第257話 三本目/当日/『最終決闘』三本目:後
ラララの勢いが止まらない。
「隙を見せてくれるなよ、タイジュ。突かざるを得ないじゃないか!」
六振りの空剣が周囲に荒れ狂う中、ラララが『士烙草』を手に踏み込んでくる。
タイジュはミリ単位で後退し、間合いを調整して受けに回ろうとする。
「その小細工は、無駄さ!」
側面より、迫っていた空剣の一本が、突如として消える。
それを視界の端に捉えたタイジュが奥歯を軋らせて、受け身に回った。
縦に構えた『羽々斬』の刀身に、一瞬にして数十回の衝撃が跳ねる。
何が起きたか、彼は即座に悟る。
ラララが、空剣に瞬飛剣を纏わせたのだ。
「……器用な真似をする」
「斬象剣でできたことだよ、タイジュ。他の技でだってできるさ」
随分と軽々しく言ってくれる。
しかし、それがどれほどの高難度の荒業か、知らないタイジュではない。
「瞬飛剣は肉体強化を基礎とした高速魔剣術だ。それを、手にしたシラクサじゃなく、魔力だけで操る空剣で使うとはな……。なかなか困ったことをしてくれる」
ラララの剣を認めない。
その一念さえなければ素直に感嘆、いや、称賛すらしていただろう。
それほどに、タイジュの内心は驚きに染まっていた。
「このラララを認める気になったかな、タイジュ!」
「それは、ない」
「ならば力ずくで認めさせるのみさ!」
今まで数えきれないほどに繰り返してきたやり取りをやって、戦いは再開する。
攻めるラララ、守るタイジュ。もはやアキラ達も見慣れた光景だ。
タイジュの勝ち筋は、ただ一つ。
ラララの、攻撃と攻撃の間に生じるはずの隙を突いて、一撃で仕留めること。
しかし、現状、それはとても難しくなっている。
もちろん理由は、ラララが操作する六振りの空剣の存在にある。
縦横無尽に空を駆け、斬象剣はおろか、瞬飛剣の効果すら帯びる邪道の魔剣術。
全ての魔剣術の中で、魔装剣を源流としない唯一の技。
それは魔装剣に対抗するために過去の『剣聖』が編み出した魔剣術であるという。
その強力さゆえに魔剣六道の一角に数えられるも、習得難易度は全魔剣術中最高。
刻空剣を編み出した『剣聖』ですら四本しか空剣を操作できなかったとされる。
だが、ラララが操作できる数は六本。
この時点ですでに、彼女のたぐいまれなる剣才が見て取れる。
「……だから、認めがたいんだろうが」
空剣をハバキリで打ち払いながら、タイジュはラララに届かない程度の声で零す。
師であるサイディは、剣才では自分の方がラララよりも上であるという。
だが実のところ、タイジュは今まで一度もそう感じたことはない。
彼から見ればラララの方こそが『剣の天才』と呼ぶに相応しい。
魔剣術において、特に習得難易度が高いのが、瞬飛剣、斬象剣、刻空剣。
そう、全てラララが極めた魔剣六道偶数術なんである。
人は自分を守りの剣聖と称し、ラララを攻めの剣聖と称した。
だが『連理の剣聖』の内実は別のところにある。
簡単な技を極めた自分と、難しい技を極めたラララ。という構図。対比。
そこに加えて、魔法の才もまた、ラララの方が優れている。
その身に宿す魔力の量も、魔力操作のセンスも、何もかもラララの方が上だ。
だが彼女と共にあって、タイジュは今までそれを気にしたことはない。
――それを気にしたことはない? そんなバカな。
表向き、そう言ってきただけに過ぎない。
ラララが気に病まないよう、心に湧くものを抑えつけ知らん顔をしていただけだ。
だが本当は、ずっとずっと己の非才さに歯噛みし続けてきた。
そうだ、今こそ認めよう。
タイジュ・レフィードの心の奥底には、ラララへの強い劣等感があった。
ことあるたびに実感する、自分の無力さ。才のなさ。
タイジュの中で、いつだってラララは星だった。手が届かない輝きだった。
だからこそ、呪わしく思ってしまう。
決して抱いてはいけない想いを、抱いてしまう。
どうして、何でおまえは『剣』をその手に掴もうとするんだ、ラララ。
おまえが剣を振るうたび、俺の前で、その身を躍動させるたびに、俺は……ッ。
「俺は、おまえの剣を認めないよ、ラララ」
「君はそう言うだろうさ。どんなこと、知ってるとも!」
シラクサとハバキリが、十重二十重に切り結ぶ。
両者とも、まるで譲ろうとしない、意地と意地とのぶつかり合い。
しかし同時に、タイジュは見惚れる。
自分の前で軽やかに舞い、鮮やかに閃く、ラララの剣に。
自分がそうなれないと知っているからこそ、タイジュは余計に焦がれる。
そしてラララという輝ける星と自分という不細工な泥玉を比較し、みじめになる。
剣才に恵まれて、魔六も高く、センスに溢れるラララ。
剣才に恵まれず、魔力もなく、センスもない自分。
比べる必要などない。
そんな比較など、する必要も意味もない。そんなことはわかっている。
だけども比べてしまうのだ。そして、妬んでしまう。ラララを。
ああ、好きなのに。
自分にとって間違いなく、彼女は生涯ただ一人の相手なのに。
どうして自分は、その相手に嫉妬しなければならないのか。どうして、自分は。
「ラララ――」
思わず、口から漏れる声。
「どうしておまえは、剣を握る。ここは異世界じゃないのに。何故、俺に挑む」
いいや、日本であっても異世界であっても、関係ない。
どうしてラララは自分に挑むのか。何故、認めさせようとしてくるのか。
その理由を、ラララは今まで一度も話してくれたことがない。
「さぁ、何故だろうね!」
今もだ。そうやって口元に笑みを浮かべるだけで、何も教えてくれないのだ。
異世界にいたときからずっとそうだった。ずっとずっと、彼女はそうだ。
……こんな斬り合い、したくないのに、な。
「俺は、剣なんかどうでもいいんだよ、ラララ」
そう、タイジュにとって剣は道具以上のモノではない。
異世界でも、生きるのに必要だったから使っていたに過ぎない。
ただの人を殺す道具でしかない『剣』に、タイジュは価値を見出していない。
それでも、長年続けていればどうしたって思うところは出てくるものだ。
だから、自分よりも優れるラララが妬ましかった。
だが同時に、そんなどうでもいいモノを理由に彼女を妬む自分が、情けなかった。
辛かった。苦しかった。痛かった。
自分が剣を握ったことで、今という状況があるならば、タイジュは剣をこそ憎む。
彼がラララに剣を捨てさせたい理由は、まさにそこにあった。
「はぁ、はぁッ、ふぅ、はッ!」
「ふぅ、はッ、ぜぇ、はぁ……」
幾千を超える刃のやり取りを経て、ラララとタイジュは間合いを空けて向き合う。
両者共に、その身には無数の傷が刻まれてはいるが――、
「「全快全癒」」
傷が消える。疲労が消える。失われた血液も戻ってくる。
勝負は振り出しに――、というワケにはいかないこと、タイジュは知っている。
「次で、最後にしよう。タイジュ」
ラララが、そう言って右手のシラクサを高く掲げる。
そして左右に、三本ずつに分けられた浮遊する空剣。左右で纏う魔力が異なる。
「刻空剣、瞬飛剣、斬象剣の全併用、か……」
「一目で見抜くとはさすがだね、タイジュ。そうとも。このラララの最強攻撃さ」
笑みもなく、ラララは淡々と告げてくる。
彼女が繰り出そうとしているのはまさに総攻撃。全てを振り絞ろうとしている。
それに対して、自分はどうか。
「……もって、三十秒。か」
ここまでにだいぶ魔力を消耗している。
全回復魔法でも、さすがに失った魔力までは回復しない。
魔力の消費はラララも同様だが、ここで魔力量の差という現実が響いてくる。
彼女の方は、まだかなり余裕がありそうだ。
これもまた才能の差か。そう思ってしまう自分に、嫌気がさす。
「なぁ、ラララ」
「何だい、タイジュ」
「最後に一度だけ聞きたい」
「ああ。何でもどうぞ」
「剣を、捨ててくれないか?」
「だと思ったよ」
予想されていたらしい。ラララが軽く苦笑する。
「そうだな、仮に逆の立場で、このラララが『剣を、認めてくれないか?』と尋ねたら、君はうなずくのか。今まで一度もうなずかなかったその質問に」
「……わかった」
やはり、ラララは剣を捨ててくれない。わかり切っていたことではある。
自分も同じだ。自分も、ラララの剣を認めようとは思わない。
ラララの剣を認めることは、ラララを殺す自分の剣をも認めることになる。
ふざけるな、と言いたい。
剣など、心底どうでもいいのだ。本当に、どうでもいい。
「俺は、おまえの剣を認めない。終わりにしよう、ラララ」
「そうだね。終わりにしよう、タイジュ!」
ラララの周りで、大量の魔力が荒れ狂う。
まだこんな力を残しているのかと、本当にため息が出そうになる。
終わりにするとは言いはしたものの、これはサイディの予言通りになりそうだ。
――自分は、負ける。
そして『最終決闘』は、ラララの勝利に終わる。
防衛に優れるタイジュは、状況把握能力がラララよりも高い。
だからわかる。
現状はすでに絶体絶命。退路はなし、攻めどころもなし、時間も彼女の味方。
全てにおいて、タイジュは敗北寸前な状態に置かれている。
守り切れない。攻め切られる。
その予感が、確信に近いレベルにまで高まって、タイジュに警告を発している。
だが、そんなことがラララの剣を認める理由になるのか。
もちろん、答えは『否』だ。
タイジュ・レフィードは決して、ラララ・バーンズの剣を認めない。
「行くよ、タイジュ! 決着のときだッッ!」
「来いよ、ラララ。終わりのときだ」
そして戦場に、刃の嵐が顕現する。
必殺の斬象空剣が三本と、最速の瞬飛空剣が三本、空間に放たれタイジュを狙う。
ラララ自身も、シラクサを強く強く握りしめ、その姿を消した。
対するは、タイジュの魔装剣。
もはや、迫りくる刃の嵐は金剛剣でも属性剣でも防ぎきれない。
自分が使えるあらゆる魔剣術を総動員しなければ、あっという間にズタズタだ。
ならば、対抗できるのは魔装剣しかない。
防ぎ、捌き、打って、払って、そして耐えて、忍んで、機を伺うしか道はない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
ラララの咆哮が、タイジュの耳をつんざく。
瞬飛剣+瞬飛空剣が、秒間三千を超える斬撃を繰り出し、タイジュを追い込む。
だが、タイジュはあえてそれを防がない。
全身が切り刻まれ、魔法で戻った血液がドバっと大概に噴き出してしまう。
走る激痛を必死に堪え、彼は斬象空剣だけを優先して防いでいく。
瞬飛剣の一撃は、当たれば痛いが致命傷には程遠い。
一方で、斬象剣はほぼ一撃必殺。当たればその時点で終わるだけの威力を持つ。
「なるほど、無傷での勝利は諦めたか、タイジュ!」
「全快全癒」
ラララに応じず、全回復魔法でダメージを消して、タイジュは刃の嵐に臨む。
総攻撃が始まって十秒。タイジュは四回ほど、全身を切り刻まれた。
そのたびに魔法で傷を消して、魔装剣で斬象空剣を捌いていく。
彼が狙うのは、ラララの攻撃の隙間。どこかで必ず、彼女は動きを止めるはずだ。
タイジュが起死回生を狙えるのは、その一瞬だけ。
見逃すわけにはいかない。この刃の嵐を耐えきってラララを捉えてみせる。
「無駄さ、無駄だよ、タイジュ! このラララの最後の攻撃を耐えきることなんて、君には不可能だ。その理由を、今こそ君に思い知らせてやるともッ!」
ラララが、シラクサを思い切り振り上げる。
だが、タイジュとの間に距離がだいぶ空いている。何をする。何が狙いだ?
タイジュの『超嗅覚』が嗅ぎ取るのは、ラララの強い想いの匂い。
彼女は、次の攻撃を決め手にするつもりだ。
だが、何を繰り出してくる。瞬飛剣か。それとも斬象剣での斬り下ろしか……!?
「このラララとて『剣聖』の片割れなんだよ、タイジュッ!」
その叫びと共に、シラクサの刃が発するのは無属性を示す純白の魔力光。
タイジュの目が大きく見開かれる。
まさか、まさかラララが繰り出そうとしているのは――、
「魔剣六道之壱――、王道・魔装剣! 咆光剣撃ッッ!」
振り抜かれた刃より、純白の閃光が撃ち放たれる。
それは、二本目でタイジュも使用した、魔装剣による遠当ての剣技。
「極め切らずとも技は使える。このラララだって、魔装剣は学んでいるんだから!」
ラララが叫ぶ、そんな当たり前すぎる事実。
完全に、思考が硬直化していた。
彼女は攻撃の技以外は使おうとしない。そんな先入観に支配されていた。
その隙を見事に突いたラララの放った閃光が、今、タイジュの胸に突き刺さる。
大した威力ではない。致命傷には程遠い。しかし、彼の鉄壁を綻ばせるには十分。
「ぐ、ぁ……ッ」
「今ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」
身を傾がせるタイジュへ、六本の空剣が突っ込んでいく。
それでも、必殺の斬象空剣は全て払う辺りはさすがだ。が、そこまでだった。
残った三本の空剣が、次々にタイジュを抉っていく。
まるで『最終決闘』一本目の再演。
このときは、最後にタイジュはハバキリまで折られて敗北した。
その記憶を脳裏に蘇らせて、彼はその場に棒立ちになる。
手にするハバキリの刀身からも、白い光が失せている。魔力も、尽きてしまった。
……終わりだ。
不動の大樹は大きく傾ぎ、今、ついに切り倒されようとしている。
死力を尽くした。総力を挙げた。それでも、防ぎきれなかった。
「タイジュゥ――――ッ!」
ラララが、シラクサを振りかぶって突っ込んでくる。
その刃は自分を切り裂き、そして勝負を決める。こうなれば抗っても仕方がない。
瀕死のタイジュの中に、ジワリと諦めの色が広がっていく。
勝てなかった。ラララに、勝つことができなかった。ついに、結局、やっぱり。
やはり、彼女はすごい。天才だ。星の如き存在だ。
地面に放り捨てられた泥玉でしかない自分とは大違いの存在なのだ。眩しい。
こうまで差を見せつけられては認めるしかないのだろうか。
ラララの『剣』を。彼女という『剣士』を、認めるしかないのだろうか。
だが、それは――、……?
「……右?」
タイジュが、すいと体を右に傾ける。
すると、そのすぐ横を、ラララの振り下ろしが凄まじい速度で過ぎていった。
「な……ッ?」
「あれ?」
決着の一撃を避けられた。
その事実に、ラララは驚き、タイジュは不思議に思った。
「ならばァ――――ッ!」
今度は、ラララが瞬飛剣を繰り出そうとする。
しかしそのとき、タイジュは言いようのない感覚に囚われていた。
聞こえる。
何かの『声』が、聞こえるのだ。
「右、左、一歩下がって、右、また右、そして斜め前」
「な、そんな、当たらない……ッ!?」
聞こえる『声』に従って動くだけで、ラララの攻撃を全てかわしきってしまう。
それを見て、立ち上がって大声を響かせる者がいた。
「ハッハァ――――ッ! それダゼ、タイジュ! ついに掴みヤガッタカァ!」
サイディだ。
先代『剣聖』である彼女が、今のタイジュを見て喝采をあげた。
そういえば、戦いが始まる前にサイディは言っていた。
自分は『剣』の声に従っただけだ、とか何とか。――まさか、《《これ》》が《そう》》なのか?
「――刻空、士烙草ッ!」
ラララが斬象空剣で切り刻みにかかってくる。
しかし、タイジュは高速で飛翔する空剣の柄を掴み取る芸当を見せる。
「バカな……ッ!」
目を瞠るラララの前で、彼は他の斬象空剣を、掴んだ空剣で逆に切り裂く。
さらに自分に突き刺さっていた三本の空剣も次々に引き抜き、踏み潰してしまう。
金属が砕ける甲高い音がして、五本の空剣が残骸と化す。
残る最後の一本も、タイジュはハバキリであっさりと両断した。
「……タイジュ、一体?」
ラララが彼を呼ぶ声が、動揺に揺れている。
しかし、今のタイジュからすれば、そうした彼女の姿はどこまでも隙だらけだ。
「終わりか、ラララ。ならば――」
タイジュの姿が、消える。瞬飛剣ではない。
彼の魔力はすでに尽きている。今のタイジュに魔剣術は使えない。
「な、どこに……!?」
「死角に回っただけだ。そうビックリするな」
声は、ラララの間近からした。
そちらを振り向こうとする彼女の耳の横辺りを、固いものが殴りつけてくる。
「ぐぁ……!」
「ハバキリの柄で、脳に衝撃を伝えた。まともに立ってられないだろ?」
「ぅ、く、こ、こんな程度で……」
脳を揺らされてフラつくラララに、タイジュが足払いをかける。
踏ん張ることもできず、彼女はあっさりと仰向けに倒れてしまう。そこに――、
「ふんッ」
タイジュが、ラララのみぞおちを全力で踏みつけた。
靴底がアバラを砕く感触が、足に伝わってくる。
「ぁ、あ……ッ!」
その一撃で内臓に傷がついたか、ラララは口から血を吐いた。
タイジュはそれを見下ろし、両手に握ったハバキリを逆手に持ち直す。
「ぁ、タ、タイジュ……、わ、たし……」
ラララが、目に涙を浮かべて、右手を伸ばして何かを言おうとしてくる。
「わた、し、ぁ、あなたに、み、みと、ほ、め……」
「ラララ・バーンズ」
名を呼ぶタイジュの顔が、泣くラララの瞳に映り込む。
その顔は――、歓喜の笑みに染まっていた。
「こっちでも、俺の勝ちだァッ!」
真下に突き下ろされた刃が、ラララの体の中心を貫通し、その命脈を断ち切った。
ラララとタイジュの『最終決闘』三本目、――決着。