第296話 いつの世も困ったときは神頼み
宙船坂家の今に、異様な雰囲気が漂っている。
集は、キリオ達が着いて早々にどこかへと席を外してしまった。
そして今、この場にはアキラとミフユと、キリオら三人。
アキラはあぐらをかき、ミフユは正座して、真正面からこちらを見据えている。
「…………」
「…………」
アキラ、ミフユ、共に無言。
だが、キリオは感じとっている。その視線に宿る圧は、何も変わっていない。
昨夜の、自分を追い詰めたときのアキラと同じまなざしだ。
常人であれば、絶対に目を逸らす。
常人でなくとも、ほとんどが目を逸らす。
それほどまでに強烈で、苛烈で、峻烈で破壊的な、アキラのまなざし。
キリオはそれを、真っ向から睨み返す。
そして、己を曲げずに主張する。
「それがしは、キリオ・バーンズであります」
「……あくまで、そう言い張るつもりだな」
「父上殿の方こそ、それがしを『ミスター』と呼ぶおつもりでありますな?」
負けない。曲げない。折れない。降りない。
あくまでも、あくまでも真っ向から、キリオはアキラに抗おうとする。
「ああ。おまえは『ミスター』だ」
だが、やはり言い切られてしまうと、キリオの胸は痛む。ズキリと痛む。
しかし、アキラの言葉は終わっていなかった。
「おまえは『ミスター』だ――、と、誤認させられている可能性も捨ててない」
「な……ッ」
その言葉には、さすがにキリオは驚かされる。
しかし、アキラは放つ『威』を衰えさせず、ただ、その顔をしかめて、
「俺は今のところ、おまえをひとっかけらも信じちゃいねぇ」
「では、何故……」
「おまえは信じちゃいねぇが、ケントのことは信じてる」
ケント、ケント・ラガルク。
キリオが師と仰ぎ、アキラが自分と互角だと断言する、最高の守護者。
「17歳のときの、森での出来事を思い出せ」
いきなり、アキラがそんなことを言い始めた。
「符丁だ。どっちかが敵の術中にハマったときに、それを言うように取り決めてた」
「何と、父上殿とお師匠様の間に、そのようなモノが……」
ケントが助けに来てくれたときのことを思い出す。
彼はアキラに対し、確かにそんな話をした。そしてアキラは、それに驚いていた。
「17歳の森での出来事ってのはな、霧と幻覚を操るモンスターに襲われて、あわや俺とケントで同士討ちになりかけた一件でな。……まぁ、そういうことさ」
ケントがアキラに符丁越しに伝えようとしたのは、同士討ちの可能性。
そして、それに続けて言ったのは確か、自分の父親に親のやり方を学び直せ。
「おまえらを俺の親父の家に寄越す。って意味だ。何割かは本気だったろうがな」
「何、と……」
キリオは、感嘆するしかなかった。
あの短い会話の中に、それだけの情報を詰め込んでいたとは。
もはや、自分は死ぬまで、ケントに足を向けて寝られない。
胸に染み渡る彼への恩義に、キリオは言葉も出ない。
「……ママちゃん」
一方で、ラララはミフユと向かい合っている。
ラララは母と同じく正座して、やや気後れした感じながらも堂々と尋ねる。
「聞きたいことがあるんだ」
「いいわ、答えてあげる」
ミフユは応じはするものの、その反応は冷淡極まりない。声にも、一切色がない。
傍らでそれを聞くキリオには、にわかには信じられなかった。
これが、あの『最終決闘』でラララに肩入れし続けたミフユなのか。
「ザイド・レフィードという名前に、心当たりはあるかい?」
「ないわ」
即答だった。
「私が知っている名前は、サイディ・レフィードよ」
「やっぱり、そこから変わってるんだね……」
ラララは険しい顔つきで、忌々しげに呟く。
その顔を、ミフユはジッと見つめている。
「演技ではなさそうね」
「演技であるものか。エンジュの母はこのラララだ。それだけは譲れない」
「……わたしからすると『まだそんなことを』、なんだけどね」
呆れ尽くした顔でそれを言うミフユに、ラララは少しだけ悲しげな顔を見せて、
「ねぇ、ママちゃん。ママちゃん達の今の記憶では、このラララは異世界でどれだけ無様な人生を送ったんだい。そんな顔をさせるような人間だったんだろう?」
「忘れてるなら教えてやるわよ、ラララ」
そして、ミフユは今の認識における異世界でのラララの行状を語り出す。
それはもう、とにかく酷いモノだった。
サイディと相思相愛だったタイジュに横恋慕し、サイディに剣で挑戦する日々。
しかし一度も勝てず、だけども心折れず、卑怯な手段にも手を染めたのだという。
挙句の果て、サイディとタイジュの結婚式に乱入して、サイディを殺そうとした。
だがそれも失敗し、逃亡し、しばらく行方をくらませたのだという。
そしてサイディがエンジュを産んだのち、戻ったラララはエンジュをさらった。
ラララは錯乱し、自分こそがエンジュの母だと主張した。
だが結局は、タイジュとアキラがエンジュを取り戻し、ラララは幽閉された。
そして誰にも省みられることなく、やがて一人孤独に死んでいったのだ、と。
それがミフユが語った、異世界におけるラララの人生の顛末であった。
「うっわぁ……」
「何でありますか、その『誹謗中傷以外の目的が見当たらない作り話』は……」
「何というか、ええと、その、何というか……」
ラララ、キリオ、サティの三名。これにはドンビキせざるを得ない。
「わたしとアキラからすると、それが事実なんだけどね」
「そうだろうね。こんな話でも現実にしてしまう。それが異能態なんだろうね」
「かりゅ、ぶ……?」
ため息と共に肩をすくめるラララに、ミフユが妙な反応を見せる。
それには気づかず、ラララはミフユに、茶化した物言いでこんなことを言う。
「そんな娘なら産まない方がよかったんじゃないのかい、ママちゃん」
「ブン殴るわよ」
「う……」
ミフユの強烈な殺気に貫かれ、ラララは言葉を失う。
「どんな呆れ果てるような娘でも、私の娘は私の娘なのよ」
「……うん。それを聞けて安心した。やっぱり、お母さんはお母さんだね」
「フン」
口元を綻ばせるラララに、ミフユは不満そうに鼻を鳴らす。
そこに、集がそそくさと戻ってくる。
「アキラ」
「親父。いいのか?」
「ああ。カディ様が連れて来てくれ、って」
「わかった」
短いやり取りののち、アキラとミフユが立ち上がる。
「……父上殿?」
「ついてこい。俺の記憶とおまえの言い分、どっちが正しいか確かめるぞ」
アキラが、そんなことを言い出す。
キリオは目を見開いた。あるというのか、現実の改変を確かめる手段が、何か。
「一体……」
「いいから来い。話はそこでもできる」
つっけんどんにそれだけ言って、アキラとミフユは居間を出ていく。
キリオ達三人は互いに顔を見合わせながらも、そのあとに続いていくしかない。
居間を出る際、集から言われた。
「アキラの態度が悪くってごめんね。普段はいい子なんだけどね……」
「うっさいんですよ、親父さぁ!?」
「あ~、何か安心するやりとりでありますなぁ~……」
響き渡るアキラの怒声に、何だか安心感を覚えてしまうキリオであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
地下に降りて、細長い通路を進む。
そのさなか、アキラが、後方のキリオ達に説明してくれる。
「この先に、冥界の神カディルグナがいる」
「はい、存じ上げているであります」
「何で知ってる?」
ジロリと、アキラが肩越しにキリオを見てくる。
相変わらずそれを真っ向から見返して、
「父上殿が、それがしに教えてくれたであります」
「それも、どうだかな」
アキラは、ハナから信じていない様子だった。
その彼の態度が、辛くて苦しい。だけどキリオは、それを決して表に出さない。
「キリオ様」
後ろから、サティがキリオの手を握ってくる。
「手が、震えていましたよ」
「サティ……」
そんなところにまで気がつくなんて、と思って、それから「ああ」と納得する。
「おまえは、細かいところに気がつく性格でありましたな」
「いいえ、そんな。相手がキリオ様だからです」
しっかりと手を握りながら、サティはキリオに笑みを返す。
アキラが、そこに横やりを入れてきた。
「サティ。おまえは自分の意志で、その男の側についたのか?」
「そうです、お義父さん。この人と共にいるのは、まぎれもなく私自身の意志です」
「…………」
アキラは、返事をしなかった。
ただ、その後ろ姿は何かを考えているようでもある。
そして次に出たのは、全く別の話題。
「この先にいるカディルグナは、俺達がどんな手を使っても壊せなかった相手だ」
「あ、はぁ……」
いきなり始まった説明の意図を掴みかね、キリオは生返事をしてしまう。
「いいか、どんな手を使っても、カディルグナには何の影響も与えられなかった」
「何の、影響も――、って、もしや……!?」
やっとアキラの意図を理解し、キリオは小さく声をあげる
そして、彼らが『観神之宮』に到着したのは、ちょうどそのタイミングだった。
『待っていたのよ。アキラ・バーンズ』
ドアの向こうにある、地肌剥き出しの小さな空間。
そこには小さな泉があって、そして泉の上に鈍色の丸い鏡が浮かんでいる。
鏡の向こう側には、幼い少女が映り込んでいる。
彼女こそは、異世界における最高位――、『特神格』の神が一柱、カディルグナ。
「前置きはいい。問うぜ、カディルグナ」
『ええ、どうぞなのよ。アキラ・バーンズ』
キリオ達が見ている前で、その問答はすぐに始まり、そして、
「《《マリエがおまえを『黄泉謡い』で喚んだとき》》、《《そこにこの男はいたか》》?」
『《《間違いなく》》、《《いたのよ》》』
それだけで、あっさりと終わってしまった。
神が答えたその直後、ミフユは声こそあげなかったが、明らかに動揺した。
問答を行なったアキラは「そうか」とだけ呟いて天井を仰いだ。
それから身じろぎ一つせぬまま、十秒ほどして、
「こいつは、キリオか……」
父が漏らしたその小さな呟きが、キリオの耳にやけに大きく響いた気がした。




