第214話 一方その頃、ただのバツ2の金鐘崎美沙子さんは
ものすごい勢いで、少年Sに睨まれていた。
「……ひなたを撃ったね」
「だからぁ~、それはぁ~……」
「……ひなたを撃ったでしょ」
「え~っと、それはしょうがなくでぇ~……」
「……ひなたを撃ったじゃないか」
「ああああああああああ、説明を聞いてほしいんだけどなぁ~……!」
結論、らちが明かない。
ミーシャ・グレンこと美沙子は、自分の異面体を使って二人を一度気絶させた。
その後、物置らしき部屋に二人を運んで、そこを『異階化』させた。
そして起こしたのだが、途端、少年Sからバリバリの敵意を向けられてしまった。
ひなたは、少年Sがしっかりと抱きしめている。
それを見て、美沙子は再度事情を説明しようとする。
「あのねぇ、お願いだからこっちの話を聞いとくれよ、シンラさん」
「シンラ? 誰だよ、それ?」
その返答に、美沙子は『おや?』と首をかしげる。
まさか、記憶が戻っていないのか。
いや、その割にひなたに対する執着は明らかにシンラそのものなのだが。
「その子は?」
「ひなただよ。僕の娘だ」
あ、一人称が『余』じゃない。気づく美沙子。
「アンタ、ひなたちゃんのことは覚えてて、自分のことはわからないのかい?」
「わかる必要はないね。ひなたが僕の娘だってことがわかってれば」
シンラは、自分自身のことを思い出していない。
その事実を、今の返答から美沙子は確信する。その上で、重ねて問う。
「アキラは知ってるかい……?」
「……知らない。でも、変な感じがする。胸がザワザワする」
アキラのことをは覚えていないが、忘れ切ってもいないらしい。
ただ、ザワザワするというのが気にかかる。が、それはひとまず今は置いておく。
「アタシのことは覚えてるかい?」
「君、誰だよ……?」
少年Sから向けられるまなざしにあるのは、敵意。ただそれのみ。
疑念すらなく、鋭いばかりの敵意だけの彼の視線は、美沙子も初めて見るものだ。
「何だろうね、こりゃ。まさか、シンラさんにそんな目で見られるとはねぇ」
口では笑っているものの、胸の奥にはジクジクと疼くものがあった。
だけども、それは無視する。気にしたところで、現状ではどうしようもない。
「当たり前だろう。だって君は、ひなたを撃ったんだぞ」
「そうするしかなかったんだからそうしたんだよ。それ以外に方法はなかったのさ」
「簡単に言うなよ。何か他に――」
「ないよ。何もないさ。あの道化が、そんな優しい相手に思うのかい?」
美沙子が、少年Sの主張を真っ向から潰す。
それに、彼は反論できなかった。まさしくその通りであったからだ。
「それでも、君はひなたを撃ったんだ」
「わぁ~、本当にもう、わぁ~、って言うしかないさね、こりゃ……」
あくまでもそこにこだわる少年Sに、美沙子は苦い笑いを浮かべる。
だが、同時にこうも思う。
「でも、アタシはアンタが羨ましいよ、シンラさん。アンタはすごい人さ」
ひなたを前に、記憶も戻さず自分の役割を自覚した彼を、美沙子は尊敬する。
自分など、息子のアキラを散々に怖がらせ、挙句に殺しかけたというのに。
アキラが自分を呼ぶ声を聞かなければ、一体どうなっていたことか。
それを少し考えるだけで、背筋が凍る思いがする。
「本当に、アンタはすごい人だよ、シンラさん」
感慨を込めて呟いても、少年Sが美沙子に向ける目に変化はない。
「何だよ。僕を懐柔してひなたをどうにかする気か? そんなの通用しないからな」
全く、取り付く島もありゃしない。
美沙子は肩をすくめるしかない。ひとまず、理性に訴えるしかない。
「じゃあ、聞くけど、シンラさん。アタシの協力なしに、アンタとひなたちゃんだけでここから出ることはできるのかい? アンタ達は死んだことになってるのに」
「…………」
「ああ、そこはわかってるみたいだね。お利口さんさ。だから、今は大人しくアタシに従っとくれよ。近いうちに、アンタ達の記憶だって取り戻してやるさね」
語る美沙子を、少年Sはひなたを抱きしめたままジッと睨み続けている。
その眼光に宿る敵意は、美沙子がこれだけ説明しても、薄れることはなかった。
ただ、そこにかすかながらも別の光が混じり込む。
少年Sはひなたを抱っこしたまま、重々しくうなずいた。
「いいよ、わかった。従ってやる。ここから出るため、ひなたのためだ。仕方ない」
「そうかい。そりゃ、よかったよ」
「でも――」
ホッと安堵しかけた美沙子だが、少年Sの目つきが、そこで一層厳しくなる。
「記憶が戻って、ひなたを助けられたら、君には報いを受けてもらう。ひなたを撃った報いをだ。それは忘れるなよ。君は、僕の大事なひなたを撃ったんだ」
「……そうかい。わかったよ」
美沙子は、力のない笑みを浮かべて、そううなずく。
「ところでアタシの名前は金鐘崎美沙子ってんだけど、聞いた覚えはあるかい?」
「知らないよ。覚えていたくもない」
少年Sの答え方は、まるで吐き捨てるかのようであった。
「今のアンタは、本当にひなたちゃん以外に大事なものがないんだね」
「何言ってるんだよ、当たり前だろ。僕はひなたの父親だぞ。ひなただけが大事だ」
「うん、そうだね。そうだろうね」
全身殺気立たせている少年Sは、だが、気づかない。
自分の前に立つ少女の顔が、笑っているのに、全然笑えていないことに。
「いいかい、なるべくここを出るんじゃないよ。アキラから借りた金属符を、一枚だけ置いていくから、何かあったらこれを使って今みたいに『異階』に隠れるんだよ」
美沙子はそう言って、彼に予備の金属符を渡しておく。
記憶のない少年Sはそれを怪訝そうな顔で受け取る。文句は言ってこなかった。
「じゃあね。またあとで来るよ」
そして美沙子は、壁に貼り付けた方の金属符を剥がして、空間を戻した。
部屋を出て、ドアを閉めた彼女は、そのドアに背をもたせる。
「――ねぇ、シンラさん」
弱い声。呟き。そして――、
「やっぱりアタシは、アンタにとって、ひなたちゃんを守るための道具なのかい?」
そして、一粒のしずくが、地面に落ちた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼女は、夢を見ていた。
どこかもわからない場所で、フワフワと浮かんでいるような心地。
その中で、彼女は誰かから話しかけられている。
まだ幼い彼女には、それが誰なのかがわからない。少しもわからない。
ただ、不思議な感覚だった。
だって話しかけられているのに《《話しかけているようにも感じる》》のだ。
自分が自分に語っているかのような、現実にはあり得ない感覚。
だから、相手が何を言っているのかが、不思議と伝わってきてしまう。
彼女は相手に問いかけた。
――あなたは、だぁれ?
彼女は答える。
――わたしはひナた。風見ひなただよ。
幼い彼女は、普段は自分の意志を伝えることもままらならない。
なのにこの場では、それを明瞭に語ることができた。
――ねぇねぇ、わたし。
呼びかける。呼びかけられる。
問いかける。問いかけられる。
一体ではあるが、表裏でもある彼女と彼女。
同じ存在だけども、違う人生を歩んだ、彼女と彼女。
――ねぇねぇ、あなたはどうしたいの?
どうしたい。
どうしたいのかな。
どうしたいんだろう。
どうすればいいんだろうね。
わたしはわかる?
あなたにはわからないの?
それはきっと簡単な話だよ、と、あなたはわたしに答えを示す。
ああ、そっか、簡単な話だね、と、わたしはあなたに理解を示す。
――彼女は、夢を見ていた。《《いつもの夢》》を見ていた。
そして得られる結論は、いつだって同じ。
何度も何度も繰り返してきたその夢で、わたしとあなたは混じり合う。
そのたびに、願いを新たにする。結論を同じくする。
――早く、あなたに会いたいな。
彼女は未だ、彼女自身に出会えていない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ふぃ~、ガルさんの内部探査の結果、めんどくせぇことがわかったぜェ~。
「いねぇじゃん、あの道化野郎」
このコロシアムがある空間内に、道化野郎、いません!
「まぁ、その可能性は考えてたけどさぁ~……」
ジルーと同じタイプの人間だからなー、あの道化野郎。
反逆される恐れがある『絶界』にはいないかもしれない、という危惧はあったさ。
「居場所、わかる?」
『無茶を言うな、我が主。さすがにそこまでは俺様でもわからん』
だよなぁ~、クッソォ~!
ガルさんから『絶界』と現実は交信可能と聞いたときからイヤな予感はしてたさ。
そしたら全部、リモートじゃねぇか、あの道化がよォ~!
『さて、ここからどうする、我が主』
「どうするもこうするも、道化野郎がここにいねぇなら、手詰まりだろ」
この場にスダレがいれば、とか考えちゃうけど、いないモンなー!
でも逆にいえば、大手を振るってトーメントをブチ壊せるってことでも――、あ?
「…………」
『どうした、いきなり厳しい顔をして』
「いや――」
感じるものがあった。
虫の知らせ、風の便り、言葉にするならそんな感じで。
それが、いたく俺の心をささくれ立たせた。
「何してんだよ、シンラ。おまえ」
『……我が主?』
「何でもねぇ。何でもねぇさ。行こう、ガルさん。もう少し探そう」
そして俺達は通路を足早に歩きはじめる。
このとき、俺は明確に気づいたワケじゃなかった。
お袋とシンラの間に生じつつあった『軋み』を、まだ認識できていなかった。
俺がそれに気づくのは、一つの決定的な『別れ』を経たあとの話だ。