第278話 嘉村水咲の黄昏
ミサキ・リュークトを前にして、マリクが語り始める。
「『黄金の村』っていう名前に聞き覚えはないかな?」
彼はまず、ヒメノとタイジュにそれを尋ねる。
「もちろん覚えていますわ、お兄ちゃん」
「聞き覚えくらいならありますけど、何でしたっけ、それ……?」
ヒメノはしっかり覚えているのに対し、タイジュはうろ覚えのようだ。
そんなモノかと思いながら、マリクは答えを告げる。
「ぼくの教団の拠点がある場所の名前だよ」
「あ」
告げると、タイジュも思い出したように一声漏らす。
そして、ミサキ・リュークトがギリギリと噛み合わせた歯を軋ませる。
「そうよね、マリク・バーンズ! あんたが私から奪った、私の村よね!」
「状況だけを見ればそうなるかな、ミサキ・リュークト」
平坦な声で答えてのち、マリクはミサキの様子を軽く観察する。
「ひどい顔だね。そんなにぼくを殺したいのか?」
彼から見るミサキは、まるで親を殺された娘のように歪み切っていた。
瞳に滾る光は荒々しく、表情は鬼の形相。牙や角が生えていてもおかしくない。
殺しても殺しても、到底殺したりないという濃密な殺意を感じる。
「当たり前よね、マリク・バーンズ。あんたが私にしたことを考えてみなさいよ!」
「ぼくはおまえに、何をしたんだっけ?」
「言われなきゃわからないの? 頭が悪いわね、大賢者のクセに!」
「確認したいだけだよ。自分は賢いと思ったことはないけどね」
「減らず口をッ!」
ヒステリックに叫びながら、ミサキがマリクに人差し指を突きつける。
「あんたは、私が治めていた平和な『黄金の村』にやってきて、村人を無理に煽って私と私が信奉する『黄金の神』を追放して、自分が村の支配者になったのよ!」
「……なるほど。おまえから見るとそういう話になるのか。ものは言いようだね」
こうまで事実から外れたことを言われると、呆れより先に感心が来る。
そんな新鮮な体験をして、だがマリクが見せるのは呆れ顔だった。
「この女は『黄金の神』の神官だったんですか、マリクさん」
話を聞いていたタイジュが、興味本位できいてくる。
事実を知るマリクはその反応がおかしくて、ついついプッと噴き出してしまう。
それは、ミサキの逆鱗に触れた。
「何がおかしいのよ、マリク・バーンズ!」
「そりゃあ、おかしくもなるさ。だっておまえ、神官でも何でもないだろ?」
「え……?」
タイジュが、びっくりしたようにミサキを見る。
「『黄金を司る神』は確かにいる。でも、それが崇められているのは異世界の遥か東方。ぼく達の活動地域とは全然違う地域でのことなんだよ、タイジュ」
「それじゃあ、その女が言ってる『黄金の神』っていうのは……?」
「ただの捏造さ。ミサキ・リュークトは『黄金の神』の司祭なんかじゃないよ」
結局、日本でも異世界でも、ミサキの本質は詐欺師でしかなかった。
「未開の地である『黄金の村』の村人を、無知をいいことに口から出まかせで騙して、自分が作り上げた『黄金の神』という架空の神性を崇めさせ、自分はその神に仕える神官として特別に地位に立つ。何ともつまらないことをしてたよね、ミサキ」
「黙れ、あんたさえいなければ、私の地位は安泰だったのよ!」
「確かにね、あの村は主要な街道から大きく外れた山奥にあったけど、そういう場所だからこそ街道を使いたくない事情を持った人間がよく出入りしていた。村の近くには古代遺跡もあって、そこにあった宝物も村人は発掘していたらしいしね」
「あの村の連中は財産を溜め込んでいた。それを、私の『黄金の神』に捧げさせていたのよ。悪いことはしてないわ。私は対価として『救い』を与えていたんだから!」
「……『救い』、ね」
世界の端っこで、何も知らない村の住民を言葉巧みに騙して神を信仰させる。
しかも、その神は実在しない、虚構の存在。
そんなものを使うような女が自分に向かって『救い』という言葉を口にしてくる。
「『救い』、ねぇ……」
マリクは、つい先ほどの自分について振り返る。
大事な双子の妹に対して、決して抱いてはならない感情を抱いた、愚かな自分。
そんな自分に『救い』を与えてくれたのは、小さな『照明の神』だった。
神としての力も弱く、信奉者など自分しかいない。
それでもマリクは、その神に確かに救われた。だからこそ感じ、思う。
「ムカつくよ、おまえ」
その呟きを漏らしてから、思い出す。
ああ、そうだった。確か異世界でも同じ理由でこの女を村から叩き出したのだ。
「『救い』っていうのは、おまえみたいな『自分の神』も持たないヤツが簡単に口にしていい言葉じゃないんだよ。ミサキ・リュークト。ムカつくんだよ、おまえ」
「な、何よ、あんたなんかに何がわかるっていうのよ!?」
いきなり怒りの気配を帯びるマリクに、それまでキレ続けていたミサキが驚く。
そして騒ぐ彼女に、手に赤い骨を握り締めたマリクが、
「おまえのことなんか知りたいとも思わないよ。だけど、わかることはある」
「な、な……?」
「おまえは異世界で何の神にも選ばれずに終わった、ただのニセモノだよ」
その言葉は、ミサキにとって決定的な一言となった。
彼女は一瞬呆けたような顔になり、そして、その瞳に殺意を燃え上がらせる。
「マリク・バァァァァァァンズゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――ッ!」
「いいからさっさと来いよ、ミサキ・リュークト。おまえも『Em』なんだろ?」
「うううううううううううううああああああああああああああああああッ!」
人の言葉を投げ捨てて、ミサキが己の異面体をその場に展開する。
現れたのは、巨大な金色の砂の山。それが、風もないのに流動している。
「砂に溺れさせてやるわ! 金呼石ッ!」
「……砂の性質を帯びた異面体か」
タイジュが、剣を構えて警戒を露わにする。
砂は刃で斬ることができない。彼が相手取るには、少々やりにくい相手だ。
「アハハハ! 言っておくけど、このキンコゴクは燃えないし、凍らないし、風で散らしてもすぐに元通りになるわよ! 無敵なのよ、無敵! 絶対に勝てないわ!」
自分の異面体に絶対の自信を持っているらしいミサキが、高笑いを響かせる。
「タイジュ、試してくれる?」
「――六道之四、破道、斬象羽々斬」
マリクの妖精を受けたタイジュが、ハバキリで金色の砂山を斬りつける。
ラララに比べれば劣るとはいえ、最強威力を誇る魔剣術。切れ味は満点だが、
「……なるほど」
上から下に刃を振り下ろされても、砂山はすぐに元に戻った。
「じゃあ、これは?」
次にマリクが『篩嬌骨』を杖代わりにして、攻撃魔法を放つ。
超高熱の火球が三発ほど砂山を直撃するが、山は小さく爆ぜて、また戻った。
「アハハハハ! 無駄よ、無駄よ、無駄なのよ! キンコゴクは破壊不可能よ!」
「そうみたいだね。だったら、こうするよ」
次の瞬間、ミサキの異面体は半球状の結界に覆われた。
「……え?」
「あ~、ホンット、キレるわ。こんな程度の相手が『救い』がどうこうとかさ……」
「聖職者でもあるお兄ちゃんは、見過ごせませんよね」
固まるミサキ、首の骨を鳴らすマリク、苦笑するヒメノ。
マリクはいつの間にか、銀髪シスターに変わっていた。ブチギレ女装マリクだ。
「キ、キンコゴク! キンコゴクッ!」
ミサキが喚き始めるが、金砂の異面体は結界の中から出ることができない。
「無敵? 無駄? だったら相手しなきゃいいだけだろ、バカ」
そう言い放って、シスターマリクが赤い大腿骨で肩を叩きつつミサキに近寄る。
「な、何よ、何を……ッ!?」
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅるッせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――ッ!」
ゴギン、と、鈍い音がした。
マリクの赤い骨が、ミサキの顔面に叩きつけられた音だった。
「ひぎゃっ!」
堪えきれず、ミサキはその場にひっくり返る。
ガツッ、という鈍い音は、後頭部をしたたかに打ちつけたことによるものだ。
「まだ終わってねェだろうがよ! 何寝てやがんだ、テメェェェェェ――――ッ!」
そこに、さらにマリクが馬乗りになって、フルイキョウコツを振り上げる。
「あ、ぁ、ァ……」
「テメェ如きが『救い』なんて言葉を、口にするんじゃねェ――――ッ!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
そこからは滅多打ちだった。
ヒメノとタイジュが見守る前で、女装マリクがミサキを何度も何度も殴り続ける。
「た、たす……」
顔面をグチャグチャにされたミサキが助けを求めて手を伸ばす。
しかし、その手を軽く払って、マリクがさらに激しくキレ散らかす。
「何が『助けて』だ、てめぇよォ? てめぇに『救い』は訪れねぇンだよぉ~!」
そして再開される滅多打ち。
明らかに頭蓋骨が砕かれる音を耳にしながら、タイジュが呟く。
「聖職者の人って、怒らせると怖いんですね……」
「お、お兄ちゃんは『救い』という言葉に、特別なこだわりを持っていますから」
「ギリギリでフォローになってませんよ、それ」
「あ、あははは……」
誤魔化し笑いを返すしかないヒメノであった。そして数分後、
「やっべ、殺しちゃった」
マリクがそれに気づいたのは、ミサキが死んで一分ほど経ったあとのことだった。
我に返ったシスター・マリクがヒメノ達の方を向く。
「どうしよっか?」
「別に、これで終わりでいいのでは? あとも詰まっていますし」
「そうですね。俺もヒメノさんに同意します」
二人の意見を聞いたマリクが「わかったー」と返してゴウモンバエを召喚する。
こうして、ミサキ・リュークトはその人生をハエに喰われて終わらせた。
自分を過大評価し、自分以外を過小評価した女の、何ともつまらない最期だった。




