第317話 Side:ラララ/絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に!
止まったミニバスのドアが開く。
そこから降りてくるのは、男物の服を来た、ショートヘアの少女。
「いたわね、ラララ・バーンズ」
「見つかってしまったね、エンジュ・レフィード」
わざわざ声を男っぽい感じに低くしているラララを、エンジュの視線が突き刺す。
「抜きなさい。今日こそ、おまえを切り刻んでやるわ」
「へぇ、随分と余裕がなさそうじゃないか。何かあったのかい、エンジュ?」
「馴れ馴れしく、呼び捨てにするな!」
ラララの指摘通り、エンジュにはまるで余裕がなかった。
今の彼女を動かしているものは、父を取り返すという使命感の他に、もう一つ。
「おまえさえ仕留めれば、ママは――」
自身の異面体である『矛洛雲』を両手に握り、エンジュが道路を蹴る。
「ママはちゃんと、私に笑ってくれるんだァ!」
もう一つの行動動機は、母親を喜ばせたいという想い。
ある種、怯えを起因とするその目的は、だからこそ彼女を駆り立てる。
「ラララ・バーンズ、覚悟ォ――――ッ!」
「フフフフ……」
躍りかかるエンジュに対し、ラララが意味深に笑っているだけ。
そこに不気味さを感じながらも、初手、最大威力の斬象剣で一撃必殺を狙う。
「ハァァァァァァァ――――ッ!」
かけ声と共に、ラララに肉薄。エンジュの射程に到達する。
「フフフフ……」
だが、ラララはなおも笑っている。自分の異面体を使うことすらせずに。
ここまで来ると、不気味さよりもナメられていると感じで、怒りの方が先に立つ。
「私を侮るなァ――――ッ!」
一閃。
最盛期のラララにも匹敵する速度の斬撃が、見事に相手を両断する。
だが、その手応えにエンジュは気づいた。
「こいつ……ッ!」
「フフフフ――、あ、バレちゃった……」
左右に分かたれたラララが、そんなことを言って影となって掻き消える。
エンジュは、自分が斬ったものが影武者であることを悟る。
「じゃあ、本物は……」
眼鏡をかけた彼女の瞳が、止まったままのミニバスの方に向けられた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
サラ・マリオン、呆れ中。
「ちょっと~、あたしの『双津舞』、やられちゃったわよ~?」
「ぃやだぁ~~! エンジュの相手をするのだけは、いやだぁ~~!」
座席にしがみついて、そこから微塵も動こうとしないラララ・バーンズ(本物)。
「オイオイ、マジかよ……」
「えええええ、これがあのラララちゃんなんですかぁ……?」
タクマとシイナは、大いに取り乱すラララを見て、仰天している。
二人が知るラララはサイディに挑みつつ、戦場にも喜々として飛び込む戦闘狂だ。
それが、この嫌がりようである。
今の時点で、ラララは二人にある種のショックを与えることに成功していた。
「出てきなさいよ、ラララ・バーンズ!」
しかし、現実は彼女に猶予を与えてくれない。
響き渡るエンジュの声は、ミニバスの中をも揺るがすかのようだ。
エンジュさん、ブチギレておられる。
タクマもシイナも、それを確信できるくらいには、怒りの声と書いて怒声だった。
「ちょっと、ラララ~、行きなさいよね、あんた~」
「やだー! エンジュと戦うのだけはやだー!」
エンジュをキレさせ、サラをさらに呆れさせながらも、ラララは動こうとしない。
「ラララちゃん、どうしてそんなにエンジュちゃんと戦うのがイヤなんですか?」
シイナが、できる限りの優しい物言いで、ラララに理由を尋ねる。
「エンジュちゃんが強くて勝てないからとか?」
ラララは首を横に振った。
「じゃあ、エンジュちゃんのことが怖くて、戦いたくないとか?」
ラララは首を横に振った。
「それじゃあ、どうして?」
「わ、私は――」
シイナの問いかけに、ラララは声を震わせながら、答える。
「私は、エンジュの母親だから。娘を傷つけるなんて、絶対に、イヤ」
「ラララちゃん……」
「ラララ、おまえは……」
その返答に、シイナとタクマは半ば言葉を失う。
しかし、外のエンジュは待つつもりはないらしく、ムラクモを構える。
「あ、ちょっと、あの子、このバスごと斬る気じゃないの!?」
「うげっ、それは困る! これ中古だけど、買ったばっかなんだよ!」
「ぅぅぅぅ……」
慌てるサラとタクマの声を聞きながら、ラララはチラリと前を見る。
そこに、高々とムラクモを構えたエンジュがいて――、
「ぁ……」
ラララが、何かに気づいた。そしてバッとしがみついていた座席から離れる。
「エ、エンジュ――――ッ!」
疾風の如き速さで外に出ていった彼女に、バスの中のスダレ以外、ポカ~ン。
「……え?」
と、呟くシイナの髪を、ラララが走ることで起きた風が軽く揺らしていた。
「みゅみゅ~~ん、わかんないなぁ~~~~」
スダレだけは、相変わらず何がわからないのかわからず、ずっと悩み続けていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ラララはバスから飛び出した。
それを見て、エンジュが不敵に笑う。脅しが功を奏したと思ったようだ。
が、違っていた。
「やっと出てきたわね、ラララ・バーンズ! 今度こそ――」
「エンジュ、どうしたの! ほっぺにあざができてるわ! 何があったの!?」
「え?」
ラララは必死の形相でエンジュに近づいてきて、その頬をじっくり見ようとする。
そこには確かにあざがあった。ただし小さい。すごく、小さい。
それでもラララは血相を変えて、エンジュに向かってグイグイ押しまくる。
「ほら、ちょっと見せて! 殴られたの? 誰に? サイディ? あいつなの?」
「え、あ、あの? ……え? あれ?」
「あざに気づいてなかったの? ダメでしょ、ちゃんと確認しないと!」
とんでもない勢いで詰め寄ってくるラララに、エンジュは全くついていけない。
それでも、自分を触ってこようとするラララに気づいて、
「な、やめて! 触らないで!」
彼女の腕を振り払って、自ら後退して距離をあける。
「触って欲しくなければ回復魔法を使いなさい、今すぐ!」
「な、何でよ!?」
「見てられないからに決まってるでしょ! いいから早くしなさい、ほら!」
少しも勢いを衰えさせないラララに、エンジュは舌打ちしつつ魔法を行使する。
「全快全癒。……これでいい?」
全回復魔法で頬にある小さなあざが消えるのを見て、ラララは胸を撫で下ろした。
その反応が、またエンジュをイラつかせた。
「何なのよ、おまえ! 気持ち悪い!」
「そう言われても、このラララは君の母親だからね、こうもなるさ」
娘の傷が消えたことで一安心したラララは、幾分余裕を取り戻して肩をすくめる。
が、それは自然公園のときと同じく、上っ面のみ。
『どうしようどうしようどうしようどうしよう、どうしよう!?』
内心はこんな感じであった。公園のときと何も変わっちゃいねぇ。
そして、状況は公園のときよりもなお悪し。
頼れる兄のキリオは今は別行動中だし、バスの面々と交代するワケにもいかない。
じゃあ、どうしろってんだよ。
と、いうのがラララの率直な感想であった。公園のときのキリオと一緒だ。
「ママじゃないクセに、母親ヅラして、本当に気持ち悪い。斬り刻んでやるわ!」
「フ、フフフフ……」
ムラクモを構え直すエンジュに、ラララは含みのある笑いを見せる。
サラの影武者と同じようなリアクションだが、こっちは単なるテンパりの笑みだ。
いよいよ、進退窮まった。
その実感が、ラララの背中を汗で濡らす。
声が聞こえたのは、そのとき。
『もしかして~、ベリーちゃんの出番だったりしますか~?』
『えっ、ベリーちゃん!?』
ベリーからの魔力念話。そんなバカな、と、ラララは思った。
聖剣包丁ベリルラント・カリバーは収納空間の中にあるはず。どうして声が?
『ベリーちゃんはナイスな聖剣なので、これくらいはラクショーで~す!』
『すっご……!?』
収納空間の中って、時間が止まっているはずなんだけど。
それを意に介さず話しかけてくるベリーに、ラララは心底から感嘆する。
『ところで仮マスターはぁ、どうして異面体を使わないんですかぁ~?』
『それは、だから、エンジュが娘だからで……』
『でもでもぉ~、このままだと、確実に斬られちゃいますよねぇ~?』
『う……』
ベリーが容赦なく図星を突いてくる。
エンジュは、自分を斬ることに躊躇を持たないだろう。それはラララもわかる。
『自衛、必要なんじゃないですかぁ~? ベリーはそう思いますよぉ~?』
『う、ん。そうだね、そう、だろうね……』
もちろん、それだってわかっている。
このままでは、ラララは斬られて死ぬ。そして蘇生不可能な状態にされる。
『いいんですかぁ~? ここまで頑張ったのに、無駄になっちゃいますよぉ~?』
『そうだね、それも、わかってるよ』
ベリーはいちいち痛いところを突き刺してくる。
キリオと自分、ここまで何とか頑張ってきた。それが全て、水泡に帰してしまう。
そんなことはあってはならない。
わかっている。わかっている。言われずとも、わかっている!
『じゃ、異面体を出しましょう、仮マスター。ベリーちゃんでもいいですよ~?』
ベリーが言っていることは、何もかもごもっともと言うほかない。
ここで抗わねば、全てが無に帰す。何もかもが無駄になってしまう。その通りだ。
だけど――、
『……ごめん、ベリーちゃん』
心は揺れども、芯は揺るがず。ラララの返答は、心底申し訳なさげな、それ。
『無理。エンジュに武器を向けるのは、無理。それだけは、無理』
『何でです? 命の危機なのに、どうしてそこまで頑なに拒むんです~?』
『簡単よ。エンジュが、命よりも大切だから』
全身を汗に濡らしながらも、ラララははっきりとそれを断言した。
『あの子が生まれたとき、私は思ったの。私の手は、あの子を抱きしめるための手なんだ、って。だから私は、あの子に刃を向けない。私の手はエンジュを傷つけない』
ラララとベリーが魔力念話で話している間にも、エンジュは気を高めつつある。
彼女は間もなく、斬りかかってくる。そしてラララに防ぐすべはない。
『ほらほら~、そろそろ来ますよ~? でも、どうしても戦いませんか~?』
『絶対に、戦わない』
『どうしてもどうしても?』
『絶対に絶対に!』
『どうしてもどうしてもどうしても?』
『絶対に絶対に絶対に!』
『どうしてもどうしてもどうしてもどうしても?』
『絶対に絶対に絶対に絶対に! 絶対に絶対に絶対に絶対に絶対! 絶対に――』
ラララが、己の心をベリーに向かって爆発させる。
『絶対に! 私は、あの子を傷つけないッッ!』
同時、エンジュが飛び出す。攻撃は刺突。ムラクモの切っ先がラララを狙う。
「今度こそ、串刺しにしてやる! ラララ・バーンズ!」
「エンジュ……!」
ラララも半ば覚悟を決める。そこに――、
『…………アハァ♪』
聞こえる、ベリルラント・カリバーの歓喜に弾む笑い声。
直後、場に響き渡ったのは切っ先が肉を抉る音、ではなく、甲高く澄んだ金属音。
「な……ッ!?」
突きを放ったエンジュが、驚きに目を見開く。
それは、突きを放たれたラララもまた同じ。何が起きたかわからなかった。
エンジュが繰り出した突きは、見事に防がれていた。
ラララがいつの間にか右手に持っていた、《《真っ白いフライパンによって》》。
『素敵素敵素敵! 本当に素敵ですぅ~! 仮マスター、最高ですよぅ~!』
「ベ、ベリーちゃん!?」
全体を振動させて感激を露わにする白いフライパンは、何とベリーであった。
聖剣であり、包丁でもあるベリーが、自らのアイデンティティを放り出したのだ。
『もぉ~、何て健気なんでしょ、仮マスターったら! ベリーちゃん、キュンキュンしちゃいました! だから今だけ大サービス、刃物以外になっちゃいます~!』
「ベリーちゃん……」
『調理器具なら武器じゃないから、手に持ってもOKですよねぇ~?』
「……うん!」
デッケェ真っ白フライパンを両手でしっかり握り、ラララはエンジュと相対する。
「な、何のつもりよ、ラララ・バーンズ!」
フライパンを持つ彼女に、攻撃を防がれたエンジュは奥歯を軋ませる。
「おまえ、剣士でしょ! だったら何で剣を使わない! 何でフライパンなのよ!」
「ハァーッハッハッハッハッハァ――――ッ! 全く見当外れだね、エンジュ!」
「見当外れ、ですって……」
「いかにも! この瞬間、このラララは剣士ではない! そうよ、今の私は――」
フライパンを構えて、たじろぐエンジュへ、ラララは腹の底から声を張り上げる。
「私は、母親だッ!」
ラララ・バーンズが、矜持を見せる。




