かなかったのが気にかかった。


 それから、熱が引かないままときが経っていった。

 一週間、一か月、三か月、半年と、ずっとずっと微熱が続く日々。


 無論、その間にキリオも何もしなかったワケではない。

 帝国領内の様々なヒーラーに妻を診てもらった。

 薬も、金に糸目をつけずに、高価な薬を買ったり、錬金術師に研究させたりした。


 だが結局、全てが空振りに終わった。

 ヒーラーの見解は『軽い風邪』で統一され、薬もロクな効果を発揮しなかった。


 そして一年が経ち、サティの病状が悪化した。

 発症してからの一年は、熱が出ている程度で普通に生活ができた。食事もできた。


 しかし、悪化してからは床につくことが多くなり、食事の回数も減っていった。

 元々は健康体で、悪いところなどどこもなかったサティ。

 だがそうなって以降は、みるみるうちに痩せていき、手足も細くなった。


 健康的であった肌の色も血の気が失せて青白くなった。

 滑らかだった肌は痩せこけて、骨が浮き出るまでになっている。


 やつれ切ったその顔に、かつての美貌は見られない。

 それでも、キリオにとっては関係なかった。彼女は依然、最も愛しい人だ。


 もはや国内外問わず、キリオはサティを治す手段を求めて奔走した。

 彼の人生の中で、最も努力していた時期はまさにこのとき。

 そしてそれは、約束された徒労でもあった。治す手段などなかったのだから。


 ヒメノから届けられた手紙にはこうあった。

 かつて、とある国に存在した英雄が同じ病にかかった。


 その英雄は、強大な魔物を打ち倒した救国の英雄であったという。

 国王は英雄を死なせまいと、あらゆる方法を用いて、彼を救おうとしたという。


 だがそれも叶わず、英雄は病の前に力尽き、亡くなった。

 この逸話より、ヒーラーの間ではその病は『英雄殺し』と名付けられた。


 そんな病にサティはかかってしまった。

 だが何故だ、何故、サティなのだ。

 彼女は『英雄』なんかじゃない。ただの宿屋の娘で、自分の妻だ。


 それがどうして、そんな大それた病を授からなければならない。

 キリオは、天を呪った。神を恨んだ。世界を憎んだ。

 そして、夫でありながら何もできずにいる無力で無様な自分を心底から軽蔑した。


 時計が鳴る。

 ゴーン、ゴーンと、壁にかけられた時計がときの訪れを知らせてくれる。


 今日もこのときが来た。サティへの見舞いの時間だ。

 サティが好きな甘いものとキリオ自身が淹れた紅茶をトレイに乗せ、部屋へ向かう

 ドアをノックすると、か細い声が聞こえてくる。


「はい、どうぞ」


 弱い声だ。だが、そこに宿る意志の強さを感じとれる声だ。


「私だよ、サティ。加減はどうだ」


 ドアを開けると、サティがベッドから身を起こすところだった。


「おはようございます、あなた」

「ああ、おはよう。今日もいい天気だ。少し、窓を開けようか」


 ベッド脇の机にトレイを置き、キリオは窓を開けて換気を行なう。

 風が緩やかに流れ込んで、白くなったサティの髪を揺らす。


「ああ、いい風ですね」

「そうだな。心地がよい。……紅茶は?」


「お砂糖を二匙、いただけますか」

「もちろん、いいとも。君は甘党だね、サティ」


 笑いながら、キリオは紅茶に砂糖を加えていく。


「今日は少しだけ体が楽です。お話をしませんか、キリオ様」

「そうか、少し快方に向かってきているのかもしれないな。いいことだ。話そうか」


 そうして、夫婦は取り留めのない会話を楽しむ。

 仕事でこんなことがあった。今度、こういったことをする予定だ、など。

 主に話すのはキリオで、サティは笑ってそれにうなずく。そういった会話だ。


「――そういえば、お手紙が届いていましたね」


 途中、ふと、サティがそんなことを言い出す。


「窓から、配達人が見えましたが、どなたからのお手紙ですか?」

「それは……」


 不意を突かれ、キリオは言い淀んでしまう。

 それだだけでサティには十分伝わってしまったようだった。


「ヒメノお姉さん、ですね?」

「……ああ、そうだ」

「キリオ様のその反応とお顔から察するに――」


 サティは聡い女性だ。

 夫の顔つきから、手紙のおおよその内容を読み取ったようだった。


「いや、ヒメノ姉上は、治療の手段を探してくれているらしい。今回はそれを知らせてくれる手紙だったんだ。肩透かしをくらった気分だよ、全く……」

「そうだったんですか」


 キリオは何とか取り繕い、サティも微笑んだままうなずいてくれる。

 だがヒメノの手紙の本当の内容を、彼女はすでに悟ってしまっているのだろう。


 下手な嘘をついて、余計な気を遣わせてしまった。

 自分は一体何をしているのか。キリオの中にある自己嫌悪が、より色を濃くする。


「下を向かないでください、キリオ様」

「サティ……」


 俯きかける彼に、妻が声をかける。

 顔を上げれば、そこには、自分をじっと見つめるやせ衰えた妻の顔。

 だが、自分を映す瞳に宿る意志には、いささかの陰りもない。


「私は弱いあなたなんて、見たくありませんよ?」


 サティは微笑む。

 そうやって、彼女は自分が病に倒れても、キリオを支えようとしてくる。


「どうか、前を向いてください。キリオ様は不屈の人なのですから」

「そう、だな。そうだった、サティ。ああ、私が悪かったよ。情けない姿を見せた」


 一言詫びると、サティは満足げに笑みを深めた。

 やがて、時間が来る。キリオはこれから、宮廷に赴かなければならない。


「仕事の時間だ。行ってくるよ、サティ」

「はい、キリオ様。いってらっしゃいませ」


 手を振る妻に手を振り返して、キリオは部屋を出る。

 そして、扉を背に、強く強く拳を握り締める。


「私が必ず、おまえを治してみせるからな、サティ……!」


 自分を支えてくれる妻の笑顔を胸に、キリオは決意を新たにした。

 必死の看病の甲斐なくサティが天に召されるのは、それから二年後のことだった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――これは、キリオ・バーンズの『苦しみ』の記憶。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 下された決定は、到底納得のいくものではなかった。

 キリオ・バーンズ、71歳のときの話である。


「おかえりなさいませ、あなた様」

「マリエ、まだ起きていたのか」


 その日は、キリオが帰ってきたのは深夜になってからのことだった。

 マリエは寝ていると思っていたキリオだったが、帰ってみれば妻が待っていた。


「はい、あなた様より先に寝るのは何となく憚られて……」

「気にする必要などないのだけどね」


 とはいえ、妻が待っていてくれたことは素直に嬉しい。


「だが、すぐには眠れそうになくてね。……少し、話をしないか」

「わかりました、あなた様。お酒を用意しますね」


 相変わらず気が利く妻である。キリオは「ありがとう」と礼を言っておく。

 それから自室に戻り、服を着替えてリビングへ。


 ソファの前に寝酒のワインとグラスが用意されている。

 マリエは、おつまみを持ってくるところだった。


「あなた様、どうぞ」

「おお、炙った干し肉か。実に香ばしいな。ワインに合いそうだ」


 小腹もすいていたところなので、特に嬉しいキリオである。

 それからしばし、二人は軽く飲みながら夫婦水入らずの時間を楽しむ。


 だが、そんな中で、キリオは気が緩んだからか、腹の中のものがつい出てしまう。

 彼は急に顔をしかめて、忌々しげに口にする。


「全く、新参の文官共は何もわかっておらん……」

「どうか、なさったんですか?」

「今日、通達が来たよ。聖騎士団含む全軍を運営するための軍事費を削減する、と」


 キリオの帰りが遅くなった理由も、それだった。


「来年度から段階的に減らしていって、最終的には三割削減を目指すと言っていてね、正直、冗談ではない。それで文官共に文句を言いに行ったら、この時間だよ……」

「軍事費の削減、ですか……」

「全く、そんなことをすればどうなるか。まだまだ周りには敵が多いというのにな」


 口に出た怒りを、キリオはワインと共に飲み下す。

 ここ数年、確かに帝国と周辺諸国の戦いは小康状態を保っている。


 それは直接的な戦闘が少なくなったということではある。

 だが、だからといって戦争そのものが終結したワケではない。


「戦いが少なくなっているのは、帝国の覇権が確立されつつあるからだ。だがその覇権を担保するものは何だ? 帝国の軍事力ではないか。何故それを理解しない」


 軍事費の削減は、帝国の覇権を支える柱を自ら細くしてしまうようなもの。

 キリオから見れば自殺行為にも等しい、愚かに過ぎる所業だ。


「どうして、そのようなことに?」


 隣に座るマリエに問われ、キリオは苦虫を噛み潰したような顔を作る。

 そして一言、恨みがましく呟いた。


「皇太子殿下だ」

「殿下、ですか?」


「そうだ。今現在、皇帝陛下は病床に臥せって、公に顔を出さなくなっている」

「存じております。今の国の舵取りは、皇太子殿下が担っておられるのですよね?」

「その通りだ」


 相槌を打ちながら、キリオは考える。

 全ての諸悪の根源は、そこだ。そこにこそあるのだ。


「皇太子殿下は、この帝国を変えようとしておられる」

「変えようと、ですか……?」

「あの方の政治方針の骨子は、内政の拡充にこそある。それゆえの軍事費削減だ」


 これまでの帝国は、大陸における覇権確立を目指した外征重視の方針だった。

 皇帝であるシンラが、まずそれを堂々と宣言していたことも大きい。

 その方針を百八十度転換しようとしているのが、他でもない皇太子である。


「それは、いけないことなのでしょうか?」

「悪いことではないとも。だが、時期尚早だ。今はまだ、軍の力が必要なのだ」


 だが、皇太子はすでに帝国は覇権を確立されたものと見なしている。

 だからこその方向転換。なのだろうが――、


「……十年早いな」


 ワインを口にして、キリオは呟く。

 その声には『気に食わない』という彼の本音が、ありありとにじみ出ている。


「あなた様は、どうされたいのですか?」

「将来的な軍縮はやむを得ないとしても、今はまだそのときではない。私であれば、今言った通り、あと十年は軍事費を維持し、そこから徐々に軍の規模を縮小、かな」


 その十年が事実上『自分の死後』という意味を含むことに、彼は気づいていない。

 要するに、キリオは自分が生きている間の軍縮が許せないのだった。


「あなた様は、帝国が変わりゆくのがお気に召さないのですか?」

「まさか。そのようなことはないとも。変なことを言うね、マリエは」


 キリオは笑うが、しかし、そんなことはある。

 それこそ彼の本音であることを、マリエはこのとき気づいていた。


「時代が移り変わるのは世の必然。けれど、性急な変革は歪みと軋みを生じさせる」

「皇太子殿下のなさりようは、それを生み出しかねない、と……?」

「私はそう感じているよ。あの方のやり方は、間違ってはいないが急ぎ過ぎている」


 それからも、キリオは皇太子のやり方に対する不満をぐちぐちと言い続けた。

 マリエは、それを諫めることもなく、笑顔で聞き続ける。


「あなた様」

「何だね、マリエ」


「私はずっと、あなた様と共にありますからね」

「何を言っているんだ、当たり前じゃないか」


 そして夫婦は仲睦まじく笑い合う。

 だが、マリエはそのときには、もう、覚悟を決めていたのかもしれない。


 若き妻は先を見通し、老いさらばえた愚かな夫は変わりゆく今に不満を募らせる。

 初代皇帝シンラ・バーンズ一世が崩御したのは、一年後のことだった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 これは、キリオ・バーンズの『苦しみ』の記憶――。

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