第222話 血だまりの中に、陽だまりの匂いを感じて
試合場に続く、武器だらけの控室。
そこで、今、少年の姿をした彼が顔を伏せて棒立ちになっている。
その鼻先をくすぐる、この場にはあるはずのない匂い。
朗らかな、晴れの日に流れる風の匂い。
暖かな日差しの下でのみ感じられる、ほのかに心を柔らかくさせてくれる匂い。
――太陽の匂いだ。
「……お兄ちゃん」
起き上がった彼女が、そこに立つ少年を呼ぶ。
「そこにいるんでしょ、お兄ちゃん」
「ああ」
問われ、呼びかけられ、少年が顔を上げる。
「余はここにいるとも――、我が妹ヒナタよ」
「……『余』に戻っちゃった」
「あ」
血だまりから起き上がったヒナタ・バーンズに指摘され、シンラは声をあげる。
「う~む、さっきまでは『俺』がしっくり来ていたのだがな、どうにも今は『余』がしっくり来てしまう。何とも不可思議なものよな。されど、中身は変わらぬ」
「中身まで変わったら、それはそれでミステリーでしょ。誰よあなたって感じ」
4歳の身でありながら、ヒナタの喋り方はやたら流暢だった。
「フン、減らず口を。変わらぬな、おまえは」
「いいでしょ。そういうモノよ。……ところで、風見慎良は?」
「それは余の名であるが、先程までいたモノならば、もういない。消え果てたとも」
「結局、何だったの、アレ?」
「……『余』さ」
それは、言い訳のしようもない事実だ。
あれほど醜く、そして救いようのないモノであっても、それはシンラだった。
自分の中に隠れていた闇、愚かさ。それが表に出たに過ぎない。
「ふぅ~ん、つまり、お兄ちゃんはみさちゃんを傷つけるかもしれないんだぁ~?」
「然様。認めねばならぬ、余もまた、あの醜さを抱えているのだと……」
妹に指摘され、シンラ・バーンズは苦い表情を見せる。
しかし、その前で、ヒナタは「プッ」と噴き出していきなり大笑いし始めた。
「アハハハハハハ! アハハハハハハハハ! 何あり得ないことに悩んでンの!?」
「あ、あり得ないこと……?」
この妹の反応に、シンラはキョトンとなってしまう。
「だってそうでしょ。お兄ちゃんは、みさちゃんを傷つけるの?」
「そんなこと、あってたまるか!」
「ほら」
「……あれ?」
意識する前に口から出た言葉に、今度はシンラ自身が自分に対して首をかしげる。
「お兄ちゃんは、超えたんだよ。そういうの、たった今、克服したんだよ」
「余が、克服を……?」
「自分でわかるでしょ。ね、おとうさん? ね、お兄ちゃん?」
ヒナタが、笑ってシンラを見上げる。
二人の間に横たわる二つの関係性。それを出されても、シンラは何も思わない。
ああ、そういうものだな、としか思わない。
「――そうか」
そして気づく。ヒナタの、娘の、妹の言う通りだった。
少し前までならば、自分は『お兄ちゃん』という呼ばれ方に抵抗を示していた。
自分は『ひなたの父親』なのだから、と。
「……そうか」
その一言を繰り返して、シンラはうなずき、試合場へと続く通路を睨む。
「ヒナタよ」
「なぁに、お兄ちゃん」
「おまえに頼みがある。父上を、ここに連れてきてくれ」
「ん、わかったけど、お兄ちゃんは」
「余は、迎えに行ってくる」
「ちゃんと謝るんだよ? 優しくしてあげてね? みさちゃん、意地っ張りだから」
「フン、減らず口を」
そこに陽射しの匂いを感じながら、シンラは試合場へと歩みを進めていく。
聞こえるのだ。戦う音が。そして『あの人』の咆哮が。
――胸を、締め付けられる。
「シンラ・バーンズ、出陣する」
皇帝でもなく、ひなたの父親でもなく、何の『役割』も持たない一人の男として。
シンラは今こそ、己の心の中に住まう『あの人』のため、戦場へと参じる。
……美沙子さん。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ッだァァァァァァァァァァァァァァァァ――――ッ! ウッゼェ――――ッ!
「ガルさん、こいつら無限湧きするんだけどォ!」
『絵に描いたような物量任せよのう』
お袋を探さにゃならんのに、まぁ~、ゴーレムがやたら湧いてくる湧いてくる。
「邪魔だっつってんのォ! もォ~~~~!」
マガツラでブチ砕き、ガルさんでブッた切り、マガツラでブチ砕く。
でも、ダメ!
残骸はシュンと消えて、また新しく出てくるだけ!
さっきから、ジリジリ進めてはいるんだが、ジリジリしか進めてないんや!
こいつら、一体なんだ?
最初は単に俺を排除するためのガーディアンかと思っていた。
しかし、明らかに俺の足を止めに来ている。そういう挙動。
そこまで考えて、思いつく可能性に俺は戦慄する。
「俺を、お袋のところに行かせないつもりかよ」
ふざけやがって!
俺は、大規模攻撃魔法を解禁して、ゴーレムの殲滅を図ろうとする。
「消えてなくなれや、ボケがァ!」
しかし、デケェ一撃をお見舞いしても、それで倒れる数はたかが知れていた。
こいつら、弱いくせに魔法耐性がやたら高ェでやんの。めんどくせぇな!
「マガツラ! 全速全力、全撃全開でブッ壊せェェェェ――――ッ!」
『VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!』
場に、マガツラの咆哮が響き、俺はガルさんを振るってゴーレムを両断する。
しかし、倒しても倒しても、ゴーレムは減らない。
破壊した分は、即座に新しいものに移り変わる。
一体一体が大したことなくとも、これじゃあ進むのにも時間がかかる。
単体戦闘に寄りすぎてる俺じゃ打開は難しい状況。
だが、そんなことは言っていられない。このままじゃお袋が、消えてしまう。
焦りが募る。
「どけよおまえら! 俺は、お袋のところに行かなきゃいけねぇんだよォ!」
俺が、そう怒鳴った、次の瞬間だった。
「どいて、お父さん。邪魔」
どこかで聞いた覚えのある、つっけんどんな声。
そして、俺の鼻孔をくすぐる、心地のいい太陽の匂い。これは、まさかッ!?
「マガツラ、回避ィ!」
俺は近くにあった部屋に飛び込み、マガツラもその場から通路の端に避ける。
そして、ゴーレムがひしめく通路を、真っ白い光が満たした。
俺の肌をジリジリと焼く、圧倒的な光熱。
そして耳に届く、超高熱の中でゴーレムが蒸発する『ジュッ』という音。
光がやめば、もうそこにゴーレムは一体も残っていなかった。
あまりの高熱に、通路自体も一部が溶けて抉れている。やはり、この『威力』は。
「やっほ~、お父さん。元気してるぅ~?」
「……ヒナタ?」
「そだよ」
駆け寄ってくる幼女が、俺に二パッと明るく笑いかける。
その頭上には、轟々と燃え盛り、燦々と光を発している真っ白い、小さな太陽。
ヒナタ・バーンズの異面体――、天燦天。
強大な火属性と光属性の魔力を宿す『火にして陽』ヒナタの力の顕れ――、
バーンズ家でも最大最高の『威力』を誇る、我が家の最終兵器だ。
「……って、何で『出戻り』してんだよォ、おまえェ!?」
さっきまで『ひなた』だったじゃん!
この短い間に、一体何があったってんですかァ――――ッ!?
「シンラ、あいつ……!」
「あ、お兄ちゃんと『ひなた』とは合意の上の『出戻り』だから」
憤りを露わにしようとする俺に、だが、ヒナタはピシャリと言って制してくる。
「えぇ……」
何それ、どういうことよ……?
「あのねぇ、お父さん。そりゃね『ひなた』が可愛いのはわかるよ? でもね、あの子はずっとお父さんやお兄ちゃんと同じで『出戻り』したかったの。知ってた?」
「そ、そうなんですか……」
「ほらぁ~、自分も子供のクセにそうやって『ひなた』を子供扱いしてぇ~!」
あ、あれぇ~、何やら、叱られてしまいましたよ? 何でぇ……?
「そんなことより、お兄ちゃんから頼まれてるの」
「シンラから……? 何をだ?」
「えっと――」
ヒナタが言いかけたところで、また次々に転移してくるゴーレム達。
「邪魔」
ジュッ。
「うわぁ……」
でも全部、出現後三秒もせずにテンサンテンの大口径荷電粒子砲で蒸発しました。
やっぱ怖いわー、ヒナタのテンサンテン。威力が! 破壊力が! おかしい!
「お兄ちゃんから、お父さんを連れてきてって言われてるの」
「それは――」
「みさちゃんのところにだよ」
……そうか。
「わかった。連れていってくれ」
俺はうなずき、ヒナタに案内されて試合場へと向かう。
そして、走りながら思った。
きっと、シンラとヒナタの会話は言葉数は多くなかったのだろう、と。
昔からそうだった。
ウチの長男とこの末っ子は、どこか通じ合っているようだった。
「そうか。おまえも至ったか、シンラ」
呟く俺の前方で光がパッと瞬き、百を超えるゴーレムが一度に蒸発した。
ヒナタちゃん、こわぁ……。




