第226.5話 魔剣術を継ぐもの、二人
話は、アキラがオードの『命運』を喰らう数分前にさかのぼる。
「魔剣式――」
「――魔剣式」
とある部屋の中、躍る少女と、立つ少年。
その手にはそれぞれ、西洋長剣に似た剣と、日本刀に似た曲刀。
磨き抜かれたその刃に、魔力の光がボゥと浮かぶ。
そして少女は威勢よく技を叫び、少年は静かに技の名を口にする。
「六道之弐――、天道、瞬飛士烙草ッ!」
「六道之伍――、地道、金剛羽々斬」
次の瞬間、その少女――、ラララ・バーンズの姿がその場から消失する。
透明化の魔法、などという小細工ではない。
魔剣六道と称される異世界における魔剣術六大主流派が一つ、天道・瞬飛剣。
その技の特徴は、強化魔法を活用した圧倒的高速機動剣術である。
誰よりも速く動いて斬る。
それのみに特化した、先手必勝を旨とする剣術だ。
今とて、ラララがタイジュに向けて繰り出した斬撃、実に三十七。
あらゆる角度から放たれる斬撃を身に浴びれば、細切れとなることは必定だろう。
だというのに、タイジュは動かない。
ただ、しっかりと構えた異面体であるハバキリの剣先だけが、ゆるりと動いて、
「コォ――」
呼吸は一度。
その間に、金属同士がぶつかる甲高い衝突音が、三十七度。
「……チィッ!」
次にラララが姿を現したのは、タイジュの間合いから外れた場所だった。
「悪いなぁ、ラララ。その程度じゃ俺は崩せないよ」
軽く煙が上がるハバキリを肩に担いで、タイジュはラララの方を向く。
彼は、ラララが放った神速の三十七連撃を、最小の挙動で全て防いでみせたのだ。
タイジュが使ったのもまた、魔剣六道が一つ、地道・金剛剣。
何と攻撃技が一切ないという、受けと捌きに特化した防御専用の魔剣術である。
「ハァーッハッハッハッハッハァ――――ッ! いいとも、許すよ。何故なら君はこのラララの最大の好敵手である、タイジュ・レフィードなのだからね! この程度の小手調べで倒れられたら、それこそこのラララの沽券にかかわるよ!」
「そっかー」
愛刀シラクサを好きなく構え、高らかに謳うラララに、タイジュの返答は短い。
しかし、そこからさらに彼は続ける。
「俺はおまえの友人止まりなのかー。彼氏がいいんだけどなー」
「だぁ~まぁ~れぇ~よぉ~ッ!」
ラララの姿がまた掻き消える。タイジュのハバキリがゆらりと動く。
キキキキキキキキンッ、と、その場に弾ける剣劇の音、今度はその数二十六度。
斬りかかるラララの刃をタイジュが刃で受け止めて、両者の動きが止まる。
交差する互いの異面体の刃越しに、真顔のラララと笑顔のタイジュが向かい合う。
「このラララが、最大の好敵手だと、今、言っただろうがァ!」
「俺は、おまえの彼氏がいいなー、って、今、言ったぜ~?」
「うるさぁ~~~~ッい! 反論不許可ァ~~~~! 瞬飛士烙草ァ!」
「はいはい、反論不許可不許可~、金剛羽々斬」
ラララの繰り出す超速斬撃百連を、タイジュは鉄壁の防御で全て防ぎきる。
二人とも軽くやっているように見えるが、周りには無数の斬撃痕が刻まれている。
さらにそれは、衝突音が響くたび、次々に増えていく。
「さすがにやるじゃないか、タイジュ! ならばこのラララもギアを上げよう!」
「ところで、田中、宿題やった~? 数学の。俺まだなんだよね~。どうしよ」
「ギアを上げるって言ってるだろ、佐藤ォォォォ! 帰ったら見せてあげるから!」
「やったぜ。じゃあがんばろっと」
顔を赤くして怒るラララに、タイジュは口元だけで笑みを浮かべて剣を構え直す。
なお、二人とも本来の年齢はケントと同い年だったりする。中学は違うが。
「魔剣式――」
「――魔剣式」
二人の剣に宿る魔力の質が、違うものに変わる。
ラララのシラクサに宿る魔力は、より鋭く、より尖って、より攻撃的に――。
タイジュのハバキリに宿る魔力は、様々な色が混じり込んだ、万色の魔力に――。
「六道之四――、破道、斬象士烙草ッ!」
「六道之参――、彩道、属性羽々斬」
ラララが、一気に突っ込んでいく。
速度は先刻よりずっと遅くなっているが、刃の魔力が激しい唸りを上げている。
「わ~、こわいこわい」
タイジュはその場から動かず、無表情のまま言って、ハバキリを床に突き刺す。
「地属性、塊牙烈」
ドォンと重い音がして、床から岩の牙が上に突き出す。
人の背丈ほどもあるそれが、ラララに向かって押し寄せた。
「ええい、邪魔だァ――――ッ!」
しかしラララはシラクサを一閃。
それだけで、頑強なはずの岩の牙がスッパリ断たれる。
「そ~れ、次は風だぞ~。風属性、風雷螺」
岩の牙を乗り越えたラララに襲い掛かる、雷撃混じりの突風。
100m超の風速を誇るそれも、ラララはシラクサの一閃で斬り散らしてしまう。
「小細工だぞ、タイジュ・レフィードォ――――ッ、ぉ、おおおおお!?」
勇ましく叫び、踏み込もうとしたところで、ラララは足を滑らせた。
何と、今、彼女が踏みしめた場所が、軽く凍りついていた。それが滑った原因だ。
「水属性、水霧明。気づかんかったろ?」
「ああ、気づかなかったさ。見事なモノだよ、タイジュ。しかし、このラララもこのまま無様に転げるようなことはしないとも! このラララは、ラララなのだから!」
身を傾がせて転びそうなラララだが、そこからあえて自ら前に出る。
そして、勢いのみで体勢を整え、素早く前転してタイジュとの間合いを詰めた。
「タイジュ・レフィード、覚悟ッ!」
立ち上がってのち、最小挙動での振り上げからの振り下ろし。
タイジュはそれを見上げて、
「あ、ごめん」
振り下ろされたラララの刃は、のん気に見上げているタイジュの身をすり抜けた。
「あれッ!?」
「俺もう、そこにいないわ。それあれな。火属性、陽炎身な」
いつの間にか、タイジュは部屋の中の全く違う場所に立っていた。
今、ラララが斬ったのは魔法による分身。しかも、ただの分身ではなく――、
「もぉ~、またタイジュの残身に引っかかったァ~!」
「いや、避けないと死ぬし。斬象剣をブンブン振り回すな。心臓に悪いってば」
地団駄を踏むラララに、タイジュが表情を変えずに言う。
ラララが言う残身は、気をもってその場に己の気配を残す魔剣術の基礎技法だ。
日本の武術にも同名の用語があるが、それとは全く内容が異なっている。
そして、タイジュが言った斬象剣とは魔剣六道が一角、破道・斬象剣を指す。
ひたすらに『斬ること』飲みを追求したその技は、魔剣術でも最強の威力を誇る。
金剛剣でも受けきれないと判断し、タイジュは使う技を切り替えた。
それが、魔剣術でも最も多彩な技を誇る魔剣六道が一角、彩道・属性剣であった。
地水火風+光闇、合計六属性の魔力を用いる、まさしく千紫万紅たる魔剣術だ。
「……やれやれ、仕切り直しだ」
「まだやるのかー? そろそろ時間も稼いだし、やめない?」
「や・め・な・い! 今日こそこのラララは君と決着をつけるのだからね!」
「その『私が勝つまでやめません宣言』を、俺は今まで何回くらい聞いたかなー」
「今日こそは、今日こそはー!」
「そうやってムキになってるところも可愛いぜ、ラララ。付き合おうぜ」
「うるさぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~いッ! ――勝負ッ!」
よたび、ラララが瞬飛剣に切り替えて、超高速の連撃を繰り出す。
タイジュはその場より動かず、気配をスッと沈めて金剛剣でそれを受け止める。
今度の激突は、これまでとは違っていた。
剣戟の音が、途切れない。
百を超え、二百を超え、三百を超え、四百に達しても、まだ止まらない。
あらゆる角度、あらゆる高さ、あらゆる方向から、ラララは斬撃を重ねていく。
それを、タイジュは一歩も動かず、だが足以外は全て動かして捌き切る。
タイジュの周りに刻まれる斬撃痕が瞬く間に数を増やしていく。
だが、タイジュの足元だけは全く傷ついていない。まるで台風の目のようだ。
「――くッ!」
先に音を上げたのは、ラララだった。
ちょうど千回目の斬撃を防がれたのち、彼女は飛び退いて大きく間合いを空ける。
「さすがだよ、相変わらずの堅牢さだ、タイジュ・レフィード!」
「そっちこそ、相変わらずの技のキレだな、ラララ・バーンズ」
かつて夫婦であった剣士二人が、互いに剣を構えながら相手を称賛する。
そして、タイジュがラララに告げた。
「ところで明日の弁当は何がいい? あ、昨日の卵焼き、甘すぎたかな。ごめん」
「今、真剣勝負の真っ最中でしょ、日常会話は自重してよ、佐藤ォ~~!」
「卵焼き……」
「甘すぎませんでした美味しかったです! 無表情に落ち込まないでッ!」
「やった。嬉しい。次もがんばる」
「だからって無表情に喜ばないでッ! 期待はしてるけど空気読んでェ~~!」
何ともこなれたやり取りをするこの二人、生まれたときからのお隣さん同士だ。
つまり、二人は日本でも正真正銘の幼馴染であった。
「っていうか、もうやめないか、田中楽々々?」
「フン、何故だい? このラララに負けたくないからかな、タイジュ・レフィード」
「そうじゃなくて、今さら魔剣を極めて何をするっていうんだ。俺達は二人とも『出戻り』して、ここは日本だぞ。戦争なんてないし、魔剣術の使いどころもないだろ」
「…………」
告げて、構えを解くタイジュに、ラララは一気に表情を不機嫌なモノに変える。
「俺達は、それぞれ魔剣六道のうち三つを極めた。俺は、一、参、伍の奇数術を、おまえは弐、四、六の偶数術を。そして呼ばれるようになったじゃないか。剣聖って」
「そうだね。確かにこのラララと君は、異世界では剣聖と呼ばれたよ。ただし、本来あるべき『剣聖』の称号は、六道全てを極めなければ得られないものだろう?」
ラララの語る通りである。
戦乱続く異世界で、魔剣術を極めた者は強大な一個戦力として数えられる。
それは俗に『剣聖』と称され、周囲から畏怖と尊敬を集めた。
だが、ラララとタイジュは、どちらも単独では『剣聖』になれなかった。
二人とも、攻防の一方に気質が偏り過ぎていたのだ。
ラララは攻撃に寄り過ぎで、タイジュは防御に寄り過ぎていた。
結果、二人は二人一組の『剣聖』――、『連理の剣聖』と呼ばれるようになった。
「蔑称だよ、あんなものは。ひどい侮辱だ。罵倒と何も変わらないさ」
だが、ラララはその称号を全く受け入れなかった。
「君は悔しくないのかい、タイジュ? 剣士としての高みに達することはできないと言われたに等しいんだよ、このラララと君は。それが、悔しくないのかい?」
「いや、別に。俺は好きだぞ。『連理の剣聖』っていう称号。いいじゃないか」
かすかに口元を綻ばせるタイジュに、ラララはゆっくり目を見開いていった。
そして、シラクサを握り締める手がかすかに震え出す。
「……タイジュ・レフィード。君がそんなだから、このラララはッ!」
「って言われてもな、俺は変われないよ。俺は変わらず、田中が好きな佐藤だよ」
「黙れッ、このラララは、今度という今度こそ、君に――」
ラララが床を蹴ろうとしたそのとき、建物が大きく揺れた。
そして、二人がいる部屋にも、真っ黒な空間の亀裂が走って、崩壊が始まる。
「――ここまでか」
「……そうみたいだな」
互いに剣士としての鋭い嗅覚と感性によって、この空間の終わりを察知する。
ラララの手から、シラクサが消えた。タイジュもその手からハバキリを消し去る。
そして彼は、軽く髪を掻きながらラララを諫めようとする。
「戻ったら、おまえ、ちゃんと親父さんに謝れよ。何かものすごい焦ってたし、また変な茶々でも入れたんだろ? そういうのやめろってあっちで何回も言ったろ~?」
「うるさいな。……このラララは、パパちゃんに会うつもりはない」
だが、腕を組んだラララの答えは素っ気ないモノで、タイジュは少々意外だった。
「何だよ、会わないのか? せっかく家族に再会できたのに」
「このラララは、他のバーンズ家とは違う。家族なんてものにうつつを抜かして、自らの腕前を錆びつかせるなんて愚かなことをするつもりはないのだよ」
素っ気ないというよりも、このセリフは明らかに言い方が『冷たい』。
タイジュが、若干、顔つきを真面目なモノにする。
「あのさ、ラララ。さすがにそれは俺はどうかと思うよ? さっきだって言ったじゃんか。この日本で剣の強さにこだわっても、特に意味なんてないんだぞ、ってさ」
「黙れ、タイジュ・レフォード!」
急速に空間の崩壊が進む中、激昂したラララの声がタイジュの言葉を掻き消す。
「私はもう、おまえには負けない! 前世ではおまえに負けて『女』としての生き方を選ばざるを得なかったけど、こっちでは負けない! 私は、今度こそ一振りの輝ける刃になるんだ! 誰にも負けない、最強の剣になるんだ! だから――」
「俺と一緒になったの、そんなにイヤだったのか……?」
「ぁ……」
今度は、タイジュの悲しげな顔にラララの方が言葉を途切れさせられた。
ハッとする彼女は一瞬だけ辛そうに顔を伏せながらも、すぐに表情を引き締める。
「君との生活は、幸せだった。……でも、これはそれとは話が違う。このラララの、剣士としてのプライドの問題なんだ。このラララは、今度こそ、君に勝ってみせる」
「わかったよ、じゃあ、気が済むまで付き合ってやるさ。前と同じにな」
向き合う幼馴染二人。そしてかつてのライバルで、かつての夫婦で、今も幼馴染。
結局のところ、互いにその瞳には、相手しか映っていないのだった。
「ところで田中さ、親父さんにRAIN教えておくけど、おまえのも教えていい?」
「別にいいよ」
「あ、それはいいんだ……。ラインがどこかわかりにくいわー」
そして『絶界』は崩壊し、二人は現実世界に帰還した。