第298話 こうして二人は地獄に落ちた
考えるまでもなく、それは簡単なことだった。
「『キリオ』はおまえだった。間違いなく、キリオだった」
「はい。それはそれがしが最も強く感じているところでありますぞ、父上殿」
言って、キリオは『キリオ』と出会った夜の雨の屋上を思い出す。
あのときに感じた、どうしようもないほどの《《違和感のなさ》》。
自分の手を見るのと何も変わらない、既視感どころではない《《いつもの感覚》》。
「あれは、それがしでした。キリオ・バーンズでした」
「そう。つまりおまえが『真念』に至れば、あいつと同じ能力が発現するはずだ」
「……『不落戴冠儀』」
キリオは、自分の異面体について改めて考えを巡らせた。
自らを無敵化させる自己装着型の異面体――、『不落戴』。
異能態を除けば、この異面体が発動しているキリオをどうにかするのは不可能。
無敵とは、どうにもできないから無敵なのだ。
その力を、自分の運命にまで拡大したのが『キリオ』の異能態なのか。
納得がいく。あの『キリオ』自身も『無敵の運命』を手に入れると言っていた。
「おまえが同じ能力を発動すれば、おまえの勝ちだ」
「異能態は『先手必勝にして後手必勝、使ったモノ勝ち』、で、ありますな」
「そうだ」
自分の異能態が『キリオ』と同じなら、発現するのは常時発動型。
あとから発揮された効果が、先の効果を上書きする。それが異能態のルール。
「おまえが勝利を得るには、それしかない」
「俺達、とは言わんのでありますな」
「それを言う資格は、今の俺にはない。俺はすでに負けたあとだ」
アキラが軽く苦笑する。
だが、その顔つきはすぐに引き締まり、話は続く。
「言っておくが、難しいぞ」
「わかっているであります。タクマの兄貴殿達からも話は聞いております」
異能態を発現する。
即ち、己の『真念』に至る。
口で言うのは簡単だが、実現するとなると途方もなく難しい。
意識してできることではない。練習することで実現することでもない。
ことは、己の心に関する問題だ。
自分というモノの本質。自分という者の核心。自分というものの真の芯。
それが『真念』。
考えるだけで、容易ならざるものだということがわかる。
「不安か、キリオ」
「う……」
考え込んでいるところに、アキラがそれを見透かしてくる。
いつもなら突っ張るところだが、今回だけは、キリオも素直に認めざるを得ない。
「はい、不安であります。それがしに至れるのでしょうか……」
そう吐露するキリオの中に、一つの想いが渦を巻く。
それは、己への不信。疑念。自己嫌悪にも近しい、自分を蔑む感情。
例えばケントの『真念』は『勇気』なのだという。
何に対しても決して揺るがず立ち向かおうとする彼の本質そのものだと思えた。
例えばミフユの『真念』は『自由』なのだという。
奔放に見えて優しく、勝手なように見えて世話を焼く、まさにミフユそのもの。
例えばタマキの『真念』は『愛情』なのだという。
力一辺倒に見えるあの長女の本質は、恋した男に全てを捧げた愛情の強さだった。
タクマの『真念』も、シイナの『真念』も、全て、輝かしいものに違いない。
翻って、自分はどうか。自分は、このキリオ・バーンズは……。
己の本質を見つけることなど、できるのだろうか。
いや、仮に至れたとして、そこに見たものが他の皆と違っていたら、どうする。
自分は他の兄弟達とは違う。
それは、いい意味ではなく悪い意味で、自分は他の兄姉弟妹とは違う。
自分という人間は、間違ってしまったバーンズ家なのだ。
道を踏み外し、過ちを犯してしまった自分という人間の本質。
それは、もしかしたら何か恐ろしく醜い、おぞましいモノなのではないか。
キリオの中には、そうした不安が常から存在していた。
もう一人の『キリオ』が異能態を発動させたことで、さらにそれは強まった。
あの男は、もう一人の『キリオ』は『真念』に至っていた。
至りながら、バーンズ家の乗っ取りというとんでもない行為に手を染めたのだ。
「それがしは……」
キリオが声を震わせる。手も震える。身も震えている。
怖かった。どうしようもなく怖かった。
己を知ることで、言い訳しようのない醜悪な自分を直視せざるを得なくなる。
それが、心底から怖かった。
「それではいけませんよ、キリオ様」
俯きかけるキリオの手を握り、サティが凛とした声で告げてくる。
「サティ……」
「私が知るキリオ様は、世界で最も強い人。不屈こそがあなたの持ち味でしょう?」
言って、笑いかけてくれる彼女に、キリオは刹那、不安を忘れる。
そして奥歯を強く噛む。
そうだ、サティの言う通りだ。
彼女を背負って逃げた昨晩を思い出せ。
家族に囲まれ、怒れるアキラを前にしても、自分は決して屈さなかった。
「父上殿、それがしは自分の『真念』を見つけてみせるであります」
「おまえならそう言うと思ってたよ。だから、俺はもう一つだけ、おまえに伝える」
もう、一つ?
「これは異世界でもミフユにしか言ってなかったことだ」
「父上殿、一体……?」
「もし仮に、の話だ。キリオ」
「はい」
アキラが何を言おうとしているのかわからず、キリオは戸惑いつつも話を聞く。
そんな彼に、アキラは語る。ミフユにしか言ったことのない秘事を。
「もし仮に、十五人の子供達の中から誰か一人後継者を選べと言われたら、俺はきっとシンラでもタマキでもなく、おまえを選んでいた。キリオ、おまえをだ」
「な、ぇ……?」
父が何を言ったのか、キリオはわからなかった。
硬直する彼に、アキラは続ける。
「俺は、シンラに傭兵団を預けた。しかしそれは、シンラを後継者に指名したということとは違う。傭兵団の引き継ぎ自体、シンラ自身が選んだ道だったからだ」
「そ、そうでありましたな、そういえば……」
言われて、キリオは思い出した。
そうだ、アキラは死に際、自分の後継者を指名していない。
互いに好きに生きろとだけ言い残し、それを遺言として亡くなった。
「バーンズ家の家督なんて、あってないようなモンだ。そんなモンを巡って争うようなおまえらじゃないことはわかってた。だから、俺は後継者を指名しなかった」
「はい、そうであります。父上殿の遺言を訓として、それがし達兄弟は、互いに争わない範囲でそれぞれ好き勝手に人生を全うしていったであります」
その果てにキリオの『過ち』もあるワケだが、それとて家督とは何の関係もない。
「だが、あえて俺が後継者を選ぶなら、それはおまえなんだよ。キリオ」
「な、何故そうなるでありますか! どうして!? それがしはバーンズ家の……」
「多分、おまえは俺と同じだからだ」
――汚点にして汚物。
そう続けようとしたところで、アキラの言葉にキリオは声を途切れさせる。
「確信があるワケじゃないが、強く感じるんだよ。《《おまえは俺と同じだ》》」
「父上殿、それは、一体……」
「考えるんだ、キリオ。俺が教えられることじゃない。自分で掴むしかないんだ」
キリオは悟った。
アキラはきっと自分の『真念』が何なのか、見当がついているのだ。
だから、後継者なんてことを言い出す。
「キリオ……」
「わかったであります。父上殿」
キリオには、アキラの言葉の半分も理解できていない。
しかし、それはこれから先、考え続けることで自分で見つけていくしかない。
「ラララ、あんたもがんばりなさいよ」
「うん、お母さん」
父は息子を抱きしめ、娘を抱きしめ、母や娘を抱きしめ、息子を抱きしめる。
「これを持っていけ、キリオ」
最後とばかりに、アキラが差し出したのは使い込まれた感のある古びたダガー。
「父上殿、これは……?」
「異世界で、俺がお袋のもとから巣立つときに受け取った品だ。お袋に見せろ」
アキラはこれから先、美沙子に会いに行けと言っているのだろう。
同じく、ミフユもラララに何かを渡す。
「あんたはこれを持って、リリスママのところに行きなさい」
「ママちゃん、これは……?」
渡されたのは、透き通った水晶製のエンブレム。
花の意匠を持つ紋章が刻まれた、見るからに壮麗な品だった。
「『天空娼館ル・クピディア』の娼婦が持つ身分証よ。ママに見せればわかるわ」
「うん、わかったと、ママちゃん」
キリオとラララは、父と母が渡してきた品の意味を何となくだが理解する。
これは、自分達だけではない。家族全体で抗うべく『災厄』だ。
「このラララは、必ず、サイディに勝つよ、ママちゃん」
「それがしは、必ずや、己の『真念』に至ってみせますぞ、父上」
「私は、できる限りの範囲で、お手伝いいたします」
ラララと、キリオと、サティの決意表明を受け取りアキラとミフユはうなずいた。
そして二人は、満足げに笑って、手を繋ぐ。
「そろそろ逝くか、ミフユ」
「そうね、アキラ」
「父上殿……? 母上殿――、何を……?」
キリオが問うも、だがアキラは何も答えずに子供達に背を向ける。
彼らが見ているのは、神が宿る鏡。アキラが、カディルグナを真っすぐ見据える。
「カディルグナ」
『何かしら、アキラ・バーンズ』
「俺とミフユを、豚とミフユの親共がいる無間地獄に連れて行ってくれ」
こともなげに言い放たれたその言葉に、場は無音の衝撃に襲われる。
「な、ち、父上殿……ッ!?」
「お母さん、何をしようとしてるの……!」
「ケジメだ」
子供達の方を振り返らずに、アキラは一言だけ返す。
「理由はどうあれ、俺とミフユはおまえ達の心を踏みにじった。ケジメが必要だ」
「バカな、それがし達は、そんなことは求めておりません!」
「俺達が俺達にそれを求めてんだよ」
キリオが声を荒げても、アキラは彼の方を振り返らない。
『本気、なのね? 言っておくけれど、現実の時間で50時間以上となれば、あっちでは最低でも十数年、下手をすれば三十年近くになるのよ。その時間を、あなた達二人は延々殺され続けることになるのよ? 死ぬ回数は、確実に万は越えるのよ?』
「だってよ、ミフユ」
「織田信長も言ってたじゃない。是非もなし、ってヤツよ」
二人の意志は変わらない。カディルグナは鏡の向こうでため息をつく。
『死せし魂の行く末を管理するは我の務めなのよ。あなた達が死したのちそれを望むなら、我は掣肘できないのよ。望み通り、無限に死に続ける場へお送りするのよ』
「頼む」
「待って、待ってよ、お父さん、お母さん!」
溜まらずに、ラララが叫ぶ。その悲痛な声に、ミフユがかすかに肩を揺らした。
「やだよ、私、そんなのやだよ! やめてよ、お願いだから!」
「行かせて、ラララ」
「どうしてよ、何で、そんなことする必要あるの!」
強く引き留めようとするラララの方へ、ミフユが肩越しに振り返る。
その瞳には、涙が光っていた。
「わたし達は、あんた達にやった分をやり返しすぎなくちゃいけないのよ、自分に」
「お母、さん……」
「まぁ、この程度、おまえ達が味わった痛みに比べれば、全然及ばないけどな」
「そんなことはないでありますよ……!」
「あるさ。あるんだよ」
アキラがそう言って、ミフユと共に鏡の方へを進んでいく。
そして、動けずにいるキリオ達へ、空いてる方の手を挙げて軽く振った。
「ああ、そうだ。死体の保存、よろしくな」
「さっさと行くわよ、アキラ」
「はいよ」
キリオ達が見ている前で、アキラとミフユは互いに即死魔法を行使する。
そして、二人の肉体は力を失って倒れ、魂は鏡へと吸い込まれる。
「父上殿……!」
「お母さん……ッ」
鏡の向こうで、手を繋いだ二人の後ろ姿が小さくなっていく。
そして、噴き上げた炎に巻き込まれて、その姿がいずこかへ消え去った。
「あ、ぁ、あぁ……」
カディルグナの鏡を前に、キリオは引きつった声を漏らし、膝を屈する。
そして、握り締めた拳が剥き出しの地面を激しく叩いた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォ――――ッ!」
キリオは、泣かなかった。ただ吼えた。
泣く代わりに吼えた。感情になり切らない衝動を、声にして吐き出した。
勘違いをしてはいけない。
父も母も、自らその道を選んだ。彼らを地獄に落としたのは自分ではない。
それだけは勘違いしてはならない。だが、それでも、彼は吼える。
「キリオ・バーンズ、キリオ・バーンズッ、キリオ・バーンズッッ!」
繰り返される、その名前。
地面を叩く拳から血が垂れる。それに構わず、彼は地面を叩き続けた。
『二人の魂は、我が確かにお預かりしたのよ。全てが終わったらまたいらっしゃい。二人の魂は、死体が残っていればいつでも蘇生できる状態にしておくから』
「……わかりました、カディルグナ様」
冥界の神に、サティが深く頭を下げる。そして彼女は、キリオに促した。
「行きましょう、キリオ様。お義父さんとお義母さんは私達に道を示してくれました。立ってください。立って、前に進みましょう。ラララさんも、さぁ」
「強いなぁ、サティは……。でも、私もわかってるよ。お兄ちゃんだって」
「ああ」
ラララが涙を拭き、キリオが立ち上がる。
彼の瞳に宿るのは決意、そして深く強く激しく根深い、嵐にも優る憤激。
「口の中に広がるこの血の味を、それがしは忘れぬッ!」
目標は、さだまった。




