第177話 遠く、遠く、捩れた旅路の果てに
気がつけば『異階』はなくなっていた。
「……あれ?」
「……おやぁ?」
タクマとシイナは、互いに抱きしめ合った状態で我に返った。
近くには、何やらグシャグシャに潰れて死んでいるマヤとユウヤだった残骸。
「「え~と……?」」
タクマとシイナの声が重なる。
はて、自分達は何をどうやって、こういう状況に至っているのか。
その記憶がすっぽり抜け落ちていた。
「……タクマさん、覚えてます?」
タクマを見上げ、シイナが尋ねる。
問われた彼はしばし「あ~……」と記憶を探り、やがて首をひねった。
「肝心なところは覚えてねぇな。でも、覚えてる部分もあるにはある、だろ……?」
何とも判然としないので、聞き方にも不安の色が強い。
「ですねぇ……。確か、私達、ユウヤさんの異面体の中に落ちて、それで……、そうです、私達、到達したんですよ。『真念』に! それで……! え~と……」
「ああ、そこは覚えてる。俺達は二人とも異能態に覚醒したんだ。……よな?」
「そこで不安にならないでくださいよ! 私まで不安になるでしょ~!?」
「だって、しょうがねぇだろ、そっから先を覚えてねぇんだから!」
二人が覚えているのは、自分達が異能態に覚醒したところ、まで。
自分達の異能態がどういった能力を持つのか、それすらも記憶に残っていない。
能力発動後の記憶消失。
それは、答えを述べてしまえばシイナの異能態の影響によるものだ。
彼女の『流々梵天』は、本来あり得ざる接触を可能とする、規格外の異能態。
それゆえ、発動後に『異階での記憶の消去』を招いてしまう。
いわば、アキラの異能態による『異階の崩壊』の亜種とも呼ぶべき現象であった。
なお、人格への影響とか、他の記憶の消去とか、そういうダークな設定はない。
「う~む、よし、思い出せないので思い出すのをやめましょう!」
早々に自分の記憶力に見切りをつけて、シイナがマヤ達の死体へ目を移す。
「あれ、ひとまず収納空間に入れておきますね。蘇生しちゃうと無理になるので」
「あ~……、だな。今の俺達だと、戦えねぇモンなぁ~」
二つの死体が消えるのを見届けて、タクマが軽く苦笑する。
「そうですよ。戦えないのに、何でタクマさんは一人で来ちゃったんですか!」
今頃になってその質問。これに、タクマが言い返す。
「いや、おまえだって同じだろうがよ。ユウヤと一対一とか何考えてんだ。身の備えとか大して持ってないクセに。何かあったらどうしてたんだよ?」
「……フッ、これで勝ったと思わないことですね!」
「早いよ、負け認めるの早いって!?」
軽く騒いだのち、二人は笑い合った。
まだ、お互いに抱きしめ合った格好のままだ。見やれば、すぐそこに相手の顔。
「タクマさん」
「ああ」
「……タクマさん」
「おう」
「――タクマさん!」
「うん」
シイナが、何度もタクマの名を呼ぶ。そしてそのうち、瞳に涙が溜まっていく。
「もう、いいんですよね? 我慢、しなくていいんですよね? 不安に思わなくて、いいんですよね? ……タクマさんのこと好きで、本当にいいんですよね!」
涙声で、幾度も確認してくるシイナに、タクマはその手で撫でることで応じ、
「今まで待っててくれて、ありがとな」
彼もまた、その目にうっすらと涙を湛えている。
それでもう、二人ともダメだった。
「タクマさん、タクマさん……! ぅぅぅ……、ああぁぁあ、うあああぁぁぁぁ!」
「ごめんな、シイナ。本当にここまで待たせて、ごめん。ごめんな……ッ!」
シイナは泣いた。タクマの腕の中で、その胸に顔を寄せて、今まで堪えてたものを決壊させて、溢れる激情のままに泣きじゃくった。大声で、子供のように。
タクマはそれを抱きしめる。彼もまた頬に熱いモノを伝わせて、シイナの細い体を強く強く抱きしめて、彼女の泣き声をその全身と、己の心で受け止める。
その涙は、悲しみの涙ではない。
やっと迎えることのできたハッピーエンドに流す、歓喜の涙だ。
長かった。とても、長かった。
魔女の呪いを受けた二人。そうと知らないまま、異世界ではついに結ばれず。
そして『出戻り』して、この日本で、今、ようやく。
遠く、遠く、ひどく捩れた旅路の果て、二人はやっと、同じ場所に立てた。
「タクマさん……」
「シイナ、おまえを必ず幸せにする」
「はい。お願いします」
そして、二人はそこで初めてのキスを交わす。
姉弟としてではなく、これからの人生を共に歩むパートナーとして。
――新郎新婦に、幸多からんことを。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
何があったか知らんが、マヤとユウヤがおせんべいになって戻ってきた。
「……本当に何も覚えてないの?」
ミフユが、タクマとシイナに事情聴取中。
「あ~、すまん。覚えてねぇ」
「そうなんですよね~、不思議なことに……」
残念ながら、これは話は聞けなさそうだ。いや~、残念。
さてさて、現在、ホテルです。
元々、お泊り会の予定だったからね。みんなまだここにいるワケですよ。
タクマ達が戻ってきたのは、ついさっきのことだ。
シイナがウェディングドレス着てたんですけど。めっちゃビビッたんですけど。
「え、おまえら、結婚したの?」
って、俺がきいたら、二人して顔赤くして黙り込むのよ。
したのか! しちゃったのか! おかしいな、俺、式に参列した覚えないよ!?
「ま、まぁ、正式なヤツは、い、いずれ……」
目線を上げて、声を小さくするタクマの反応が初々しい。
と、そこへ、タマキが興味津々といったていで二人に話を聞きに来る。
「なぁなぁ、タクマもシーちゃんも、異能態になったんだろ! スゲーな!」
「あ~、そうらしいんだけど、何も覚えてねぇんだよな~」
「えええええええ、そうなのか! 何だよそれ、どんな異能態か知りたいのに~!」
途端にブーたれるタマキではあったが、シイナの姿を見て、
「シーちゃんの異能態、見てみたかったなぁ~。きっと可愛かったぜ~?」
「…………そうだと、いいなぁ」
「え、な、何だよ、そのものスゲェ重苦しい雰囲気。オレ、何か言ったか?」
いきなりシイナの目が死んで、タマキがビックリする。
いや、見てた俺も驚いたわ。何だ何だ、何があったんだよ、シイナに。
「何でしょう、明確に覚えてるワケじゃないんですよ。本当に、詳細は不明なんです。でも、心の中に印象の残滓だけは残ってるんですよね。……タクマさんの異能態はカッコよかったです。はい、カッコよかった印象だけは強く焼きついてます」
「そ、そうなんかな……」
自分の異能態について覚えていない様子のタクマ、ちょっと頬を赤くする。
「で、シーちゃんはよ」
「『これはない』って思ったことだけは覚えてます」
そう答えるシイナは、表情が死んでいた。すごい、無。無表情じゃなくて、無!
「い、一体どんな異能態なんだ……!?」
この反応に、タマキは逆に興味を覚えてしまったようだった。
まぁ、俺も気になるっちゃなるんだが――、
「ぅ……」
ここで、タクマが急に頭をフラつかせて、その場にうずくまる。
「タクマさん!?」
「ああ、やっぱり限界が来たな。ヒメノ」
「は~い、準備はできておりますわ」
慌てて駆け寄るシイナを眺めつつ、俺はヒメノに呼びかけて、タクマへ向き直る。
「さすがに、無理しすぎたな、タクマ。今日はもう休んでろ」
「あ~、もうちょっと、シイナの花嫁姿見たかったけど、キツいか……」
「な、何です? タクマさん、一体どうしたんです!?」
俺達全員の中で、シイナだけが取り乱して騒いでいる。
そうか、こいつだけがタクマの方の事情を知らないんだな。一応教えておくか。
「実はな、シイナ――」
ということで、かくかくしかじか。便利な言霊だぜぇ!
「タクマさん、何考えてるんですかァァァァァァァァァァァァ――――ッ!?」
絶叫であった。
もう、部屋中を揺るがさんばかりの大絶叫であった。
「何、って、おまえ助けなきゃってことだけ、考えてた」
絨毯に寝そべって、ヒメノから治療を受けつつ、タクマが平然と言ってのける。
「それは嬉しいです。ありがとうございます。でも、ジルーの魅了薬って、前に父様が言ってたヤバイクスリじゃないですかぁ! ほ、本当に大丈夫なんですか!?」
「飲んだのがタクマ君だから、何とか、というところですわね……」
心配するシイナに、ヒメノがそう説明してくれる。
「理由はわかりませんけれど、タクマ君は精神を汚染する効果に対して、非常に強い抵抗力を持っているようです。そのおかげで、自我が保てているのですわね」
「あ~、『普通の仮面』……」
ヒメノに話を聞かされて、シイナが何かを納得したように呟く。
何だ『普通の仮面』って……?
「まぁ、いいです。それはわかりました。……タクマさん、大丈夫なんですよね?」
「お任せくださいませ。私も、ヒーラーの端くれですから!」
端くれじゃなくてド真ん中剛速球にヒーラーですよね、ヒメノさんね。
こいつに治せないケガなら、もう終わりですね。ってレベルの。
「父様……」
シイナが、俺のことを厳しく睨んでくる。
「タクマさんがこんな状態なのに、何で一人で行かせたんですか? 危ないって思わなかったんですか? ……こんな、タクマさん、こんなひどい状態なのにッ!」
俺がタクマを送り出したことは、すでに聞いているらしい。
シイナからすればひどいことをしたようにも映るか。実際、ひでぇことしたわ。
だがあのとき、タクマを行かせないという選択肢はなかった。
「おまえ達の心は、おまえ達のものだ」
「え……?」
「タクマが行くと決めたんだ。それも、止めようとする俺を殴ってまで、だぞ?」
口に出したその事実に、シイナが目を丸くする。
「タクマさんが、父様を……!?」
「ああ。腰の入ったいいパンチだったぜ。なぁ、タクマ!」
「やめてくれよ……、反省はしてんだからさ」
俺が水を向けると、タクマはバツが悪そうな顔をしてそっぽを向く。
「わかるだろ、シイナ。そこまで覚悟を決めたヤツには、何を言っても無駄だ。そして、だからこそおまえ達の今がある。その結末を期待したから俺は行かせたんだ」
「な、何ですかそれ! そんなの聞かされたら、怒れないじゃないですか!」
そしてシイナは、やるせなく「もぉ! もぉ!」と繰り返す。牛かな?
だが一応、納得はしてくれたらしい。
「なぁ、父ちゃん。シイナを一人で行かせたのは、何でだ? ……ユウヤの狙いはわかってたんだろ。シイナが危ないとかは、考えなかったのかよ。なぁ?」
今度は、治療を受けているタクマがそこについて尋ねてくる。
しかしこれについては答えるべきは俺ではない。ミフユが口を開いた。
「ユウヤにはシイナを傷つけることができないからよ」
「母ちゃん……?」
「考えてもみなさい、タクマ。ユウヤはね、ほぼ詰んでたのよ。あいつにとって必要だったのはシイナの能力よ。そして、仮にシイナを傷つければ、わたし達全員を敵に回すことになるわ。ユウヤに、そんな選択ができる度胸なんてあるはずがないわ。だからあいつは常にシイナを傷つけること以外の方法を選ばなきゃいけなかったのよ」
「はぁ、なるほどね。……そう聞くと、納得はできるな。催眠の魔法だって、一時しのぎにはなっても、マリク兄が見れば一発でバレるだろうしなぁ」
催眠の魔法陣。
そんなモノまで用意してたんだな、ユウヤのやつ。
まさしく、最後の手段だったんだろうが。
「ありがとな。よくわかったよ。じゃあ、父ちゃん……」
「ああ、あとは任せろ」
俺は、部屋の端に放置されてる二つの死体に目配せして、タクマにそう返した。
まだまだ、夜は長い。お泊り会はここからが本番だ。
「それじゃあ、仕返しの時間と行こうか」
そう言って俺は口角を吊り上げた。




