第245話 一本目/当日/勝者は歯噛みし、敗者は次を見据える
目を開けると、ラララが間近で自分を覗き込んでいた。
「……大丈夫?」
彼女は、とても心配そうな顔で、そんなことをきいてくる。
ああ、いとおしい。
そう感じてしまう自分を抑えることなく、タイジュは手を伸ばして頭を撫でる。
「な……」
「うん、ラララだ」
固まる彼女の頭を、タイジュは小さく呟いて撫で続ける。
この撫で心地は、彼にとって唯一無二。指先を滑るサラサラした感触が心地よい。
だが何より、相手がラララであること。これが最も重要だ。
何せタイジュは『田中が好きな佐藤』である。それは彼が転生する前からだ。
ゆえに、彼がラララの頭を撫で始めると止まらない。もう、止められない。
「ちょっと? 佐藤、ちょっと……?」
「…………」
「真剣な顔で集中しきって無言で優しく繊細に私の頭を撫でるのをやめなさい!」
叱られてしまった。
表情は変わらないが、内心、ちょっとだけシュンとなる。
「……あとで、少しだけなら撫でていいから」
その気配を敏感に感じ取ったラララが、そう言ってくれる。やったぜ。
「お~い、そろそろいいか~?」
別の人間が、上からタイジュを覗き込んでくる。
アキラであった。
「親父さん……」
何故ここに、と思ったところで、ようやく彼は現在の状況を思い出す。
そうだ、『最終決闘』三本勝負の一本目。自分は負けたのだ。
「く……」
「タイジュ――」
身を起こそうとする彼を、ラララが支えようとしてくれる。
しかし、タイジュはそれを手で制して、拒む。
「平気だ」
それだけ言って、彼は何とか身を起こした。
場所は『異階』から元のホテルの部屋に戻っているようだった。
バーンズ家の皆が、自分とラララを囲んでいる。
「皆さん……」
「おー、タイジュ。残念だったなー! でもすごかったぜー!」
「すごい戦いでしたね、私、ちょっと驚いてしまいましたわ」
タマキやヒメノがそうして称賛し、他の面子も拍手を贈るなどして健闘を称える。
それで、実感した。そうだ、自分は敗れた。ラララに敗れたのだ。
「……そうですか」
称賛を浴びながらも、しかし、タイジュはそれにニコリともしない。
いつも通りの無表情にして鉄面皮。
そんな彼だから、異世界では『不動にして剛健』と呼ばれたりもしていた。
「すいません、俺はこれで失礼します。次は、四日後でよかったですよね」
そんなことを言い出すタイジュに、皆が拍手をやめてしまう。
淡々と物事を運ぶ彼に「そうだ」と返すのはアキラだった。
「次は四日後だ。……行くのか?」
「ええ、今回は負けましたが、次は勝つので。時間を無駄にできません」
実にストイックな姿勢であり、非常にタイジュらしい言葉である。
だが、それに水を差すのも、また、アキラであった。
「まぁ、ちょっとだけ待てよ、切り込み隊長」
「親父さん、申し訳ありません。俺はこれで……」
「おまえ、次も負けるぜ?」
アキラの一言が、去ろうとするタイジュの足止めをする。
「……親父さん?」
「わかってるだろ。今のままじゃラララに勝てないことくらい。これから四日、たった四日で、おまえはその差を埋められるのか。おまえ一人で、一体どうやって?」
それは、まさにアキラの言う通りであった。
一本目を通じて感じた、ラララの明らかな成長。自分を大きく超える実力。
彼女はどうやってそれを手に入れたのか。
それを、タイジュは知らない。
「いいよな、ラララ?」
アキラがラララに問う。すると返ってくるのは、当然――、
「ハァーッハッハッハッハッハァ――――! 当たり前じゃないか、パパちゃん! このラララが最も強く輝くために、競うべき好敵手もまた強く輝かなければならない! タイジュ、今の君ならばこのラララは十回やって十回勝てるだろう! だが、そんな結果の見えた勝負はこっちから願い下げだとも! さぁ、タイジュ、早くこのラララのところまで上り詰めてくるがいい!」
「親父さん、ラララは今日までの三日間で何をしたんですか?」
「あぁん! 無視しないでェ~!?」
ラララのことは好きだが、この高笑いには一切付き合う気がないタイジュである。
「三日じゃねぇさ、百年だよ」
アキラが、チラリとマリクの方を見る。
それだけで、タイジュはおおよその事情を悟った。そして彼はマリクの前に立つ。
「マリクさん」
「ぅ、ぅえ、は、はい……?」
「俺にも、百年分の鍛錬を積む機会をくれませんか」
言って頭を深く下げるタイジュに、マリクはビビりつつ、アキラとラララを見る。
アキラは、ラララを見た。彼女はフッと笑った。
「今言った通りだよ。このラララは、対等の条件でタイジュと鎬を削り合いたい」
「ってことだ、マリク。次はタイジュに協力してやってくれ」
「は、はぃ~……」
コクコクうなずくマリクに、タイジュは「ありがとうございます」と再度お辞儀。
「タイジュ。今の通りだ」
「親父さん?」
「今回、ラララは自分のブランクを埋めるためにマリクを呼んで鍛錬を積んだ。おまえも同じことをしていいんだ。おまえらはどっちも、俺達の身内なんだから」
三日間のうちに、協力を求められるところは求めてもいい。
勝つためにバーンズ家を使え。アキラはつまり、そう言っているのだった。
それこそが、ラララの求める『対等』の条件に繋がる。
タイジュはそれをしっかりと理解する。
「なるほど、今回は、俺の独りよがりによる負けということですね」
勝つために躊躇なく家族に頼ったラララと、そうしなかった自分。
その差が如実に現れたのが、今終えたばかりの『最終決闘』一本目だったワケだ。
「だったら、存分に頼らせていただきますよ。負けたままではいられないんで」
「ああ、そうしろ。条件をなるべく同じにして、言い訳のしようのない決着をつけろ。それが、結果的にはおまえ達の望みに繋がるんだろうからな」
アキラがうなずく。
彼が語った『望み』。自分の望みは無論、ラララに剣をやめさせることだ。
目を覚ましたときに見た、ラララの心配そうな顔。
彼女にあんな顔をさせたのは、自分が負けたこともあるが、やはり『剣』の存在。
ラララが剣など手にしていなければ、彼女があんな顔になることもなかった。
そして、ラララが剣を捨てたなら、今度こそ自分も剣を捨てる。
タイジュ・レフィードは、剣に何ら執着を持たない。剣は所詮は道具でしかない。
そこまで考えて、ふとした疑問が浮かぶ。
「なぁ、ラララ。ラララ・バーンズ」
「何だい、タイジュ・レフィード」
「……おまえはどうして、剣を握る?」
湧いた疑問は、それだった。
ラララが『出戻り』したあとも剣を握った理由。それを、聞きたくなった。
「コロシアムで言ったはずだが?」
「おまえのプライドの問題。俺に、おまえの剣を認めさせる。そう言ってたな」
「そうとも。このラララは異世界で君に敗れた。その記憶を忘れたわけじゃない。のどに刺さった魚の小骨のように、小さな痛みがいつまでも残り続けているのさ。だから過去の無念を晴らし、その痛みをなくしたい。それがこのラララの『望み』だよ」
「なるほどな……」
タイジュは、鼻先で今のラララの言葉を《《嗅ぐ》》。
少なくとも『嘘』の匂いはしない。彼女は本気でそれを言っている。だが、
「……それだけなのか?」
彼女は嘘を言っていないが、どうにもかすかな違和感が残る。
事実の匂いに覆い隠されている『真実』の匂いがあるような気がする。
「フフフ、鋭いじゃないか。さすがは我が最大にして終生の好敵手、タイジュ・レフィードだよ! だが、今の君は敗者だ。知りたいことを知れる立場にあると思うかい? 真実を知りたければ、口先や弁舌ではなく剣でそれをなしたまえ!」
「――そうだな。そこはおまえの言う通りだ」
全くもって、ラララの言う通り。全ては『剣』で押し通す。それが『剣士』だ。
聞くべきことは聞けた。ならば今は、もうこれ以上、ここに用はない。
「それじゃあ、マリクさん。明日でお願いできますでしょうか」
「ぅ、あ、は、はい……」
「ありがとうございます。では、今日はこれで失礼します」
最後に、マリクに約束だけ取り付けて、タイジュはホテルから去ろうと踵を返す。
だがその背中に、ラララが高笑いを浴びせかけてくる。
「ハァーッハッハッハッハッハァ――――! 待ちたまえ、タイジュ・レフィード! ここから去るのは勝手だが、その前にとても大切なことを忘れてやしてないかい?」
……とても、大切なこと?
さすがに無視できず、タイジュはラララの方を振り返る。
すると、そこには本日最高の輝きを放つ、ラララの超絶ドヤ顔があった。
「さぁ、好敵手よ、このラララの勝利を称賛してくれたまえ! 遠慮はいらない! このラララを褒め称え、褒めちぎり、褒めまくる権利を認めようじゃないか!」
何かと思えば、いつものだった。
異世界でもそうだ。
自分との斬り合いで勝つたび、ラララはこうやって周囲からの称賛を求める。
承認欲求の表れなのかは知らないが、タイジュはそれをただ無表情に眺める。
そして、いつも通りにこう返す。
「俺はおまえの剣を認めるつもりはないよ、ラララ」
「ついさっき、このラララに無様にも敗れたというのにかい、タイジュ?」
言い返されてしまうが、そこに対して反論はしない。事実だからだ。
「ああ、俺は負けたが、まだ一本目だ。この『最終決闘』は三本勝負で二本先取した方が勝ち。そう言い出したのはおまえだ、ラララ。忘れてはいないよな?」
「もちろんだとも、タイジュ。しかし、君はこのラララの剣を認めないと言うが、この『最終決闘』でこちらが勝ったなら、そのときはどうするつもりかな?」
「それが知りたければ、それこそ剣でなしとげろ」
「ああ、失礼。全くその通りだね。そこは、君の言う通りさ」
そして二人は、バーンズ家の皆が見ている前で、しばし睨み合う。
互いを憎からず思っているはずの、だが、決して交わることのない『剣士』二人。
「それでは、俺はこれで失礼します」
やがてタイジュがアキラたちの方に一礼し、今度こそホテルを出ていった。
途中、歩きながらタイジュは考える。
仮に『最終決闘』で負けたとして、自分はラララの『剣』を認めるのだろうか。
認めるべきなのだろうとは思う。しかし、自分の心がそれをできるかどうか。
それほどまでに、タイジュはラララが『剣』を握ることを嫌っている。
滅多に使うことのない『絶対』という単語を用いてしまうレベルで。
そんな自分が、ラララの『剣』を認められるのか。
もうそれは、彼自身、そのときにならないとわからないことであった。
「……あ、そういえば」
わからないこと、で、思い出した。
明日は学校だ。まだ田中から明日のお弁当のリクエストを聞いていない。
帰り道に買い物をしていくつもりだったので、聞いておかなければ。
タイジュは来た道を戻って、最上階へと上がる。
すると、そこから大声が聞こえてきた。ラララの声だ。
「もぉ~、あいつ何なのォ~! 私、勝ったのに、勝ったのにぃ~! もぉヤダァ~! お酒飲んでやるモンね~だ! ビールよ、ワインよ、ブランデーよぉ~!」
「ラララ」
「あ」
部屋に入って名を呼ぶタイジュ。それに気づいて、ビール片手に固まるラララ。
「…………」
「…………」
アキラ達も固まる中、二人はしばし無言のまま見つめ合う。
「明日のお弁当、リクエストはあるか?」
「……タコさんウインナー」
「わかった。あと、ハンバーグつけておくな。それじゃあ」
タイジュはうなずき、そのまま去っていく。
直後、通路にまで響くほどの声量で、ラララが絶叫する。
「もう、本ッ当に何なのよォォォォォォォォォォォォォォォォォ~~~~ッ!」
――『最終決闘』一本目、勝者:ラララ・バーンズ。




