表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
第十一章 覚悟を捧ぐエンドレスラストバトル
281/601

第260話 三本目/百年後/『覚悟』の色は無色透明

 ――二十二世紀、中東の某国、某地方都市、その一角。


「……ァ、ァ」


 彼は、錆びて朽ちかけたベッドの上に横たわっていた。

 ひどく痩せさらばえた、自身が寝ているベッドよりもなお朽ちかけた老人だ。


 頭には白い毛髪がかすかに残る程度。

 顔は、髑髏に薄皮一枚張り付けたかのようで、肌の色も死人のそれに近い。

 深く刻まれたしわと数多の傷で、元々どんな顔だったのかも判別できない有様だ。


 歯は全部抜け落ちて、モノを噛むことなどとうにできなくなっている。

 着ている服はすっかり黒ずんで異臭を放っており、手足も枯れ木のように細い。


 呼吸をするたびに内臓がジクジクと痛んだ。

 長年痛めつけた臓腑は、全て残らず病に冒され、肉も骨も、癌だらけだ。


 彼が寝ているのは、半分が崩れかけた部屋だった。

 元々はアパートメントとして建てられたが、砲弾によって半壊した。


 そう、ここは戦場。

 今も外では、銃撃と人の悲鳴、爆発音が続いている。


 そんな場所で、彼は間もなく死ぬ。

 この百年、世界の戦場を駆け巡った傭兵剣士たる彼も『老い』には勝てなかった。


 彼は死ぬ。

 もう間もなく、死ぬ。


 誰にも看取ってもらえずに、孤独に、寂しく、戦場の片隅で死んでいく。

 彼以外にこの部屋にあるものといえば、ベッドと、脇に立てかけてある刀だけだ。


 その刀も、鞘は塗装が剥がれ、ひび割れ、壊れかけている。

 中に納まった刃も、人を斬りすぎたせいで錆びきって、なまくらと化している。


 これが『剣士』の末路。

 世界中の戦場で『マスターサムライ』と称された、最強の傭兵のなれの果て。


 ――タイジュ・レフィードは、百十四歳にして、今、死を迎える。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 人は死に際し、今までの記憶を意識の果てに見るという。

 それがいわゆる、走馬燈。

 今、老いと病に屈し、死にゆこうとするタイジュも、その例に漏れない。


 思い出すのは、あの日のこと。

 自分の運命を変えて、今に繋がる人生を決定づけた、あの白い大地での出来事。


 名も覚えていない、かつて自分が『女将さん』と呼んだ女。

 その女に、タイジュは自分の本心を暴かれた。

 己でも気づいていなかった、心の奥底に潜んでいた『剣士』としての本心だった。


 そして、それを暴かれた結果、ラララが壊れた。

 ラララ――、ラララ・バーンズ。

 その名前だけははっきりと覚えている。自分が愛した少女。自分が壊した少女。


 自分の本音を知って絶叫し、そしてその瞳に何も映さなくなった、彼女。

 その場にいた皆が、ラララの方に意識を移した。


 そこに、一瞬の隙ができた。

 やはり名は覚えていない。自分が『お師さん』と呼んだ女が動いた。


 白い空間を作っていた誰かを、その『お師さん』が斬り伏せた。

 そして次の瞬間、世界は元に戻って自分は『お師さん』に強引に拉致されたのだ。


 そのまま、自分と『お師さん』は外に出た。

 自分達がいた場所の外、ではなく、日本の外にだ。


 あの『お師さん』には協力者がいた。

 それを、自分に対して『お師さん』は得意げに語っていた。内容は忘れた。


 覚えているのは、自分が『お師さん』と共に日本の外に出たこと。

 そして、それから『傭兵剣士』として、世界各地の戦場を渡り歩いたことだ。


 怖かったのだ。

 いつ、自分が壊したあの少女の家族が報復に来るかと、気が気でなかった。


 だから自分は決してひとっところには留まらなかった。

 自分が追われている恐怖を紛らわせるために、ひたすら戦場で刀を振るった。


 その間だけ、タイジュは追われている恐怖から目を逸らすことができた。

 自分は『剣士』だからと、積極的に人に雇われ、剣を振るい、命を奪い続けた。


 勝つことが楽しかった。

 斬っていいのが嬉しかった。


 だが、いつの間にか『お師さん』がいなくなっていた。

 自分のもとを去ったか、それとも自分が斬ったのか、それも覚えていない。

 覚えていない以上、自分にとって『お師さん』はその程度の存在だったのだろう。


 それからはタイジュ一人で戦場を巡り歩いた。

 人は争う生き物だ。

 この世界にあっても、戦場はどこにだってあった。自分への需要は尽きなかった。


 不死身の『剣士』。

 誰も止められない最強の『傭兵』。


 いつしかそうした噂が流布して、タイジュは『マスターサムライ』と呼ばれた。

 そして、誰も彼には寄り付かなくなった。タイジュは、独りになった。


 鋭すぎる刃は、触れる者全てを切り裂かずにはいられない。

 剣を握り戦場を駆けまわるタイジュこそ、まさにその『鋭すぎる刃』そのもの。

 だけど、別にそれで構わなかった。


 自分以外の他人など、邪魔なだけだ。

 周りに人がいれば、重石になるかもしれない。邪魔だ。いるな。消えてしまえ。


 タイジュは、剣さえ振るえれば満足だった。

 ということにして、ひたすら、ただひたすら自分を偽り続けた。


 彼が人を遠ざけたのは、いつまでも耳の奥に残り続ける、あの悲鳴が原因だった。

 自分が壊してしまったあの少女の声。最後に聞いた、好きだった女の子の絶叫。


 それが、タイジュ・レフィードに人間関係を諦めさせた。

 自分は剣なくして人とは関わってはいけない『剣士』なのだと、自覚させた。


 そして二十年が経ち、三十年が経って、彼はようやく追われる恐怖から逃れた。

 さらに五十年が経ち、七十年が経って、若き日に関わった人間の顔も全て忘れた。


 九十年が経ち、百年が経って、今、こうして自分は死のうとしている。

 人生の走馬燈が行き過ぎて、彼は味わっているのは、絶望と同義の空しさだった。


 ああ、何もない人生だった。

 剣を振ってばかりの、誤魔化しばかりの日々だった。


 今や、世界各地で伝説の存在にまでなった最強の傭兵『マスターサムライ』。

 だがその実情は、この姿。

 誰にも看取られることなく、廃墟の部屋で寂しく死んでいく哀れな老人だ。


 剣を振っている間は楽しかった。

 でもその楽しさに没頭できたことなど、一秒たりともあったろうか。

 ただ、自分の背を這う恐怖と罪悪感から逃げるために、剣を振り続けただけだ。


 これが『剣士』の末路なのか。

 死合に敗れるのでもなく、勝利の栄光を握ったまま逝くのでもなく――、こんな。


 空しい。

 虚しい。

 むなしい。むなしい。むなしい。むなしい。むなしい。むなしい。むなしい。


 何もない。空虚だ。本当に何もない。

 百十四年も生きたのに、自分の中には何もない。空っぽだ。何も、何も……。


「……ラララ」


 寿命が尽きるまであと五分というところで、彼の唇はその名を紡ぐ。

 そして、遠くなって何も聞こえないはずのその耳に、己の呟きは届いて、


「あぁ、ラララ……」


 乾ききった体であるにもかかわらず、濁った瞳から涙が溢れた。

 ああ、ラララ。自分が愛し、自分が壊してしまった少女。自分の罪の象徴よ。


 会いたい。

 君に会いたい。


 こんな願いを抱くこと自体が、すでに罪。百回殺されても足りぬほどの、大罪。

 それを自分で理解しながら、だが、求めずにいられない。請わずにはいられない。


 会いたい。

 会いたい。

 ラララに会いたい。一目でいいから、彼女に、最後に一度だけ――、



『一度でいいから、あなたに褒めてほしかった……』



 ――――ッッッッ!


 愛した少女に思いを馳せ、そこから連なって浮かんだ記憶が彼の中に爆ぜる。

 ああ、そうか。そうだったのか。それでは、自分がしたことは――、


「……愚かしい」


 そう、愚かしい。余りにも愚かしい。

 自分がラララにしたことも、それに今になって気づいたことも、全て、愚かしい。


 同じなのだ。今の自分が抱く願望と、あの少女は願い続けたこと。

 ただ一度、それが叶えば全てが満たされる。だけども叶えたい、切なる願い。


 タイジュは、少女のそれを踏みにじり続けてきた。

 異世界にいた頃から、あの日に『お師さん』に拉致されるまで、ずっと。


 そしてそれに、今、気づいた。

 これを愚かといわずして、何を愚かといえばいいのか。


 最低で、最悪で、あまりにも恥知らずな外道。

 老境に至り、死に瀕して、タイジュはやっと己の本性を実感した。


 だが、もう死ぬ。

 あと三分もかからず彼は死ぬ。罪深き外道の最期に相応しいつまらない死に様だ。


 しかしそんなものは所詮、自己満足でしかないのだろう。

 自分が死ぬから、一体何だというのか。


 こんなのうのうとベッドの上で、罰も受けずに死ぬなど、と……。

 今から悔いて、泣いて、それでどうなる。どうにもならないだろうに。


「いや……」


 違う。このままのうのうと死ぬワケではない。

 今から自分がラララにできることなど何もない。そんなことはわかっている。


 だからせめて、心から認めて死のう。

 例え、自己満足と変わりなくとも、自分だけはそれを思って、地獄に落ちよう。


 ――そうだ、ラララの剣は、自分よりも優れていた。


 心からそれを認めて、自分は地獄に落ちていこう。

 そう思って、タイジュ・レフィードはベッドの上で目を閉じようとする。


「…………」


 だが、彼は目を開けた。

 そして、ゆっくりと手を震わせて伸ばそうとする。


 虚空から現れたのは、銀色の長方形の板――、金属符。

 取り出そうとしたそれは、震える手で掴むことができずに、床に転がり落ちる。

 だが、金属符はそのまま床に張り付いて、彼のいる部屋を『異階化』させる。


「まだだ……」


 しわがれた声、目からは涙が溢れ、彼は、緩慢な動きでベッドから出ようとする。


「まだ、死ねない……ッ」


 そうは言うが、寿命の限界は確実に近づきつつある。あと、一分少々。

 朽ちかけた老醜そのものの身で、タイジュはベッドから這い出た。


 いや、出たというよりは落ちたという方が正しい。

 かつての最強傭兵は、もはや体もうまく動かせないみじめな老人となっていた。

 それでも立ち上がろうとする彼の右手には、錆び切った一振りの刀。


 ――タイジュ・レフィードの異面体である『羽々斬(ハバキリ)』だ。


 誰もいない部屋で、今さらそんなものを取り出して、彼は何をしようというのか。

 決まっている。剣を振るのだ。

 彼にむなしさしか残さなかった、忌々しいばかりの剣を、これから振るのだ。


 タイジュは、悟っていた。

 そこは、百年を戦い続けたがゆえの感覚が働いたのだろう。


 寿命を三十秒残し、やっと立ち上がったタイジュがハバキリを構えようとする。

 その足元から、見えない力が立ちのぼり、大きく渦を巻き始めた。


「死ねない、まだ、死ねない……ッ」


 このまま死ぬわけにはいかない。何故なら、できることが増えたのだから。

 逃れ得ぬ『本物の死』に直面した今このとき、彼は己の『真念』に到達していた。


 そして知った。

 死を待つだけの今の自分でも、まだ、できることはあるのだ、と。


「……ラララ、待っていてくれ、ラララッ」


 渦巻く力は高まって、彼が振り上げるハバキリへと集束していく。

 だが寿命も差し迫って、タイジュが死ぬまで、あと十秒。


異能態(カリュブディス)……、『夢葬羽々斬(ムソウ・ハバキリ)』」


 そこに現れたのは、彼の『真念』を示すかのような、透き通った無色の刃。

 だが、タイジュの命の灯火が、ここでついに尽きようとする。

 来たるべきそのときまで、五――、四――、三――、二――、一……!


「ラララ、今、行く」


 タイジュ・レフィードの最期の一閃は、愛する少女へと捧げられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ