第196話 天罰覿面、彼と彼女は破滅する
その姿を一言で例えるならば、鮮血の女神像、だろうか。
服は着ておらず、全裸。
だが肌の色が鮮やかな赤で、その身に長い黒髪が羽衣のように絡まっている。
地面から少しだけ浮いていて、髪の毛もフワフワと揺蕩っていた。
美しくも禍々しく、妖艶ながらも神々しい。
それが、今のスダレの姿。異能態となった彼女の全体像である。
「――『真実』」
紅き女神像が、静かに口を開く。
「何者にも犯すことのできない、ただ一つの確かなもの。ジュン君は、心を捧げることでウチにそれを教えてくれた。この世界に、ソレは確かにあるんだって」
右手に掴む宝珠から、一際強い蒼い輝きが発せられる。
ジュンの心臓を受け取り、到達したスダレの『真念』は、まさしく『真実』。
神ですら覆せない、唯一無二の事実。心から信頼できる誠実。
それはスダレの中にあった欺瞞を全て消し飛ばし、彼女を異能態へと至らせた。
「ウチはもう、恐れない。過去の影に怯えない。ジュン君が、ウチに『真実』の輝きを見せてくれたから。隷属の呪縛を打ち破って、心を捧げてくれたから」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
スズリカが、絶叫する。
髪を掻きむしり、地団駄を踏んで、狂態を見せながらがなり立てる。
「何でよォ! 何でなのよォ、ジュン! どうしてよぉ! 私は確かに『レイレーテの矢』を当てたじゃない! 心臓に、ブチ当てたはずでしょうがよォォォォォ!」
「まだ、気づいてないんだねぇ~」
喚くスズリカに、スダレの冷静な声。彼女は理由を教えてあげた。
「あのとき、ジュン君に矢が刺さったとき、ジュン君は胸の内に一枚だけ『百珂草紙』を忍ばせてたんだよぉ~、自分の身の守りとしてねぇ~」
「な、何ですって……?」
その事実を聞かされて、スズリカは叫ぶことをやめて呆然となる。
「さすがに一枚きりだとぉ~、矢を無効化はできなかったけどぉ~、でも、二、三割は効果を低減できてたんだよぉ~。だからジュン君は、抵抗できたのぉ~」
「そ、そ、そんな……」
探検家として、危険な場所を巡り続けたジュンにとっては当然すぎる備えだ。
スダレはそれを知っていて、スズリカは知らなかった。同じ、妻なのに。
「おスズちゃんはぁ~、あっちで奥さんだったのに、ジュン君のこと、本当になぁ~んにも見てなかったんだねぇ。ジュン君ナメすぎぃ~。ウチの旦那さんだよぉ~」
「な、ぁ、あ、あんた、あんたなんかに……」
スダレに挑発され、再びスズリカが怒りに顔を歪ませる。
そして彼女は激昂に任せて怒鳴ろうとするが――、
「はい、お口チャックゥ~」
「あんたなん――ッ、……ッ。…………ッ、ッッ! ――――ッ!?」
スズリカは口を大きく開くも、だが、声が出ない。出せないでいるようだ。
「『声を出せる』っていう情報を『声を出せない」に書き換えましたぁ~」
「書き換えた? ……ミフユの異能態の能力に近い感じ、か?」
アキラがあごに手を当てて、スダレの能力について軽く考察する。
しかし、比較対象に挙げられたミフユの顔には、おののきの笑みが浮かんでいた。
「それどころじゃないわよ、多分……」
「あ?」
「ねぇ、スダレ。そうなんでしょ。あんたは、《《全部わかるんでしょ》》?」
「さすがおママ~。大当たり~。ウチは全部わかるしぃ~、全部管理できるよぉ~」
「とんでもないわね……」
スダレとミフユの間では、すでに共通認識が成立しているようだった。
一人わからず、アキラは「どういうことだ?」と問いかける。
「簡単よ。スダレは、今この場にある全ての情報を自分のものとして扱えるのよ。あのスズリカって女が持つ『声を出せる』という情報を『声を出せない』に書き換えることもできるし、あの女のこれまでの人生の足跡を全て知ることもできる」
「……まさか、半全能に収まらない?」
「そうよ。今のスダレはいわば半全知全能。この場の全情報を支配・掌握できるわ」
――『情報掌握』。
それこそが、異能態となったスダレが持つ能力。
内容的にはミフユの異能態の能力をも凌駕しているように思える。しかし、
「あくまでぇ~、今この場にある情報だけだよぉ~。おママの異能態の能力みたいに~、『設定の付与』っていう形で『情報の追加』はできないんだぁ~」
「とんでもねぇ能力だが、一応、制限もないワケじゃないってこと、か……?」
「あってないようなモノよね。どっちにしろ、とんでもないはとんでもないわよ」
結論、とんでもない。
そんなスダレの異能態を前に、声を出せないスズリカは怯えの表情を見せる。
そして、それまでただ見ているだけだったソウジも、
「な、何だそれは、簾……。異能態だと、一体、それは何なんだ!?」
そのリアクションに、アキラとミフユは揃って違和感を抱く。
「何だァ、あいつ……?」
「あの反応って、もしかして――」
「そ。三百年後の人間はねぇ、異能態を知らないんだよぉ~」
自らの能力によってそれを認識できるスダレが、それを二人に教えた。
「三百年っていう時間の流れでぇ~、魔法技術は進歩したけどぉ~、人の心も様変わりしちゃったんだよねぇ~。日本だと江戸時代だもんねぇ~、三百年前ってぇ~」
「そうか、平和な時代になって、力を持たずとも生きられるようになった。だから、異能態みたいな強大な力は必要なくなって、廃れ、忘れられていったのか……」
実をいえば、ジュンもまた異能態に到達できるレベルには達していた。
しかし、彼もまた『未来の出戻り』。
その精神構造はアキラ達と異なっており、残念ながら異能態には至れない。
「進むものがあれば廃れていくものもある。それが、時の流れってやつよね」
「『毘楼博叉』が通用しないほど魔法技術は上がったらしいが、ねぇ」
ミフユとアキラがそう話している一方で、スダレはソウジと対峙する。
「簾、おまえは、本気で私をどうにかできると思っているのか? この私を……?」
「あのねぇ、お父さん。もうねぇ、ウチはあなたのこと、怖くないんだぁ~」
「な、何……?」
「だって、ウチ知ってるモン。あなたってぇ~、異面体も使えないでしょ~?」
「なッ、それを、何故……!?」
「この場に存在する情報はぁ、全部ウチのモノなのぉ~。だから知ってるよぉ~。お父さんの異面体は弱すぎてぇ~、全然、使い道がないこともぉ~」
愕然となるソウジに、スダレはニッコリと笑う。
その笑顔に、強がりはない。彼女は本当に、父親への恐怖を克服していた。
「次にお父さんは、『だが、私には古代遺物のコレクションがある!』って言う~」
「だが、私には古代遺物のコレクションが――、はッ!?」
ソウジはハッとなってその顔を汗にまみれさせ、スダレは笑みを深めた。
「ぐ、ぅ……、簾、おまえは……ッ」
今度こそ、ソウジ・ヴェルカントの顔は屈辱に歪む。
スダレは実の父親を前に、特に感慨も浮かんでいない顔で、それを眺めた。
そのまなざしが、ソウジの逆鱗に触れた。
「何だ、その目は。ぉ、おまえが、おまえ如きが、そんな目で私を見ていいと思っているのか! 私専用の肉便器になるために生まれてきた、おまえなんかが……ッ!」
「わぁ、クズ」
「これは気持ちよくブチ殺せるわね~」
異世界側の両親のコメントがちょっと笑える。
まぁ、スダレが抱いた感想もおおむね似たようなものではあったが。
「ク、ヒヒヒ、余裕ぶるなよ、過去の亡霊共。私にはコレクションがあるんだ!」
汗だくになりながらも、ソウジは笑うことをやめない。
彼の言っていることは事実でもある。
ジュンのパトロンであった彼は、発掘された古代遺物を多数保有している。
スズリカがジュンに使った『レイレーテの矢』も、そのうちの一つだ。
ソウジは、引きつり笑いをしながら、収納空間から次々に遺物を取り出していく。
「見ろ、私のの装備を! この鎧を! この盾を! この兜を! 光り輝く、我が古代の遺物を! 全て、伝説に名を残す、至高の武具ばかりだ! フハハハハハハ!」
ソウジが自慢する通り、確かにその身に帯びた防具は光を纏っていた。
いずれも強力な魔力を帯びており、自慢するだけはありそうだ。
「俺達を過去の亡霊扱いして、自分が最後に頼るのが過去の遺物なの、笑うが?」
「しッ! 言っちゃダメよ、アキラ。あの人、あれでものすごく必死なんだから!」
やっぱり、異世界側の両親のコメントが笑える。
まぁ、これもやっぱり、スダレが抱いた感想はおおむね同じだったりするが。
「ぐ、ガキ共が、これを見ても、そんな口が叩けるかァァァァ――――ッ!」
絶叫と共に、ソウジが取り出したのは真っ黒い長剣だった。
見るからに禍々しいデザインをしており、鍔には髑髏の意匠が施されている。
「これこそ最強の古代遺物、世界すら滅ぼす神喰いの刃、ガルザント・ルドラだ!」
「「…………は?」」
威風堂々胸を張り、高笑いするソウジに、アキラとミフユの目が点になる。
「フハハハハハハハハハハハ! 見ろ、この瘴気を発する、恐るべき剣を! これを持つ私に勝てる者など、この世にはいない! クハハハハハハハハハハハハ!」
笑い続けるソウジを眺めながら、アキラがガルさんを取り出す。
「――とのことですが、ガルさん、コメントを」
『あんなパチモンと一緒にされて甚だ不愉快じゃわい。あいつ滅ぼしていい?』
「それはやめとけ。スダレの晴れ舞台だぞ」
『おおおおお、スダレよ! 立派になったなぁ~! 俺様は心から嬉しいぞぉ~!』
「エヘヘェ~、ありがとう~、ガルおじちゃん~」
「う~む、リアクションが子供の成人式に感激する親戚のおじさん……」
全く高まらない緊張感に、ソウジが笑いを止めて奥歯をギリと鳴らす。
彼は、漆黒の剣を突きつけて、最終勧告を飛ばしてくる。
「簾、今ならまだ間に合うぞ。私のところに来い。そうすれば、この最終兵器でおまえを殺すことはやめてやる。そして、私がベッドの中で至上の快楽を教えてやろう」
それに対するスダレの反応は実に明快。
「――――プッ」
噴き出すだけだった。
「ならば、一度この刃で八つ裂きにしてやるぞォォォォォォォ――――ッ!」
堪忍袋の緒をブチブチに千切れさせて、ソウジが黒い刃で斬りかかる。
振り下ろした長剣が、彼女の体を上から深々と切り裂いた。
「ィギャアアアアアアアアアアアアアアアアァアァァァァァァァ――――ッ!?」
「フハハハハハハッ、どうだ、どうだ簾、痛いか! 痛いだろォ!」
「や、やめッ、あぁ、ァ、体が、う、動かな……、ヒギャアアアアアアアアアッ!」
「いい悲鳴だなぁ、簾。私に逆らうからこうなるんだ、私に逆らうからァ!」
けたたましく笑いながら、ソウジが長剣を振るって娘を切り刻んでいる。
異世界での娘であった、スズリカ・ライプニッツを。
「ソウジ・ヴェルカントの認識を書き換え、おスズちゃんをウチに見えるようにしたよ。あとはおスズちゃんの体の自由も奪ったぁ~。好きなだけやり合ってねぇ~」
離れた場所から、二人の戦いを観察していたスダレが、軽く手を振った。
「フハハハハハハハハハ! 簾、おまえは悪い子だ、簾ェェェェェ――――ッ!」
「や、やめッ、パパ、ゃだ……、やめて、やめでぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!」
スダレ達が見ている前で、スズリカの右腕が飛ぶ。左足が飛ぶ。
「あぁぁ、あぁ、ああああああ! ぅああああああああああああああああああッ!」
そしてついにスズリカも反撃に出た。
影が大きく広がって、そこから黒い針金の蛇が何体も出現し、ソウジに食いつく。
「な、簾、まだ私に逆らうのかァァァァァァァァァ――――ッ!」
「う、ぅるさい、殺してやる、こ、殺してやるぅぅぅぅぅぅアアアアアアアアア!」
かくして始まる、無益にして不毛、無駄にして空しいだけの殺し合い。
のんびり見ているのもめんどいので、ここでスダレはその殺し合いを十倍速。
「ぁぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃああああぁぁぁぁぁぁ!」
「るるるるるるるるぁぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
速くしすぎて、ソウジ達が何を言っているかわからないが、最期は相討ち。
ソウジの首にはスズリカの異面体の蛇が食いつき、彼女の心臓は長剣に抉られた。
同時に絶命し、倒れる二人。
だが当然、スダレの仕返しがこの程度で終わるワケがない。
「え~っと、時間を二分巻き戻してぇ~、十倍速のまま、ハイ、再生ィ~」
彼女の言葉の通り、ソウジとスズリカの時間は二分間巻き戻されて、再対峙。
そして、十倍速で再び殺し合いが始まった。
「ぁぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃああああぁぁぁぁぁぁ!」
「るるるるるるるるぁぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
結果は、またしても相討ち。
死体になった二人が、地面に転がる。スダレはそれを、また巻き戻す。
「ハァ~イ、再生ィ~」
「ぁぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃああああぁぁぁぁぁぁ!」
「るるるるるるるるぁぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
また相討ち、二人は死体となって転がって、スダレがみたび巻き戻す。
「わぁ、エグイことするわぁ~、ウチの四女」
「現実で動画の倍速再生してんじゃないわよ……」
「アハハハァ~、なかなか見られないでしょ~、こういうの~」
もはや、アキラもミフユも、ソウジ達の死をエンタメとして楽しんでいた。
しかし繰り返し、殺し合いをさせられる二人はたまったものではない。
「ぁぁ、ぁぁ、ぁぁ、ぁぁ……!」
「も、ゃ、やめ……、ゃだ、こ、殺して……」
再生が二十回を超える頃、ソウジも、スズリカも、揃って泣いていた。
だが、殺し合いは止まらない。
ソウジとスズリカの活動の全てが、スダレに支配されている。
二人には、もう自由になるモノが何も残っていない。
己の生死すら、鮮血の色をした女神の手のひらの上に乗っかっている。
「大丈夫だよぉ~」
疲れ切り、力なく二人に、スダレは優しく笑いかける。
「死んでも『死んだ』っていう情報を書き換えてぇ~、すぐに生き返してあげるよぉ~。そしたらまた殺し合ってねぇ~。百回や二百回じゃ終わらせないからねぇ~」
「ひ……」
「ぁ、ぁぁ……!」
もはや恐れるしかない。絶望するしかない。
ソウジ・ヴェルカントとスズリカ・ライプニッツは、己の破滅を思い知る。
「はぁ~い、それじゃあ十倍速で再生ィ~」
「「イヤだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!?」」
最終的に、989回殺し合わせて相討ちに終わったところで、飽きたのでやめた。
「じゃ、もういらないからぁ~、この世から消えてねぇ~」
二人の死体は全情報を『解体』されて砂となり、『異階』の中に散っていった。
以上が、アキラとミフユが見届けた、スダレの仕返しの全てである。