第212話 総天然快楽殺人少女、軽やかに舞う
少年Sは記憶を取り戻したわけではない。
ただ、娘を前にして最低限の『自分の形』を取り戻しただけだ。
目の前の幼女は、自分の娘であるひなた。
そして自分は彼女の父親である少年S。名前は思い出していない。
だが、彼にはそれで十分だった。
ひなたに寄り添い、彼女を笑顔にする。それこそが自分の生きる目的だから。
殺して勝って生き残るという目的は、速攻で霧散した。
自分の命など、この子の命の前には無価値。
だが、ひなたはまだまだ幼く、自分の死を見れば傷つくことは必至。
ゆえに少年Sは生き残る必要がある。
彼の中の価値基準は、現時点をもって全てひなた中心に再定義される。
ひなたを傷つけない。
ひなたを悲しませない。
それを目的として、全力を注ぐ生き物となったのが、今の少年Sであった。
ゆえに――、
「すいませーん、ひなたと僕は棄権しまーす」
子供同士の殺し合いなんて、やってられるワケがなかった。
片手でひなたを撫でつつ、もう片手を高々挙げて、降参を宣言する。
『棄権~? 何言ってんの? 片方死なないと出られないってば!』
「はぁ、そうなんですね」
イラつきを声ににじませる道化に、少年Sは気のない返事をするだけ。
そのまま、彼はひなたを抱き上げて、笑って問いかける。
「ひなたは僕のこと、覚えてる? 自分のおなまえ、言えるかな?」
「ん……」
ひなたは、どちらの問いも首を横に振った。
やはり、記憶を失っている。それでも父を求めたのは、心に焼き付く残照からか。
「わかったよ。大丈夫、僕が助けてあげるから、ね?」
「……うん」
まだ恐怖の色は強いが、ひなたはこくんとうなずいた。
その様子が可愛くて、こんな場なのに少年Sは娘に頬ずりをしたくなってしまう。
『おい……』
「さて、それじゃあ出口を探そうか~。これだけ広ければ、どこかにあるかも」
道化の呼びかけを無視して、少年Sは娘を連れて出口を探し始める。
もの言わぬゴーレムの客が見ている中でのそれは、なかなかシュールな光景だ。
『コラ、おい……!』
「う~ん、壁にはなさそうかな~。ちょっと叩いて音を聞いてみようかな~」
道化の声など聞こえてないそぶりを見せて、少年Sは壁をコンコンと叩いていく。
手に伝わってくるのは、中までぎっしり詰まった硬質な手応えだ。
『聞けよ、オイ! コラ! 聞けって!』
「ん~、下は砂が撒いてあるけど、地下への入り口とかあったりしないかな?」
道化などそこにいませんよ~、言わんばかりのシカト具合。
少年Sは今度は地面の砂を払おうとしてくしゃみ一発。ひなたに笑われてしまう。
「アハハ、ごめんねぇ~」
『聞けよォオォォォォォォォォォォォォォ――――ッ!』
ひなたと一緒になって少年Sが笑ったところで、道化の絶叫がこだました。
それにひなたがビクッとなったので、少年Sは途端に不機嫌そうな顔つきになる。
「ちょっと、うるさい」
一声だけ返し、少年Sはまた地面の砂を払って出口を探し始める。
『一言で話を終わらすなよォォォォォォォォォォォォ――――ッッ!』
「はいはい、あとでね。あとであとで」
丸無視。シカト。耳を傾けるつもり、一切なし。清々しいほどに。
「今はひなたとここを出る方が先決なんで、出る方法教えてくれるなら話を聞くよ」
『ぉ、教えるワケないだろぉ~!?』
「はぁ、とんだ期待外れ。全く、役に立たないなぁ~……」
「よしよし、げんきだしてー」
「うおおおおおお、元気デタ~~~~!」
ガックリ肩を落とす少年Sだが、愛娘になでなでされて現金にも即立ち直る。
それを見てひなたがキャッキャとはしゃぐので、つい彼も笑顔を浮かべる。が、
『もォいいィ――――ッ! おまえらみたいなガキ、いらないよォ~~~~!』
ついに、道化がキレた。
そして少年Sとひなたを囲むように、次々にゴーレムが転移してくる。
『僕のイベントの邪魔をするなよ、クソガキィ~! グチャグチャのミンチにして、せめてもの盛り上げの足しにしてやるよォォォォォ~~~~!』
「…………」
ひなたを抱き上げながら、少年Sが道化の憤怒の声を聞く。そして答える。
「人をミンチにすると殺人罪だよ? 知ってる? 頭平気? 病院行けば?」
『ウガァァァァァ――――ッ! このクソガキィィィィィィィィィ――――ッ!?』
道化は、もう道化らしさなどかなぐり捨てて、ブチギレまくる。
しかし少年Sはそんなことに耳を傾けるヒマなどないので、ひなたを撫でていた。
重い足音を立てて、十を超えるゴーレムが二人に迫る。
さすがにこれは分が悪すぎる。頭の良い少年Sはそれを理解していた。
しかし、道化がひなたを怖がらせるのでつい煽ってしまった。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしにぇッ!』
「噛んだ。ダッサ」
『ああああああああああああああああああああああああああァァァァ――――ッ!』
道化はもう、言葉にならないようだった。
ゴーレムの群れが迫る。少年Sがひなたを庇うように前に出る。
ひなたは、怯えた顔つきで彼の足にギュッとすがった。
「おとうさん……」
「大丈夫だよ、ひなた。別に怖くないさ」
少年Sの言葉に根拠はない。しかし、彼の声に恐怖の色がないのも、また事実。
二人はジリジリ後退し、いよいよ壁の際まで追い詰められた、そのとき――、
「ちょっとぉ~、誰の許可得て人の獲物を奪ろうとしちゃってるワケ~?」
場の雰囲気に似つかわしくない、明るい声。
そして、ゴーレムの巨体を踏み台にして、一人の少女が空中に舞う。
現れたのは、Aブロックの勝者である少女M――、ミーシャ・グレンだった。
彼女は両手に拳銃を持って、颯爽とゴーレムを飛び越える。
『な、な……?』
「君は……」
「ぇ……」
道化、少年S、ひなたと、三人共いきなりの彼女の乱入に、完全に虚を突かれる。
しかし、そんな格好の隙を、この総天然快楽殺人少女が見逃すはずがない。
「はい、おやすみなさァ~い。ズッキューン、バッキューン!」
立て続けに二度の銃声。
そして、少年Sとひなたは、揃ってその場にクタリと崩れ落ちた。
『ぇ、な、ぁ、あれ……?』
「これでおしまい~! この試合の勝者、アッタシィ~~~~!」
全然理解できていない道化に、乱入者の少女Mは勝ち名乗りを上げる。
『な、何してるんだよ、おまえェ~!?』
「え~。ダメだったぁ~? だって変な騒ぎで勝つ機会と殺す機会が減るなんてヤダもぉ~ん。だったら、アタシの手で殺しちゃおって思っただけだもぉ~ん」
腰に巻いた革製のホルスターに拳銃をしまって、少女Mは身をくねらす。
『…………アハ』
しばし呆けていた道化が、元の調子で笑い声を漏らす。
『アハハハハハハハ! イイなぁ~! 君、本当にイイなぁ~! いいよいいよ、特別だ! Bブロック第二試合の勝者は少女M~! フルーツも選んでいいよ!』
「やったぁ~! あ、それと、この死体、もらっていっていいかな~?」
『え、さっきの少年Aの死体は?』
「えぇ~? あんなの、もうとっくにボロボロだよぉ~。壊しちゃった♪」
軽くテヘペロする少女Mに、道化はしばし言葉を失ったようだった。
『あ、ぁあ、いいよ。死体なんて僕はいらないから、あげるよ……』
「わぁ、ありがとぉ~! またお人形さんごっこしちゃお~!」
そしてゴーレム達が転移して消える中で、少女Mは二人の死体を引きずっていく。
「あぁ~、キッツ。本ッ当に嫌気が差すさね……」
途中、彼女が笑みを消して漏らしたその呟きを聞く者は、誰もいなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――全て、観客席から眺めていた。
「いや~、見応えありましたね~」
『飛び出す寸前だっただろ、我が主……』
そんな事実もないこともないですが、結果オーライなのでそんな事実はなかった。
「それにしても俺、死体損壊しちゃってるらしいですよ、ガルさん」
『実際、三十分以内に二回死んでるからなー、貴様』
「笑うわ~」
まぁ、お袋が乱入したおかげで、シンラとひなたはことなきを得たか……。
『美沙子様は、本当に拳銃を撃ったのか?』
「いんや、手に持ってた拳銃に弾丸は入ってなかったはずだぜ」
だが、銃声は轟いた。俺のところまでハッキリと聞こえた。
「使ったのは『百髏器』。お袋の異面体さ。別異世界でも見たろ?」
『おう、記憶内の武器を透明な形で具現化するというアレか。なるほど、実際に撃ったのはそっちか。だが、銃は銃なのではないか? シンラ達は大丈夫なのか?』
「問題ねぇよ、その辺は」
お袋のトドロキは、派手でこそないが非常に取り回しがよく扱いやすい異面体だ。
「ただ弾丸を撃つだけじゃない。あのトドロキは、相手の耐性を無視してバッドステータスを叩き込むことができるんだよ。目に見えない弾丸を介してな」
『なるほど、麻酔銃を使ったようなものか』
ま、そういうことだな。
シンラとひなたについては、ひとまずこれで確保はできたと見ていい。
本当はひなたはこっちが確保する予定だったが、あの流れじゃ仕方がない。
それにしてのシンラ君は、子供の頃の煽りグセが再発してますねぇ。
いや、実際に子供の姿なんだからそれはそれで仕方がないんだが。
『で、我が主、こちらはどう動くのだ?』
「ひとまず待機。その間にガルさん、このコロシアムの内部探知、頼めるか?」
喫緊の目的だったひなた確保が叶った以上、こっちは少しばかり余裕ができた。
ならば、拙速より巧遅を選ぶのも悪くはない。確実性を重視しよう。
『できなくはないが、広さによっては相応にかかるぞ?』
「構わん構わん。とにかく、あの道化野郎の居場所を突き止めておきたい」
あの手のタイプは用心深いからな。
俺の脳裏に浮かんでいるのは、厳重すぎる異面体に引きこもっていた錬金術師。
間違いなく、あの道化野郎も同じタイプ。身の安全は確保してるはずだ。
それを考えると、一つの可能性も浮かび上がってくる。
だが、それは今はいい。まずはコロッセオ内部の情報が欲しいところだ。
「ひとまず、C・Dブロックの試合でも観戦しておきますかね~」
もしかしたら、お袋以外にも身内が参加してるかもしれないからな。
そんなこんなで、俺はガルさんに探知を任せてしばらく観戦をしていたんだが、
「……なぁ、ガルさんよ」
『何じゃ、我が主。まだ探知は終わってとらんぞ』
「いや、そうじゃなくて、アレ」
俺は闘技場で繰り広げられているガキの殺し合いの方を指さす。
今は、Dブロック第二試合。つまりは、4ブロック中最後の試合ってことになる。
そこで戦っているショートボブの少女に、俺とガルさんは注目する。
「ハァーッハッハッハッハァ――――ッ! なかなかやるじゃあないか、少年D君! しかぁし、君の命運はここに尽きる運命にあったのさ、この、少女Lを敵に回してしまったことによってね! ハァーッハッハッハッハッハァ――――ッ!」
言いながら、その少女Lとやらは手にした長剣を流れるように振るう。
その切っ先は幾重にも残像を結んで、相手を無残に、そして華麗に切り刻んだ。
「フ――、さらば好敵手よ。君のことは、この胸に永劫、刻んでおくよ」
倒れた対戦相手を前に、少女Nは短い髪を掻き上げて笑い、白い歯を輝かせた。
そのいかにも貴公子然とした姿に、俺とガルさんは全くの同時に言った。
「『ラララだァ――――ッ!?」』
そこにいたのはまぎれもなく、バーンズ家五女、ラララ・バーンズだった。
またの名を『バーンズ家で一番名前がおもしれェ女』であるッ!