第281話 浦川地雄の黄昏:後
すっかり懐いた合成獣を撫でながら、ヒメノが言う。
「この子達は私が引き取りますわ」
「……本気?」
マリク太夫を解除して元の姿に戻ったマリクが妹の正気を疑う。
彼女の周りには、猛獣型、爬虫類型、猛禽型と多数のキメラが集まっている。
その数は、ザッと二十体近くはいる。
ヒメノはそれを全て引き取ると言っているのだ。
「『竜胆拠』のお庭は広いですから、問題はありませんわ」
「そうかもだけどさー……」
さっきまで、こっちを喰おうとしていた事実は、すでに妹の中では過去らしい。
「それに――」
と、そこでヒメノが少し表情に陰りをにじませる。
「それに?」
「この子達は、《《もって半年程度でしょう》》?」
「……そうだね」
ヒメノの言葉を、マリクはやや低めの声で肯定する。
戦闘目的で想像されたキメラは、安価で、手軽で、簡単に入手できる戦力だ。
その利点の一つとして、長らく世話をせずに済むという点がある。
そう、キメラは総じて寿命が短い。
一年以上生きるキメラなど、まず存在しない。そのくらいに短い。
そしてそれはもちろん、創造者がそう設定した結果である。
キメラを創造する際、主に使われる素材はモンスターだ。
異世界では無限に湧き出るそれを使っている以上、素材が枯渇することはない。
つまり、キメラ一体辺りを長期間使う必要がないということだ。
素材は無限に発生するのだから、それを使って造られるキメラは使い捨てが利く。
この利便性も、異世界においてキメラの需要が尽きない理由の一つだ。
「異世界では、仕方ないことと思っておりました。世界にそういう常識が存在し、皆さんがそれを普通のことだと認識していた以上、私一人が抗ったところで変えられるものではなかったでしょう。それでも、いい気分はしていませんでしたが……」
「うん」
「しかし、ここは日本です。本来は戦う必要なんてない場所です。そこでまで戦わされて、しかも寿命まで短いだなんて、それは、あんまりではないでしょうか……」
「――うん」
ヒメノの言い分を、マリクは正しく理解する。
キメラ達が自分を襲った理由とて、単にキメラがキメラであるからというだけ。
戦闘用生物だからジオが戦闘に使った。というだけに過ぎない。
レンジのときもそう。
あのときもキメラと戦ったが、レンジの薬が使われた時点で手遅れだった。
人間でいえば、無理矢理発狂させられたようなモノだ。
マリクが『完全即死魔法』で殺してやったのも、彼なりの小さな情けではあった。
「結局さ……」
呟き、マリクは部屋の奥にいる人物をジロリとねめつける。
「このキメラ達も、おまえのいじめの被害者なんだよな、浦川君」
「ぐ……」
ジオ・ランカッツは、手足を魔法の鎖で縛られて、床に転がされていた。
しかも、すぐ隣にはタイジュが控えている。
何か怪しい動きを見せた時点で、ジオの首は容赦なく飛ぶことになる。
「キメラ創造の第一人者だ権威といったところで、浦川君は自分に逆らえない生き物を好きなようにいじくりまわして遊んでただけの話だモンな。なぁ、そうだろ?」
「う、それは……」
「気持ちよかっただろ、モンスターを自分に逆らえない状態にして、好き勝手に改造して、生殺与奪まで握って、それを褒めてもらえる上に、お金までもらえる。異世界は最高だっただろ、浦川君。趣味と実益を兼ね備えた仕事って素敵だよな」
「…………く」
ジオは、自分を見下ろすマリクから目線を外す。
しかしそんな白衣の少年を、マリクはなお白いまなざしで見下し続けた。
「どうせ、自分が造ったキメラのことなんていちいち覚えちゃいまい? こっちでいじめてた相手と同じだよな。おまえ、自分がいじめた相手のことなんて全然気にしてないだろうしな自分が楽しくなれさえすれば、人の心を切り刻んでもお構いなしだ」
「そうなのでしょうね。この子達を見ているとよくわかりますわ」
マリクに加え、ヒメノも同じように冷たい目でジオを見る。
その視線に耐えかねたのか、ジオは、目に涙を浮かべて大声で謝り出した。
「ごめん、ごめんよ! そんなつもりはなかった! いじめるつもりなんてッ!」
「は?」
あまりに白々しいその言葉に、マリクは一声返してしまった。
「ほ、本当だよ! 遊結ちゃんのことは謝るよ……! でも、俺は本当にいじめてたつもりはないんだ! 本当だよ、ただ、あの子と仲良くしたかっただけなんだ!」
「……へぇ」
泣き出すジオをしばし眺め、マリクは短くそう返す。
「本当は仲良くしたかった、と?」
「そうだよ! 俺は、あの子のことが気になってたんだ。だから周りに話を聞いてたら、いつの間にか周りがあの子をいじめ始めたんだ! 俺は何も知らなかった!」
言うに事欠いて、とはまさにこのこと。マリクは「はぁ」と生返事をする。
「俺が、俺が悪かったんだ……。遊結ちゃんを目立たせてしまった俺が……ッ!」
双子が見ている前で、ジオは声をかすれさせて悔いる様子を見せる。
さらに加えて――、
「クソ、許せない……。遊結ちゃんをいじめた連中を、絶対許せない!」
そんなことまで言い出す始末だ。
「先にそれを知ってたら、俺があの子を守ったのに、俺が……!」
「浦川君――」
床を叩いて悔しがるジオへ、マリクが柔らかい調子で言葉をかける。
「その言葉は、本当だね? 君は、遊結ちゃんをいじめた連中が許せない、と?」
「当たり前だ! 今からでも、俺が復讐してやりたいくらいだ!」
「そうか、そこまで言うのか……」
マリクが小さく考え込む。
そこに、さらにジオは激しく言い募る。
「いじめなんて最低だ、そんなことをするヤツを、俺は絶対許せない! 本当だ!」
「いじめをするヤツは絶対に許せない? 絶対に?」
「当然だ、俺は絶対に許さない!」
縛られたままながら、毅然とした態度で吼えるジオに、マリクはニコリと笑った。
「なら、死ねよ」
「え……」
ジオの表情が、その笑顔を前にして凍り付く。
「いじめをするようなヤツは許せないんだろ? おまえのことだろ。なら死ねよ。自殺しろよ。許せないんだろ? 絶対に許せないんだろ? だったら死ねよ」
「ぃ、いや、俺は……」
「あのさ、浦川君。何で自分が『出戻り』するハメになったか覚えてる? ぼくがおまえのいじめの証拠を匿名でたっぷり送ったからだよね? 証拠あるの。証拠。今さら『自分は関わってません』なんて言い逃れは通用しない程度の、確たる証拠」
「し、証拠……? な、そ、そんなの、どうやって……ッ!?」
「教えるワケないじゃん、バァ~カ。何でぼくがおまえの得になる情報を教えなきゃいけないのやら。意味わかんないよね。――あとさ、それとさ」
マリクの全身から、タイジュですら震えるような殺気がブワッと溢れ出す。
「おまえ以外の、遊結ちゃんをいじめてた連中をそのままにしておくと思うか?」
「ぇ……、へ?」
「一人残らず『転校』しちゃったよ。あ~、何でかなぁ~? どうしてかなぁ~?」
その可愛い顔をしわくちゃにして歪ませ笑って、マリクはジオに近寄っていく。
「ひ、ぃ……、ひッ!?」
「いじめっ子は許せないんだよねぇ、浦川君。じゃあ、罰を受けないとねぇ~?」
「やめろ、く、来るな……! 来るなよぉ!」
おののくジオにひたり、ひたりとゆっくり歩み寄り、マリクは散々に恐怖を煽る。
しかし、その歩みは途中であっさりと止まった。
「ま、いいさ。ぼくはすでにいじめの件ではすでにおまえに仕返しはしたし」
「へ……?」
「ここでおまえに決着をつけるのは、ぼくじゃないさ」
マリクが振り向く。
視線の先には、椅子から立ち上がったヒメノと、それを取り巻くキメラ達がいる。
「……この子達への謝罪は、ありませんでしたわね」
ヒメノの、マリクにも並ぶほどの冷たい声。
しかし、それを聞いてもジオはキョトンとするばかりで、理解していない。
「し、しゃざい……?」
「そうですか、この期に及んで、そういう反応ですのね」
ジオの見せる態度に、ヒメノは失望したようにため息を一つ。
実は、今のやり取りこそがジオが苦しまずに死ねるかどうかの分水嶺だった。
だがそれを、ジオ本人は気づくことなく逃してしまった。
「あなたがこの子達に行なった所業をお詫びしてくださるようでしたら、考えないでもありませんでしたが、もうダメですわね。ええ、もうダメですわ」
「ぁ、あ……」
ヒメノの態度に、ジオは今さら自分が逃した大きなチャンスに気づく。
しかし、遅きに失した。文字通り、失したのだ。
「この子達が言っていますわ。……自分達がやりたい、と」
「そ、それは……、まさかッ」
自分の末路を直感したか、ジオの顔から血の気が失せていく。
ヒメノはもう、反応すらしようとしない。
「私が見届けますわ。さぁ、お行きなさい」
「「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ――――ッ!」」
さっきの戦闘時よりもさらに激しい咆哮をあげて、キメラ達がジオへ駆け出す。
タイジュが避ける。マリクは腕を組む。ジオは、声なき悲鳴にのどを震わす。
「ァ――――ッ!?」
開かれた口から声が漏れる前に、猛獣型のキメラの牙がジオののどに食い込んだ。
「ギャッ! ぁ、アッ! が、ごぶぁ……ッ! あ、ばッ、ああああ……、あッ!」
三人が見ている前で、ジオは自分が創造したキメラ達に食い散らかされていく。
床に広がる血だまりを目にして、マリクが言葉を漏らす。
「よかったな。キメラはクソをしないから、おまえは物理的にクソ野郎にならずに済んだぜ、浦川君。まぁ、キメラは魔力で生きるから栄養にもなれないんだけどな」
こうして、キメラ創造の第一人者ジオ・ランカッツは自業自得な最期を遂げた。
それは同時に『Em』への仕返しである『工房』潰しの終了も意味してた。
「さて――」
マリクが『異階化』したビルの窓から、外の景色を眺める。
「他は、今頃はどうなってるかな?」
彼が呟くそのそばで、ヒメノが仕事を終えたキメラ達をねぎらっていた。




