第241話 一本目/二日前/その大樹は揺らがない
ラララ・バーンズがアキラとの間に一応の決着をつけた、その翌日。
「フッ、……フッ、……フッ、……フッ」
タイジュ・レフィードは、朝からひたすら木刀での素振りに打ち込んでいた。
素振り用に造られた幅広の木刀で、密度の高い木を使っており、かなり重たい。
この冬も近い時期に、彼は上半身裸で朝からそれを振り続けている。
時間にすれば、かれこれ二時間近くになるだろうか。
同じ中学生ながら、タイジュの体格はケントよりもかなり大きい。
そのため、肉付きもよく、未成熟ながら上半身はかなり精悍な体つきをしている。
そんな体で行なう素振りは、当初は力任せな感じだった。
木刀が空を切る音も鈍く、タイジュの呼吸音もそれに応じて大きかった。
しかし、一時間を超えた辺りから呼吸の音は小さくなり、素振り音も鋭くなった。
二時間経過した今、呼吸音は単音で、素振りの音はもはやない。
素振りの速度も上がって、素人目からは『目にも留らぬ動き』と化している。
こうなってくると、素振りを続ける意識の方にも変化が起きる。
最初は振ることに集中していた意識に、余裕が出てくるのだ。
そして起きるのは、脳内知覚の拡大。
体と意識は木刀を振ることに集中していながら、脳内では様々な情景が溢れ出す。
それに意識を向ける余裕が、今のタイジュには生まれつつあった。
最初に思い浮かんだのは、つい先日の『絶界コロシアム』でのことだった。
そこでの、ラララとのやり取りと、対決。
結局、そこでは決着はつかなかったが、のちに宿題は見せてもらったのでOKだ。
そこから連なるように、ここ数か月の記憶が次に浮かんでくる。
佐藤大樹として、田中楽々々と共に過ごした日常。
ラララは周りでは『田中の王子様』などと呼ばれている。
実際、女子人気も高いし、その評判からトラブルを呼び込むことも多い。
しかし、タイジュからすれば彼女は幼馴染の女の子、田中楽々々なのである。
家は隣同士で、庭で繋がっていて、家事と料理は分担制。
いわば、今の時点で田中と佐藤は半ば共同生活――、同棲しているようなものだ。
その日々に不満はないし、何より佐藤は『田中が好きな佐藤』だった。
今まで、幾度彼女に告白したか、その回数はもはや自分でも数えきれない。
呼吸するのと同じレベルで、佐藤は田中に告白している気がする。
今のところ、色よい返事をもらえたことは一度もないが。
一体何が悪いのか、それを悩んだこともある。『出戻り』前の話だ。
自分が不愛想で無表情なのが悪いのか。
それとも、田中より料理が上手なのがプライドを傷つけているのか、など。
今となってはそれも懐かしい思い出。
こうして『出戻り』して、自分はラララに嫌われていないと知った。
それでも、彼は変わらず『田中が好きな佐藤』として、好意をアピールし続ける。
ただ、勘違いはしたくないと思っている。
ラララからの好意を、彼は確信できているワケではない。
普段、剣が絡まなければラララは自分に普通に接してくれている。
そうしてくれることが嬉しくもあり、同時に、自分を戒めるきっかけにもなる。
異世界でこそ、二人は夫婦だった。愛しい娘もできた。
しかしそれで調子に乗って、こっちでまでその関係性が続くと思うのは間違いだ。
だから、タイジュはこっちでもラララに己の好意を訴え続けているのだ。
それこそ『出戻り』する前と同じように。
二人の関係性は、生まれたときから始まった。家は隣で、同じ産院、同じ病室。
生年月日まで同じで、周りはそれを奇跡だ、運命だとか言って持て囃した。
ずっと一緒に過ごして、当然のように仲良くなって。
彼女を好きだと思ったのは、いつの頃だったか。
本人が覚えていないくらい前から、佐藤大樹は田中楽々々が好きだった。
そして、ロクでもない親のせいで中学になった頃、ロクでもない運命を辿った。
自分だけでなく、ラララまでも一緒に。
あっちで、二人は前世の記憶を取り戻すことはなかった。
それでもタイジュはラララにまた恋をして、彼女もその想いに応えてくれた。
ただし、応えてもらうまでおよそ18000回近い殺し合いがあったワケだが。
それはもう、異世界だからそうなった、としかいえない。
日本では別に、タイジュもラララも剣道も剣術も学んでなどいなかったのだから。
異世界での彼女は、バーンズ家の五女として生まれた。
一方で自分は生まれも定かでない戦災孤児で、アキラの傭兵団の傭兵に拾われた。
ザイド――、ザイド・レフィード。
異世界におけるタイジュの養父であり、当代の『剣聖』でもあった男だ。
彼は幼いタイジュを拾ってから、早々に魔剣術を叩き込み始めた。
そこにラララが加わったのは、割と早い時期だったと記憶している。
異世界では蘇生アイテムがあり、死の価値が低かった。
それもあって、ザイドは早くから自分とラララに実剣を持たせて、斬り合わせた。
最初こそ忌避感にさいなまれたが、それも一年もしない間に慣れてしまった。
ラララを斬り殺すことも、ラララに斬り殺されることも。
十歳になる前に、互いの死亡回数はすでに五百回を超えていたように思う。
今から考えてみると、明らかに常軌を逸してる。
しかし当時は、言葉よりも触れ合いよりも剣こそが二人の対話用ツールであった。
切っ先と切っ先で、自分とラララはコミュニケ―ションを取っていた。
それこそ十代の頃は、寝ても覚めても斬り合い斬り合い。そんな日々だった。
本当に、どう考えても尋常ではないし、正気の沙汰ではないが。
ただ、タイジュは好んでラララを斬ったことは一度もない。
一度も。そう、18000回近い斬り合いの中で、たったの一度も、だ。
ラララの方は、やたら好戦的でいつも自分に突っかかってきた。
しかし、自分はその真逆。
タイジュの方からラララに挑んだことはない。全て、彼が挑まれた側だ。
誰が、好きこのんで愛する女を切り伏せたいと思うものか。
異世界でも、十歳になる前から常に、タイジュはラララに対して伝えてきた。
――剣を捨ててくれ。
と。何度も何度も。
ときに彼女の心臓を抉り、ときに彼女に腹を抉られ、そのたびに訴え続けた。
しかし、結局それは『あの日』まで一度も受け入れられることはなかった。
あの日、異世界での最後の一戦――、『最終決闘』のそのときまで。
当時はすでに自分達は『連理の剣聖』と呼ばれていた。
攻めに特化した『斬魔剣聖』のラララと、守りに特化した『守護剣聖』の自分。
あの『最終決闘』は『真の剣聖』を決めるための戦いでもあった。
その時点での戦績は完全に五分で、この一戦こそが本当に自分達の運命を決めた。
ギリギリで、本当にギリギリの差で、何とかタイジュが勝利を掴んだ。
薄氷一枚の差、いや、もっともっと遥かに薄い紙一重。
今、思い返しても、よくも勝てたものだと感心する。
そして、ラララはその一戦を境にきっぱりと剣を捨てて、自分と結婚してくれた。
そこからは、幸せな日々が続いた。
一人娘のエンジュも生まれ、相変わらず戦続きだったけど、本当に幸せだった。
そうして『剣聖』の称号もエンジュが受け継ぎ、自分達は天寿を全うした。
それから『出戻り』し、今、自分はここで素振りをしている。
脳内に浮かぶ情景を見つめつつ、思考はそこに戻ってくる。そして疑問が浮かぶ。
何で自分は、こんなことをしているのか。
別に剣道も剣術も学んでいない。これから先、習う予定もない。
それなのに、二時間以上も素振りして、汗を流し、体を鍛えている。
何故だろうという疑問への回答は、もちろん『ラララが挑んできたから』だ。
魔剣術など誰も必要としていないこの日本で、ラララが剣で自分に挑んできた。
それこそ、結婚する前のように。
剣を手にして、喜々としながら自分を切り刻もうとしてくるのだ。
無論、応じる以外の選択肢はない。
ラララが望むなら、黙ってそれに応じるのがタイジュという男だ。
だが同時に、ラララに対して『剣を捨てること』を求めるのも忘れない。
そもそもタイジュは、剣自体に大した思い入れはない。
異世界でも養父から学んで最も使い慣れていたから使っていただけに過ぎない。
剣技を誇るつもりはなく、道具以上のものとして見たこともない。剣は剣だ。
だから、ラララさえ剣を捨てれば、自分もさっさと放り投げるだろう。
結局、タイジュ・レフィードはラララ・バーンズに寄り添えればそれでいいのだ。
ただ唯一、ラララを斬りたくはないので、彼女が剣を続けるのはイヤだが。
それでもラララが『剣士』として挑んでくるのならば、仕方がない。
しかも、三本勝負とはいえラララ側から『最終決闘』を望まれたのならば。
「……今度も、俺が勝たせてもらうぞ、ラララ」
そして、今度という今度こそ、彼女には剣を捨ててもらう。
タイジュ・レフィードの中に『ラララの剣を認める』という選択肢は存在しない。
それは、それだけは、何があっても揺らぐことはない。
タイジュ・レフィードは揺らがない。
その名前の通りに、不動の大樹として、ラララの前に立ちはだかる。
――『最終決闘』一本目開始まで、あと二日。




