第270話 おばあちゃんを探せ/後
愚か者を処断する、迅雷の如き三秒間。
一秒――、リリス・バビロニャは自らの異面体を展開する。
現れたのは、空を泳ぐ巨大な透き通った骨だけの魚。
その名は『EVE』。
ミフユの人格形成に多大なる影響を与えた、偉大なる母の異面体の名である。
「EVE、輝きを」
二秒――、リリスの命に従って、EVEがキラキラと七色の光を放つ。
「ぁ、あぺ……?」
それを見たグドルの目が、いきなり焦点を失ってその体がグラリと大きく傾ぐ。
EVEの能力は『多感催眠』。
光、香り、音の三つを用いて、対象の五感や知覚能力を狂わせ、支配する能力だ。
「ガルさん、一撃で決めるわよ」
『仰せのままにッ!』
三秒――、肉薄したリリスが、ガルさんの一閃でグドルの首を刎ね飛ばした。
「無粋なだけの殿方は、ご入店をお断りしておりますの」
リリスが呟いた次の瞬間、グドルの体がいきなり炎に包まれる。
「あら、まぁ」
超高熱の炎で焼き上げられる亡骸に、彼女は軽く息をつく。
「やっぱり、無粋な殿方は匂いまで無粋ですのね。鼻が曲がりそうなこと」
『相変わらず、辛辣ですなぁ。リリス様』
「可愛いミフユちゃんを襲うような輩ですもの。全然言い足りないわ」
身長180cm超の凛々人の姿で、リリスは頬に手を当て女性的な所作を見せる。
しかしそこに違和感はなく、まるで大御所の女形のような風格さえ感じさせる。
グドルの死体は、炎の中に焼け崩れて灰と化した。
それも、ミフユが目を開ける前のこと。電光石火の完全焼却であった。
リリスはその後、EVEの能力を使って、部屋の中を爽快感溢れる香りで満たす。
「はい、ミフユちゃん。もう目を開けてもいいわよ」
「は、はい……」
恐る恐る目を開けるミフユに、リリスは身を血で濡らしながら優しく微笑んだ。
無論、興宮凛々人の姿で。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
自分に微笑む興宮に、ミフユは何と声をかければいいかわからなかった。
だって、笑い方が違う。さっきまでの『お兄さん』と、全然違う。
しかし、それは始めてみる笑顔ではなかった。
むしろ心を衝く懐かしさがあった。体が自然と震えてしまう。
「ミフユちゃん、そこにお座りなさい」
自分を呼ぶその声は、聞き慣れた『お兄さん』のものに間違いない。
なのに、言い方が違う。声の調子が違う。それは記憶の中の『あの人』のもの。
「……はい」
だから、大人しく従ってしまう。
ベリーを傍らに置いて、ミフユは床に正座する。
すると興宮が自分の前に来て、同じように正座する。
その歩き方、座り方、全て、全て『あの人』と同じだった。身が竦む思いがした。
人には、それぞれ自分だけの固有のリズムや呼吸がある。
今の興宮のそれは、完全に『あの人』と同じだった。見た目は全然違うのに。
「ミフユちゃん」
「は、い……」
名を呼ばれる。ドキッとする。まともに興宮の顔を見ることができない。
そんなミフユを、太い両腕が包み込むように抱きしめる。
「怖かったわね。大丈夫よ」
耳元に聞こえるその声。そして、自分を抱く腕、頭を撫でてくれる手。
その手つきは濃厚な蜜のように甘ったるく、自分を甘やかそうとしてくる。
アキラともまた違う、愛情たっぷりなその撫で方。
もう、間違いない。
この瞬間、見た目とか性別とか、そんなものはミフユの中でどうでもよくなった。
「ママ、ママッ! ママァ!」
「泣いていいんです。思いっきり泣いていいんですよ。ママはここにいます」
その言葉に、ミフユの中で『あの日』の記憶がよみがえる。
あの日、自分のママになってくれた『あの人』は同じ言葉を自分に言ってくれた。
ああ、何てことだろう。
こっちの世界でもその言葉を聞けるなんて。この人に抱きしめてもらえるなんて。
その幸福を全身で味わいながら、ミフユはリリス・バビロニャにしがみつく。
「ミフユッ!」
空間が切り裂かれ、アキラが部屋に突入してきたのは、その三十秒後のこと。
かつてユウヤから提供された『空断ちの魔剣』を使ったのである。
「ミフユ、大丈夫――、か……?」
すごい勢いで乗り込んで来た彼が見たものは、男と抱きしめ合うミフユの姿。
「…………え?」
アキラが固まってしまうのは、当然すぎる話であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
な、な、な、な、何じゃあァァァァァァァァ~~~~ッ!?
「…………え?」
とか、俺は素で呟いてしまった。
だってミフユを助けに来たら、ミフユが男と抱きしめ合ってたんだモンッッ!
ヒメノの『竜胆拠』の中で、俺の中の直感が働いた。
ミフユがヤバイ、と。
だからすぐさまアパートに戻ったら部屋に入れなくて、そこで確信したのだ。
部屋の中が『異階化』されている。
俺は即座に『空断ちの魔剣』を使って、部屋の中に突入した。
そうしたら、そうしたら――、ミフユが! 男とッ!
男は、結構背が高くガッシリした大柄な男だった。
その太い腕でミフユを抱きしめ、しかも頭を丁寧に撫でつけている。
ミフユはミフユで、自分を撫でる手を完全に受け入れて、しかも浸っている。
そんな二人の様子を見た瞬間、俺の中で『怒り』がグワッと沸き上がった。
この野郎、億の肉片にしてもまだ足りねぇ。
黒く、静かで、だが底のない『殺意』が、俺の心を染め上げようとする。
そのときだった――、
「もう少し、お静かになさいな」
男が、そんなことを言いやがったのだ。
高すぎず低すぎない、耳に爽やかに聞こえる若い声。だが、その口調は……、
「アキラさんは、ミフユちゃんが嫌がるような無粋はしませんでしょう?」
「…………ぶっ!」
こっちをチラリと見る視線と、その物言いで一発でわかった。
「リ、リリス義母さん……ッ!?」
「お静かに」
「っと、すんません……」
驚きに声を荒げたら、叱られてしまった。
そこで俺は、床を汚す血の跡と、部屋に満ちる花の香りに気がついた。
どうやら、俺の直感通りの事態が起きていたようだ。
しかし、どうしてここにリリス義母さんが……、いや、それ以前に――、
「何で、性別違うんです……?」
「それは私に言われても困りますね。神様にでも言ってくださいな」
爽やか好青年の顔で苦笑しつつ、リリス義母さんはミフユを撫で続けている。
あらら、ミフユったら気持ちよさそうにしちゃってらぁ。俺にも気づいてねぇぞ。
「……むぅ」
心を満たしかけた『殺意』も、それがリリス義母さんとわかればスッと引く。
俺は髪を掻きつつ、リリス義母さんの前にあぐらをかいた。
「一体、何がどうなってるんです……?」
『我が主よ、それは俺様が説明してやろう』
声がしたので見ると、ミフユの護衛につけていたガルさんがフヨフヨ浮いている。
隣には、真っ白い聖剣包丁のベリーも一緒に浮遊している。
『実はのう――』
と、ガルさんが事情を説明してくれた。
「はぁ……」
俺は、その説明に生返事をするしかなかった。
配達のお兄さんが来てたところに変質者が襲撃してきて、配達のお兄さんをブッ殺してミフユに迫ろうとしたら、その配達のお兄さんが実はリリス義母さんだった?
「……何だよ、そのご都合展開以外の何物でもない成り行きは」
「それは私に言われても困りますね。神様にでも言ってくださいな」
「わかりました。あとでカディルグナに文句言っておきます」
『さすがに言いがかりも甚だしいぞ、我が主……』
だってあいつだって神様だろ!
マリクの神様の方は文句言うとマリクがブチギレっから選択肢に入れたくない!
しかし、ミフユを襲撃してきた変質者、ねぇ――、
「殺しちゃったんですか、その変質者」
「はい。ミフユちゃんにあまりばっちいものは見せたくありませんので」
「そっかー……」
「何ですか、アキラさん。まさか、生け捕りにしろとでも……?」
「そうですね。ミフユをマトにかけたんだから最低でも百回は殺してから改めて殺さないと気が済まないっていうか、せめてこっちに必死に命乞いする姿を見て、その面を靴底で踏み潰しながら三日間くらいかけてチクチクネチネチ殺したかったです」
「……そうでしたね。あなたはアキラさんでしたね」
「何です?」
「いいえ。ミフユちゃんの夫があなたでよかったと思ってるところですよ」
「何を当たり前のことを。……っていうかですね」
俺は、眉間にキュッとしわを寄らせる。
「何かすごいですね、リリス義母さん」
「ああ、違和感ですか? そうですね。やはり性別が――」
「逆です。何ですか、その自然さは……」
タクマ並の長身なのに、物言いと仕草は完全にリリス義母さん。
声だってもちろん男の、割と低い感じのイケボなのに、違和感が仕事してません。
「スゲェですよ、何か意味不明に高水準な完成度の高さを感じます」
「そ、そうでしょうか……」
「そうですよ?」
背の高いイケボのイケメンの中身がリリス義母さん。
もしやこれが、世に言うオネエキャラというヤツでは……!?
何か違う気もする。
『ところで我が主よ』
「あ~? 何よ、ガルさん?」
『ミフユ様を襲ってきた変質者だがな――』
「おう」
『おそらく『Em』だ』
…………ふぅ~ん、そっかぁ。