第205話 それはまるでご両親へのご挨拶のように
え~、笑うわ。
「…………」
「…………」
「…………」
俺の部屋です。ミフユとタマキとケントがいます。
その全員が、絶句しておるわ。
ミフユとタマキは素直に驚きから、ケントはものすごく渋い顔をしておられる。
並んで座る三人の向かい側には、俺と、キリオと、そして菅谷真理恵。
またの名を――、マリエ・ララーニァ。で、ございます。
「え~っと、あの、真理恵さん……?」
「はい、何かしらミフユさん」
受け答えは、普通に菅谷真理恵。そのまんまだ。
「真理恵さんじゃなくて、マリエさん、って呼んだ方がいいのかしら?」
「それは、好きにしてくれて構わないわ。私は確かに菅谷真理恵でもあるから」
「ああ、そう……」
うん、本当に受け答えは菅谷真理恵なんだよねぇ。
俺達が知るちょっと前のめりな女刑事。懐が深く、一時ケントの意中の人だった。
それは何も変わらない。
だからこそ、ミフユもタマキも絶句してるんだよなー。
「……ベッタリだな~」
と、タマキが言うように、菅谷――、いや、マリエはキリオにべったりだった。
隣に座ってるだけだと思う?
手ェ繋いでるよ。腕絡めてるよ。マリエの方から積極的に。
「…………あの、マリエ?」
「なぁに、あなた様」
キリオにさぁ、呼ばれただけでさぁ、頬染めて嬉しそうに目ェ細めてこの反応よ。
声の響きからして、俺達に対するものとは全然違ァうッ!
「「あなた、様ッ!?」」
ミフユとタマキが、今度は声を揃えて驚愕の絶叫。
俺ですら、未だに信じがたい。この、菅谷真理恵のとんでもない変わりように。
「菅谷真理恵ェ、おまえ、そういうこと言うようなキャラじゃないだろぉ~!」
違和感に堪えきれなくなったか、タマキが立ち上がってそんなことを叫ぶ。
しかしマリエは、ウチの長女を見上げて、優しく微笑む。
「あら、タマキさんだって、ケントさんには甘えたくなるでしょう?」
「それはそう!」
おまえ、そこはあっさり認めるんかい。
「私も同じよ。この人への想いは前世の記憶でしかないけれど、でも、またお会いできたのだから、また好きになってもいいでしょう? 私は、キリオ様が好きよ」
あの、正義の女刑事だった菅谷真理恵が、臆面もなく愛と恋を口にする。
言ってることはまともというか、俺達が口を出せることではない。が、違和感ッ!
「ね、あなた様――」
「…………」
マリエは心から嬉しそうに、キリオの肩に頭を寄せる。
しかし、一方でキリオ、カチコチですやん。完全に石像化してますやん。
「あれは、事態についていけてない顔ねぇ~……」
「そりゃそうだろ。俺だって半分ついていけてないよ」
キリオも、嬉しいは嬉しいんだろうがなー。同時に複雑なんだろう。
「…………」
そして、ケントよ。
何だおまえ、さっきから一人黙りこくって。
「あの、真理恵さん?」
「どうしたの、ケントさん」
意を決した様子のケントからの問いかけ。
マリエは応える。固まっているキリオの手を存分にニギニギしながら。
「真理恵さんは真理恵さん、ですよね……?」
「それはそうよ。さっきも言ったけど、私は菅谷真理恵でもあるんだから」
恐る恐るといった感じで続けるケント。
マリエは応える。固まってるキリオの腕に自分の腕を絡め、身をピタリと寄せて。
「いや、でも、あの……」
「どうしたのかしら?」
おお、ケントの体がプルプルし始めたぞ。そろそろ臨界に達するぞ、これ。
「あの、マリエ……?」
「何ですか、あなた様。マリエはこちらにおります。何でしょうか!」
そして、キリオの一声に対する、この嬉々としたマリエの反応よ。
「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!」
ケントが、頭を抱えて絶叫と共に立ち上がる。キレた! ついにケント、キレた!
「ま、真理恵さんは、真理恵さんはそんな反応するような人じゃないィ~~ッ!」
「ケンきゅん!?」
「いきなりユニコーンな厄介オタクしてんじゃないわよ」
あまりの違和感に取り乱すケントに、タマキは狼狽し、ミフユは容赦なく抉る。
ユニコーンって言葉の意味は分からんが、厄介オタクは的を射過ぎてるわぁ……。
「そうは言うけれど、ケントさん。『出戻り』ってそういうモノじゃないかしら?」
「…………。……そうですね」
そして、その厄介オタクも、当の本人から一言で論破されおった。笑うわ。
ケントはがっくりと肩を落として座り直し、タマキからよしよしと慰められる。
まぁ、タマキとは別軸で、ケントにとって菅谷真理恵は大切な人だったしな。
この反応も、むべなるかな。
「ところであなた様、今、何を言いかけましたの?」
「む……」
そういえば、キリオはマリエのことを呼んでいた。
彼女の声に一同がキリオの方を注目し、視線を浴びたこいつは一度軽く咳払い。
「おまえは、それがしのことを恨んではいないのか?」
そして低い声で紡ぎ出されたのは、異世界での妻に対するそんな問いかけだった。
異世界で、マリエはキリオのせいで死んだ。その末路は公開処刑だった。
それを思えば、マリエがキリオをどう思っているか、気になるのは当然だ。
しかし、マリエは毅然とした態度で、隣の男に向かって返す。
「あなた様と共に死ねたことを、私は誇りに思っています」
「マリエ――」
それは、キリオにとっても予想外の返事に違いなかった。
これには俺も、ミフユも、タマキとケントも、皆一様に驚かされた。
「あなた様のもとに嫁いだときから、マリエは覚悟を決めておりました。二人の道行きがどこに続いていようと、あなた様と共に歩もう。あなた様についていこう、と」
「だが、マリエ、それがしは……」
「悔いは、あります。あのとき、あなた様を止められる立場にいたのは、きっと私でした。それが叶わず、あなた様が罪を犯すことを許してしまった。……悔いですね」
「違う、それは違う! おまえは何も悪くない。悪いのは、それがしなのだ!」
静かに語るマリエに、キリオは苦しげに首を横に振る。
ケントが言っていた『自分の罪と向き合うこと』を、こいつはし始めている。
きっかけは、やはりマリエ、か……。
「……決めた」
ポツリと、キリオが零す。
「それがしは、これから陛下のところに伺おうと思うであります」
「それは……」
マリエの顔色がにわかに変わる。
キリオの言う『陛下』とは、誰でもないシンラのことだ。
今日は休日。あいつも風見家にいるはずだ。
あ、ちなみにお袋は買い物中です。もしかしたら一緒にいるかもだが。
「キリオ様……」
「本来であれば、それがし一人で向かうが筋でありましょう。しかし――」
キリオの顔に深刻なものが浮かぶ。そして震える肩を、自分の腕で抱きとめる。
「すまない、マリエ。おまえにすがる情けない男を、許してほしい……」
「何を言われるのです、あなた様。頼っていただけることを、私は嬉しく思います」
眉間にしわを集めるキリオに、マリエがピタリと寄り添う。
今、キリオはシンラのことを『陛下』と呼んだ。
それはつまり、姉弟としてではなく、臣下として会うということだ。
キリオは、シンラに『簒奪公』の話をするつもりなのだろう。表情でわかる。
俺はチラリとミフユの方を見る。
ミフユは、黙って首を横に振った。そうだな。俺達が出しゃばる場面ではないな。
「――行くであります」
一度、深呼吸をしたのちに、キリオが立ち上がる。
マリエもそれに「はい」と応じて、続いてその場を立った。
「えっと、がんばれよー!」
多分、意味わかってないタマキが、二人にエールを送る。
「フン、ケチョンケチョンにされてこい」
「了解であります。お師匠様」
へそを曲げたケントのわかりにくい応援に、キリオは苦笑しつつ、うなずいた。
そして二人は、お向かいさんの風見家へと向かう。
纏う空気は、さながら、ご両親への初めてのご挨拶のようだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ひなたは、美沙子と共に買い物に出かけていた。
風見家にいたのは、シンラ一人。
そして、今、来訪したキリオとマリエは、彼に向かい合って全てを話し終えた。
「……以上が、前世にてそれがしが行なった全てであります」
キリオは、己のやったことを『愚行』とも『蛮行』とも呼ばなかった。
その胸の内には、ケントから示されたものが確かに息づいてた。
だが、だからこそ、怖い。
あれをやったのは他の誰でもない自分なのだと、今の自分が認める。
たったそれだけのことなのに、心臓が鷲掴みにされるような感覚を覚える。
当たり前だ。眼前にいるのは自分が仕えた皇帝。シンラ・バーンズその人なのだ。
「…………」
シンラは、腕を組んで瞑目している。
その姿は何かを考え込んでいるようであり、怒りを堪えているかのようでもある。
キリオとマリエは、それをただ黙って見守り続けるしかない。
やがて、シンラが口を開いた。
「何故――」
いつもの彼にはない、重く、低い調子の声だった。
「それを今、余に伝える? ……全てを正直に告白して、余に赦しを乞うためか?」
「いえ」
キリオは即答し、軽くかぶりを振る。
許しを乞うなどと、そんな破廉恥であれれば、きっとここまで苦しまずに済んだ。
だが、残念なことにキリオは下種ではなかった。だからここに来た。
「陛下に全てをお伝えするは、臣下たるそれがしが果たすべき責務にて。それがしがそれについて何かを求めるのは、それこそ愚行でありましょう。できませぬ」
「責務……、責務か」
その言葉を短く繰り返して、シンラは天井を見上げる。そして一つだけ漏らす。
「テンラよ――」
彼が呟いた名を耳にした瞬間、キリオの胸がズキリと痛んだ。
シンラがこぼした名は、彼の長男。即ち、キリオが殺した皇太子の名であった。
自らの子の名を呟くシンラの今の胸中、いかばかりか。
キリオには、はかりようもない。
「――菅谷殿。いえ、今はマリエ・ララーニァ殿、で、ありましたな」
「はい、皇帝陛下。マリエ・ララーニァにございます」
「何とも。キャンプでは普通に接していたので、どうにも違和感が拭えませぬな」
「それは私もです。でも、今はキリオ様と共にこの場におりますので」
苦笑するシンラに、マリエは穏やかに笑って、そう告げる。
そしてシンラも同じように笑いながら、
「あなたが選んだ男は、とんだ卑怯者でありましたな」
一言のもとに、キリオの心を切り裂いた。
「わざわざ目的のため余の崩御を待つとは。衝動的な行ないではない。計画的だ」
「はい、その通りですね。私も、そう思います。陛下」
兄にして主君と、て自身の妻からも言われて、キリオは生きた心地がしなかった。
だが、だからこそ彼はこう返す。
「そのときは、それが正しいと思っていたであります。そして今は、それは正しくなかったということを、実感しているであります。それがしは間違えたのです」
「そうか……」
今の自分も、間違えた自分も、等しく自分自身。
それを、今のキリオはわかっている。ケント達と、隣の女性のおかげで知れた。
「キリオよ」
「はい、陛下」
「罪は、罰をもって裁かれなければならぬ。そこに例外はない」
「わかっているであります。如何様にも」
罪には罰を。
それは、シンラが現役であった頃、特に徹底されていたことだ。
シンラの異面体からも、それを重んじる彼の気質が窺える。
最悪、自分は罪の泥に呑まれることも覚悟している。
マリエには伝えていないが、キリオはそれだけの想いで、この場に臨んでいた。
「ならば、よい。もうよい」
「え……」
だが、その覚悟は肩透かしに終わる。
シンラは罰に臨まんとする彼に『もうよい』と告げた。
「陛下、一体……?」
「おまえがしたこと、やはり許しがたくはある。テンラをその手にかけたことも、余は怒りを覚える。しかしなキリオよ、その耳かっぽじって、よく聞くがよい」
「はい」
「《《それらはもう、とうに終わった話なのだ》》」
一瞬、シンラが何を言ったのか、キリオは理解できなかった。
「そ、それはどういう……」
「言葉のままだ。今の世はシンラ・バーンズでもあるが、元々は日本のサラリーマンの風見慎良なのだ。異世界で起きた出来事は、文字通り遠い世界の出来事なのだ」
「それは、そうですが……、しかし!」
信じがたいシンラの物言いに、キリオはさすがに気色ばんで立ち上がる。
「自分でも薄情とは思う。だがな、キリオ。それでも過去は過去なのだ。悔いたところでときは戻らぬ。世界は変わらぬ。ゆえに余は、もうよいと言った」
「それでは、それがしへの罰は……」
「ない」
シンラが、断言する。
「しいて言うのであれば、この場で裁かぬことこそが、今のおまえにとっては何よりも罰となろう。卑怯者であった過去を抱え、生涯、罪悪感に苛まれながら日々を生きよ。罰しはせぬ。だが、赦しもせぬ。おまえは『簒奪公』の烙印を背負っていけ」
「……陛下。――シンラの兄貴殿」
まさに、シンラの言う通りだった。
今の自分は、罰されないことこそが何より辛い。それこそが、最大の罰だ。
「あなた様……」
隣に座るマリエが、慈しむような目で、キリオを見る。
「マリエ……」
「罪を背負って生きていきましょう。そして、二度と間違わないようにしましょう」
「そうだな。それがしも、そう思っていたところであります」
二人はそっと手を重ね合って、共に深くうなずき合った。
それを見届けたところで、シンラが腕組みを解く。
「と、いうかな――」
「はい、なんでありましょうか、シンラの兄貴殿」
「正直、今の余は過去がどうとか言っている余裕が、一切ない!」
「じゃあ今までのは何だったのでありますか!?」
「余、すごく頑張ったであるぞ! 美沙子殿がいたら褒めてほしきところよ!」
クワッ、と目を見開くシンラに、マリエが控えめに尋ねる。
「ええっと、シンラさん。一体、何が……?」
「うむ、実は――」
そこでシンラが語ったのは、ひなたの一件だった。
ひなたがヒナタに『出戻り』する可能性が出てきた以上、備えなければならない。
「……『非業の死』」
「もしくは『理不尽な死』でありますな」
マリエに起きた出来事を振り返り、キリオは眉をしかめる。
「そうでありましたか、あのひなたちゃんは、やはりヒナタでありましたか」
「然様である。ゆえに余はあの子が『出戻り』せぬよう常に意識し、備える必要があるのだ。冥界の神カディルグナ様にも、あの子の『死期』について尋ねる予定――」
と、シンラとキリオが話しているところで、マリエが軽く挙手する。
「あのぉ……」
「マリエ殿、何か?」
「もしかしたらですけど、私、その子の『死期』がわかるかもしれません」
その言葉に、場の空気が固まる。
そして手を挙げたままのマリエを、シンラとキリオが丸い目をして見つめる。
「「え?」」
声は、ものの見事に重なっていた。




