第190話 事情聴取、夫は語る
受付のお姉さんは、丁寧だった。
「技術課の八重垣様の奥様ですね。ご連絡いたしますのでそちらでお待ちください」
「ありがとうございます。それでは待たせていただきます」
言って、ぺこりと頭を下げるスダレ。
やろうと思えば普通に喋ることもできるのだ。
「スダレ!」
数分待っていると、スーツの上に社名入りのジャケットを羽織ったジュンが来る。
「あ、ジュンく~~~~ん!」
普段は見ない夫の姿を目にして、スダレは思わず声を弾ませた。
「オイオイ、ジュンく~ん、だってよ」
「いいですねぇ、新婚さんは。っつか、奥さんめっちゃ可愛いっすね」
「あら~、愛妻弁当持ってきてくれたみたいだね~」
ジュンと一緒に出てきた同僚らしき数人が、ジュンを囲んで茶化したりしている。
「あ、あはは……」
答えに窮し、笑うことしかできないでいるジュン。
それを見たスダレは、お弁当を手に駆け寄り、
「あ、ごめんねぇ~、来ない方がよかったかなぁ……」
「いや、そんなことはありませんとも、八重垣君の奥さん」
答えたのは、ジュンではなかった。
すぐ後ろにやってきた、白髪が目立つ中年男性だった。背が高く貫禄がある。
「こいつらは、八重垣君を羨んでいるだけです。なぁ、自称独身貴族共」
「部長……」
大柄な中年男性は、ジュンが勤めている部署の偉い人らしい。
彼の出現によってジュンをちゃかしていた同僚一同がピキッと固まってしまう。
「ぃ、いや、俺達は……」
「あの~、別にそんな、ねぇ……」
部長というヘビに睨みを利かされ、カエルと化した同僚達にジュンも唖然となる。
「八重垣君、この先の三番の会議室を使っていいぞ。せっかく来てくれたんだ。奥さんと一緒にお昼を食べたいだろう。僕が許可するから、二人で食べてきなさい」
「え、でも……」
驚くジュンとスダレに、部長は何と、ウインクなどして見せる。
「いいんだよ。君はとても頑張ってくれてるからな。褒美とでも思ってくれ。でも、今日だけだぞ。さすがに連日は、そこにいる独身共にとっても毒だからな」
そう言って、部長は固まってる同僚達の肩を一回ずつ叩いていった。
「さぁ、お邪魔虫は退散するぞ~。おまえらもさっさと相手を見つけなさいよ」
「ひでぇっすよ、部長~」
「え~? 聞こえないな~。おまえらも八重垣君くらい頑張ってればな~」
「うひぃ……」
そして同僚達を引き連れて、部長が会社の入り口から出ていこうとする。
その背中に、ジュンとスダレが頭を下げた。
「あ、あの、部長。ありがとうございます!」
「ありがとうございますぅ~」
感謝する二人に、部長は軽く手を振るだけで、そのまま外へと出ていった。
部長さんったらお茶目さん。スダレはそう思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
さほど広くない会議室で、二人でお食事タイム。
「わ、卵焼き。今日も美味しそうだね」
「ンフゥ~、今回は上手くできたんだぁ~」
作ってきたのは二人分、ちゃんとスダレは自分の分まで持ってきていた。
「でも、本当にごめんねぇ~、急に押しかけてぇ~」
「大丈夫だよ。部長も言ってくれたし。僕も嬉しかったし。でも今日だけだよ?」
「はぁ~い」
いいお返事をして、二人はしばしの間、夫婦水入らずのお昼を過ごす。
そして、お弁当もだいぶ食べ終わったところで、先に切り出したのはジュンの方。
「ところで、スダレ」
「はぁ~い」
「今日来たのは、やっぱり?」
「うん~、そうだよぉ~、昨日のことが気になってぇ~」
隠すこともなくスダレが告げると、ジュンは「そうだよね」と苦笑する。
「それでぇ~、あの百合岡さんって人なんだけどぉ~」
「……スズリカ、なんでしょ」
スダレが教える前に、ジュンは陰りのある表情を浮かべて、それを言ってくる。
「わかってたのぉ~」
「気づいたのは、今日だよ。……ん、美味しかった。ごちそうさま」
「おそまつさまでしたぁ~」
空になった弁当箱にふたをして、ジュンが語り始める。
「百合岡さんとは、先月までほとんど没交渉だったんだけど、三週間くらい前から急に僕に話しかけてくるようになってね、何か怪しいな、とは思ってたんだ。それに、涼香っていう名前のこともあるから、もしかしたらと思ってはいたよ」
陰のある笑みはそのままに、ジュンはゆっくりと天井を仰ぎ、息をはいた。
「……そっかぁ、スズリカかぁ」
ここで彼が見せる反応は、とても前世の妻に対するものとは思えない。
あの、コミュ障ではあるが温厚で人当たりのいいジュンが、心から辟易している。
「どういう人、なのぉ~」
「少しだけ君と同じで、ほとんど君と正反対、かな……」
「はにゃ~ん?」
要領を得ない説明にスダレは首をかしげる。ジュンは続けた。
「君と同じで、僕のことをとても好きでいてくれた人だよ。その一途さは、少しだけ君と同じだと思えた。でも、それ以外の部分は、全部正反対。ひどく束縛してくるタイプなんだ。趣味も、ほとんど認めてもらえなかったなぁ。前世のときだと」
「ありゃりゃ~……」
スダレには、その説明だけでスズリカの人となりが大体わかった気がした。
自分やジュンのようなタイプは、趣味を認めてもらえないとメンタルが九割死ぬ。
それを思うと、異世界での生活はジュンにとって非常に息苦しかっただろう。
もし自分がそうなったら、とは、想像もしたくないスダレである。
「強気で、強引で、執念深くて。……ああ、ダメだな。いい思い出もあるはずなのに、スズリカの話になると、どうしてもネガティブなイメージが先行しちゃうなぁ」
「嫌い、だったのぉ~?」
単刀直入なスダレの質問。それに、ジュンは腕を組んで首をひねった。
「好き、だったよ。付き合ってた頃と、結婚して最初のうちは。でも、やっぱり結婚すると、お互いにごまかしがきかなくなっていってね。元々、僕と彼女は相性が悪かったんだろうね。だんだん、彼女は僕を束縛するようになっていったよ……」
「そっかぁ~」
ジュンの趣味は認めないけど、ジュンのことは好き。
そういう愛情の形も、あるにはあるのだろう。
ただ、それはきっと互いにとって望ましくない形だと思う。今の彼を見るに。
「前世で、僕は仕事と称して探検や調査のために世界中を巡り、回った」
「それってぇ、もしかしてぇ……」
「ああ、そうだよ。スダレの考えてる通り、彼女から逃げるためだ」
「……それは、う~ん、そっかぁ」
言いかけ、だがスダレはやめる。
しかしジュンは、彼女の言わんとしたことを察しているようで、
「僕は、逃げるべきじゃなかったんだろうね。そのとき。ちゃんと彼女と向き合って、自分の不満を伝えるべきだったんだ。それが、どんな結果に繋がろうと、ね」
「ジュン君……」
彼の浮かべる表情は、形こそ笑みだがそこに楽しさは何もない。
スダレが今の彼に感じるのは、色濃い後悔のみだった。
「本当はさ」
「なぁにぃ~?」
「本当は、僕は『出戻り』してから、結婚するつもりなんてなかったんだ」
「ふぇ?」
その言葉は、スダレにとっても意外なものだった。
結婚を提案したのは自分だが、元々の告白はジュンからだったのに。
「じゃあ何で、ウチに……」
問われ、ジュンは途端に頬を赤くする。
「変なこと、言うよ?」
「いいよぉ~」
「君しかいないと思ったから」
「え」
「僕にはスダレしかいない。そう思ったんだ。だから、告白したんだよ」
「え、ぇ、ぁ、あ、ぁ~……、ふ、ふにゃあぁ~……」
これには、スダレであっても真っ赤になるしかない。
頬に手を当て照れて悶える彼女を、ジュンも真っ赤になりながら笑って見ている。
「でも、君が僕と同じ『出戻り』で、しかもあの伝説の『バーンズ家』の一人だって聞いたときは本気で驚いたよ。本当に。本ッッッッッッッッッッッ当に、驚いた」
「本当の本当に驚いてたモンねぇ~」
そのときのことを思い返し、スダレもクスクス笑う。
バネ仕掛けのおもちゃみたいな動きを見せて、ダバァっと泣いたのだ、ジュンは。
「ジュン君は泣き虫さんだからぁ~」
「言わないでよ……」
恥ずかしそうに声を小さくジュンをスダレは楽しげに眺めた。
しかし、お昼休みは限られている。話を戻す。
「疑問がね、あるんだ」
「どんなぁ~?」
「百合岡さんがスズリカだとして、僕に絡み始めたのは三週間前なんだ。それまでは本当に、話したことすらなかったと。社員旅行に参加したときに隣に部屋になったくらいで、あとは何もない。つまり、それって――」
「三週間前に、こっちに『出戻り』したってことかもねぇ~」
そもそもここは東京だ。
転生者の『出戻り』はカディルグナの鏡がある宙色市付近でしか起こらないはず。
「ちょっと、調べてみるねぇ~」
解決のための糸口に繋がるかはわからないが、何かわかるかもしれない。
どんなに小さな情報であっても、スダレはそれを軽んじたりはしない。
それがアリの一穴になることだって十分にありうるから。
「そろそろ、時間だね」
「あぅ……」
時計は、もうすぐ午後一時を示そうとしていた。
「ちゃんと帰るから、待っててね、スダレ」
残念がるスダレの額に、ジュンが軽くキスをする。
そこに彼のぬくもりを感じて、スダレは額に手を当てて、ニヘラと笑った。
「うん~、待ってるぅ~」
そうして夫婦は互いに笑って、最後に軽く唇を重ねた。
それから、ジュンが席を立って外に出ようとする。の、だが――、
「あれ?」
いきなり、第三会議室のドアが開いて、その向こうから姿を現したのは、
「……見つけたわ、ジュン」
百合岡涼香――、スズリカ・ライプニッツ!
「スズリカ……!?」
驚くジュンと、椅子から立ち上がるスダレを前にスズリカは笑ってドアを閉める。
そしてドアに金属符を貼りつけて、会議室が『異階化』する。
「……さぁ、お話しましょう?」
怪しい半笑いになって、スズリカはそう言った。
修羅場、勃発。




