第226話 オード・ラーツ死すッッッッッッッッ!
最初に西村黄人を襲った不幸は、後頭部への激痛だった。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
こことは異なる『絶界』の様子を映す大型ディスプレイにバヂッと火花が散る。
それに驚き、彼は絶叫して、彼は大きくのけぞった。
本棚が立ち並ぶ部屋の中、座っていたのはゲーミングチェア。
だがのけぞった拍子に、金具がバキンと壊れ、椅子は彼の体を支えきれなくなる。
「わ、わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~!?」
後ろにひっくり返る自分をどうすることもできず、黄人は床に頭を打ちつけた。
ガヅッ、と、固く鈍い音が、本棚だらけの汚れた部屋に響いた。
黄人の脳髄に白い爆発が起きたかのような衝撃。
彼は無様に悲鳴をあげながら、両手で頭を押さえてのたうち回った。
「いぎぃあああああああ! あぁっ! ぎゃあああああああああああああああ!」
床に転がっているコンビニ袋が黄人の体に潰されて、腐った生ゴミが溢れ出る。
彼の部屋の中は、まるで金鐘崎家の当初の様子のようだった。
そこかしこにゴミが積まれ、剥き出しの床には飲み物がこぼれた跡がある。
窓は締め切り、雨戸も締めっぱなしで、すっかり空気の中に腐臭が馴染んでいる。
そんな場所で転がり回ったから、黄人の体も腐ったゴミにまみれる。
元々、もう一週間以上も風呂に入っていなくて、彼自身が臭いこともあるが。
「ひぃ、うひぃ……」
やっと痛みが落ち着いてきた。
しかし、涙が浮かぶその目が次に目の当たりにしたのは――、
「本……」
自分に向けて倒れてくる、文庫本がぎっしり詰まった本棚だった。
「ぅ、ああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
悲鳴をあげる彼の上に、本棚と大量の文庫が倒れ込んだ。
その重圧に、黄人は自分の中からバキバキと何かが折れて砕ける音を聞く。
本棚の一番重い箇所が彼の脇腹を直撃し、アバラを砕いていた。
「ああああ、ぁぁ……ッ! ひぎゃあああああああああああああァ――――ッ!?」
走る激痛は、後頭部を襲った痛みの比ではなかった。
体を激しく動かしたい。しかし、のしかかる本棚の重さが、彼にそれを許さない。
身動きが取れない状態で痛みを感じ続けるしかないのだ。
剥き出しの神経に焼けた金属を押し付けられたかのような、熱く染みる激痛。
生来、何かを我慢したことのない黄人にとって、それは地獄の責め苦に等しい。
何も考えられず、大きく開けた口から悲鳴を迸らせ続ける。
何で、何が、どうして、何でこんなことにッ!?
尽きぬ激痛の中にあって、彼の心の一部がどうしてもそれを考えてしまう。
自分は、ここまで上手くやってきたはずだった。
三年前に就活に失敗して、黄人は家から追い出された。
彼が『出戻り』したのはその数日後。
ヤケになってとあるバーで暴れたときに、そこにいた暴力団の組員に刺された。
誰も彼を助けてくれようとはせず、そのまま失血死。
そして、西村黄人はオード・ラーツとしての記憶を取り戻した。
それから彼は『黒幕にして元凶』として、幾つかの小規模なイベントを開催した。
場所は天月市。
この県のワルがひしめく、底辺連中の吹き溜まり。
開催したイベントはことごとく成功したが、黄人は少しも嬉しくなかった。
もっと大規模で、もっと悪趣味で、もっと無残なイベントを彼は手掛けたかった。
企画の運営はいい。好きだ。
その企画に巻き込まれる人間の運命を、自分が握っている気分になれる。
だからオードは、イベントを企画するのが大好きだった。
どこから噂を聞きつけたのか、かの組織『Em』が勧誘してきたのは二年前。
他に『出戻り』の存在も驚いたが、それ以上に彼は『Em』の理念に魅せられた。
異世界の技術や魔法を使って、社会を裏側から牛耳る、もう一つの『国』。
即ち、日本ではただの一般人でしかない自分が、実質的に国を支配する側に回る。
何と、壮大な野望であろうか。
何と、甘美な口説き文句であろうか。
この世界には魔力がない。
つまり、自分達以外の誰も、異世界の技術をコピーすることはできない。
どれだけ優れていても、こちらの世界の人間は魔法も使えない。
どんな大企業の社長も。
どんな大国の指導者であろうとも、だ。
この世界の人間はちっぽけで、弱くて、何もできない。
それに比べて自分はどうだ。
魔法を使える。異面体も使える。魔法のアイテムだって豊富に揃えている。
西村黄人は『Em』の勧誘を受けてようやく気付けた。
自分こそが、支配する側。真の上級国民は、自分のような存在なのだと。
黄人は幼少時から要領が悪く、親に叱られ、担任に怒鳴られ、疎まれ続けてきた。
そんな彼の肥大化した承認欲求を満たしてくれたのが『Em』だった。
現在『Em』のパトロンは世界中に多数存在している。
彼らは『出戻り』ではないが、しかし多額の資金を投資することで見返りを得る。
それは例えば、災いから身を護る古代遺物だったり、魔法のアイテムなどだ。
魔力がない世界だからこそ、実在する魔法には飛びついてくる。
それに加えて、一年ほど前から『Em』は動画配信サービスを開始した。
企画者はオード・ラーツ。
彼は持ち前の企画力により、アイテム提供以外のサービスプランを用意した。
それが『絶界』内でイベントを開き、リアルタイムで視聴させるというものだ。
これがウケた。バカウケした。
金のある人間ほど様々な趣味や遊びもやり尽くし、ヒマを持て余す。
そんな人間達に、地球の現実を越えた異世界の光景は、それはそれはウケた。
特に、悪趣味なモノほどウケがよかった。
品行方正な人間など、やはり数は少ないものだとよくわかる。
そんな中で、これまでに最大にバズったのが『転生者殺し合いトーナメント』だ。
自分の異面体である『涯盗螺』を使うことを前提とした企画だ。
ガイトラは『人の記憶と時間を外部に抽出する能力』を持つ。
それによって、対象を設定した年齢にまで退行させられる。
その状態で、殺し合いをさせ、優勝者も最終的に殺す。それがこの企画だ。
ミソは、あえて優勝者に記憶を取り戻させて、オードへの攻撃を誘うことにある。
そのとき初めて、優勝者はオードが『絶界』にいないことを知る。
そして、無限復活ゴーレムとのエクストラバトルで、あえなく散る。
これをリアルタイムで見物できるのだから、視聴者は興奮するしかないだろう。
過去三度のこの企画の成功によって『Em』のパトロンの数は急増した。
オードが加わる前まで百人いるかいないかだった数が、今や二千人を超えている。
その意味で、オードの企画者としての腕前は確かなものだった。
けれども、オードが最も嬉しかったのは企画が成功したことではない。
あの人に褒めてもらえたことだ。
自分を『Em』へと誘ってくれた、あの人。
燻り続けた西村黄人に『本当の自分の価値』を教えてくれた、あの人。
オード・ラーツは、あの人に忠誠を誓っている。あの人のためなら死ねる。
あの人のためなら自分は苦労をいとわない。どんな企画でも成功させてみせる。
今や、あの人に喜んでもらうことが、オード・ラーツの存在意義だった。
だから、今回はこれまで以上に発奮していた。8人だった参加者を16人にした。
あの人に「期待している」と言われたのだから、頑張るしかない。
そうして彼はいつも通り、古代遺物を用いて近隣から参加者を募った。
天月市を中心に、宙色市と他の幾つかの街から、ランダムで『絶界』に召喚した。
条件は『出戻り』か、『出戻り』をする可能性のある人間。
過去最大の規模で開催される、殺し合いトーナメント。
参加者も最大なら、視聴者数も最大で、今回でついに千人を超えてしまった。
これは『Em』に出資しているパトロンの半分に至る数だ。
それだけに、オードもいつも以上に張り切っていた。モチベーションも高かった。
だが、今回の参加者の中には、最悪の異物が紛れ込んでいた。
少女M――、ミーシャ・グレン。
そして少年A――、アキラ・バーンズ。
この二人の存在が、オードが積み上げてきたものを台無しにしてしまった。
そして、今、彼は自分の部屋で本棚の下敷きになっている。
「が、ぁ。っ、ぁぁ、あぁ……ッ!」
痛みが激しすぎて、ロクに声も出せない。身動きも取れないから助けも呼べない。
そして、彼の不幸は、まだまだこれで終わらない。
「ぇ……」
見えてしまった。
本棚が崩れたのをきっかけに、他の本棚までもが傾ぎ、倒れようとしている。
「ま、待って、待って、ッッ、ま、待っ……!」
二つ、三つ、四つ、大きな本棚が彼の上に次々倒れ、重なっていく。
「ぃぎゃあああああああああああああああああああああああああああッッ!?」
急激な上からの加圧に、オードのアバラがさらに砕け、内臓も潰れる。
叫ぶ彼の口から、ゴボゴボと濁った血液が込み上げ、溢れてきた。
少しも動けない。
しかも、本棚の重量に左腕と右足がへし折れた。激痛が、絶えず彼を襲い続ける。
涙が流れ、開いたままの口から情けない喘ぎが垂れ流される。
「ぁぁぁぁぁ~、ぅあ、ぁぁぁ、ぁぁッ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ~……」
股間は、前も後ろもビッショリ濡れている。
鼻を衝く異臭は、部屋に漂うゴミの匂いだけではあるまい。
何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、どうして、何で――。
ボロボロになった彼の頭の中を満たすのは、そんな疑問ばかり。
「何で……?」
泣きながらポロリと漏らした問いかけに、だが、答える声があった。
自分の部屋のすぐ外。雨戸を閉めてある窓の前にいるようだ。
「仕方がないことだ、オード・ラーツ」
「ぁ……ッ」
この場に、聞こえるはずのない声だった。
しかし確かに聞こえた。とても深みのある、老練さを感じさせる達観した声。
オードが聞き間違えるはずがない。
それは、自分を『Em』へと誘ってくれたあの人の声だ。
「ぁ、あ……、ぼ、僕は……ッ」
「よい。君はよくやってくれたよ。頑張ったな、オード・ラーツ」
あの人が、自分にねぎらいの言葉をかけてくれた。
それだけで、オードは自分を襲う痛みや不幸を忘れられた。夢心地になれた。
しかし、
「君という人材を失うのは惜しいが『金色符』を失うことに比べれば、まだ軽い」
「…………え?」
突然告げられた、切り捨ての先刻。
動けずにいる彼の上を、フワリと浮いた金色の金属の板が横切っていく。
「これは『Em』でも特に重要な遺物なのだよ。悪いが、回収させてもらう」
「ぁ、た、助け……」
「それは無理だ。君の『命運』はすでに尽きている。ここで助けても、君は死ぬ」
声の主がそう告げると、浮いていた『金色符』がフッと消えた。
「『金色符』の回収は終わった。君とは、これで最後の別れになるな、オード・ラーツ。今までありがとう。我が『Em』に対する君の貢献を、私は決して忘れないよ」
「ぁ、ぁ、ぁあ、す、捨てないで……」
「さらばだ」
溢れる涙のまま訴えるも、だが、声の主はオードに応えなかった。
そして、窓の外から人の気配が消えて、彼が次に見たのは、
「ぁ、ぁぁ、ああああ……、火が……ッ!」
部屋に広がっていく、激しく盛る火の手だった。
彼が倒れた際、壊れたディスプレイから飛んだ火花が、近くの文庫に火をつけた。
一度ついた火はあっという間に広がって、オードの部屋を燃やしていく。
見捨てられた絶望に、全身を蝕む痛みに、さらに今度は炎の熱までもが加わる。
『俺の右手に『命運』を喰われた者は、程なく死ぬ。ただ死ぬんじゃない。数多の不運と不幸が一気に押し寄せて、苦しんで死ぬことになる』
あのガキが言っていたことは、本当だった。
自分はこれから死ぬ。熱さと痛みと絶望に精神を壊されながら、死んでいく。
「ぃ、やだ! やだ! 死にたくない、いやだ! し、死にたくない、死にたくない! こんな死に方はイヤだ! こんなみじめな死に方だけはァ――――ッ!」
絶叫するその叫びは、いつか彼自身が聞いたトーナメント参加者の断末魔と同じ。
オードはそれを逆襲されない場所から、数百人の視聴者と共に見ていた。
しかし、アキラ・バーンズは、そんな同レベルでは収まらない。
あの少年は『やられたらやり返しすぎる男』。本当の仕返しはむしろここからだ。
「……ぇッ、えぇ!?」
オード・ラーツは目を疑った。
周りを赤い炎に包まれ、高熱に晒された自分の指先が、《《白い炎に焼かれている》》。
「な、何だこれッ! な、な、ぁ、あ……! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァ――――ッ!?」
――『亡却劫火』。
あっという間にオードの全身を包んだその純白の炎こそ、仕返しの真骨頂。
不運を招き、不幸に遭って、最後は存在を根底まで焼かれて消える。
それこそ、アキラに『命運』を喰われた者の末路。
彼を心底怒らせた者に下される、不運と不幸と亡却の結末。
そして、存在を焼かれながら、オードは最期に叫ぶ。
それは愚かしいほどの忠誠心に裏打ちされた、あの人に対する未練の表れだった。
「ァァ、ァァァァァァッ!、キ、キリオ様ァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」
その日、世界中で千人ほどの人間が消えてなくなった。
だが、その程度で人類社会が揺らぐことはないので、大した問題ではなかった。




