第206話 黄泉謡いの巫女マリエ・ララーニァ
何と、マリエがカディルグナに仕える巫女の家系でした。
「巫女といっても、主流からはかなり離れた分派の家柄なのだけどね」
風見家に呼び集められた俺達に、マリエはそう語った。
「そういえば、そうでありましたなぁ……」
と、旦那だったキリオも思い出したように、
「神の声を民に届ける『黄泉謡い』の家系でありましたな、マリエは」
「はい、その通りです、あなた様」
う~む、菅谷真理恵の『あなた様』呼び、やっぱまだ違和感あるぜー。
だが、ちょっと重要そうな話だからここは空気を読んで黙っておくぜー。
場には俺、ミフユ、ケント、タマキ、お袋、シンラ、そしてキリオとマリエ。
ひなたはすでにお風呂に入ったあとでお部屋ですやすや真っ最中だ。
いつの間にお袋とお風呂入るくらい仲良くなってたんだ、ひなた。
別に気にする必要ないはずなんだが、何かちょっとお袋取られた気になるぜ~。
というワケで、今、俺はお袋に抱っこしてもらってる。
クッソ~、我ながらガキだと思うが、七歳の本能が母親を求めているのだ。
「シンラさんはさっき、カディルグナ様と言ってたわよね」
「然り。冥界の神たるカディルグナの神器は、こちらの世界に来ておりまする」
「そうだったのね……」
何やら、マリエがちょっと浮かない顔になる。
キリオも「マジかぁ……」ってな感じの表情で、マリエに同調を示す。
「何? 何、その不可解な反応は?」
「いやぁ~、実は、でありますね……」
切り出したのはキリオで、続けたのはマリエだった。
「私の家は何代か前に没落してまして、その原因が……」
「『民に神の声を届けられなくなったから』、なのでありますよ。その原因が――」
あ~、カディルグナの本体が宿る神器が、こっちの世界に渡ったからかぁ。
こっちに渡ってきたのが江戸時代末期だって話だから、時期的には符合するか。
「つまり、逆にいえば……」
「はい、こちらにカディルグナ様がおられるのでしたら、私の力は使えるかと」
マリエが使えるという『黄泉謡い』、それはいわばライブ配信だという。
カディルグナの声を、自らの魔力を通じて民に届ける能力、らしい。
「今この場で、カディルグナと通信ができる、ってことか」
「ええ、そうよ。ひなたちゃんの『死期』を知るのには、これが一番早いと思うわ」
マリエの言葉に、一同が顔を見合わせる。
そこに浮かぶのは安堵の表情。今、確かに俺達は事態の進展を見たのだ。
ひなたにいずれ訪れるであろう『非業の死』、または『理不尽な死』。
それは、できる限り回避しなければならない。
菅谷真理恵は『理不尽な死』に見舞われはしたが、それでも彼女は大人だった。
だが、ひなたはまだ4歳の子供。
どんな形であっても『死』はそれ自体が心に大きな傷に刻む。
幼少期に負った傷は、のちの人生に重大な影響を与える。
それが『理不尽な死』よりも深刻な『非業の死』だったら、なおのことだ。
「ちなみにカディルグナに電話とかかけるのはあかんの?」
ふと、俺がそんな疑問を口に出してみる。
「ハハンッ、そりゃ考えたさ。シンラさんもアタシもね、でもダメだったよ」
答えたのは、俺を抱っこしてるお袋だった。
ああ、そりゃ誰だって思いつきはするよなー。でもダメだったんか。
「カディルグナ様のいる地下階に持ち込んだ電子機器は例外なく壊れたとの由にて」
「はぇ~、やっぱ『特神格』ともなると、魔力以外の部分でも規格外なんだな」
よいしょっと、と、俺はズレかけた体を直してお袋の膝の上に座り直す。
「集殿のお話によれば『観神之宮』はカディルグナ様の御力を外に出さないためのシェルターの役割を果たしてるとのこと。カディルグナ様はあの場から動けませぬ」
「だったら、余計にここにマリエがいたことが幸運なワケ、か……」
そして、再び皆の視線がマリエへと注がれる。
「……マリエさん」
ケントが、神妙な面持ちで短く促す。
「ええ、自分の役割はわかっているつもりよ、ケントさん」
言わずとも、求められているものを察しているらしきマリエがうなずいた。
「シイナの占いって手もあるっちゃあるんだがなー」
「それも難しいわね。大まかな時期の絞り込みくらいはできるでしょうけどね」
俺のボヤキに、ミフユが返してくる。夏のときもそうだったな。
タマキとマリエのどちらかが消えるという予言。あれも時期は大雑把だった。
「ならやっぱり、ここでマリエにやってもらうのがベストか」
「だろうねぇ。マリエさんがよければ、だけどね」
腕を組む俺の頭を軽く撫でつつ、お袋がその目をマリエに向ける。
「もちろん、協力させていただくわ」
「マリエ、助かるであります」
再びうなずくマリエに、キリオが笑いかけた。
それに軽く頬を染め、彼女は「いいえ」と軽くかぶりを振る。
「私も、今となってはバーンズ家の一員という自覚があります。だったら、ひなたちゃんは血は繋がっていなくても家族です。だから力を貸すのは当然のことです」
「それでも、助かるであります。ありがとう、マリエ」
「――キリオ様ったら」
マリエが、キリオの感謝の言葉に軽くはにかんで見せる。
嬉しそうだ。その顔に、彼女の中にあるキリオへの想いの一端が表れている。
「マリエ殿、早速ではございまするが……」
「ええ、シンラさん。すぐに始めるわ。ちょっとだけ時間をいただくわね」
マリエが、それまで座っていた場所から立ち上がって、小さく深呼吸をします。
「少し緊張しますね。実際に謡うのは、初めてなので……」
その顔に浮かぶ緊張の色。声も硬く、顔にはやや苦い笑み。
そうか、彼女が生きていた頃、すでにカディルグナは日本に渡っていた。
マリエは巫女として技術は身に着けているが、実践は今回が初か。
そりゃ、緊張するに決まってるわなぁ。頭には失敗の文字も浮かんでいるはずだ。
「大丈夫であります」
だが、キリオが決然とした物言いで、そう断言する。
「マリエは、やればできる子であります。それがしはそれを知っているであります」
「はい、キリオ様。何か、できそうな気がしてきました!」
うわぁ、現金!
マリエの顔から緊張と不安の色が一気に消し飛んだぞぉ!
ま、でもそんなモンか……。
俺もミフユに応援されりゃ何でもできる気になるし、ケントもタクマもそうだろ。
「それでは、始めます」
マリエはそう言って、ゆっくりと両腕を広げる。
位置は胸の前、肘は軽く曲げる程度で何かを受け止めるような体勢に見える。
「Laaaaaaaa――――」
かすかに開いた口から漏れる歌声。いや、謡声。
それは、透明で清らかな魔力を伴って、場に広がって、浸透していく。
何て声だ。何て澄み切った、美しい声だ。水晶でできた鈴。そんなイメージ。
歌詞があるワケでもないのに、聞いているだけで心が震える。
場にいる皆が、その謡声に聞き惚れ、魅入られてしまう。
別に、魅了の魔力が働いているワケでもないのに。
そして、歌声が続くと共に、場に満ちる魔力がどんどんと濃さを増していく。
またそれに合わせるかのように、魔力の質も変わっていくのと感じる。
「これは……」
俺は、そこに感じる魔力の質感に覚えがあった。
それは俺の生家、その地下に存在する『観神之宮』と同質の魔力だ。
さらに色濃くなる魔力と気配。そして――、
『――ぁ、……よッ、……れは、……のよ? ――ぁれなのよ?』
聞き覚えのある、寂しがり屋の神サンの声が、そこに流れてくる。
マリエがかざした両手の間に、ノイズ混じりながらも映し出される神の姿。
『我を呼ぶのは誰なのよ? 何だか、とっても懐かしい謡声なのよ!』
そして、冥界の神カディルグナが俺達の前にはっきりとその姿を現した。
『あら、アキラ・バーンズとその家族なのよ? あれぇ、何がどうなってるのよ?』
「おっす、神様。これはララーニァって家の巫女がやってることだぜ~」
不思議がっている神様に俺が説明すると、
『えええええ! ララーニァ! じゃあこれ、まさか『黄泉謡い』なのよ!?』
すっごい嬉しそうに手を叩く、冥界の神カディルグナ様でありました。
う~む、いつ見ても神様っぽくね~な~、このロリ神。
「は、然様にてございます。神よ、冥界の神カディルグナよ……」
『あら、あなたはシンラ・バーンズ。随分と切羽詰まった顔をしているのよ』
だがさすがは神か。シンラの余裕のなさを即座に見抜いてくる。
「畏れ多くも冥界の神たるカディルグナ様をこうして喚び出したるは、余の娘であるひなたについて、是非ともあなた様の御力をお借りしたき仕儀あってのこと――」
『――ふむむ、何やら尋常ではなさそうなのよ。いいわ、話してみるのよ』
「かたじけなく存じまする」
シンラが、カディルグナにことの詳細を説明する。
ちなみにマリエの謡声はすでに止まっていた。一度呼び出せばOKらしい。
「……と、このような事情にございまする」
『なるほど、ひなたという娘に訪れるであろう『出戻り』の瞬間がいつか知りたい、というわけなのよ? ……あなたは優しい父親なのよ。もちろんお教えするのよ!』
「おお、神よ……」
慈悲深き冥界の神に、シンラがひざまずいて祈りを捧げる。
人は自分が何者であっても、切羽詰まれば神に祈る。それは半ば本能だ。
俺達の間にも、安堵の空気が広がる。
ひなたに訪れる『死期』がわかりさえすれば、俺達なら対処できるはずだ。
例え『出戻り』が不可避の運命だとしても、今でなければいい。
ひなたが成長して、自分の死に耐えられる強さを手に入れられれば、何とかなる。
それは、シンラやお袋という実例がいることからも、わかること。
今でなければいい。
4歳という、まだまだ全てにおいて弱すぎる時期でなければ、どうにかできる。
『風見ひなたに訪れる『死期』、それは――』
皆が固唾を飲んで見守る中、カディルグナがひなたの『死期』を告げようとする。
しかし、その声が、急に不自然な形で止まる。
『あ、あれ、これは……』
神が見せる動揺に、漂っていた安堵の空気が、にわかに変わる。
そして、カディルグナが血相を変えて叫びだす。
『早く! 早くひなたちゃんのところへ! 彼女の『死期』の訪れは――』
おい、まさか……ッ!
駆け抜ける悪寒をそのまま形にした答えを、神が大声で告げる。
『《《今からなのよ》》!』
その瞬間、シンラが飛び出した。
「ひなたァァァァァァァァァア――――ッ!」
「クソッ、俺達も行くぞ!」
ひなたは、俺達がいるリビングの隣にある部屋で寝ている。
すぐ近くだからと油断していたワケじゃない。菅谷真理恵のときともワケが違う。
ひなたは外に出ていないし、俺達は話しつつも常に警戒していた。
俺やお袋、タマキやケントまでいて、外部からの侵入者に気づかないはずがない。
枡間井未来のような超一級の暗殺者であっても、ケントならば見逃さない。
つまり、防衛においては鉄壁であり完璧。
これをかいくぐって、ひなたをどうにかするのは不可能だ。それは断言できる。
じゃあ、一体ひなたに何が?
俺は軽く混乱しながら、シンラのあとに続いた。
「ひなたァ!」
シンラが、ヒナタの寝ている部屋のドアを開ける。
すると、そこからまばゆいばかりの光が溢れてきた。それは、魔力の光!?
「何だよ、こりゃあ……!?」
部屋の中を見た俺は驚愕する。
床に、銀の光で構成された魔法陣が走っている。その中心に、ひなたが寝ている。
「――まさか、召喚!?」
俺の頭に、ミフユと一緒に別異世界に召喚された8月末の記憶がよみがえる。
だが、今回はそれとは様子が違う。魔法陣の術式に見覚えがあった。
俺がよく使う、ゴウモンバエ何かの魔獣の召喚用の術式によく似ている。
つまりは、別異世界などではなく、俺達がいた異世界の術式に間違いなかった。
「ひなたが……!」
魔法陣が輝きを増して、ひなたの体が透け始める。
まずい、召喚転移が発動する。ひなたが、どこかに飛ばされてしまう!
「させるかァァァァァァ――――ッ!」
シンラの絶叫がその場に響き、そして、俺も必死にひなたへと手を伸ばし――、
キィンッ、と、耳に甲高く澄んだ音が響いて、俺の意識は暗転した。