第294話 旅立ちは朝、見知らぬ場所で、三人で
キリオは動きを凍てつかせ、ラララは辛そうに顔を伏せる。
「お師匠、様……、それは、どういう?」
「今、言った通りだ」
心から口惜しげに、だが決然と、ケントはキリオにまた告げる。
「俺達にはもう、時間がないんだ」
「時間が……?」
何を言っているのかとキリオは一瞬不思議に思い、すぐに気づいた。
「まさか!」
「そうだよ、キリオ。もうすぐぼく達も、現実の改変に飲み込まれる」
「はい、私達はキリオ君達の敵になってしまいます」
目を剥く彼に、マリクとヒメノが告げる、残酷すぎる現実。
「現実の改変が発生してから、今の時点で六時間ほどが経過しています。ここまで、私の『竜胆拠』が持つ『不傷』の効果のおかげで何とか持ちこたえてましたけど、やはり異面体では異能態の力には抗いきれませんね。限界が近いです」
「ぼく達はたまたたま現実改編発生時、このリンドウキョに戻ってきていたから、今まで影響を受けずに済んでいたんだよ。でも、ここまでだ。ごめんね」
「そんな……ッ!」
窮地を助けてくれたケントに、まだ正気のマリクとヒメノ、タイジュも。
自分とラララ以外の全員が、敵に回ると――、
「無論、それを黙って受け入れる俺達じゃない。これを使うつもりだ」
ケントが、何かをキリオに見せてくる。
それは、手のひらに幾つか転がる程度の大きさの、透き通ったクリスタル。
「……『夢見の封印水晶』でありますか?」
「そうだ。俺達はこの中に入る。そうすることで、おまえ達を助けてやれなくなるが、敵に回ることもなくなる。取れる手段としてはこれが最善だと結論づけた」
「お師匠様……」
四つの封印水晶をギュッと握り締め、ケントはキリオを真っすぐ見据える。
「俺は、おまえに師匠と呼ばれるほどのことはしてやれてないよ、キリオ」
「そんなことはないであります。それがしはあなたから大切なことを学びました!」
「そう、言ってくれるか……」
「当然であります!」
深くうなずくキリオに、ケントは感じ入るように目を伏せる。
一方で、ラララとタイジュもこれから訪れる一時の別れを前にして言葉を交わす。
「すまないラララ。俺がついていながら、おまえを助けてやれない。ふがいないよ」
「気にしないで、タイジュ。その言葉だけで、私は戦えるから」
「……ああ」
そしてタイジュが、ラララの体を抱きしめる。
「覚えておいてくれよ、ラララ。これが俺の感触だ」
「うん、大きくて、あったかい」
「辛くなったら、この感触を思い出してくれ。俺は、いつでもおまえのそばにいる」
ラララは言葉を返さず、タイジュを抱きしめ続けて、全身でその感触を覚えた。
「エンジュを、よろしく頼む」
「うん」
「それと――」
「なぁに?」
タイジュの声に、一気にドスが利く。
「サイディのやつは、八つ裂きの八つ裂きの八つ裂きで頼む」
「承ったよ、タイジュ!」
そこだけ王子様モードになって、ラララは朗らかにそう返すのだった。
そして、別れのときはやってくる。
「あと、一分ほどですわね」
このリンドウキョが現実改編に巻き込まれるまでの時間を、ヒメノが告げる。
あと一分で、今ある正しい世界は新しい正しさに淘汰される。
「キリオ。これを持っていけ」
ケントがそう言って差し出してきたのは、四つ折りの紙片と封筒。
「こっちの紙切れには住所が書いてある。外に出たら、まずそこに行け」
「はい。……これは、どこでありますか?」
「説明している時間はない。行けばわかる。そして――」
次に、ケントは封筒を示す。
「その住所にいる人に、この手紙を渡してくれ。これも、渡せばわかる」
「はい、お師匠様」
「キリオ、そしてラララ」
「はい」
「何かな義兄クン」
「俺達は、ここから先、おまえ達を導いてやることはできない」
それは、マリクやヒメノ、タイジュの無念もひっくるめた、ケントの悔恨の言葉。
「だが、おまえ達がこれから向かう先には、それができる人間がいる。そいつが、おまえ達にこれからするべきことを教え、そのための道筋を示してくれるだろう」
「はい、わかりました。お師匠様」
「まずは、そこに行ってみるよ。辿り着くさ、絶対に」
うなずくキリオとラララに、ケントも満足げにうなずき返す。
そしてついに時間がやってこようとする。
「最後に、キリオ」
ケントがキリオを呼ぶ。
「お師匠様、何でしょうか」
「いいか、キリオ。俺と初めて出会った日を思い出せ」
「初めて出会った、日……?」
タマキと再会し、ケントから『守ること』を叩き込まれた、あの日のことか。
自分が、またしても間違ってしまった、あのときのことだろうか。
「キリオ」
ケントが、一瞬だけ別方向に視線をやってからすぐに戻し、
「何があっても『自分が守るべきもの』だけは間違えるな。それだけは言っておく」
「はい。肝に銘じるであります」
自分が師匠と仰ぐ男からの、最後の薫陶。
それを胸に刻み込んで、キリオ・バーンズは空間を越えて『絶界宙色市』へ出る。
道連れは、かつての妻サティと、妹のラララ・バーンズ。
リンドウキョを出るとすっかり日が高くなっている。
場所は見覚えはなかったが、近くに見える看板に『宙色』の文字がある。
宙色市内のどこかのようだった。
現在時刻は、午前8時。
現実改変発生から、およそ八時間半が過ぎている。残り、63時間半。
「行ってくるであります。お師匠様、兄貴殿、姉貴殿」
キリオが目を落とす、自分の手のひら。そこには三つの封印水晶が輝いている。
中に眠っているのはケントとマリクとヒメノの三人。
「タイジュ。エンジュは、私が必ず連れ戻すからね」
ラララも、タイジュが眠る封印水晶を握り締め、それを誓った。
「キリオ様……」
「サティ」
ケント達が眠る封印水晶を収納空間に収め、キリオは彼女をいたわりの目で見る。
「おまえは、力は……」
問われたサティは、首を横に振った。
老キリオが彼女に突き立てた『無力化の魔剣』のレプリカ。
その効果は、ヒメノでも消せなかったらしい。
「ヒメノお義姉様からは、時間が足りないと言われてしまいました」
「そうか。ではやはり、おまえも封印水晶に――」
言いかけるキリオの手を、サティが両手で包むように握る。
「どうかわがままを言うサティの愚かさをお許しください、キリオ様」
「しかし……」
「私は、あなたの隣に立っていたいのです」
サティの安全を考えれば、ケントと同じように封印水晶に入ってもらうのが最善。
しかし、サティはそれを望んでいない。彼女の瞳に、悩むキリオが映り込む。
「いいじゃないか、連れていってあげなよ。兄クン」
「ラララ……」
「ケントの義兄クンが言ってた『守るべきもの』って、この人なんだろ?」
ラララの言葉にキリオは反論らしい反論も思いつかず、サティへ目を移す。
「サティ、それがしから決して離れてははならんでありますぞ」
「キリオ様、では……!」
「おまえのことは、それがしが守るであります」
固い決意と共に宣言すると、サティは頬を赤らめて「はい!」と威勢よく返す。
「まずは、お師匠様から言われた通り、この住所に行ってみるでありますか」
「それはどこだい、キリオの兄クン」
キリオが広げた紙切れを、隣からラララが覗き込んでくる。
そこに書かれている住所を、キリオが読み上げた。
「宙色市天都原区四丁目17-2……、ここは――」
その住所に、キリオは覚えがあった。
「……宙船坂家?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――同時刻、八重垣探偵事務所。
「あはぁ~、見つけたぁ~」
現実改編の影響下にあるスダレが、手にしたタブレットを見て歓喜する。
そのタブレットは彼女の異面体である毘楼博叉だ。
「ヘイヘ~イ、おキリく~ん、見つけたよ~」
「もう、ですか。さすがですな、姉上」
事務所内にいるのは、スダレだけではなかった。
ソファに座って紅茶を飲んでいたのは、もう一人のキリオ・バーンズ。
そして、その傍らには、
「《《マリエ》》」
「はい、あなた様」
ソファに座るのではなく、立ったまま控えていたマリエが、キリオに返事をする。
「私の名を騙る、あの『ミスター』の居場所が判明したよ」
「『ミスター』……、キリオ様の名を騙る、あの男ッ」
マリエの顔が、あのとき少年キリオに見せたのと同じように敵意に歪む。
「ラララも一緒だ、サイディ」
「HAHAHA、OKダゼ、キリオ! 今度こそ仕留めてヤラァ! エンジュ!」
「はい、ママ。わかってるわ。今度こそ、私がパパを取り戻す」
その場に同席していたサイディとエンジュも、揃って立ち上がる。
「あなた様は、こちらでお待ちになっていてください。あの男は、必ず私が」
「そう言ってくれるか。ありがたく思うよ、マリエ」
スマートに礼を言うキリオに、マリエは「いいえ」と首を横に振る。
「私は、あなた様と共に歩むと決めた女です。あなた様のお役に立てるのなら……」
「そう言ってくれる君に、私は感謝の気持ちを贈りたいと思う」
「感謝の気持ち、ですか……?」
小首をかしげるマリエに、キリオが収納空間から取り出したのは一振りの剣。
全体が磨き抜かれた白金色で、鞘や柄に、壮麗な装飾が施されている。
「何て、綺麗な……」
「これを私と思って使ってほしい。きっと、役に立つはずだ」
「ありがとうございます、あなた様!」
受け取った剣を後生大事に抱えて、マリエが笑顔で礼を述べる。
それを見ていたサイディが「Oh……」と小さく漏らす。
「どうかしたの、ママ?」
「イイヤ、何でもネェヨ、エンジュ」
尋ねてくるエンジュに肩をすくめて見せ、サイディはかぶりを振った。
「エゲツねぇマネしやがるゼ、ウチのBOSSはヨ」
その呟きは、サイディ以外の誰の耳にも届かなかった。
異空の『絶界宙色市』における、二人のキリオの二回目の激突が迫りつつあった。




