第254話 三本目/前日/ただ一つ、欲しいのはそれだけで
夢に見たのは、あの日の風景の続きだった。
「ねぇねぇ!」
彼女は、剣を振っていた彼に話しかけた。
「…………?」
気づいた彼は剣を振るのをやめて、彼女の方を見る。
このとき、互いに初対面。まだお互いが誰かも知らない、二人の出会いだった。
「見て見て、私もできるよー!」
彼女はそう言って、自分を見る彼の前で拾った木の棒を振り回した。
それは、モノマネにもなり切らない、腰の入っていないブン回しでしかなかった。
しかもまだ幼い彼女の体に比べ、木の棒は長く、
「わ、きゃあ!」
「うわ」
木の棒の勢いに体を持っていかれて、彼女は彼を巻き込んで転んでしまう。
彼がクッションになったおかげで、彼女は傷一つなかったが。
「……何、君は邪魔しに来たの?」
「ぅぅ、ごめんなさい」
下敷きになっている彼に言われて、横にどいた彼女はしょんぼりしてしまう。
しかし、彼は、
「別にいいよ。ところで、痛いところ、ない?」
立ち上がってそう言って、彼女に右手を差し出してきた。
「ん~ん、ないよ」
その手を握った彼女を、彼は引っ張って立たせた。
「ありがとう!」
「別にいいよ」
素っ気なく言って、彼は転がった木剣を拾い上げてまた素振りを再開する。
彼女は、それを何となく、近くに座って眺め続けた。
「……何?」
それが気になったか、彼は素振りを途中で止めて彼女を見る。
問われた彼女は、彼に素直に感想を告げる。
「カッコいいね!」
「そう? よくわからないけど……」
やはり、仏頂面な彼の答えは素っ気ない。彼女は一向に気にしないが。
「ねぇねぇ!」
「だから、何?」
「私も、がんばって練習すればあなたみたいにカッコよくなれるかな?」
「わからない。別に、カッコよくなるためのものじゃないし」
「え~? あなたはカッコよかったよ~?」
「そうかな。ありがとう」
お礼は言うが、表情はそのままだ。彼はニコリともしない。
「ねぇ、私にも教えてよ、振り方!」
「えぇ……?」
「私もあなたみたいにカッコよくなりたいの~!」
木の棒を拾い上げて、彼女は駄々をこねる。
彼は「邪魔だなぁ……」と呟きながらも、結局は振り方を教えてくれた。
それが、彼と彼女の異世界における初めての出会い。
のちに『連理の剣聖』と称される、タイジュとラララの一番古い記憶だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
変な時間に目が覚めてしまった。
時計を見れば二時。もちろん午後ではなく、午前の方の二時だ。
「あ~……」
布団から出てベッドに座ったラララは、闇の中で軽く呻いた。
つい最近見た記憶のある風景を、改めて夢に見てしまった。
自分と彼との出会い。
ラララにとっての全ての原点。出発点とも呼べる記憶だ。
あれから毎日、木剣を振ってるタイジュのところに行って、彼を観察し続けた。
そしてそのマネをして失敗しては、彼に木剣の振り方を教わった。
ザイドに弟子入りしたのは、タイジュに出会って二週間後くらいだったか。
自分とタイジュのことに気づいたミフユが、アキラに話を持っていったという。
本当に、あの母親にはつくづく感謝しかない。
そして自分も正式に再度に弟子入りし、タイジュと共に魔剣術を学んだ。
そこから『連理の剣聖』の物語は始まったともいえる。
ラララは『絶界コロシアム』でのことを思い出す。
あのとき、彼女はタイジュに向けて『連理の剣聖』の称号は蔑称だと言い放った。
その思いも、ないではない。
ただ突っ張ってただけではなく、本当にそう感じていた。
自分達は単独では『剣聖』には届かない。
周りからそう言われたような気がしてならなかった。気に食わなかったのだ。
でも、それだけじゃない。
その称号は、自分とタイジュの絆を示すものだとも感じていた。
あのとき、それを口に出せなかったのは、追い詰められていたからなのもある。
ミフユが気づいてくれなければ、自分はあのまま暴走し続けていただろう。
そして本当に、取り返しのつかないことになっていた可能性もある。
「……さすがだなぁ、お母さんは」
夜の闇の中に、そうひとりごちる。
そもそも、何故ラララはそんな暴走をしてしまったのか。
決まっている。
一度は諦めた『願望』が、再び手の届くところに転がってきたからだ。
異世界ではついに願うことのなかった、その『願望』。
自分以外ではミフユと美沙子だけが知り、協力してくれることになった理由。
まさかそれを得られるチャンスが再び来るとは思っていなかった。
思いがけない幸運。だからこそラララはそれを求め、焦がれ、渇望してしまった。
結果、焦りを募らせて、暴走してしまったワケである。
彼女は『出戻り』した時点で己のブランクについても自覚していた。
だから、一刻も早くかつての自分を取り戻したいと思った。
それで美沙子やケントに迷惑をかけてしまったのだから、全く、世話がない。
今となっては本当に、あの二人には申し訳なさしかなかった。
「……さて、どうしようかな」
いつまでも物思いにふけっていても、時間は過ぎていくばかりだ。
しかし、このまま横になっても寝れる気がしない。完全に目が覚めてしまった。
「夜風にでも当たりに行くか」
しばし悩んだ挙句、庭に出ることにする。
そして部屋を出て廊下を歩いていると、外から何かが聞こえてくる。
「あれ……?」
縁側の窓から外を見て驚いた。
タイジュが、木刀を素振りしているではないか。
まっすぐ前を見つめ、正眼に構えた木刀を振り上げてブンッ、ブンッ、と。
こんな時間に、いったい彼は何をやっているのか。そう思ってしまった。
でも、一心不乱に木刀を振る彼を見て、ラララはさっき見た夢のことを思い出す。
口元を綻ばせて、彼女は窓を開け、縁側からタイジュに声をかけた。
「ねぇねぇ」
「ん?」
気づいたタイジュが、素振りをやめてラララの方を見る。
目が合ったそのときに笑みを深めて、彼女は素直に思ったことを彼に告げる。
「カッコいいね」
「ラララ……、何だ、起きてたのか?」
「君に言われたくないよ。こんな時間に何をしてるんだい?」
言い返すと、タイジュは佐藤んチの縁側に置かれたタオルを手に取り、汗を拭う。
「何か、寝つけなかったんだよ。それと、ジッとしてられなかった」
「それでベストなコンディションなんて保てるのかい?」
「この時間に起きてるおまえに言われたくないな」
それは確かに、その通り。
「私も同じ。何か目が覚めちゃったの」
「そうか」
タイジュが、木刀を収納空間に引っこめて、ラララの隣に腰を下ろす。
「あれ、もう素振りはやめちゃうのかい?」
「もうすぐ決着をつける相手に、そう何度も太刀筋を見せるつもりはない」
「クレバーだねぇ、君ってヤツは」
ラララは軽く苦笑して目を細め「でも、カッコよかったよ」とだけ付け加える。
「何か、初めて出会ったときみたいだな、どうした?」
「ちょっと夢に見ちゃってね。思い出してたんだ」
「そうか」
タイジュはその一言と共にうなずき、また無言になってしまう。
ラララも同じく無言のままで、しばし二人は星空の下で互いに隣り合って座る。
「静かだね」
「ああ、静かだ。俺達しかいないみたいだ」
「私達だけ、かぁ……」
そんなことを言われて、不意に胸が跳ねた。
そうだった。今は二人きりで、周りには誰もいないんだった。今さらな気づき。
一度でも意識してしまうと、もうそれだけで心臓が高鳴ってしまう。
「微妙な表情になってるが、どうかしたか?」
「ど、どうもしないよ、バカ!」
「どうして今、俺は罵られたんだ。何かしたか、俺?」
何もしていないタイジュには、きっと一生理由はわからないだろう。
言ったラララ自身が、自分は何を言ってるんだと思っているくらいだから。
それからまた、二人はしばし夜の静けさに身を浸す。
夜気は冷たくて、体も冷えてしまうが、それでも心地よく感じられた。
「もう、今日なんだね、タイジュ」
「ああ、そうだな、ラララ」
こうして隣り合って、一緒に暮らして、確かに相思相愛で。でも殺し合う仲。
何とも奇妙な関係性だと、ラララはここに来て感じてしまう。それでも、
「次は、私が勝つから」
「次も、俺が勝つだけだ」
そう言い合っても、別に不快感はない。負ければ泣くほど悔しいけど。
だけど、この関係性も、ラララはそう嫌いではなくて――、
「ラララ」
「何かな、タイジュ」
「最後に一度だけ頼んでみる。剣を、捨ててくれないか」
タイジュの静かな声が、ラララに小さな驚きを与える。
「……今日が最後の三本目であることを、わかってて言ってる?」
「当たり前だ。でも、俺はやっぱり、おまえに剣を続けてほしくないんだ」
自分を見るタイジュの目は、真剣そのものだった。
二本目のときも彼は言っていた。自分は『ラララの剣が嫌いなタイジュ』だと。
真摯で、裏を感じさせないその目に、ラララは神妙な面持ちになる。
「タイジュ」
「ああ、何だ、ラララ」
「このラララは、私はね、ただ……」
ただ――、と、そこまで言いかけて、ラララは口を閉ざして続きを言わなかった。
言えば、タイジュはきっとそれを叶えてくれる。その確信がある。
だが同時にそれは、自ら『願望』を放棄することを意味する。
ラララが求め続けた、本当の意味での『願望』の実現が、露と消えてしまう。
それだけは、どうしてもイヤだった。
「ラララ?」
タイジュが、ラララの言葉を待っている。
だが、ここでそれを口に出すワケにもいかず、ラララはしばし悩んで、そして、
「ん……」
タイジュの唇を、自分の唇で塞いだ。
時間にして、たっぷり五秒。
冷え切った互いの唇が触れあって、かすかながらも熱を伝え合う。
「――はぁ」
「…………。…………」
唇を離して息を吐くと、タイジュが目を真ん丸にしてこっちを見ていた。
その顔を見て、ラララも自分のやったことに気づき、頬を紅潮させる。
「ファーストキス、あげちゃった」
「おまえ……ッ」
さすがにこれにはタイジュも絶句するしかないようだった。
ラララは縁側から立ち上がって、家の中に入ろうとする。
「じ、じゃあ、私寝るから。き、き、今日はお互いが、が、がんばろうねッ」
あ、ダメだ。自分も動転してる、これ。
そんな当たり前のことに、彼女は遅まきながら気づいた。ダメ、顔から火が出る。
「お、おやすみ!」
「ぁ、ああ、お、おやすみ……」
互いに声を震わせて、田中と佐藤は自分の家に戻っていった。
そして部屋に戻る途中、ラララは自分の胸を手で押さえ、盛大に息を吐きだした。
「何やってるんだろう、私……ッ!?」
ここまでの派手な『言うに事欠いて』も珍しい。
さっきまで冷え切ってた体が、今は暑く火照って仕方がない。汗ダラダラよ。
それでも、選択としては間違えていない。
あそこで彼に言うことはできなかった。自分の『願望』を教えるワケには……。
だってそれは、もう間近に迫っている。
ラララ・バーンズにとっての最後の、そして唯一の機会。
自分の話を聞いてくれたミフユは言っていた。
その『願望』を持ち続ければ、また暴走するかもしれない。
だからラララは、母の提案に従って、タイジュに『最終決闘』を申し込んだ。
回数を三回にしたのも、ミフユの提案を受け入れたから。
実現のチャンスは多い方がいい。しかし、多すぎても逆に疑われかねない。
だから三回。ギリギリまで増やして、この回数。
「今日こそ、私はタイジュに勝って、そして――」
そして、そして、今度こそ、今度という今度こそ……!
「タイジュに、私の剣を褒めてもらうんだ」
それが、ラララが異世界の頃から胸に秘め続けてきた、ほんの小さな彼女の大望。
それこそが、ミフユと美沙子がラララに協力する理由となった、ささやかな宿願。
二度の人生を通じて、彼女は一度もタイジュに剣を褒めてもらったことがない。
だから――、一度でいい。本当に、一回だけでいい。
タイジュに自分の剣を褒めてほしかった。ずっとすっと、それを願い続けてきた。
一回でも褒めてもらえれば、それで自分は満たされる。
それが叶ったなら、ラララは何の躊躇も未練もなく、剣を捨て去ることだろう。
この『願望』について、ラララは今まで一度もタイジュに話したことがない。
彼に知られれば、きっと褒めてくれる。でも、その称賛は偽物だ。
欲しいのはタイジュの本物の言葉。心からの称賛。
褒めるための称賛なんていらない。
何も知らない状態の彼に認めてもらってこそ、その称賛には意味が生じる。
彼が自分の剣を認めていないのは知っている。
今日勝っても、褒めてくれる可能性が低いことも重々承知している。
それでも、欲しかった。
どうしても、どうしてもそれを諦めきれなかった。
ラララがタイジュに褒めてもらうために、満たすべき条件はただ一つ。
彼に勝って、自分の剣を彼に認めさせること。
「今日こそ、必ず……」
ラララ・バーンズは今日、自分の『願望』を叶える最後の機会に臨む。
二人の『最終決闘』三本目開始まで、あと半日。