第217話 ラララちゃんは『敏感肌』
シイナ・バーンズの『目』が全てを見通すように――、
ラララ・バーンズの『肌』は自然ならざるものを感じとることに特化している。
それは、生来のモノではない。
剣士である彼女が経験した、常軌を逸した死の経験から備わったものだ。
ラララ・バーンズの異世界における死亡回数、実に17416+1回。
個性派揃いのバーンズ家でも、さすがにこの回数はぶっちぎり。
アキラですら生涯の死亡回数は彼女の5%にも及ばない。それほど突出している。
他の誰よりも『死』に接したことで、彼女は『敏感肌』を身につけた。
空気の質感から、わずかな気配の差異、生の空気、死の匂い。
ラララの『肌』は、その全てを感覚的に捉え、彼女に勝利への道筋を示し続ける。
今現在のラララの剣技の根幹をなす、彼女だけの『異能』である。
その『敏感肌』が、感じとってしまった。
「君、シンラの兄クンじゃないよね?」
美沙子の指示に従って、教わった部屋にやってきたラララである。
そこには確かに、少年と幼女がいた。
幼女の方は、ひなた。これは美沙子に聞いていた通りの特徴なので間違いない。
しかし一方で、少年の方。
こっちが問題だった。
シンラ・バーンズ。今は記憶がないから、少年S。
彼はひなたと違って『出戻り』のはず。同じ『出戻り』のラララなら判別できる。
だが、彼女にはわからなかった。
目の前の少年が、どうしてもシンラだとは思えなかった。
「誰だよ、君」
少年Sが、怯えるひなたを抱いて庇いながら、ラララを警戒の視線で突き刺す。
それはまるで、美沙子に対してやったのと同じように。
美沙子は愛想笑いで対応したが、ラララは困ったように肩をすくめて、
「このラララのことを覚えていないのは仕方がない。大目に見るよ、少年Sクン。しかし記憶がないとはいえ、仮にも家族をそんな目で見るのはいかがなものかな?」
「家族? 君が? 何の冗談だ。僕の家族はひなただけだよ」
「……君が風見慎良なら、まさにその通りだろうね」
顔から笑みを消して、ラララはそう返す。
このとき、すでに彼女は《《ことの真相》》をほぼ正確に把握していた。
だが、ラララにしてみればそれは些事に過ぎない。
美沙子ほどのショックは受けないし、それはそういうものだろうと納得する。
ただ――、
「君はそうかもしれないが、そっちのひなたちゃんは、また別だよ、少年Sクン」
「何を、言ってるんだ……?」
「あれ? わからない? 本当に理解してないの?」
「だからッ、何のことだよ! 君はいきなり、何を言ってるんだ!」
意味を理解できずに取り乱す少年Sに、ラララは再び笑って答える。
「ひなたちゃんはこのラララの家族だ、って言っているのさ。ね、ひなたちゃん?」
そしてラララの目は少年Sから、彼の腕の中で震えているひなたへと目を移す。
だが、小さく縮こまっている幼女は、その視線に身を震わせるばかりで、
「わ、わかんない……」
「ああ、だろうね。何せ君は今は記憶を失ってる。何もわかりっこないさ。でもね、ひなたちゃん。君が記憶を取り戻し、《《自分の願い》》を思い出せば、わかることだよ」
流れるような物言いで語るラララに、少年Sが険しい顔つきで立ちはだかる。
彼は、ラララとひなたの間に割って入ると、露骨に舌を打って、
「ひなたに何を言う気だ!」
「う~ん……」
それに、ラララは腕を組んで首をひねり、そしてまた肩をすくめた。
「悪いけどね、少年Sクン、このラララは今は君と話す気はないんだよ。いくら君が父親でも、ちょっと過保護が過ぎると思わないかい? ねぇ、ひなたちゃん?」
「うるさい! 僕はひなたの父親だ。ひなたを守って当たり前だろう!」
「ああ、うんうん。はいはい。そうだね、そうだろうね。君はそう言うだろうさ」
怒鳴る少年Sのことを、ラララはまるで相手にせず、鼻で笑う。
そして、その舌鋒が彼を鋭く貫いた。
「本当は君の方が守ってもらっている側だろうに、それに気づいてないとはね」
「な、何……?」
「君はどうやら、オード以上に道化の才に優れているらしいね、少年Sクン」
挑発、どころの話ではない。それはもはやただの罵倒でしかなかった。
少年Sは、顔を真っ赤にしてラララを睨みつける。その身からは殺気すら放ち。
「そういう反応にもなるだろうね、少年Sクン。何せ君は、単にひなたちゃんに『父親』という『役割』を任ぜられているに過ぎない。君も、気づいているんだろ?」
「……ぅ、るさい。うるさいッ!」
少年Sは、かぶりを振って必死になって否定する。
だがそれを、ラララは余裕綽々の顔つきでせせら笑った。
「図星を突かれたからって、そんなムキになるなよ。――『 の 』クン?」
「うるさい! ひなたの父親は、僕だけだァ――――ッ!」
逆上した少年Sが、ラララに向かって殴りかかろうとする。
壁をブチ抜き、黒い腕が突き出てきたのは、まさにその瞬間だった。
「なッ!?」
「おや?」
二人の顔が、同時にそちらを向く。
そして、壁がさらに外からの打撃で破壊され、その向こうから現れたのは、
「お? 何だおまえら、こんなトコにいたのか?」
アキラ・バーンズであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
話を聞きながら、金鐘崎美沙子は異能態の発動準備を開始する。
『――僕が所属してる『Em』は『出戻り』だけで構成された組織なんだ!』
オード・ラーツが、饒舌に語っている。
このイベントを主催した道化が属する『出戻り』の裏組織『Em』について。
『僕達の組織は闇の総合商社。あらゆる分野で商売をしているんだ。僕はイベント事業を担当していてね。こういうトーナメントを催して、世界に配信してるんだ』
語っている。道化が語っている。
それを、美沙子は「へぇ」とか「すごぉ~い」とか相槌を打ち、聞いている。
『同じ『出戻り』でもさ、やっぱり格差はあるんだよ。利用する側と利用される側の二種類に分かれるのさ! 僕達はもちろん、利用する側。つまり『上』の人種さ!』
なるほど、こいつらは人を食い物にして生きているのか。
それを理解して、美沙子の中に『殺意』が高まる。
『僕がこういうイベントを開催しているように、他にもいろんな分野で商売をしているよ。武器の販売、魔法技術の提供、錬金薬物の普及とか、様々さ。すごいだろ!』
なるほど、こいつらは道理も倫理もお構いなしに金を稼いでいるのか。
それを理解して、美沙子の中に『殺意』が高まる。
『君達みたいな子供はね、特に利用しやすくていい。ちょっと脅せばこっちに従ってくれるし、抵抗してきてもたかが知れてる。今回の興行だって大成功だったよ!』
なるほど、こいつらは子供という存在をそう見ているのか。
愛玩家畜にも及ばない、一山いくら程度の価値しかない、そう見ているのか。
それを理解して、美沙子の中に『殺意』が高まる。
『だけど、ときどき君みたいな拾いモノに出会えるから、この仕事はたまらないなぁ。やっぱり『出戻り』相手となると、荒事も多くなりがちでね!』
「戦力が欲しいんだ?」
『ああ、そういうことさ! できれば、育成の必要もなくて、腕がよくて、なおかつ人を殺すことに呵責や躊躇を覚えない、壊れた人間がいい。君みたいな、ね!」
「そっかぁ~、そうなんだねぇ~♪」
『そうそう、そうとも!』
道化は、自分の話にうんうん楽しそうにうなずく美沙子に上機嫌なようだった。
しかしその実、美沙子は何も楽しくなどなかった。
人を食い物にすることを自慢げに語る道化野郎に、『殺意』が増していく一方だ。
だが、それでいい。そうでなければ、自分の異能態は使えない。
何故なら、ミーシャ・グレンの『真念』は――、『殺意』。
コールタールのようにドス黒く粘ついた、人の死をこいねがう気持ちなのだから。
オードが語れば語るほどに、彼女の中に『殺意』は積み上がっていく。
それが限界を超えたとき、美沙子はミーシャに戻り、必殺の異能態を発動できる。
それで、オードを殺せる。
彼がどこにいようとも関係ない。殺せる。そういう異能態だ。
ただ、殺すことに特化した、最弱で最悪の能力。
心の奥底に長年眠らせてきた総天然快楽殺人者としての側面が、それを担う。
オード・ラーツの言葉は、一つだけ当たっている。
そうだ、確かに彼の言う通り、自分はまさしく『壊れたンンゲン』だ。
こういう形でしか、子供達を苦しめたことへの恨みを晴らすことができない。
そんな自分には、きっと、親である資格なんてない。
自分はやはり、殺人者だ。
人を殺す自分こそ、最も自分らしいのだろう。
アキラとの戦いでそれを痛感させられた。
日本に『出戻り』してきたのに、それでも自分は『殺す自分』でしか在れない。
ならば、もう、それでいい。
そういうカタチで、自分は子供達を守っていく。
「ごめんね、ひなたちゃん」
重なる罪悪感の果てに、呟きが漏れてしまった。
それを、オードは聞いていたようで、
『ん? 何か言ったかい?』
「いいや、別に。気のせいじゃないかねぇ』
『あ、あれ、口調が……』
もう、いいだろう。もういい。もう、この道化野郎の話も聞き飽きた。
十分だ。もう十分すぎるほどに、この道化に対する『殺意』が渦を巻いている。
「もうアンタの自慢話は聞き飽きたよ、オード・ラーツ」
『な、何で僕の名前……、ぃ、いや、おまえまさか、記憶が戻ッ……!?』
「詮索は自由にしなよ。どうせアンタはこれから、死ぬんだ」
殺す。
殺す。
殺してやる。
自分にアキラを殺させようとしたアンタを、アタシがこの手で殺してやる。
殺意。殺意。殺意。
心を黒く染めあげる、粘つく殺意。殺意!
ミーシャ・グレンがスクリーンへと向けて右手をかざす。
その肘から先に、黒い風が渦を巻き始めた。そしてそれは形を成して――、
「異能態――、『咬鳴百髏器』」
オード・ラーツが、目を剥いて絶叫した。




