第285話 眉村絹という少女について
眉村絹は普通の女子中学生だ。
彼女の家である眉村家も、星葛市の片隅に居を構える、ごくごく普通の家だ。
父、眉村麻人は、市役所勤めをしている。
母、眉村綿子は、パート勤めの兼業主婦をしている。
父が公務員で、母もパーとしていることから家計は安定している。
家は一戸建てでペットの犬も飼っている。
犬種は柴犬で名前はポチ。ひねりがない。
ポチは二代目の飼い犬で、初代の飼い犬のハチは数年前に亡くなっている。
眉村絹は普通の女子中学生だ。
彼女が通っている学校も普通の中学で、しいてあげれば生徒数が少し少ない。
何分、星葛市は宙色や天月に比べて田舎なのもあり、これは仕方がない。
その中で眉村絹は特に人気があるとか、嫌われているとか、そういうこともない。
絹は、成績も特別優れてはおらず、しかし勉強ができないワケでもない。
運動能力も普通よりやや上程度。
こちらも優秀というには一歩足りず。
総じて、眉村絹は徹頭徹尾『普通の女子中学生』だった。
成績は中の中。体育でも目立たない程度で、クラスでの人気も真ん中くらい。
家に帰れば母親の手伝いをしたり、犬の散歩をしたり。
休日には街に友人と一緒に街に遊びに出たりする。
本当に、取り立てて特徴のない本当の意味での『普通の女子中学生』だった。
――全て、虚構に過ぎないが。
ここよりのち、眉村絹の実像について記す。
眉村絹は普通の女子中学生の仮面を被る暴力愛好者である。
彼女は、過剰なまでの破壊衝動をその身に宿し、この世に生を受けた。
幼い頃は泣いたり駄々をこねる程度で、それは発散できていた。
しかし五歳程度になると、それでは全く追いつかなくなった。
だが絹は頭がよかった。そして敏感だった。
自分が抱える衝動のままに暴れれば、きっとすぐに暴れられなくなる。
それを感じとっていた聡い彼女は、すでにこの頃から人前で演技をし始めていた。
表面上が『いい子』でさえあれば裏では何をしてもいい。
そう考えた彼女は、親の前では常に『いい子』の仮面を被り続けた。
自分の本性を現すのは、一人でいるときだけ。
そして、彼女の破壊衝動が向けられる先は、虫や小さな生き物達。
その意味では、彼女は浦川地雄とよく似ていた。
しかし、似ているからこそ、その際は決定的でもあった。
生き物をいたぶることを好む地雄と、生き物を壊すことを好む絹。
この差が、のちの二人の方向性を大きく分けることとなる。
具体的には、地雄はいじめの黒幕となったが、絹はそんなこと一度もしなかった。
小学校に上がっても、彼女は『いい子』を演じ続けた。
それができた理由は彼女の家の周りにある山だった。
星葛市は田舎で、絹の家の周りにも田畑や山が多かった。
令和の世になっても、山には案外野生の動物が多く生息している。
絹は、それを殺して回ることで、己の破壊衝動を満たしていたのだった。
月に一、二度、週末に友達の家に遊びに行くと言って、彼女はそのまま山に入る。
そしてそこにいる生き物達を殺して、渦巻く衝動を発散し続けていた。
殺す動物は、年々大型化していった。
野良猫、野良犬、狸など。殺した生き物は基本そのままにする。
こうした日々の中で、徐々に絹は『生き物の殺し方』を体得していった。
ある日のことだ。
小学校高学年のとき、絹は失敗をした。
週末に山に行っても野生の生き物と出会えず、彼女は衝動を持て余していた。
そして、飼い犬のハチを叩き殺してしまったのだ。
完全に衝動に身を任せた結果で、絹はそのことに非常に大きなショックを受けた。
彼女は普通の感性の持ち主ではないが、しかし、ハチのことは愛していた。
両親には、ハチが逃げてしまったと報告した。
そして自分も一緒になって、いるはずもないハチを探して回った。
もしかしたら、探していたら帰ってくるかもしれない。
自分で殺しておきながら考えることえはないが、絹はそれを信じかけていた。
だが結局、ハチはいなくなったままで、両親も諦めざるを得なかった。
二年後、二代目の飼い犬のポチがやってきた。
絹は、今度こそ失敗はすまいと誓った。
だがどうすればいいのか。
彼女はそこで悩んだ。
結局のところ、自分の中にある衝動を上手く発散できなければ、ハチの二の舞だ。
山では、殺していい野生動物に会えない可能性もある。
その頃は体が成長したこともあり、山の生き物では満足できなくなってもいた。
猪などであればまだマシなのだが、さすがに数が少なく出会える可能性も低い。
山で生き物を殺せないのでは、また飼い犬に衝動が向けてしまいかねない。
どうするべきか考えて、答えは案外簡単に出た。
生き物がいないかもしれないところで探すからいけないのだ。
必ず生き物と出会える場所で探せばいい。
そう、答えは実に簡単なものだった。
眉村絹は、自分の破壊衝動を見ず知らずの他人に向けることにした。
中学に上がって、彼女は天月まで足を延ばすようになった。
相変わらず、表面上は『いい子』を装っている。
しかし、学校で突出しすぎても目立つので『可もなく不可もなく』を保ち続けた。
土日のいずれか、彼女は隔週程度の頻度で天月に赴いた。
天月は、県内有数の危険地帯として知られている。
そんな場所を、女子中学生が一人で歩けば、当然ワルガキに声をかけられる。
それが、絹の狙いだった。
彼女は自らを囮にして『壊していい人間』を釣り上げることにしたのだ。
その釣りは、彼女が想定していた以上の成果をあげてくれた。
絹自身、自覚はなかったが、容姿の素地は相当よかった。
学校では目立たないよう地味めの格好をしていたが、天月ではわざと着飾った。
それもあって、男共が釣れる釣れる。
しかもそのほとんどが口に出せないような行為を目的とした連中だ。
絹も、痛めつけても何ら問題ないと判断し、存分に楽しみながら衝動をぶつけた。
しかし、一年も続けると、だんだん物足りなさを感じるようになってきた。
つまらないワケではなくて、楽しいは楽しいのだが、物足りない。
そう思って、ちょっとだけやりすぎることにした。
結果、殺してしまった。
自分よりもだいぶ年上の、かなり体も大きな男を容易く殴り殺した。
長らく山で動物を殺し続けたことで絹はすっかり『狩猟者』として磨かれていた。
それは、人が使う武術の動きにも共通する、合理的な肉体操作のすべだった。
絹からすれば、天月で燻っている半グレなど相手にもならない。
だがそれを絹自身が自覚していなかったがゆえに、殺害という結末に至った。
常人であれば人を殺した事実に恐怖し、縮み上がるだろう。
しかし、絹は違っていた。
自分の手で人を殺したという事実を前に、彼女は心の底からの充足を得ていた。
そうだ、これだ。
自分が欲しかったのはこれだ。ただ痛めつけるだけでは全然足りなかった。
肉を潰すのではなく、骨を砕くのではなく、心を踏みにじるのでもない。
命を壊す。
自分の手で、他人の命を壊す。
その事実が、少女・眉村絹の心に過去最大の充実感をもたらした。
人を殺す味を知った絹は、翌週、さらに一人殺した。
やはり、とんでもない快感だった。
ただ、刺激的すぎるその悦楽は、むしろ絹にとってブレーキとなった。
これに溺れては『いい子』の仮面もはがれてしまう。慎重にならなければ。
そう、自分を戒めた。不服ではあったが。
絹が『喧嘩屋ガルシア』の存在を知ったのはそんな頃のこと。
噂に聞く『喧嘩屋』が年上ではあるが、同じ女子学生と聞き、絹は興奮を覚えた。
大の男を相手に、真っ向から挑みかかって勝利する。
そんなことをできる人間が、自分以外にも存在することに感激したのだ。
しかも『喧嘩屋』は自分の名を堂々と前に出して活動している。
それが、羨ましかった。
自分は所詮、裏でこそこそ人間を壊しているだけ。
それに比べれば『喧嘩屋ガルシア』は何と堂々としているのだろう。
やっていることは同じなのに、この差は何なのだろう。と。
絹は『喧嘩屋ガルシア』に憧れと共に嫉妬も感じていた。
だからだろうか、その日の絹はどこか荒れていた。
自分と『喧嘩屋』の状況を比較し、悔しさに唇を噛みしめていた。
その心の乱れが『狩猟者』としての彼女の勘を多少なりとも鈍らせてしまった。
いつも通りに天月で男に声をかけられて向かった先、そこで彼女は罠にはまった。
多数の男達が、武器を持って待ち構えていたのだ。
全て、過去に絹に痛めつけられた男達だった。
さすがに、数が多すぎる。
絹は逃げようとした。しかし、男達は彼女を逃がさなかった。
彼らは絹を女子中学生ではなく『狩猟者』として扱った。
微塵の油断もなく、やらなきゃやられるという覚悟で、彼女を袋叩きにした。
結果、絹は何もできないままに死を迎えてしまう。
自分の衝動を満たすため、人を襲い続けてきた少女の呆気ない最期だった。
男達にとって不運だったのは、それが前座に過ぎなかったことだ。
眉村絹は武闘家シルク・ベリアとして『出戻り』した。
蘇生した彼女に、日本人眉村絹がかろうじて備えていた倫理観は存在しなかった。
自分を襲った男達を残らず殺し、シルク・ベリアは悠々帰宅する。
彼女のもとに『ミスター』から勧誘が来たのはそのすぐあとのこと。
シルクは『Em』に入った。
彼女の『狩猟者』としての勘が、その先にある対決を察知したのかもしれない。
以上が、眉村絹――、シルク・ベリアに関するいきさつだ。
そしてその情報を、バーンズ家はすでに把握している。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――『騎士団』拠点、一階、リビング。
「うっわ、広ェ!」
入った瞬間、タマキは驚きに声をあげてしまう。
通路も広かったが、リビングのはずのその部屋は、何というか規模が違う。
体育館か、それとも集会場か。
そんな広さの空間が、四人の前に姿を現す。
そしてその真ん中で一人の少女が腕を組んで待ち構えていた。
長い髪をサイドテールにしている、勝ち気な笑みを浮かべた少女だ。
「待ってたよ……、喧嘩屋ガルシア」
「お?」
まさかこんな場所でその名で呼ばれるとは思わず、タマキは小さく反応を示す。
「ああ、そうか。あいつがシルク・ベリアだな」
少女の言葉を聞いて、ケントがスダレからもらった資料を思い出す。
シルク・ベリア――、眉村絹。
確か『喧嘩屋ガルシア』の強烈なファン、なのだとか。
「まさか、あの『喧嘩屋ガルシア』が、異世界で伝説になってるバーンズ家の長女で『史上最強の生物』と呼ばれたタマキ・バーンズだったなんてね。面白い話だよね」
「何だおまえ、オレと喧嘩したいのか?」
シルクが発する殺気を敏感に察知し、タマキが興味深げに笑う。
「当たり前じゃん。見せてよ、伝説に名を残す『鉄人にして超人』の力を!」
「……ケンきゅん?」
タマキが、この場のまとめ役であるケントの方をチラリと見る。
彼は、無言のままうなずいた。好きにやれ、ということだ。
「OK、いいぜ、喧嘩しようぜ! シルク・ベリア!」
「アハハハハハハハ! そうこなくちゃ! タマキ・バーンズ!」
そして、タマキはその場で交差させた両腕を広げ、シルクが右腕を高く掲げる。
二人の声は、広すぎるリビング内に同時に響き渡った。
「「――変身ッ!」」
二人の武闘家の戦いが、ここに始まる。




