第197話 一件落着、二人は今日も仲睦まじく
ついに、この日がやってきた。
「ジュン君、おかえりなさぁ~~~~い!」
「スダレ、ただいまぁ~~~~!」
パパンッ! パンッ!
飾り付けられた室内に鳴り響くクラッカーの音。そして、料理とケーキ!
八重垣淳の単身赴任終了記念パーティーが開幕する。
「長かった~! 本当に長かったよ~!」
「うんうん、ジュン君はがんばったよぉ~。はい、ど~ぞ~」
男泣きする夫に、スダレが切り分けて皿に乗せた料理を差し出す。
「ありがと~、スダレェ~。ぐすっ」
「あぁ~、もう、また泣いちゃってぇ~、はいティッシュ~」
「うううううう~」
いつものやり取りをしながら、夫婦はパーティーを始める。
結婚一か月目で単身赴任が告げられてから、実に一年近く。やっとこの日が来た。
「うううぅぅ~、スダレの料理、美味しいよぅ~」
またしても泣きながら、ジュンが妻の手料理に舌鼓を打つ。
スダレは何かあれば東京に通っていたが、やはり自宅で食べるとまた違うようだ。
「ジュン君はよく頑張ったよねぇ~」
「僕一人じゃ無理だったよ~。スダレが支えてくれたからだよ。ありがと~」
「エヘヘェ~、どういたしましてぇ~」
これからはゆっくりと二人の時間を過ごすことができる。
それが何より嬉しい、スダレであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――事件の後始末について、少し記す。
「全部消しちゃう~。全部全部、ぜぇ~~~~んぶ」
スダレによって、牧村宗次と百合岡涼香の存在は全て消去された。
それは記録上に限る話だが、この日本から二人が存在した痕跡は消え去った。
「うわぁ、怖ぇ~……」
「あんたの亡却よりはまだ全然優しいでしょうが」
傍目でそれを見ていたアキラに、ミフユが軽く苦笑する。
戦いとも呼べずに終わった一方的な蹂躙ののち、四人は事務所に戻っていた。
ジュンは、当然、蘇生させた。
そして目を覚ました彼の第一声が――、
「来週、帰るよ」
で、あった。
「あ、そうだったぁ~!」
ここ数日の色々があって、ちょっと忘れかけていた。
ジュンの単身赴任が終わるのが、ついに来週にまで迫っていたのだ。
「何だよ、仕返しも終わったし、いいことづくめじゃねぇか!」
「スダレもやっと二人で過ごせるってことよねぇ~」
アキラとミフユも、この報せには嬉しそうだった。
彼らの中でも、ジュンはすでに家族として認められているのだろう。
そして、ジュンの中でもまた――。だから、
「スダレ、アキラさん、ミフユさん、僕は……」
ジュンが、改まって三人に向き直って、頭を下げようとしてくる。
しかし、スダレが回り込んで、彼を優しく抱きしめることでそれを阻んだ。
「……スダレ?」
「ウチはもう、ジュン君のこと、許したよぉ~」
「だけど……」
「いいの。ジュン君は悪くないの。それが、ウチの中の『真実』なの」
言って、スダレはジュンの背中をポンポン叩く。
するとジュンは一瞬涙ぐみながら、すぐに顔つきを引き締め、スダレから離れる。
彼は、いつにも増して真剣な顔でアキラ達の方を向く。
「アキラさん、ミフユさん――、いいえ、お義父さん、お義母さん」
「おっと……」
「ここは日本なのに、そう呼んでくれるのね」
小さく驚くアキラに、ミフユも意外そうな反応を見せる。
「今のスダレにとって両親と呼べるのはお二人だけです。そして――」
ジュンは、二人に向かって深々と頭を下げた。
「僕は、スダレのご両親であるお二人に、改めて決意表明をさせていただきます」
「ジュン君――」
「……わかった、聞く」
アキラもうなずき、ミフユも彼の隣に座って、ジュンを正対する。
「もう僕と彼女は結婚している身ではありますが、改めて、ご両親であるお二人に、結婚のお許しをいただきたく思っています。――僕、八重垣淳は、八重垣簾さんを生涯をかけて、命をかけて、必ず幸せにすると誓います。だから、お願いします」
そうして、アキラたちの前で、ジュンはさらに深く頭を下げる。
スダレも彼の隣に座って、同じようにアキラ達へお願いする。
「ウチからも、お願い」
「「…………」」
アキラとミフユは、しばしそんな二人を正面から見つめて、
「本当に、スダレを幸せにしてくれるんだな?」
「この子のことをお願いしても、いいのね?」
「はい! 必ず、幸せにします!」
それは、普段のジュンからは想像もつかない、大きく力強い声だった。
そしてさらに三十秒ほど、アキラとミフユは彼を見据え続ける。
二人の表情が、ふっと和らいだ。
「それなら頼むよ、ジュン。俺の大事な娘を、おまえに預ける」
「ええ、あなたならスダレを任せられるわ」
「ありがとう、ございます!」
「ありがとう、二人とも……!」
ジュンとスダレが、今度は感謝のお辞儀をする。
これは、ごっこ遊びなどではない。代替行為でもない。確かな親子のやり取りだ。
ジュン達が今までできずにいたそれを、やっと果たすことができた。
こうして、両親の許可を得たジュンとスダレは、名実ともに夫婦になれた。
そして、場の空気が一気に弛緩する。
「ふぃ~……、こういうのするの、いつぶりだろうなぁ~」
「あんたはこういう格式張ってるの、苦手だもんねぇ~」
「え、そうだったんですか……?」
ミフユが言うと、ジュンが眉根を下げるが、アキラは軽く笑って手を振った。
「ああ、いいよいいよ。おまえらには必要なことだって、わかってるからさ」
「ありがとうございます、お義父さん」
「その呼び方はもう固定なんだなぁ~。うわぁ、こそば~い」
「ええ、だってアキラさんは、僕のお義父さんですから」
すっかり打ち解け、意気投合したように見えるアキラとジュン。
だから、ということもあるのだが、ここでアキラが余計なことを言ってしまう。
「なんつ~か、思い出すよなぁ。《《あっちのジュン》》のことをよ~」
「ちょっとアキラ、それはデリカシーないわよ」
完全に力を抜いていたアキラは、ミフユに指摘されて「ヤベ!」と口を閉ざした。
しかし、間近にいたジュンがそれを聞いていないワケがない。
「『あっちのジュン』とは……?」
「ほらぁ、しっかり聞こえちゃってるじゃないのよぉ、おバカァ~!」
「ごめんてぇ……」
ミフユのジトッとした目に睨まれて、アキラが身を縮こまらせてしまう。
それを見ていたスダレが、ため息をつきつつジュンに説明した。
「ウチの、異世界での旦那さんだよぉ。ジュン・クライエル、っていうのぉ」
「そういえば、その話は聞いたことがなかったね。僕と同じ名前だったんだ……」
「同じ名前だけど~、あっちのジュン君とこっちのジュン君は違うのぉ~!」
「うん、わかってるよ、スダレ」
頬を膨らませるスダレに、笑ってうなずくジュンだった。
アキラはこのやらかしが美沙子に伝わって、晩飯抜きの刑に処されたそうだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ジュンの単身赴任終了パーティーが、クライマックスを迎えていた。
「はい、今日のために焼いたケーキだよぉ~!」
バーンズ家の最終兵器にして鬼門たる『スダレの雄岩威刑鬼』の登場だ。
何を材料に使ったか、このたびは青と蛍光ピンクと紫のマーブル模様をしている。
アキラが顔色を変え、シンラが低く呻き、ヒメノですら避けて通る。
まさしくバーンズ家にとっての『食べる厄災』である、スダレのケーキだが――、
「うわぁ、美味しそうだねぇ!」
それに満面の笑みを浮かべるのが、ジュンという男だった。
我慢をしてるワケではない。演技をしてるワケでもない。純粋に喜んでいる。
「いただきまぁ~す!」
そしてジュンはフォークで軽く切り分け、一口。
味について記すと、前話よりはるかに凄惨かつグロテスクな描写になるので割愛。
だがそれは、アキラをはじめとする『普通の味覚』の持ち主が食べた場合の話。
「わぁ、美味しい! またケーキ作りが上手くなったね、スダレ!」
「本当ォ~? 嬉しいぃ~!」
表情をパッと輝かせる夫に、スダレもパンと手を打って喜ぶ。
スダレのケーキに適応できる特殊な味覚。
それこそが、彼女の夫となるために最も必要な条件なのかもしれない。
「はぁ~、本当に僕は幸せだなぁ~」
ケーキも食べ終えて一息ついたところで、ジュンがそんな感想を漏らした。
「僕に家族がいないのは、前に話したよね?」
「うん~、火事、だったんでしょ~?」
「そうだね。四年前、僕がまだ大学生だったときに、火事でみんな、ね……」
そして、ジュンはそのときに『出戻り』した。
「僕の父さんと母さんにも、スダレを紹介したかったなぁ……」
「それはもうしたでしょ~」
「一応、ね」
ジュンは小さく苦笑する。
紹介といっても、それはあくまでも墓前でのこと。
ジュンが『生きてるうち』にと願うのは、仕方のないことではあった。
しかし、彼は軽くかぶりを振ってから、話題を変えようとする。
「ねぇ、スダレ」
「なぁにぃ~、ジュン君」
「スダレの、あっちでの旦那さんって、どんな人なの?」
「え、それは……」
「別に妬いたりしないよ。ただ、ちょっと気になるだけだから」
軽い調子で言う彼に、スダレは少しだけ悩む様子を見せてから、
「クライエル君はねぇ~、ジュン君と名前は同じでも、全然タイプは違うかな~」
かつての夫を名前では呼ばない配慮に、ジュンは少し嬉しそうに微笑む。
彼女にとっての『ジュン』は、確かに今ここにいる八重垣淳一人だけなのだから。
「クライエル君は、おパパの傭兵団の団員の一人だったんだよ~。魔導士で、理論派よりは実践派でぇ~、いつも何か実験して、失敗してたぁ~」
「そういう人なんだ……」
「ウチはそのときから色んな情報とか知識集めててぇ~、実験に必要だからって色んなことを質問しに来たんだよねぇ~。それが、最初の出会いかなぁ~」
「へぇ……」
「それでぇ~、仲良くなっていってぇ~、ウチもクライエル君のこといいなぁって、思うようになってぇ~、出会って半年くらいかなぁ、ウチが告白されたのぉ~」
「半年、かぁ……」
ジュンがスダレに告白したのも、ちょうど半年くらいの時期だった。
「ウチ、嬉しくてぇ~、告白されたその日に『結婚しようねぇ~』って言っちゃった~。それでクライエル君から改めてプロポーズされてぇ~、結婚したんだよぉ~」
「ふ、ふ~ん……」
聞いているジュンの顔から、少しずつ余裕が削れていく。
出会って半年で告白して、その日に結婚。どこかの夫婦と同じような経緯である。
「あとは、ずぅ~~~~っと、死ぬまで一緒だったよぉ~、それでクライエル君がウチより先に、寿命が来ちゃったんだけど、そのときにねぇ~」
「うん、もういいや!」
自分から振ってきた話題なのに、ジュンがとてもいい笑顔で打ち切ってくる。
「あれぇ~?」
「やっぱダメだね……。聞いてるうちに、妬いちゃいそうになったよ。ごめん」
「フフ~、ちょっと妬いてもよかったのにぃ~」
髪を掻くジュンの隣に座って、スダレが笑って寄りかかる。
「ウチが好きなのは、あなただよ。八重垣淳で、ジュン・ライプニッツ、だよ」
「うん、僕が好きなのも、八重垣簾で、スダレ・バーンズ、だから」
そして二人は、甘いキスを交わす。
「ごめんね、スダレ」
「どうしたのぉ~、ジュン君?」
急に謝り出すジュンに、スダレが首をかしげる。
「僕、どうやら自分で思ってたより嫉妬深いみたいだ」
「なぁにぃ~?」
「僕ね、このまま君と一緒に過ごして、死んで、生まれ変わっても、また君のことを奥さんにしたいと思ってる。……ううう、ごめんねぇ、独占欲強いみたいだぁ、僕」
「アハハ、そんなこと気にしないでいいのにぃ~」
本当に罪悪感に駆られているっぽいジュンの頭を、スダレは笑いながら撫でた。
そして、彼女は何かを懐かしむような顔で、繰り返す。
「生まれ変わっても、また、かぁ……」
「あ、や、やっぱなしで。恥ずかしいよ、すごく恥ずかしくなってきた!」
「やだぁ~、ウチもそうしたい~」
スダレは、手をバタバタさせる夫を捕まえ、抱きしめる。
そして彼女は思い出す。
ついさっき話しかけた、異世界での夫、ジュン・クライエルの最期の言葉を。
『生まれ変わっても、また、君と一緒になりたいな。スダレ』
彼はそう言って、スダレに看取られて息を引き取った。
スダレが八重垣淳に興味を持ったきっかけは、かつての夫と同じ名だったから。
それは、目の前の今の夫に言うことはないだろう。
そしてもう一つ、つい最近、同じような秘密が増えた。
スダレですら、異能態にならなければ知らなかった事実がある。
それは、ジュンが『ジュン』であるということ。
異能態を発動させたスダレは、その場にあるいあらゆる情報を知覚・認識できる。
例えば、その場にいる人間の魂の輪廻の記憶だとかも含めて。
それで、知ることができた。
ジュン・ライプニッツは、ジュン・クライエルの生まれ変わりだ。
異世界で輪廻を一回果たした上での『出戻り』。
きっと八重垣淳ことジュン・ライプニッツ以外には存在しない、稀有な例だろう。
だからジュンは、すでに最期の願いを叶えているのだ。今、この瞬間。
でもそれを、スダレは誰にも言うつもりはない。これだけは絶対に、誰にも。
自分の胸の中にしまっておく、最高に大切な宝物だから。
「ジュン君にまた会えて、嬉しいよ、ウチ」
「また、って?」
「フフフゥ~、内緒~。ジュン君、だぁ~い好きぃ~!」
そう言って、スダレは夫をまた抱きしめる。
八重垣夫妻は、今日も仲睦まじく、二人でいられる幸せを噛み締めるのだった。




