第251話 二本目/当日/おまえが不可能を可能にしたなら
闇の中に浮かぶのは、あの日の光景だった。
場所は、廃墟ばかりが連なる街。
異世界の街は、どこもかしこもそう変わらない。
焦げていない家は少なく、壊れていない家はもっと少ない。
彼女は、父親の仕事でとある街に寄った。
そこも他と同じ、焼けて、焦げて、壊れた街並みはいっそ慣れ親しんでいる。
幼い彼女はそこで、彼と出会った。
彼はそのとき、すでに父親の仕事仲間に拾われて剣を学び始めていた。
年齢は、彼も彼女も5歳のときだった。
養父である『剣聖』から与えられた木剣を手に、素振りしている彼を見つけた。
それが彼と彼女の初邂逅。
すでにそのときから、二人には『剣』が関わっていた。
そして、彼女の足元にはちょうど同じような木の棒が転がっていた。
果たしてそれは前世の縁によるものか。
彼女は木の棒を拾い上げ、彼の方にパタパタ小走りで近づいた。
昔も今と変わらずに、彼はムスッとした仏頂面で。
一方で、彼女はいつでもニコニコと笑顔を絶やさない元気っ子で。
「ねぇねぇ!」
彼女は、剣を振っていた彼に話しかけた。
そして――、ああ、これこそが彼女の原初の風景。だから、私は……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目を開けると、タイジュが間近で自分を覗き込んでいた。
「大丈夫か……?」
彼は、いつも通りの無表情で聞いてくる。でも、その声から心配度合いが伝わる。
ラララはまだぼんやりとしたまま、ついつい、口に出してしまう。
「あなた……」
「ッ」
タイジュの動きが、その一言にピシッと固まった。
彼の反応に何事かと一瞬思ったラララだが、徐々に記憶が鮮明になってくる。
「あ、ごめんね……」
異世界での記憶を夢に見ていたため、ついつい、タイジュを夫呼びしてしまった。
その事実に改めて気づき、ラララも若干頬が熱くなるのを感じる。
タイジュが、軽く頬を掻く。
「さすがに驚いた。その呼び方をこっちでされるとは」
「いや、だからごめんってば! もう蒸し返さないでよ……ッ!」
言った方も言われた方も、同等にダメージを受けるヤツだった。
「お~い、大丈夫か~」
互いに顔を赤くしている二人のところで、アキラ達が駆け寄ってくる。
「親父さん」
「あ~ん、お母さぁ~~~~ん!」
自分が負けたことを思い出したラララが、思わずミフユの方へと走り寄っていく。
「負けちゃったよぉ~~~~!」
「はいはい、よしよし。がんばったわねぇ、もうちょっとだったのにねぇ~」
抱きつかれたミフユが、ラララの短い頭を優しく撫でてやる。
それを隣で見ていたアキラが、いきなり憮然とする。
「んだよ……」
「何なのよ、その『自分のところに来てもよかったのに』みたいな顔は?」
「俺のところに来てもよかったのに……」
「そんなことでいじけんじゃないわよ、家長。笑えないわねぇ」
両親のやり取りを聞きながら、ラララはひたすら母の胸で泣く。
「あぁぁぁぁぁぁうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~……」
「うんうん、がんばったわねぇ、ラララ。でもまだ、終わってないでしょ~?」
そう、終わってはいない。
三本勝負はこれで一対一になっただけ、状況はあくまでもイーブンでしかない。
それでも悲しいし、悔しいし、残念だし、無念でならない。
だって、あとちょっとだった。
ギリギリのところまでタイジュを追い込んで、本当に、あと少しだった。
だが、自らの敗北を悲しむラララは、その一方でわかっていた。
「……今回は、完全に私の負けだった」
鼻水を啜りながら、袖で涙を拭いて、ラララはミフユにそう告げる。
母は、その言葉に驚いたようで、タイジュの方を見る。
「ええ。大体が俺のプラン通りに運びました。極限ではありましたが」
タイジュがうなずくが、それがまたラララの中に悔しさを生む。
振り返ってみれば、気づけそうな点は幾つもあった。だけど、気づけなかった。
「タイジュが……」
ズビと鼻水を啜って、ラララが涙声で語る。
「私と同じ『百年異階』に挑んで、何もないワケがなかったんだ……」
ラララの場合は、本来不可能とされる刻空剣と他の魔剣術の併用を成し遂げた。
では、タイジュは何をした。
自分と同じ鍛錬に励んで、しかもサイディの教えを受けて、何を実現した。
「……《《新技》》」
果てしない悔しさのもとに、ラララはそれを呟いた。
「今までの金剛剣に存在してなかった、新しい技。それをタイジュは編み出した」
「ああ。俺はおまえの剣を認めない」
ニコリともせず、タイジュがそう宣言する。
はっきりと、通る声で告げられたその意思表明に、ラララの胸がズキリと痛む。
「おまえが不可能を可能にしたなら、俺は前人未到の領域に踏み込んで、それを超えるすべを身に着ける。おまえが剣で成し得た全てを、俺は『超越』して否定する」
わかっていた。そう、わかっていたことだ。
異世界からずっとそうだった。
自分が一歩先を行けば、今度はタイジュがさらにそれを越えてくる。
二人が歩んできた『剣士』の道は、ずっとずっと、それの繰り返しだった。
今度もまた、それと同じことをされてしまった。
「随分と、念入りに準備してたみたいだけどね、今回は……」
「俺の本命は金剛剣ではなく魔装剣。そう見せかけるために三十年費やしたからな」
三十年かけて己の剣技を鍛え直して、魔装剣の精度を格段にレベルアップさせた。
結果、ラララは見事に騙された。
タイジュの今回の戦術は、魔装剣による正面突破。そう勘違いした。
だがそれも全てが囮だった。
タイジュの狙いは、自分から最強最大の一撃を引き出すこと。
「……金剛剣による、攻撃技、か」
軽く自嘲など交えながら、ラララはタイジュが使った『新技』の正体を看破する。
「金剛剣は防御の魔剣術。本来、その技に攻撃用のものはない。だけど――」
「ああ、防御を用いた攻撃なら可能だ。例えば『反射』とかな」
それが、タイジュが使った新技『全覇鏡転』のキモだ。
タイジュは、ラララが使った斬象剣の威力を、そのまま彼女の刃に反射したのだ。
だから、彼女の異面体である『士烙草』が折れ飛んだ。
なまじ高すぎた威力が、ラララの首を絞めてしまった結果だった。
「やられたよ……」
まだまだ、胸の内は無念の思いでいっぱいだが、ラララは努めて顔に笑みを作る。
そして、タイジュに向けて軽く拍手を贈った。
「何のつもりだ、ラララ?」
「勝者への称賛さ」
問われ、ラララはそう返して拍手を打ち鳴らす。
「ああ、悔しいさ。悔しいとも。このラララだって勝利の目はあったはずだ。けれども結局、君のプラン通りに動かされてしまった。そして敗れた。悔しくてならないよ!」
「だろうな」
「でも、この二本目を勝ったのは君だ、タイジュ。だからこのラララは、悔しさと共に勝者に対して敬意を表しているんだよ。ああ、負けたよ。勝者は君だとも!」
ラララの側に、他意はなかった。
負けた。完全に負けた。それは悔しくもあり、また口惜しくもあった。
だが同時に、その敗北を受け入れざる気持ちは、少しもなかった。
負けはしたが、ラララはその事実をすんなり受け入れていた。そういう負けだ。
だが、しかし――、
「そんな称賛は、いらない」
「……え」
ラララの拍手が、その言葉によって途切れてしまう。
「勘違いをするなよ、ラララ。俺は何度も言ってる。俺はおまえに付き合ってやってるだけだ。おまえが求めるから『剣』を握ってる。それだけだって何度も言ってるだろ。おまえが剣を捨ててくれるなら、俺だって放り出してるよ、こんなもの」
タイジュの声は、いつもより固く、低かった。
表情の変わらないその顔にも、いささかの怒気らしきものが見え隠れする。
「勝利の愉悦も、敗北の悔恨も、勝者の栄光も、敗者の汚名も、剣にまつわるものは何一つ、俺には必要ない。微塵も必要ないんだよ、ラララ」
「タイジュ……」
「それでも、おまえが俺に決着を求めるから、こうして付き合ってる。俺は『田中が好きな佐藤』だからだ。でも同時に俺は『ラララの剣が嫌いなタイジュ』でもある」
「…………」
淡々と、だが強い調子で言葉を紡ぐタイジュに、ラララが無言で身を震わせる。
隣に立っていたミフユが、さすがに見ていられず、噛みつこうとする。
「タイジュ、ちょっとあんた――」
「いいよ、大丈夫だよ、ママちゃん」
「ラララ……、でも!」
「大丈夫。……大丈夫だから」
そう言ってミフユを抑えるラララだが、その声も身も小刻みに震えていた。
歯噛みするミフユに、アキラも釘を刺してくる。
「こいつはラララとタイジュの問題だ。当人がいいって言ってるなら、抑えろよ」
「く、わ、わかってるわよ……!」
「生意気な口を叩いてしまい、申し訳ありませんでした」
憤りつつも引き下がるミフユに、タイジュは深く頭を下げる。
「それじゃあ、次はまた四日後。それで最後だな」
「次こそ、このラララが勝たせてもらうよ」
「夢を見ることは止めないさ。現実がどうあれ、な……」
そして、タイジュは部屋を去ろうとする。
ヒメノが診察を申し出るが、それは丁重に断って、彼は部屋を出ていった。
残されたラララが、アキラ達が見ている前で立ち尽くしている。
しかし、その口元に、フッと笑みが浮かぶ。
「ハァーッハッハッハッハッハァ――――! いや~、負けた負けた! 完全敗北だとも! しかし、次はこうはいかないさ。このラララは、一振りの輝ける刃として、次の最終戦でタイジュの真の実力差というものを見せてやろうじゃないか!」
「ラララ……」
「ハァーッハッハッハッハッハァ――――!」
広い部屋に高笑いを響かせるラララの背中を、アキラがポンと軽く叩く。
「何かな、パパちゃん! 負けたりとはいえど輝けるこのラララに何か――」
「素直に泣いとけよ。バカ」
「何を言っているんだ、パパちゃん、このラララはさっき泣き尽くしたところさ!」
「じゃあ、今、おまえの目から流れてるものは何だよ?」
「ハァーッハッハッハッハ……、ハハ、ハ、ハハハ……、ぅ、ぅぐ……ッ」
アキラに指摘されると、高笑いは途端に勢いをなくし、彼女はその場に膝をつく。
「ぅぅ……、ぁぁ、あああああ! もう、ちょっとだったのに……、あと少しで、勝てたのにッ! 悔しいよ、悔しいよぅ……! ぅぁぁああ、ぅぅぅぁぁ、あ……!」
「ラララ……」
両手で顔を覆ってさめざめと泣くラララを、ミフユが優しく抱きしめる。
そして、娘の頭を撫でながら、母はギリと奥歯を軋ませる。
「タイジュ、あいつ――」
「ミフユ」
アキラが自らの伴侶を止めようとする。
「気持ちがどっちかに偏るのは仕方がないが、今のところ、タイジュは明確に間違いを犯してるワケじゃない。感情を先走らせて、二人の問題に首を突っ込むなよ?」
「わかってる。そんなことわかってるわよ! でも……ッ」
「でも……、何だよ?」
「何でもないわ。大丈夫よ、私は暴走したりしないわ」
「そこは信じてるけどよ。一応、な」
そうして、ラララは母親に抱かれながら、少しの間、泣き続けた。
そして、震える娘を抱く母親の中に疑念が生じたのは、まさにこのときだった。
今の時点でそれを知る者は、アキラ含めて、まだ誰もいない。
――『最終決闘』二本目、勝者:タイジュ・レフィード。