第223話 三分間ほど、抱きしめさせてください
戦いが続いている。
さっき、左腕が斬り飛ばされた。
ああ、骨を砕かれて動かなくなっていたところだ、なくなって清々した。
これで、右腕の動きだけに集中できる。
血もだいぶ流れて、意識も少し混濁していて、だが集中力はますます尖っていく。
ミーシャ・グレンは、真っ赤に染まっていた。
その名の通り、紅蓮を思わせる鮮やかな血の色で、全身が彩られている。
当然、そこに敵の血はない。
相手は全て、無機質なだけの作り物の人型。血など流れていない。
「ハァ――――ッ!」
その敵に向かって、ミーシャが『百髏器』の銃を撃ち放つ。
銃声は、五度。
当たって、当たって、当たって、当たって、当たった。
すべて同じ場所。ゴーレムの瞳部分。
そこに突き刺さった弾丸が、ゴーレムの中枢を破壊して機能停止に追い込む。
先刻とは比べ物にならない攻撃精度だ。
それだけ、今のミーシャは『殺すもの』として研ぎ澄まされている。
「……アハァ♪」
笑みが浮かぶ。
ゴーレムであっても、やはり仕留めたとなると心に悦が生じる。
顔に張り付く笑みは、まさしくアキラが対峙したときのミーシャのもの。
殺害を求め、殺傷を好んで、殺人を愛好し、殺戮に酔いしれる、殺意の権化。
己の『真念』が『殺意』である以上、彼女は殺すことからは逃げられない。
一度は人であろうとした。二人の友が、自分を『人間』にしてくれた。
そして子を預かった。
血の繋がりはないけれど、それでも世界に等しいほど愛しい子だった。
それから『出戻り』をして、その子が本当の息子になった。
嬉しかった。いとおしかった。何よりも何よりも、その子の幸せだけを願った。
だけど、殺しかけた。
殺しかけた。
殺しかけた。
あれほど愛した我が子を、自分はそうとわからず、殺す寸前にまで追いやった。
彼は、あの人は、一目で自分の娘を思い出したのに。
自分は、同じ親であるはずの、この金鐘崎美沙子という人間は――――ッ!
「アハァ、アハハハハハハハハハハッ! アハハハハァァァァァ――――ッ!」
笑いながら、無限に迫ってくるゴーレムの群れを、見えない弾丸で撃ち抜く。
首には『封獄の環』。完全回復魔法は使えない。
満身創痍で、左腕は千切れ、アバラもグシャグシャで、呼吸一つで激痛が走る。
『何でだよ、もうボロボロだろうが! 何でまだ生きてんだよ! 死ねよ、死ね! もう死ねよ、死んじまえよォ! 何で死なないんだよ、おまえェ――――ッ!』
スクリーンの向こう側で、オード・ラーツが喚いている。
その様が面白くて、ついつい、笑いが漏れてしまう。ゴーレムを壊すのも面白い。
そう、そうだ。これこそが自分だ。
心なんて余計なものは、全て、温かい血と一緒に流れ出してしまえばいい。
親になんてなろうとしたのが間違いだった。
自分は『殺意』の権化。殺すもの。人を骸に変えて遊ぶ、生きる資格のない存在。
それでいい。それがいい。そういうものだと、割り切ってしまえばいい。
そうすれば、そうすれば――、ああ、アキラ。
ごめんね、ごめんね、アタシの子。こんなどうしようもない母親で、ごめんね。
せめて、自分がオードを殺す。そのための装置に、今からなってみせる。
自分を『殺意』で染め上げるんだ。そうして自分の異能態で、あの男を殺すんだ。
そうすればやっと、少しだけ、親としての務めを果たせる気がする。
こんな自分でも、こんな、殺すことしかできない自分でも、あの子のために……!
そのあとのことは、もう何も考えない。
ただ、今は血よ、流れてしまえ。そしてこの身を冷やせ、凍えるほど冷酷に。
「アハハアハハ、アハハハハ! 残念だったねェ、オード・ラーツ。そんなトコロからじゃ、アンタは直接アタシを殺せやしないだろ? でもね、アタシは殺せるのさ。アンタがどこにいても、アタシはアンタを殺せるんだよ! アハハハハハッ!」
『う、うるさい、できるものか! そんなこと、できるモノかよォ――――ッ!?』
ああ、面白い。
おののくオードの顔が痛快だ。見ていて楽しい。精々怯えろ。
そう、もうちょっと。もうちょっとだ。もう少しで『殺意』は極まる。
自分の中の温かなものが全て抜け落ちて、あとに残るのは冷たい『殺意』だけ。
金鐘崎美沙子は消える。代わりに、ミーシャ・グレンが完成する。
それでいい。そうすることでようやく、こんな自分でも、あの子のために――、
「あ」
足元にできた血だまりに、足が滑った。
それは、血を流しすぎたがゆえの失態で、ミーシャの身が、大きくかしぐ。
『今だ、やれェェェェェェェェェェェェェェェ――――ッ!』
ここぞと言わんばかりに、オードが大声を出して命じる。
そして、ミーシャを囲むゴーレムの群れが、様々な武器を手に一斉に襲いかかる。
「……アハハ」
漏れる笑いは、自嘲のそれ。
いい感じに『殺意』も高まっていたのに、最後の最後にやってしまった。
やはり、相手がゴーレムなのがいけなかったか。
ミーシャ・グレンはあくまでも、人を殺すことに特化した『殺すもの』だから。
自分が戦える時間の限界なんてとっくの昔に超えていたワケだ。
ああ、ここまで来て、何というつまらない失敗だろう。
ここで、自分は終わるのか。
あのゴーレムの群れに蹂躙され、八つ裂きにされて、肉片と化すのか。
悔しい。屈辱だ。無念だ。自分の無力さが恨めしい。
親にもなれず、人を殺すものにもなれず、何者にもなれないまま、ここで死ぬ。
自分という存在は、一体何だったのか。この生に意味はあったのか。
「悔しいねぇ」
背を壁にもたせ、ミーシャは呟く。
そして、覚悟を決めて目を閉じ、思い浮かべるのはあの子と、かつての夫と、
「……ごめんよ、シンラさん」
諦めの笑みを浮かべる唇から漏れる、その名前。
せめて最後に言葉を交わしたかった。そう思っている自分に、今さら気づく。
ああ、そうか。何てこと。
こんなときにやっと自覚した。そう、自分はとっくにあの人のことを……。
…………。…………。…………。
…………。…………。…………?
「ぇ、あ、あれ……?」
覚悟を決めてから五秒以上、未だ生きている自分に、ミーシャは疑問を抱く。
そして、閉じていたまぶたを開けてみれば、そこにはまぶたに思い描いた彼の顔。
「…………シンラ、さん?」
シンラが、自分の背中を盾にして、ゴーレムの攻撃からミーシャを庇っていた。
彼の額から流れる血が、一滴零れて、彼女の頬に落ちる。
それを指で拭い取り、シンラは言った。
「もうやめましょう、美沙子さん」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
硬直するミーシャの身を、シンラはその両腕で包み込むようにして抱擁する。
「三分間ほど、抱きしめさせてください」
「ぁ……」
耳元に、ミーシャの小さな声が聞こえる。
シンラが腕の中に納まったミーシャの体は、とても細く、小さく感じられた。
しかも、少しでも力を入れれば、彼女はすぐにビクリと身を震わした。
それは間違いなく、痛みに対する反射的な反応。全身が、壊れかけている証拠だ。
そして、抱きしめるシンラからは、肘から先がなくなった彼女の左腕も見える。
痛ましい。あまりにも痛ましい姿であり、状況であった。
「やめて……」
腕の中で、ミーシャが小さく呟く。
「やめて、シンラさん。ゴ、ゴーレムが、攻撃が……!」
「ああ、それでしたら」
振り下ろされた刃が、シンラの背中を深々切り裂いた。
「気にするまでもありませんよ、美沙子さん」
ハンマーが振り下ろされて、槍が彼の肉を抉り、銃弾が片の裏側に突き刺さる。
激痛が走る。激痛が走る。激痛が走る。
三十秒も経たずに、彼の背中はズタボロになって、そこに血だまりを作る。
「ぃ、いや、いや……、やめて、シンラさん……ッ!」
「大丈夫です、この程度。それよりも美沙子さん、少し、お話をしましょう」
背中を襲う衝撃と激痛を強引に意識から追い出し、彼はミーシャに笑いかける。
ミーシャは、目に涙を浮かべて、彼を見上げて、続けて呟いた。
「何で、何で……?」
「それは、こっちのセリフですよ。何故、こんな無茶を。何か理由でも?」
震える彼女に、優しく、柔らかい調子で問いかける。
するとミーシャは、涙を浮かべながら、声を震わせて答える。
「ァ、アタシにはもう、これしか、できることがないから……」
「これしか、とは……?」
「異能態……、アタシの、『殺意』の、力……」
ここで初めて、シンラはミーシャがしようとしていたことを知る。
そして、彼女が異能態を使える事実に加えて『真念』が『殺意』であることも。
「……そんなバカな。あなたの『真念』が『殺意』、ですって」
「アタシは、一度封印、したんです。自分の『真念』を……、人に、なりたくて」
ゴーレムの攻撃を、自分の背中で受け続けながら、シンラは彼女の言葉を聞く。
そして、そのニュアンスから、ミーシャの異能態が彼女にとっての禁忌だと悟る。
「でも、でも、アタシは人には、なれなかった……」
ミーシャの声がさらに激しく震えて、濡れてくる。
「アタシ、あの子を、アキラを殺しかけちゃった……。記憶がないからって、あの子を、だ、誰よりも大事なあの子を、アタシ、アタシ……ッ! 殺しかけて……!」
人になりたくて『殺意』という『真念』を捨てた、ミーシャ。
その彼女が、愛する息子を殺そうとした。
結果的に殺さずに済んだとはいえ、その事実は彼女にとって、果てしなく重い。
「ぁぁ……」
ミーシャの声からそれをわずかなりとも感じ取り、シンラは声を漏らす。
ゴーレムの群れは、なお激しくシンラを攻め立てる。
しかし、そこに感じる痛みも、今、ミーシャを苛むものに比べれば微々たるもの。
自分が抱きしめる小さな彼女は、その内にどれだけの痛みを抱え込んでいるのか。
「アタシ、あなたみたいな立派な親になりたかった……」
「余の、ような……?」
問い返すと、ミーシャは彼の腕の中で控えめにうなずいた。
「だってシンラさんは、ひなたちゃんのことを、すぐにわかったから。それなのに、アタシは、あの子に、アキラに呼ばれるまで、わからなくて。ァ、アタシは……!」
「――――ッ!?」
消え入るような声でのミーシャの吐露に、シンラは愕然となった。
何ということか。
自責の念に駆られるあまり、ミーシャ・グレンはとんでもない勘違いをしている。
自分が、風見慎良が、立派な親?
この自分が、この、ついさっきやっと自分を取り戻せた、情けない男が?
目がくらむかのような感覚に陥りかけた。
まさか、ミーシャ・グレンを追い込んだ一因を、自分自身が担っていたとは。
ギギギと、噛み締めた奥歯が激しい軋みをあげる。
胸の中に滾るのは、自己嫌悪――、いやさ、それを遥かに超える自己憎悪。
風見慎良。
風見慎良ッ!
おまえという男は、この人に、一体どれだけの迷惑をかければ気が済むのか。
ああ、こんなこと許せない。許されない。許されてたまるものか。
自分を襲う暴力の雨など、本当に些細なものでしかなかった。
ミーシャの感じた痛み。自分が感じさせた痛み。今の自分が感じる、心の痛み!
救わねばならないと思った。
自分を犠牲にしてまで、親であろうとするこの人を、今ここで、救わねば。
「美沙子さん、よく聞いてください」
「シンラさん……?」
シンラは、告げる。
「ひなたが死にました」
「え……?」
ミーシャの目が、その言葉に大きく見開かれる。
「ひなたが、死にました。そして『出戻り』しました」
「そ、そんな……」
呆然としながらの呟きののち、ミーシャの震えが激しくなる。
「そうさせないために、アタシ達は、ここまで。なのに、ど、どうして……ッ」
「ひなたが、それを選んだからです」
冷静さを欠こうとするミーシャに、だが、そう語るシンラの声は冷静そのもの。
「あの子は、ずっとそれを望んでいたのです。そして、それを阻んでいたのは、ほかでもない余であったのです。愚かにも『ひなたの父親』という『役割』に囚われた」
「『役割』……?」
「美沙子さん、余は、あなたが思うような立派な親などではないのです」
ゴーレムの群れに囲まれ、ミーシャを抱きしめたまま、彼は話し始めた。
風見慎良の出自と『役割』について。
二つの世界を通して、ただただ『役割の奴隷』であり続けた自分自身について。
「記憶をなくした風見慎良がひなたに気づけたのは、そうすることでしか己を保てなかったからなのです。あの男は、断じてひなたを愛してなどいなかった……ッ!」
「シンラさん……」
語るうち、苦しさが増す。けれどそんな苦痛、やはり大したものではないのだ。
「わかりますか、美沙子さん。余は、あなたが思うような理想の親などではないのです。子供の望んでいることの一つもわからない、愚鈍な人間なのです。ただ『役割』を果たすことだけしか能のない、子への愛情があるかどうかもわからぬ――」
「それは、ありますよ……」
「え――」
「アタシは、見てました。だから知ってます。シンラさんは、確かにひなたちゃんを愛していましたよ。だから、ひなたちゃんもシンラさんが大好きだったんです」
そう言って、ミーシャはシンラに向かってニッコリと笑いかける。
血にまみれた顔なのに、その笑顔はとても魅力にあふれ、シンラの心臓が跳ねる。
「ならば、それと同じセリフを、余もあなたに言いましょう」
「アタシに……?」
「あなたは、あなたを捨ててはならない」
決然と告げたその一言に、ミーシャの瞳が、また潤む。
「でも、アタシは、あの子の親にはなれなくて……ッ」
「そんなことはない」
涙声になるミーシャへ、シンラは、はっきりとかぶりを振った。
「我が子のために、ここまで傷つきながら親であろうとしたあなたが、人の親として相応しくないはずがない。あなただけが、あの人の母親に相応しい人なのです」
「シンラさん……」
ミーシャ――、いや、美沙子はシンラを見つめ、そしてその服をギュッと掴む。
「アキラは……、アタシを、許してくれるでしょうか? アタシはまだ、あの子の母親でいていいんでしょうか? あの子の幸せを願う資格があるのでしょうか?」
「許すに決まっている。いいに決まっている。あるに決まっている!」
力を入れて、声を荒げ、美沙子に強く断言して、最後にシンラは叫ぶ。
「金鐘崎アキラの母親は金鐘崎美沙子だけなのだからッ!」
それを耳にした瞬間、美沙子の双眸から、涙が溢れた。
「ありがとう、シンラさん……ッ、ぁ、ありが、とう。ぅ、あああああああああああああああ、ぅぁああああああああああああああああああああああああッ!」
号泣する美沙子を、シンラが強く、強く抱きしめる。
「共に踏み出しましょう、、美沙子さん」
そして語りかけるその言葉は、どこまでも優しく、慈しむように。
「余は、己を縛り続けた『役割』より、あなたは封印し続けた『殺意』から、共に踏み出し、新たな道を進むときが来たのです。ひなたがそれを余に教えてくれました」
「はい……、はいッ!」
うなずく美沙子を抱きしめて、なおゴーレムの暴力に耐えるシンラ。
その周りに、少しずつ、少しずつ、力が渦を巻き始める。
『何なんだよ、おまえェェェェェェ――――ッ!? いい加減死ねよ! どれだけ責められてる思ってんだよ! いつまで立ってんだ、邪魔なんだよォ――――ッ!』
どれだけ叩かれても倒れないシンラに、オード・ラーツがいきり立つ。
しかし、シンラは彼が移るスクリーンを一瞥し、冷たく告げる。
「誰が、責められていると?」
『な、何を……? ぉ、おお? おおおおおおおおおッ!?』
シンラの言葉にオードはようやく気づく。
いつの間にか、ゴーレムの群れがシンラへの攻撃をやめている。そして、
「三分だ」
その一言を合図に、力の渦が一気に激しさを増した。
それは、黒い渦だった。しかし徐々にその色合いを変化させて、灰色を見せる。
「これは、白でもなく、黒でもなく、そのどちらでもある『人の色』だ」
現出する、輝きを持たない鮮やかなる灰色の王冠。
その身に纏うは灰色の鎧。その腰に帯びるは灰色の剣。羽織るマントも灰一色。
ただ、胸元に輝くダイヤモンドだけは、七色の輝きを放っている。
子供ではなく大人の姿に戻って、その腕に、同じく大人に戻った美沙子を抱いて。
「一緒に進みましょう、美沙子さん。人としての新たな道を」
「はい、シンラさん」
一切の動きを止めたゴーレム達の前で『人の色』に染まりしシンラが告げる。
「異能態――、『灰皇伐駕命』!」