第311話 Side:キリオ/金鐘崎美沙子は4キロ痩せた
キリオがそれに気づいたのは、出発して二時間ほど経った頃のこと。
「ヤッベェであります……」
彼の顔は、ラノベに出てくる魔族みたいに青くなっていた。
「ヤッベェ、こいつはヤッベェでありますぞ……」
「ど、どうされました、キリオ様? 『無邪気転生』の魔族みたいな顔色ですよ?」
「えっ、サティって『なれらぁ系』見てるんでありますか!?」
「あ、そうですね。アニメが面白かったので、最近原作にも手を出してみました」
見た目、完全にキャリアウーマン然としているサティである。
彼女が『なれらぁ系』に手を出している事実に、キリオは新鮮な衝撃を覚える。
「はぇ~……」
「いえ、私の趣味のことはどうでもいいじゃないですか。それよりも、何が?」
「あ、そうでありました……」
ちょっと照れたサティに促され、キリオは思い出す。
「もうすぐ、それがし達は目的地であるアパートに到着するであります」
「はい、空を飛べば三十分かからなかったですけど、二時間以上かかりましたね」
「ちょっと、サイディ達を警戒しすぎたでありますな……」
ここまではすぐに逃げられるよう、バスと徒歩でやってきていた。
しかも徒歩のときには『隙間風の外套』を羽織って、極力気配を消しながら、だ。
周囲を警戒しての移動は、さすがに普通に歩くのよりは手間取る。
時間がかかってしまうのも仕方がないことだった。
「だが、その甲斐もあって今のところは邪魔も入らずにここまで来れたであります。時間を支払って安全を買ったと思えば、悪くないであります。……で」
「はい」
彼の語りを聞いていたサティだが、キリオの『……で』の辺りで妻の直感が働く。
「もしかして、相当危ういですか?」
「もしかしたら今回の一件で、過去一にヤベェかもしれないであります」
「三秒ください。覚悟します」
「わかったであります」
そしてきっかり三秒、サティが覚悟を決めてキリオに「どうぞ」とうなずく。
キリオが、己の危機感の原因を話し始める。
「これから会いに行く金鐘崎美沙子殿は、父上殿の母君であります」
「はい、存じております」
「で、ここからが重要なのでありますが……」
「はい……」
「美沙子殿、すっげぇ~、父上殿を可愛がっているであります。子煩悩であります」
「は、はい……」
それだけではまだ話が見えていないようで、サティの返事は生っぽい。
「繰り返すが、美沙子殿は父上殿をものすごく可愛がっているであります。あの父上殿が、それがしの前で嬉しそうに抱っこされてたこともあったでありますよ……」
「えッ!? あ、あのお義父さんがですか……」
神妙な面持ちで実例を語るキリオに、サティは口に手を当てて驚愕する。
「過去に色々あったらしく、あのお二人の絆は非常に強いであります。さて、それを踏まえてここで唐突にクイズであります、サティ。とても簡単な問題であります」
「な、何ですか、いきなり……」
「問題――」
キリオが、顔中に汗をダラダラ流し、サティに問題を出す。
「父上殿は昨日から丸一日、音信不通で姿を消しているであります。……では、現状における美沙子殿のメンタルはどんな感じになっていると思うでありますか?」
「え、それは……」
本当に簡単な問題で、サティは答えを口に出しかけるが、
「それは、もちろん、心配を募らせて気が気でない……、あ」
「正解であります。今の美沙子殿、どう考えても虎児を奪われた虎状態であります」
「手負いの獣より数倍厄介な状況じゃないですか!?」
「だからヤッベェって言ってるんでありますよ!」
ことの重大さを理解したサティが騒ぎ、キリオはますます余裕をなくしていく。
しかし、時間は限られている。
ここの来るまでの経緯を考えれば、チンタラやってるヒマはない。
「父上殿が今どこでどうしてるかだけは、絶対に言ってはいかんでありますよ?」
「言えるワケないですよ、夫婦で地獄に落ちて死に続けてるなんて……」
二人は同時に「「ふぅ」」とため息をついて、アパートに続く最後の角を曲がる。
その先に、アキラとミフユの自宅であるボロアパートが見え、
「あ、やっべ……!」
キリオは慌ててサティを引っ張って物陰に身を隠す。
「……キリオ様?」
「そっと顔を出して、アパートの方を見るでありますよ」
「は、はぁ……」
言われた通り、サティが少しだけ顔を出してアパートを眺めてみる。
すると、一階にあるとドアの前にジッと立ち尽くしている女性がいるのが見えた。
「美沙子殿であります」
「あれが……」
キリオが、遠視・透視昨日を持った偵察用ゴーグルをかけて詳しく観察する。
そこに見える美沙子は、まるで石像のように微動だにせず立ち続けている。
「あー……」
瞬間、強烈な罪悪感がキリオの心臓をドスドス貫いていく。
彼が悪いワケではないのだが、現状からするとどうしても自責の念が湧く。
「キ、キリオ様……?」
「あれ、多分昨日から今まで、ずっと立ちっぱなしでありますよ」
「そんな……」
ゴーグルを外すキリオに、サティも軽く言葉を失う。
キリオが見た美沙子は、たった一日なのにすでにやつれているように思えた。
よっぽど、アキラを心配しているに違いない。
「行くでありますよ、サティ」
「大丈夫でしょうか……」
「今の美沙子殿が抱える憂いをどうにかできるのは、それがし達だけだ」
意を決して、キリオはサティの手を握り、二人で外套を脱いで物陰から出る。
そして、彼はあえて腹の底から大声を振り絞った。
「金鐘崎美沙子殿ッ!」
その声に美沙子は小さく身じろぎし、その顔をキリオの方に向ける。
「アンタは……」
一瞬だけ驚きに呆けていた美沙子の顔は、すぐに激しい怒りに歪んでしまう。
キリオの姿を見た彼女は、そこにアキラの不在を結び付けるに違いない。
「……『ミスター』!」
「サティ、それがしの後ろについているであります」
「は、はい、キリオ様……」
美沙子が自分の異面体を使って、その手に拳銃を具現化させる。
キリオも異面体によって無敵化して凌ぐのだろう。サティはそう思っていた。
「ノコノコとアタシの前に姿を現すとはね。覚悟はできてるんだろうね?」
「…………」
キリオが、何も言わずに前に進み始める。
美沙子は舌を打って、躊躇なく拳銃の引き金にかけた指にに力を込めた。
軽く爆ぜるような銃声が鳴り響く。
だが、銃弾程度ならば無敵化したキリオには通用――、右肩に血がパッと散った。
「ぐゥ……ッ!」
走る痛みを我慢しきれず、キリオがくぐもった声を漏らす。
サティには、その声が信じられなかった。
「キ、キリオ様……!?」
何故、無敵化しないのか。ワケがわからず、サティは動転する。
そんな彼女の前で、キリオはあろうことは両手を挙げて、降参のポーズを見せる。
「何のつもりだい、そりゃ。『ミスター』!」
お構いなしに、美沙子はさらに三発、キリオに銃弾を叩き込む。
そのたび、彼の体は小さく跳ねた。走る激痛に、神経と脳髄が焼け付きそうだ。
「キリオ様、どうして……!?」
「これくらいは当然のことでありますよ」
「何をブツブツと。アキラをどこにやったんだい、答えな『ミスター』!」
「美沙子殿がそれがしの話を聞いてくれるなら、お答えするであります」
痛みに耐え、顔を汗に濡らしながら、キリオは一歩一歩、美沙子に近づいていく。
自分の全身を蝕む痛みは相当なものだ。
しかし、それは果たして美沙子が感じ続けた憂いに匹敵するものなのか。
キリオは、とてもそうとは思えなかった。
彼は、異世界での日々を思い返す。
父アキラは、自分達子供を分け隔てなく愛し、慈しんでくれた。
それを同じものを、目の前の女性はアキラに向けているに違いない。
そのアキラが、いなくなってしまった。連絡もなく、一日以上。
親になったことのないキリオでも、今のやつれた彼女を見れば理解できる。
美沙子が感じてきた心労は、とてつもないものだ。
自分にぶつけることでそれが多少なりとも和らぐのなら、この程度の痛みは軽い。
「やっぱり、アンタがアキラを――、このッ!」
間近まで迫ったキリオの眉間に、半狂乱の美沙子が銃口を当てようとする。
「キリオ様ッ!」
サティがキリオの名を叫び、それを止めようと手を伸ばすが、
「美沙子殿に、これを」
その前に、キリオは一本のダガーを取り出し、美沙子の前に差し出した。
彼女の目が、キリオの顔から、ダガーの方へと移る。
「……このダガー、は」
美沙子は硬直し、その手から拳銃がスゥと消え失せる。
「アキラ殿が傭兵として巣立つ折、美沙子殿が渡した品であると聞いております」
キリオの語った内容に、美沙子はビクリと身を震わせて目を見開いた。
「何でアンタが、それを……」
彼を見つめる美沙子の顔には、驚きの色がありありと浮かんでいた。
ダガーだけなら、アキラから奪った可能性が残る。
しかし、キリオが語った内容をそこに加えれば、可能性は一つだけに絞られる。
アキラがそれを、キリオに直接聞かせた可能性だ。
「話を、聞いてほしいであります」
肩やら脇腹から血を流しながら、彼は美沙子に真っ向から頼みごとをする。
「アンタ、何者なんだい?」
「それがしは、キリオ」
「……何だって?」
知っているはずの名を告げられて、美沙子はさらなる驚きを見せる。
その反応に『もう一人のキリオ』の影響を如実に感じ、キリオは奥歯を強く噛む。
もう一度、彼は美沙子に名乗った。
「アキラ・バーンズが四男、キリオ・バーンズであります」
そしてキリオは、美沙子にダガーを渡す。
「…………」
美沙子は、受け取ったそれを大事そうに両手で抱えた。
「入りなよ。話くらいは、聞いてやるさね」
表情の険しさは変わらないまま、だが語気を少しだけやわらげて、彼女は言った。
「かたじけないであります。美沙子殿」
「キリオ様ったら」
深々と頭を上げるキリオを見て、サティも胸を撫で下ろした。
まずは、一歩前進した。その事実を、キリオは噛み締めた。




