第3話 お友達のまーくんとふゆちゃんとリッキー
朝が来た。
窓から差し込む陽光を眺めつつ、俺は煙草をふかしていた。
「ふぅ~。物足りねぇな~」
豚が買ってきた酒は、それなりに満足がいった。
傭兵なんぞ、度数が高いだけの安酒でも十分満足できるモンだ。安上がりだね。
だが、煙草がどうにも不満だ。
軽いし薄い。もっとこう、吸った瞬間にガツンと来る重みが欲しい。
「ってことで豚、俺の要望を叶えられなかったので失格。死ね」
「あ、ああああああぎゃああああぁぁぁぁぁぁッ!」
煙草をくゆらせている俺の前で、豚が虫にたかられて死にかけていた。
俺が魔法で召喚した喰人蟲の見た目はハエそっくり。だから今の豚はうんこ。
「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいぃぃぃぃ~!」
「痛ェか? 痛ェよな。その蟲な、ゴウモンバエって言ってな、食べる相手の痛覚を百倍にすることで、肉と一緒にその苦悶と悲鳴を喰らうれっきとした魔獣なんだわ」
主な用途は拷問やら死体処理やら。
割と色々使い道がある、便利な魔獣だったりするのだ。これが。
「俺はおまえを懇切丁寧に調教してやると言ったが、すまん、ありゃ嘘だ。傭兵は書面で交わした約束は絶対破らないが、口約束は割と破るんだ。諦めろ」
「ひ、ぎぃあああああ! た、助けてくれ、み、美沙子、みざごぉ……!」
豚が、顔を引きつらせて立ち尽くすお袋に助けを求める。
だがお袋はしばし呆然としたのち、眉間にしわを寄せて豚の手を蹴りつけた。
「じ、冗談じゃないわ……。あんたがこれまでしてきたことを考えなさいよ。あたしとアキラをずっと苦しめてきたクセに。……死ね、死んで地獄に落ちちまえ!」
うは、笑うわ。
よくもまぁ、被害者ヅラできたモンだわ、この母親。自分も加害者側のクセによ。
憎悪に満ちたお袋の表情に、俺は思わず吹き出しかけた。とんだ茶番だね。
「ぁぁ、ぁ、た、たす……、たすけ……、ぁ、ぁぁぁ、ぁ……」
全身をゴウモンバエにたかられて、豚の体積はどんどんと小さくなっていった。
その肉の一片、血の一滴までも蝿は喰らい尽くし、やがて豚は消え去った。
「豚が死んだぜ」
「うん」
「それを目の当たりにして、お袋は何か思うところは?」
「別に、何も」
お袋の目は冷めきっていた。
俺への扱いはどうあれ、豚を心底憎んでいたのは本当らしいな。いやぁ、笑うわ。
「ところでアキラ、あんた、今日は学校行くの?」
「行くけど、それが?」
「大丈夫なの……? ほら、前にあんた学校でいじめられてるって……」
くはっ。
おいおい、やめろよ、冗談だろ?
何をいきなり母親ヅラ全開なんだよ、このオバサン。え、心配してくれてるの?
前に『僕』がいじめについて打ち明けたときには丸無視したクセに!?
やだー、マジで? ヤベェ、ウケる。マジウケる。笑うわどころの話じゃないよ。
「お袋さ」
「何だい……?」
「あんま調子に乗るなよ?」
「ひっ……」
一睨みすると、お袋が顔面を蒼白にしてのどを引きつらせた。
「俺に生かしてもらってる事実を忘れるなよ? な、お袋?」
「はいぃぃ、ぁ、あ、ありがとうございますッ、ありがとうございますぅ……!」
言う俺に、お袋はガタガタ震えながら床に額を擦りつけて礼を言った。
「わかってるならよろしい。それじゃあ、俺は風呂入って着替えて学校行くんで」
お袋の後頭部を一度踏みつけて、俺は風呂場に向かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロクな着替えがなかった。
どの服も汚れたままか、のびきってるか、穴空いてるかってさぁ……。
「あ~、そういえばそんな感じだったっけな~」
そもそもウチ、洗濯機もなかったモンなぁ。笑うわ。
さて、学校についた。
昨日までの『僕』が通っている仁堂小学校だ。
昇降口で靴箱に靴を入れる。
ちなみに上履きはとっくになくしてる。どっかに捨てられたんだろう。
今日帰ったら、お袋に新しいのを買うよう言っておくか。
俺はこの学校の二年四組に属している。
教室に向かうと、クスクスという笑い声がそこかしこから聞こえた。
まぁ、仕方がない。
風呂に入ったあとで着替えたとはいえ、着ているのは色褪せたボロ服だ。
おまけに袖も襟も伸びきっていてダルンダルン。
今の俺は、見るからに貧乏臭い小汚いガキだろう。
モノの価値もわからない子供でも、その見すぼらしさには気づくだろう。
教室に入ると、俺の机にガキ数人が蝿みたいにたかっていた。
そのうちの一人がこっちを向いて、
「あ、アキラが来たぞ!」
そいつが騒ぐと、机にたかっていたガキ共は今度はパァっと散っていった。
何だ、蝿の次は蜘蛛の子の真似かい。体を張って虫ケラぶりをアピールってかい。
教室中に散ったクラスメイト達が、俺に注目する。
その視線からは、下卑た期待の色が感じられた。
机を見ると、明るい色の油性マジックで色々書かれていた。
『コガネムシ死ね』
『クソザコ』
『ビンボー人』
と、書いてある内容はこんな感じで実にガキガキしている。
他には、 グシャグシャのかろうじて人に見えるこれは、あれか、俺の顔か?
「どうするかな、あいつ、また泣いちゃうかな?」
「え~、泣くとかダサ~い。バカじゃないの」
と、そんなヒソヒソ声が聞こえる。
俺が視線を走らせると、ふむ、いじめ主犯の三人中二人が揃ってるな。
一人は、クラスどころか学年で最も体が大きい三木島力也。
リッキーの通称で知られるこいつは、典型的な脳筋タイプ。
強い=偉いという簡潔極まりない価値観のもと、多くの手下を従えている。
もう一人が、クラスの女子のカースト最上位に君臨する佐村美芙柚。
女子からは『ふゆちゃん』と呼ばれていて、まぁ、高慢ちきな女である。
親がデカい企業の社長で、小学二年にして悪役令嬢もかくやのお嬢様っぷりよ。
他にもう一人、いじめの首謀者に『まーくん』がいるんだが、まだ来ていない。
だがあいつは来ていなくて当然だ。何せ時間が時間だしな。
「やれやれ」
落書きされた机に目を落とし、俺は小さく息をつく。
昨日までの『僕』なら、泣いてた。が、そのリアクション、昨日までなんスわ。
俺は落書きを無視して椅子を引く。
すると、椅子にもしっかりと画鋲が置かれていた。わぁ、丁寧。
チラリと視線を走らせると、俺への期待感が薄れているのが伝わってくる。
同意もなしに人をリアクション芸人にしようってのは感心しないぞ。
俺は椅子に座った。
バフ魔法でズボンの防御力を上げたから、画鋲の針はズボンに負けて潰れる。
座ったままノーリアクションでいると、クラスの中が小さくざわめいた。
ほぉ、つまり周りで様子を窺ってる連中、全員、画鋲のことを知っていた、と。
素早く目配せして、こっちを見ているクラスメイトの顔と名前を記憶する。
全員、ツラは覚えたぞ。
これから先、どういう形で地獄を見せてやろうか、俺は考え始める。
「おはよう、金鐘崎君!」
と、クラスに異様な空気が漂う中、俺に向かって元気に挨拶する女子が一人。
「あ、枡間井さん、おはよう」
その女子は枡間井未来。
このクラスで、いや、学年で唯一俺に普通に話しかけてくれる子だ。
髪をツインテールにした元気っ子で、あけすけで裏表のない性格をしている。
コミュ力も高くて友達も多いが、どういうワケか俺を気にかけてくれる。
「何、その机! ひどい!」
机に気づいた未来が、声を張り上げる。
「……これやったの、誰?」
厳しい顔つきを作って、未来がクラス全体を見回していく。
すると、俺を見ていた連中の何割かがサッと視線を逸らした。現金な連中だ。
「あのね――」
と、未来が言いかけたところで、チャイムが鳴った。
クラスメイト連中はそれを聞いてあわただしく動き出し、自分達の席に座る。
「もぉ!」
未来も憤懣やるかたない様子で声をあげ、自分の席に戻った。
そして、一分も経たずに担任の若い男性教師が入ってくる。
ピシッとした印象の、敏腕営業マンにも思える清潔感溢れる容貌の教師だ。
「やぁ、みんな。おはよう」
男性教師が浮かべる笑みは実に爽やかで、クラスの女子はそれだけで見惚れる。
だが、そこでいきなり未来が手を挙げて、教師に訴えた。
「先生、また金鐘崎君の机に落書きがされてます!」
「何だって?」
その言葉に男性教師は顔を引き締め、俺の方を見る。
俺は、しっかり見えるよう机から少し身を離すが、教師は「ふむ」と腕を組んで、
「アキラ、また自分の机に落書きをしたのか。おまえってやつは」
呆れ調子で、そんなことを言い出すのだった。
まぁ、知ってたけどね、こいつがそんな風に言い出すのは。
この男性教師の名は、真嶋誠司。
こいつこそ、仁堂小学校二年四組のいじめの首謀者『まーくん』その人だった。