第209話 だからミーシャ・グレンは強ェんだって!
記憶を吸い取られるだけじゃなかった。
大人は、記憶と一緒に時間まで抽出されてしまうらしい。
つまりは、お袋がこうなっているように、十六人の中にはシンラもいたのだ。
それにしても、俺の相手がお袋ってマジかよ!
さっきまで全く個性なんて見えなかったクセに、今感じる、この存在感。
ロリ化したミーシャ・グレンから感じるのは、可愛げなどではない。
今なお、俺の本能が訴えている。
こいつに関わるのはやめろ。あまりに危険すぎる、と。
「アッハハァ~~~~!」
幼少のミーシャ・グレンがダガーを手に躍りかかってくる。
その表情は無邪気そのもの。
だが、その身から発する殺気は、研ぎ終わったばかりの刃そのもの。
「それそれそれそれェ――――ッ!」
「どわッ、わッ、ぅわッ、ワァ~~~~!?」
一閃、に見せかけて繰り出される三つのフェイント、一つの本命。
しかし、そのフェイントすら、避けなければこっちを刻む、半本命の一撃ばかり。
しかも軌道はいずれも若干ズレていて、絶妙に避けにくい。
これを、記憶を失っている状態で繰り出してくるだとォ~~~~!?
「へェ、やるやる! これも避けちゃうんだァ、すごいねぇ!」
身を低く保ち、ガキの姿になったお袋がニコニコ笑っている。
その瞳には宿るのは、戦意でもなく怒りや憎悪でもなくて、楽しさ、面白さ。
どこまでも純粋に『快』を求める、享楽の光。
「アハハハハ、イイね! 君、イイねぇ!」
「うるっせぇ! オラァ!」
俺は、両手斧を思い切り振り回すが、すでにそこにお袋はいない。
斧を振ろうとした時点で、とっくに間合いから出ている。すばしっこいなぁ!
「フフ~、やらせないよぉ~だ!」
お袋は俺の間合いの外で、こっちに向かってあっかんべ~、をする。
クッソ腹立つな、あのメスガキ。
しかし、技巧を磨いたワケでもないのに、あのキレは何なんだよ。あり得ねぇ。
異世界で俺を育ててくれた『竜にして獅子』たる女傭兵ミーシャ・グレン。
その過去を、俺はほとんど聞いたことがない。
一応、聞こうとしたことはある。
でも大体がいつもの『ハハンッ』ではぐらかされてしまう。
話したくないんだろうなぁ、ってのは感じとっちゃいたけどなぁ。
何となく、理由がわかった。
おそらくは、俺と同じか一つ上程度の年齢のミーシャ・グレン。
――こいつは、とんだ総天然快楽殺人者だ。
この状況下において、殺すか殺されるかを心から楽しんでいる。
しかも、その気質に加えて、殺しに関する圧倒的な天賦の才まで備えてやがる。
肉体的素養に加え、危機を察知する嗅覚に、敵の急所を正しく見極める目。
子供が持つ無邪気さが、その才能と感性を極限まで表出させている。
言ってみりゃ、今のお袋は『鞘すら切り裂く切れ味の刀』って感じだ。
触るものは何もかも切り裂かずにはいられない、超優秀な問題児。めんどくせッ!
あのさぁ、金鐘崎美沙子さぁ、いくら自分が嫌いだからってこの転生はないよ!
流されるがままの人生がイヤだったのはわかるけどさぁ!
だからって、血を流すのが得意な方に転生すんなよ。流すの意味が違うんだよッ!
「ね、ね、少年A君、ちょっとちょっと!」
俺が内心愚痴っていると、少女Mことロリ美沙子が声を弾ませ話しかけてくる。
「何だよ……」
「ね、武器を別のモノに取り替えない? その斧じゃ、もったいないって!」
「もったいないィ~?」
お袋の言っていることがわからず、俺は眉間にしわを寄せる。
「だって君の能力に全然合ってないよ! 君は筋力じゃなくて瞬発力を使う方が絶対いいって。合ってるのはきっとアタシと一緒で、こういう刃渡りの短い刃物だよ!」
「……うわぁ」
正直、ドンビキした。
このメスガキ、記憶を失ってても言うことが一緒だァァァァ――――ッ!?
俺の耳の奥に蘇る、異世界でのミーシャ・グレンの教え。
それはまさしく、今、あのメスガキが言ったことと同じ内容で、
『いいかい、アキラ。アンタは威力の高い武器が好きらしいけどね、合わないからやめときな。アンタの真骨頂は威力じゃなくて鋭ささね。ダガーが一番合ってるよ』
ああああああああ、同じだァ~! 間違いなく同じだよォ~~~~!
このメスガキ、まごうことなきミーシャ・グレン本人だよォォォォォ~~~~!
「ね、今からでも武器変えようよ! ダガーとかナイフでさ、一緒に遊ぼう!」
瞳を輝かせ、少女Mはあどけない笑顔で俺に殺し合いを提案する。
殺すことを遊びだと、彼女は断言するのだ。
そして俺の知る限りにおいて、そういう言動をするヤツをお袋は最も嫌っていた。
何がどうなって、百八十度反転したのか。
今の俺には知りようもないが、問題は、相手がお袋であること。
強ェ~よォ~、めッたくそ強ェよ、このメスガキよぉ~!
そもそも最初の擬態からして、精度がおかしいんだよ、何だよあの自然な演技!
鍛錬なしの才能のみでアレっていうのがもう、ホント笑うわ。
「……クソ」
俺は、両手斧を手にお袋に近づこうとする。
しかし、顔に元気な笑みを浮かべたまま、お袋は俺の間合いから遠ざかる。
「ヤダよ~。そっちには付き合ってあげませ~ん。絶対、なんか狙ってるモ~ン!」
「そういう勘の鋭い子は嫌いだな~、僕!」
舌を出してくるお袋に、俺は青筋を浮かべつつ言い返す。
チキショ~、マガツラの射程に入ってこないんだが、あのメスガキよォ!
一発でいい。
殺す必要などなく、たった一発、マガツラで殴ればそれで解決する話なのだ。
それでマガツラの『絶対超越』が発揮されて、お袋は元に戻る。
はず、なのだが――、
「アハハハァ! いっくよ~! それェェェェェ~~~~!」
ミーシャ・グレンが攻勢に回る。
さっきよりもさらにギアが上がって、速度も動きも、鋭さが増す。
「くッ、そ! ォ、ォ、ォオ、ォ、オオオオオッ!」
次々に放たれる斬りつけや突きを、俺は両手斧で必死に防いだ。
斧の木の柄が、ナイフに削られて破片が舞う。ときどき刃にも当たり火花が散る。
緩急が入り交じっている上に、一撃の軌道もグニャグニャ変わる。
こりゃ無理だ。防戦中にマガツラを叩き込むのは無理。
一瞬でも防御以外に気をやれば、途端に俺は急所を抉られてデッドエ~ンド、だ。
「アハハハハッ! すごいすごい! 合ってない武器でよくそこまで防げるね!」
「合ってますゥ~! これが最高にカッコいい武器なんですぅ~!」
笑うミーシャに、俺はムキになって反論するフリをする。
だが、どれだけはしゃいでいても、ミーシャに隙は生じない。参ったな、こりゃ。
「こっちにも攻撃させろよなァ~!」
「やだ~! アハハハハァ~!」
そして、俺が前に出ようとしたのを敏感に察知して、ミーシャはまた離れる。
キツイな。完全にあっちのペースだ。こっちから積極攻勢に出るべきか。
できれば現状の離れた状態でマガツラは使いたくない。
マガツラなら、動きの鋭さでも力でも負けることはあり得ないのだが……。
しかし、俺の目的はシンラとひなたの救出だ。
ついでにお袋の確保も加わってしまったものの、大目的は変わらない。
その上で、今この場でマガツラを使うことはしたくない。
あの道化野郎がどう動くかわからないからなぁ。
マガツラを使うなら目立たないよう、お袋に密着している瞬間が望ましい。
「……どうするか」
俺は考える。
一番の早道は、お袋の攻撃を受けて、隙を誘うことだ。
急所を突かれても、今の俺は回復魔法が使える。
そう、刺されたところですぐに死にはしない。
死ななければ、お袋の懐に飛び込んでマガツラをブチ込むことも可能だろう。
それで、一度お袋を殺した上で、のちのち蘇生して、それから――、
「…………ぇ」
あれ? 今、俺、誰を殺すって考えた?
決まっている。見ている先に立っている、ダガーを持った無邪気な快楽殺人者だ。
幼き日の、ミーシャ・グレンだ。
俺の母親の、ミーシャ・グレン――、ダメだ。それ以上は考えるな!
「く……」
いきなり走った頭痛に、俺は額で手を押さえる。
何とか、思考を止めようとする。目の前の相手から意識を逸らさないよう努める。
だが、ダメだった。
一度考え始めてしまうと、次から次に記憶が溢れ出てくる。
それが命取りであることを重々承知してるにも関わらず、思い出が、どんどんと。
『頼りない母親で、ごめんね。アキラ……』
そう言って、怒れる俺に向かって謝ってきた、お袋。
『あたしを、殺しておくれ』
そう言って、俺を抱きしめながら、百回目の死を迎えた、お袋。
『ハハンッ、考えるだけ無駄さ、マイサン。感じるんじゃない、考えるんだよ!』
そう言って、こっちに『出戻り』して豪快に笑った、お袋。
『アタシも、集さんも、そして『あたし』も、みんなアンタの幸せを願ってるよ』
そう言って、異世界でも、こっちでも、俺を愛してくれた、お袋。
「あ、ぁ。ぁぁ……」
俺の手から、両手斧がズルリと落ちる。
それを見たミーシャが一瞬だけ意外そうな顔をしながら、またすぐに笑う。
「あれぇ~? どうしたの? もういいの? もう、殺しちゃっていい?」
ニコニコと楽しそうに笑って、でも、発する殺気をますます鋭くして。
こっちを見る彼女の姿は、まさに獲物に飛びかかる寸前の肉食獣のそれだった。
防がなきゃいけない。避けなきゃいけない。
防御して、反撃に転じなければいけない。でも――、
「…………」
僕にはもう、指一本動かす気力さえ、残っていなかった。
無理だ。僕には殺せない。
また、ママを殺すことなんて、できない……!
ママと戦うことなんて、僕には……ッ。
「あ、っそ。何かわからないけど、もう戦う気ないんだね。じゃ、殺しちゃお♪」
でも、彼女はこっちの事情なんてお構いなしに僕を殺しに来る。
棒立ちになってる僕へ、あっという間に肉薄し、彼女はダガーを突き出してくる。
「お命、頂戴~♪」
弾んだ声での死刑宣告。その切っ先が狙うのは、僕ののど元。
死ぬ。その確信を胸に覚えながら、僕は呟いていた。
「……ママ」
そして、のどに突き立てられる直前、切っ先が止まる。
ミーシャ・グレンは、こっちの視界をいっぱいに占めるほどに近づいていた。
その距離で、彼女の顔から笑みが消えて、その唇が震え始めて……、
「――アキラ?」
「うん」
その唇が紡ぎ出した名前に、僕はうなずく。
すると、幼きミーシャはその手からダガーを取りこぼし、顔を青くして後ずさる。
「あ、ぁぁ、あ、アキラ、ぁ、あ、アタシ、な、何を、ぁ、な、何を……」
そして両手で頭を抱えて悶えだし、見開かれた目から涙がポロリと零れた。
「ああ、あ、あぁ、あああああああああああああああああああああああああああ!」
そのミーシャの悲痛な鳴き声に、俺はやっと我に返る。
「……今ッ、しかないッ!」
そして働く直感。今しかない。ミーシャが隙を見せてる、今しか!
「悪ィ、お袋――」
あっちが離れた分、こっちからミーシャに接近し、そして、マガツラを具現化。
その手を彼女の胸部に当てて『絶対超越』をその小さな体に叩き込む。
「あ、ぁぁあ、ぐ……ッ」
ミーシャの体がビクンと震えるのを見届けたところで、俺はダガーを拾い上げる。
この闘技場での試合は殺し合い。片方が死ななきゃ決着はつかない。
だが、俺はお袋を殺さないし、お袋には俺を殺させない。
その条件だと、結局のところ残された選択肢はこれしかなかった。
「すまん、あとで蘇生よろしく」
「待っ……!」
止めに入ろうとするミーシャの前で、俺は、自分の胸に刃を突き立てた。
これで、特攻を仕掛けた俺が返り討ちにあったように見えないこともないだろ。
「おかしいよなぁ、ついさっき一回死んだばっかなんだけどなぁ~……」
激痛の中で苦笑しつつ、俺の意識は再び闇の底へと落ちていった。