第295話 彼と彼女を導くものは
八重垣探偵事務所。
サイディ達がいなくなり、事務所に残っているのはキリオとスダレだけだ。
「ねぇ~え、おキリ君」
椅子の上でエナジードリンクをかっくらったスダレが、キリオに声をかける。
「何ですかな、姉上」
「何でぇ~、おキリ君はぁ~、一緒に行かないのぉ~?」
それは、単なる疑問。純粋な興味。知りたがりのスダレのクセのようなものだ。
「ふむ? 何か、おかしいところでも?」
「ん~、ウチが知ってるおキリ君ってぇ~、自分から前に出る人ってイメージ~」
「ハハハハハ、無体を仰られる」
キリオはそう笑って、また紅茶を一口。
「異世界ではそうでありましたでしょうが、今の私を見ていただきたい。老いさらばえた72の凡骨に、自ら前に出ていく気力など残っておりませぬよ」
「あははぁ~、それはそっかぁ~。お体お大事にねぇ~」
「世界が変わったとはいえ、姉上の若さを羨ましく感じます。浅ましいことですが」
「そんなことないよぉ~。敬老精神は大事ぃ~」
「それを姉から言われる身にもなっていただきたいものですな」
それから、しばし話をして、キリオは事務所を出ていった。
直後、スダレは自らの領域である『スダレの御部屋』を展開する。
「ふみゅ~ん。なぁ~んかなぁ~」
一人、真っ白い空間の中で、彼女は唸った。
この妙な感覚は、一体何なのだろう。
今さっきまで話していた相手。それは間違いなくキリオ・バーンズであるはずだ。
と、スダレ自身の記憶がそれを証明している。
しかし、スダレは知っている。記憶は、確かなようで確かでないものの代表格だ。
彼女が感じている違和感は、ほんの小さなもの。
指先に刺さった毛よりも細いトゲ程度の、本当に些細なモノでしかない。
「少しの間は様子見、かなぁ~……」
違和感ゆえに、今のスダレはキリオを100%信じていない。
しかし、違和感の小ささゆえに、今のスダレはキリオを1%も疑っていない。
99%は100%に近いが100%でなく、だが、100%に極めて近い。
それが、スダレ・バーンズの現状。
異能態による現実改変の影響はやはり強いが、それでもスダレはスダレである。
この違和感を見逃すべきではない。
その考えに基づいて、実は彼女は先程も策を弄した。
もう一人の『キリオ』の居場所について、少しだけ嘘を混ぜ込んでおいた。
サイディ達には、あの『キリオ』達は天月に向かっていると知らせておいた。
それが嘘。真っ赤な嘘。
ラララと『キリオ』は、宙色の方に向かっている。
これで、多少の時間は稼げるだろう。
とはいえ、スダレはキリオの邪魔をするつもりなど毛頭ない。
依然、彼女の中では『キリオ』=『ミスター』という認識が働いている。
だがそれを鵜呑みにすると生じる1%の疑念。それをどうにか晴らしておきたい。
こういう、自分だけでは集めきれない情報が相手の場合、頼る先は決まっている。
スダレは現実空間に戻って、スマホで電話をかける。
「――あ、もしもし、おシイちゃん?」
かけた先は、シイナだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
午前10時半。残り時間、およそ61時間。
キリオ達三人は、時間はかかったが何とかメモの住所近くにまで来ていた。
「やっと着いたね……」
歩き疲れた、という感じでラララがくたびれ声を出して肩を落とす。
いつ家族と遭遇するかわからない緊張感のもと、何とかここまでやってきた。
飛翔の魔法など使えば一発でバレる。
だから慎重に慎重に、常に周囲を警戒しつつ、公共機関と徒歩で何とか、だ。
「キリオ様……」
「それがしは大丈夫であります。おまえはどうでありますか、サティ」
「私も、大丈夫です」
二人、手を繋いで、支え合うようにして並んで歩いている。
それを見て、ラララが唇を尖らせる。
「いいなぁ~、このラララもタイジュと手を繋いで歩きたいなぁ~」
「無茶言うなであります……」
ボヤくラララに、キリオは眉間にしわを集める。
二人に会話を、サティが見守りながら微笑んでいる。
「懐かしいですね。キリオ様。日の下で、こうしてあなたと歩くのも」
「……言われてみれば、そうでありますな」
「森の国でのことを思い出します」
しんみりした調子で言うサティに、キリオもまた同じくその景色を思い起こす。
彼がサティアーナ・ミュルレと出会ったのは、まだ二十歳になる前。
父アキラの傭兵団で、傭兵として働いていたときのことだ。
その頃、規模を大きくした傭兵団は幾つかのグループに分かれ各地で戦っていた。
若きキリオが参加していたのも、そんなグループのうちの一つ。
エルフと呼ばれる異種族が住まう、国土の七割を森林が占める森の国。
そこに異常発生したモンスターの群れの討伐が依頼内容だった。
到着し、案内された先の村。
そこにあった、村で唯一の宿屋の娘が、サティアーナ・ミュルレだった。
森の国でも数少ない人間の家族。
その一員であったサティは、出会った当時、キリオと同い年だった。
エルフばかりの村の中、同じ人間で、同じ年齢。
キリオとサティはあっという間に意気投合して仲良くなった。
顔見知りから友人へ。
友人から、その先の関係へ。ステップアップは、割と早め。
モンスター討伐が、そこそこ長期の仕事になったのも仲が深まった要因だ。
ああ、今でもはっきり覚えている。
キリオにとっては、忘れようにも忘れられない、輝ける日々だった。
「サティは、今よりずっとじゃじゃ馬でありましたな」
「ひどいですね。キリオ様こそ、今よりずっと子供だったじゃありませんか」
「お互い様でありますな」
言って、返され、キリオは笑う。サティも笑う。互いに見慣れた笑顔が心地よい。
そこへラララから、魔力念話による秘密の通信。
『今のところ、怪しい様子は見られないね』
『……で、ありますな』
返すキリオの声は、若干硬い。ラララがまっすぐに尋ねてくる。
『やっぱり、疑いたくないかい?』
『そりゃ、当たり前であります。が、疑わんワケにはいかんであります』
『そういうことだね』
サティは、マリクの質問に対し『もう一人のキリオ』の正体を知らないと言った。
しかし、それを鵜呑みにするほど、キリオもラララも単純ではない。
特にキリオは、異世界では聖騎士長という立場にあった。
真っすぐに人を信じることの美しさと愚かさは、よく知っている。
サティは『Em』でNO.2の『ミセス』という立場にあった女性だ。
それがこうして、今は何の因果か、敵対していたバーンズ家のキリオと共にいる。
疑わない理由など、どこにあるのか。
キリオが聞きたいくらいだ。
『あんな再会でなければ、こんな疑念も抱えずに済むんでありますがなぁ……』
『『無力化の魔剣』の効果は、本物だったんだろ?』
『それは、ヒメノの姉貴殿が診たから間違いないでありますな』
今のサティは、魔法も異面体も使えない、ただの成人女性でしかない。
それでも彼女はキリオのそばにいることを望み、ラララもそれを後押しした。
『ケントの義兄クンの言葉を考えると、ね……』
『サティが真に『守るべきもの』か否か、見極めろ。そういう意味でありますな』
かつて誰よりも愛した妻を疑う。それは、とても心苦しいことだ。
しかし、何も疑わずに彼女を受け入れるのは、それこそ愚の骨頂というもの。
信じたい気持ちと疑わしさが、キリオの中でせめぎ合っている。
『それがしは、サティを信じるために疑うのであります』
『わかってるさ。このラララだって同じだよ。あの人は義姉ちゃんなんだから』
ラララも、素直に己の心情を吐露する。
やがて、目的の家が見えてくる。二階建ての木造建築。とても昭和な風情の家だ。
「ここでありますな」
キリオが玄関の前に立って、ラララとサティに目配せする。
二人がそれぞれうなずくのを見て、キリオはチャイムを押した。音が鳴り響く。
少し待っていると、中から人の足音が聞こえる。
「は~い、どちら様ですか~?」
ドアを開け、顔を出したのはどこにでもいるような、でも人のよさそうな男。
その顔に、キリオとラララは自分達の父親の面影を見る。
「えっと……」
言うべき言葉は頭の中に用意していたが、その男の顔を見て消し飛んでしまった。
自分達を不思議そうに眺めている男に、キリオは思いついて封筒を差し出す。
「こ、これを……!」
「ん~? え~っと……」
男は不思議そうに首をかしげながら、封筒を受け取り、中身を取り出す。
入っていたのは折りたたまれた便せん。枚数は一枚。
「ああ、なるほど、君達が――」
手紙を読み進めた男は、手紙とキリオ達を交互に見て、納得したように呟く。
「そ、それがし達をご存じで……?」
「うん。とりあえず中にどうぞ。……ああ、僕が宙船坂集だよ」
やはり、そうだったか。と、キリオもラララも声もなしに唸る。
宙船坂集。
この世界における、アキラ・バーンズの実父。あの美沙子の、元夫である。
ケントは、この人のところに行けにキリオ達に助言した。
そこに、自分とラララのこれからについて導いてくれる人間がいるから、と。
彼が、集が、自分達を導いてくれる人物なのだろうか……?
「ちょうどいいタイミングだったね。ついさっき、二人とも来たところだよ」
――二人とも?
激しい緊張の中に疑問を覚えつつ、キリオは集についていく。
そして通された居間で、キリオ達は自分を待ち構えていた二人と顔を合わせる。
「よぉ」
「来たわね」
アキラと、ミフユだった。




