第194話 立場逆転、犯人一味は転落する
スズリカの絶叫に留飲は下がったか?
そんなことは全くない。画面の向こうにジュンの姿がある限り、それはない。
「でもいいよぉ、もう少しだけ、そばにいさせてあげるぅ~」
そう呟き、スダレは『毘楼博叉』の画面を切り替える。
次に映し出されたのは、市内のオフィス街にある、とある企業が入っているビル。
――牧村宗次が管理職を務める企業だ。
『これは一体どういうことなんだ!?』
広い会議室に、男の怒鳴り声が響く。
そこには、何人もの男達が厳しい顔つきで卓を囲んでいた。
そんな中、一人だけ立たされて恐縮している男がいる。
牧村宗次その人であった。
『牧村君、本日送られてきたメールについて、何か弁明はあるかね?』
ソウジにそう告げる恰幅のいい男は、この企業の社長だ。
宙色の出で、地元を愛し、全国に支部を持ちながら本拠を宙色市に構えている。
『う、そ、そのようなメールは全て事実無根で……』
『全て? 全てと言ったかね!?』
『はい、社長。私を信じてください。私は、誓ってそのようなことは……!』
『ではこの写真も事実無根であると?』
社長がソウジに一枚の写真を見せる。
そこに写っているのは、学生にしか見えない女とホテルに入るソウジの姿。
『こ、これは……!』
『顔色が変わったね、牧村君』
『いや、し、知りません! こんな写真は……!』
『この日付、この時間、君は確か外に打ち合わせに出ていたはずだね』
『そ、それは……』
『すでに先方には確認済みだよ。――口裏合わせを命じたそうじゃないか』
『…………』
『この一件以外にも、相手が下請けだからと随分無茶を言っていたようだね』
社長の追求に、ソウジはもはや何も言わず、俯くしかなくなる。
『我が社はホワイトでクリーンなイメージを大事にしているのだよ。それなのに、規範となるべき部長の君が、未成年との淫行かね。やってくれたねぇ……!』
ギリッ、と、社長が奥歯を噛み締める音が、スダレにまで聞こえてくる。
『さらに、これだけではない』
そして社長が会議卓に放り投げたのが、様々な数字が記載された書類だ。
『期間にして五年。金額にして四億七千万。君がやってきた横領の金額だ。もちろん、賠償請求はさせてもらう。言い訳はしてくれて構わないぞ。証拠は揃っている』
いかにも社長が揃えたという感じに言うが、無論、スダレが用意したものだ。
『う、ぁ、あ……!』
『退職金など出ると思わないでくれよ。君に退職など認めない。懲戒解雇だ』
『そんな、社長! 私を切り捨てるのですか、私は長年、社に貢献を――』
『黙りたまえ。君はもはや我が社の癌だ。切除せねば、社が君に殺されてしまう』
『が、癌……ッ』
ソウジは絶句して、もはや何も言えないようだった。
こうして、彼は無職となった。
――これで、二つ。
「でも、どっちもまだまだ終わらないよぉ~?」
スダレは、再び画面を切り替える。こちらはスズリカとジュン。
『え、な、何ですか、部長。もう一回……』
スズリカがスマホで誰かと電話をしている。
せっかくだから、通話している相手の音声も載せてみよう。
『君は明日から職場に来なくていいと言ったんだよ、百合岡君』
『な、何でいきなり……!?』
『身に覚えがない? 本当に、原因がわからないのか?』
『当たり前じゃないですか、私が、何をしたと……!』
『倉田楓君の件、と言えば伝わるか?』
『あ……』
『伝わったようだね。何よりだ。彼女は君を訴えるそうだ。そりゃあそうだろうな。一方的に因縁をつけられて、全治一か月のケガなんてさせられたんだから』
まさに、あの親にしてこの娘あり、としか言いようがない。
スズリカは『出戻り』以降の三週間以内に、バッチリ不祥事を起こしていたのだ。
それは、同僚に対する直接的な暴力という、言い逃れのしようのないもの。
彼女は被害者を脅して黙らせていたが、記録は被害者のスマホの中に残っていた。
それを確認して、あとは被害者にメールを送ればいいだけだ。
少し被害者の怒りと正義感を煽れば、脅された恐怖さえも反撃のリソースとなる。
スダレの狙い通り、被害者の倉田楓はスズリカの告発に踏み切ってくれた。
『倉田君は大手取引先の重役の娘だ。その彼女にケガをさせた君を、庇うわけにはいかない。君は解雇だ。今後、倉田君から訴えられるだろうが、我が社は関与しない』
『そ、ん、な……』
呆然となるスズリカの耳に、プツと電話が切れる音。
スズリカは、ただただその場に立ち尽くすしかなかった。
無表情のジュンが、それを何も言わず眺めていた。
――これで、三つ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
まだまだ、二人が転げ落ちていくのはこれからだ。
現実空間に戻って、スダレはノートPCを操作していく。
「口座凍結、交通用含め各種カード使用不能、マンションのオートロック暗証番号変更。バカだねぇ~、二人ともオートロック付きのマンション選んじゃってぇ~。ついでにマンションの部屋の名義も変更しちゃおうっとぉ~。はい、これでお~わり」
エンターキーをカチッと押して、操作実行。
これで、百合岡涼香と牧村宗次は、もう日本で何もできなくなった。
カードが使えなくなった。
銀行から金を下ろせなくなった。
マンションに入れなくなった。
現金以外の手段で交通機関を使うこともできなくなった。
現代文明の恩恵を、一切受けられなくなった。人という名のサルと化したのだ。
ま、そうはいっても二人は『出戻り』。
スズリカに関していえばジュンもいるのだから、手痛いだろうが致命傷ではない。
だが逆にいえば、致命傷ではないが大ダメージだ。
だって二人は『出戻り』であると同時に、令和を生きる日本人でもあるのだから。
それでは、再びビロバクサを通じて、二人の様子を観察しよう。
『何故だ、一体、何がどうなって……!』
ソウジが、会社から出るところだ。
彼はタクシーを使って駅へと向かう。そしてカードで支払いをしようとするが、
『お客さん、このカード、使えませんよ』
『な、何……? そんなことは……』
だが、何度やってもクレジットカードは使えない。
仕方なく、ソウジは現金で料金を支払った。
普段からカード頼りのソウジは、現金をあまり持ち歩かない。それが災いした。
『カードが使えない……? 念のため、現金を下ろしておくか……』
そう言って彼は、コンビニに入ってATMを使おうとする。
しかし、これもまた不可能。キャッシュカードを入れてもATMは応答しない。
『何だこれは、どうなっているんだ! どういうことだ!?』
『お、お客様……!』
ATMを前に、髪型が乱れるのも気にせず、ソウジはいきり立って暴れた。
その後、コンビニを追い出されたのは言うまでもない。
『バカな、カードが使えず、現金もない。そんな、これじゃあ……』
そのとき、空腹からソウジの腹がグゥと鳴る。
今の彼に、その空腹を満たす手段はない。
腹に手を当て、棒立ちになるソウジの顔には、みじめさに対する憤りが表れる。
『……簾か』
ようやく、彼は気づいたようだった。
そして人目も気にせず頭を振り回すようにして、辺りに視線を走らせる。
『簾、これはおまえの仕業だな! 私に直接は勝てないからと、こんな小汚い手を使って勝ったつもりか、愚かな娘だ。私を怒らせればどうなるか、身の程を知れ!』
「う~ん、見事な特大ブーメランだねぇ~」
大体にして、小汚い手も何も、《《これがスダレの戦い方だ》》。
アキラを超える強さを発揮できる、自分の戦略、戦術、戦法。自分の戦い方。
それを、当たり前のように使っているに過ぎない。
これに対する非難は、戦場において兵士に武器を使うなと言っているに等しい。
笑うわ。ってなモンである。
『覚えておけ、簾! 私には古代文明のコレクションがあるんだ! それを使えば、おまえなんてひとたまりもない。それを忘れるな! おまえは私には勝てんのだ!』
「勝ち負けとか、そういうフェイズじゃないんだよねぇ~」
まぁ、そのコレクションとやらがあったところで、彼はスダレには絶対届かない。
ソウジが彼女のことを見つけたのも単なる偶然でしかないのだ。
それがなければ、彼は未だに無駄に娘を探し続けていたのは間違いない。
『簾、聞いているのか、簾! 聞いているんだろう、簾ェ――――ッ!』
駅前で、皆の視線を浴びながら騒いでいるソウジは、ひとまず放置。
今度はスズリカの方に画面を切り替える。彼女は、自宅マンション前にいた。
『何でよ、どうして家に入れないのよォ!』
マンション入り口のオートロック。
部屋番号を入れてカードキーを読み込ませることで、それは開くはずだった。
しかし、読み取り口にカードを突っ込んでも、全く反応しない。
他に、別の部屋の住人に頼んで入れてもらう手もないワケではない。
しかし、そんな親しい相手がいないスズリカには、不可能な話だ。
『何なの? 何なのよ! カードも使えないし、お金も下ろせないし、電車にも乗れなくてここまで歩いて帰る羽目になって、それで入れないってどういうことよ!』
顔を憤怒に歪ませながら、スズリカが地面をダンダンと踏みつける。
その衝撃にヒールが耐え切れず、かかとが折れて彼女はその場にすっ転んだ。
『ぐぅ! ……痛ぁ、痛い、痛いぃ。何でよ、何なのよ、助けなさいよ、ジュン!』
『ああ』
涙目になるスズリカが、ジュンに命じる。
すると彼はそれに反応して、スズリカに向かって手を差し伸べた。
見るからに、情動の失せた機械的な動きに見える。
『ぐ、ぐぐっ、ぅ、うううぅ……!』
ジュンに立たせてもらいながら、スズリカが憤怒の形相で空を見上げた。
『あんたね、スダレ・バーンズ!』
こっちも、やっと気づいたようだった。
『あ、あんたなんかが今頃何をしたってねぇ、ジュンは戻ってこないのよ。ジュンは私のものなのよ! ジュンは、彼は、私の夫なのよ! ぁ、あんたなんかァ!』
目を大きく剥いて、スズリカはソウジと同様に怒鳴り散らした。
無感情な顔をしているジュンが傍らに立っているのは、かなりシュールな光景だ。
「バカな人ぉ~、別にいいもぉ~ん。ウチは――」
思い返す、ジュンの最後の一言。彼の、自分を見るまなざし。
「ウチは、ジュン君を信じてるもォ~ん」
そしてスダレは画面を消して、現実空間に復帰する。
時間が来たからだ。ちょうどいいタイミングで、チャイムが鳴った。
「はぁ~い」
事務所入り口のドアを開けると、そこにはアキラと、そしてミフユもいた。
「おママも一緒ぉ~?」
「当たり前じゃない。私だってあんたの親よ」
「――うん!」
過保護だなぁ、と思いながら、でもやっぱり来てくれたのは嬉しい。
「これから出かけるから、一緒に来て。そして――」
軽く目を閉じて、思い浮かべるのはスズリカ、ソウジ、そして、ジュン。
「見届けて、ウチの仕返しを。スダレ・バーンズの決着を」
アキラとミフユは、しっかりとそれにうなずいた。
決戦の場へ、探偵はこれより赴く。