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【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
第八章 安心と信頼のハードモードハート

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第170話 彼の『普通』と彼女の気持ち

 気がついたら、タクマは自分の家に戻っていた。

 そこまでの記憶は、ほとんど残っていない。


 シイナに別れを告げられてから先、何があったのか全然覚えていない。

 いや、一つだけ、今日は皆でホテルに泊まると言っていたことだけは覚えている。


「ちょっと~、タクマ、本当に大丈夫? 飲み過ぎたんじゃないの~?」


 マヤの声が聞こえる。

 ぶっきらぼうだが、自分のことを心配してくれている。

 ここは、自宅の一階。食事もする居間だ。


「ッハハ、ちぃッとはしゃぎすぎッたわ……」

「バカね~、そんなお酒強くないクセに。おめでたい席だから仕方ないけどさ~」


 ああ、『普通』だ。

 自分はこんなにも打ちのめされ、打ちひしがれているのに。


 そのはずなのに、こうしてマヤと『普通』に会話ができている。

 同時に、そのことにホッと安堵している。


 自分が『普通』なことに、確かな安心を覚えている。

 最愛の人にそれを指摘され、抉られ、叩きつけられ、終わりを宣告されたのに。


 タクマは今、ようやく自覚していた。

 全て、シイナの言う通りだった。

 自分が、自分こそが、本当は誰よりも『普通』であることを望んでいた。


 シイナも、そこは同じなのだろう。

 彼女もまた自らが『普通』であることを望んでいる。

 理由までは知らないが、それは同じだった。


 だけど、根深いのは自分の方。

 何せ、シイナに言われるまで一切自覚がなかった程だ。

 だが指摘され、今こうして振り返ってみれば、それはもうあからさまだった。


「ぃッや~、シイナ姉、マッジでめでてぇわ。幸せになッてほしいぜェ~」


 ほら、こんな心にもないことを『普通』に笑って『普通』に言えてしまう。

 それは、今この場であればそうした反応を見せるのが『普通』だからだ。


「そうねぇ~、あんなイケメン社長捕まえて、逆玉だモンね~、勝ち組よね~」

「それな」


 何も知らずにいるマヤに、タクマはケラケラ笑って返す。

 やめろよ。何で笑えるんだよ、そこで。泣けよ。無様に泣きわめけよ。何でだよ。


 タクマが、自分に恐れおののく。

 不気味なほどに『普通』だった。理解しがたいほどに、自分を取り繕っている。


 そう、彼は取り繕ってきた。いつだって、表側の自分を作り上げてきた。

 内心を晒さず済むよう、完璧に『普通の自分』の仮面をかぶり続け、演じてきた。


 何でそんなことを? どうして、何で?

 わかっている。その答えも、シイナが教えてくれた。


 ――傷つきたくないんだ、俺は。


 最後にシイナが言っていた。タクマは、自分以外信じていない、と。

 それこそが真実。

 タクマ・バーンズは人に信頼されることはあっても、人を信頼したことはない。


 父親であるアキラに対してさえ、それは同じだった。

 タクマは、裏仕事をアキラに任せている。

 だがそれはアキラを信頼しているからではない。その実績を信用しているからだ。


 信じて用いるのと、信じて頼るのは、似ているようで全く違う。

 用いるのは、道具に対してもできるが、頼るのは人間相手にしかできないことだ。

 極論ではあるが、その意味でアキラはタクマにとって道具だった。


 自分を傷つけることのない道具だと知っているから、彼はアキラを使った。

 頼ったのではなく、使った。この差は大きい。無限の隔たりがある。


 父親に対してすらも、そう。

 そしてシイナ。愛しているはずの女性をも、自分はきっと、信じていない。


 それを、見抜かれた。

 シイナに、家族の誰よりも人の顔色を窺い続ける、あの姉に。

 大した観察眼だと、ヤケクソで称賛したい気分になった。


「ね~、何か飲み物いる~?」

「そッだな~、ジュースッくれよ。炭酸のヤツ、冷蔵ッ庫にあッたべ?」

「はいはい、少し待ってなさいよね~」


 だがそんな気分でも、自分は今、マヤと普通に接している。会話できている。

 最悪だな、なんて自嘲したところで、ギャグにしか思えなかった。


「はい、持ってきたわよ~」

「サンッキュ」


 マヤが、コップに入った炭酸のジュースを持ってきてくれる。

 タクマが一口飲むと、口の中に強い炭酸が爽やかにはじけ、刺激をもたらす。


「うめぇ」

「でしょ~。あたしが入れたジュースだモン。美味しくて当然よね?」

「ッだよ、そりゃ」


 笑う。苦笑する。とてもそんな気分じゃないのに。

 ここで笑うのが『普通』だから。それだけの理由で、彼は『普通』に苦笑する。


 ああ、つまり、自分は今目の前にいるマヤさえ信じていないのだ。

 こんなに近しい相手なのに。かつては妻として、十年近く寄り添った相手なのに。


 信じていない。

 信じていない。

 自分が信じているのは『普通の自分』だけ。


 人に近づけば、傷つけられるかもしれない。痛い思いをするかもしれない。

 それがイヤだから、タクマは殻に閉じこもる。『普通の自分』という強固な殻に。


 その殻はタクマ自身にはどうにもできない。

 だって、最愛の人であるはずのシイナに対してだって、彼は殻を被り続けた。


 ああ、ダメだわ。こりゃあダメだ。もうどうしようもない。

 何もせず座っているだけのタクマの中を、ジワリジワリと絶望の黒が蝕んでいく。


 心がこの黒に占められようと、きっとこれからも自分は『普通』に生きていく。

 表面を取り繕い、本心を見せず、絶対に傷つかないよう立ち回っていくのだろう。


「はぁ……」


 つい、ため息がこぼれた。

 もう答えの出た考えを無駄にグルグル巡らせて、ちょっと疲れた。


「何よ、そんなため息ついちゃって、どうかしたの?」


 テーブルを挟んで向かい側に座るマヤが、彼の様子に気づいて小首をかしげる。


「ん~? あ~、シイナ姉、結婚しッちまうッて思ッてよ~」

「フフ、そういえばあんたって、シイナさんとは仲良かったモンね」

「一ッ番近い姉弟だッたかんな~……」


 またそうやって表だけを取り繕って嘘をつく。

 自分はこんな人間だが、それでもシイナを好きだったのは、本当だろうに。


 そう思いつつも、何故か、罪悪感がかけらも湧かない。

 頭がボウッとして、そこまで意識が及んでいないというか、考えすぎたからか。


「……ね、ねぇ、タクマ」


 マヤが手にしたコップに目を落としながら、おずおずと話しかけてくる。


「あ~?」

「あ、あのさ、えっと……」


 タクマは気づいていないが、切り出そうとしているマヤの頬はほんのり赤い。


「……あの、さ。あたし達も」

「何? 聞こえッねんだけど……」


 マヤが小声なせいもあって、よく聞き取れない。

 それに、体が重い。心労からの疲れが来ているのか、頭もボウッとしたままだ。


「聞いて、タクマ」


 一方でマヤが、顔を上げる。そこに浮かぶのは、決意の表情。


「やっぱりさ、あたし達、やりなおそうよ。一から」

「……マヤ」


 頬を紅潮させ、瞳を揺らしながら、だけどマヤは決然とタクマに向かって言った。

 その表情の意味くらい、今のタクマでもわかっている。

 これまでの「ヨリを戻そう」という言葉と意味は同じでも、ずっとずっと、重い。


「タクマ、あたし達が別れた理由、覚えてるでしょ?」

「ああ、覚えッてんよ……」


 それは、互いに歯車が噛み合わなくなってどうしようもなくなったときのこと。

 タクマが漏らしてしまった一言が、二人の間に決定的な亀裂を走らせた。


「――《《やッぱダメか》》。俺ァ、おめぇにそう言ッたよ」

「そうよね。失礼な話よね。何なのよそれ、って、今でも思うわ。最低な言葉よ」


 ああ、本当に、最低すぎる言葉だと自分でも思う。

 目の前の女性は、こんな誰も信じられないクズを愛してくれたのに……。


「だけど、もういいの。それも、もういいわ。許してあげる」

「バカっかよ。いいッワケあるかッて……」

「いいのよ! 言われたあたしが許すって言ってるの。だから、いいの!」


 大声で叫んで、マヤはコップをテーブルに置く。

 そして立ち上がって、タクマの方へと回り込んでくる。


「マヤ……?」


 彼はそれを、ただ見守るだけだった。自分を、マヤが見下ろしている。


「……タクマ」


 そして、マヤは膝を曲げて、タクマの首に腕を回して軽く抱きついてきた。


「あたし、やっぱりタクマが好きだよ」

「え……」


 頭の中が心地よい熱に冒される中で、マヤの声がタクマの耳に甘く響く。

 彼と彼女の顔の距離は20cm程。タクマの視界には、マヤしか映っていない。


「あたし、どうしようもなくあんたが好き。タクマ、好きなの、タクマ」

「マヤ、でもッよ、俺ァ……」


 マヤの告白に、タクマは何かを言いかける。そして忘れる。

 言葉が出てこない。自分は今、何と答えようとしたのか。全く浮かんでこない。


「いいのよ、タクマ。全部、許してあげるわ。これまでのこと全部水に流して、あたし達、やり直そうよ。また最初から、二人で一緒に歩いていこうよ。ねぇ?」


 マヤの語るそれは、タクマには大層魅力的に聞こえた。

 そうだ、シイナを失った今、自分にはもう、マヤしかいない。そんな気がした。


 それにここで彼女と結ばれるのは、何もおかしいことではない。

 家族のみんなだって、自分とマヤが一緒に住んでいることは知っている。


 そうだ。別に何もおかしくない。

 ここでマヤと一緒になるのは、ごくごく『普通』のことだ。


「好きだよ、タクマ」


 マヤの、その短い一言が、タクマの耳にスルリと入って脳に響く。染みていく。

 タクマの中で、これまで抑えていたモノがどんどんと大きさを増していく。


 彼とて、マヤは嫌いではない。

 別れたきっかけを作った負い目もあって、深く踏み込もうとはしなかった。

 けれども、もういいのかもしれない。彼女に傾くのも仕方がない。


 状況だけを見れば、それは『普通』なことだ。

 自分の中の『普通の自分』も言っている。これは『普通』なことなんだ、と。


 マヤを愛する。マヤだけを想う。それでいい。それが『普通』だ。

 だから、自分は、タクマ・バーンズは――、ああ、もう、何も考えられない……。


「タクマ……」


 マヤが顔を近づけてくる。

 その瞳は潤んで、切なげで、彼女が何をしようとしているのかすぐにわかる。

 タクマは、黙ってそれを受け入れようと思った。


 こんな最低で最悪な自分でも、こうして愛してくれる人がいる。

 なら、もうそれでいいじゃないか。受け入れて、楽になって、それで、もう――。


「好きだよ、タクマ」


 何度も何度も、呪文のようにそれを繰り返して、今、マヤはタクマにキスを……、



「…………シイナ」



 唇と唇が触れ合う直前に、タクマの口から、その名が漏れ出た。


「……え?」


 マヤの動きが、そこで止まる。

 そしてタクマは、その瞬間、はっきりと違和感を自覚した。


「マヤ、お、ぉまえ……!」


 タクマが固まったままのマヤを突き飛ばす。

 そして彼は、テーブルの上に置かれたままのコップに目を走らせて、叫んだ。


「おまえ、《《俺に何ッ飲ませやがッた》》!?」


 彼は今さら口を拭って、その場で立ち上がる。

 体が異様に熱い。物事を考えるのに労力がいる。気を張らなきゃ、失神しそうだ。

 おかしい。明らかにおかしい。ジュースを飲んでから生じた異変だ。


「答えろッ、マヤ! ジュースにッ、何を入れたァ!」

「……バレちゃったか、残念」


 突き飛ばされた格好のままだったマヤが、スックと立ち上がる。

 その顔には、一転して薄気味の悪い笑顔が張り付いている。


「あのジュースに入れたもの? クスリよぉ~、あたしがジルーと取り引きしてもらった、とびっきりの魅了薬(おクスリ)。それとあたしの血を一滴、ね……」

「ジ、ジルーとッ、取り引き、ッだァ……?」


 こいつは、何を言っている? ジルー? ジルー・ガットラン? 

 あの男はマヤを追いかけていたはず。マヤの『魔血』を欲していたはずでは?


「ぐ、ぅ……!」


 考えようとしたところで、体の中に熱が疼く。暴れる。熱すぎて火を吐きそうだ。

 意識が、千々に乱れそうになる。踏ん張って繋ぎ留めなければ……。


「無理しちゃダメよ、タクマ。今のあんたはクスリ漬けも同然の状態なのよ? 下手に自分を保とうとすれば壊れちゃうかもしれないわよ~? やめてよね、そんなの」

「マ、マヤ、おめぇ……」


「ああ、何でジルーと取り引きしたかって? そんなの、あんたをあたしに振り向かせるために決まってるじゃない。あたしはあんたを愛してるわ。だから、あんたにもあたしを見てほしい。そう思うのって『普通』のことじゃないかしら?」

「……ッけど、ジルーのヤロッは、そんなこと一ッ言も」


 そう、ジルーは自分の工房に攻め込まれた際も、そんなことは言っていなかった。

 あの男は、マヤを追いかけていた。自分でもそう言っていた。


「記憶の一部をね、封印したの。あたしの異面体(スキュラ)でね」

「な……、ぁ?」


 記憶を封印?

 それが、ジルーの認識を狂わせた秘密、なのか。


「苦しそうね、タクマ。そうよね? だってジルー特製の魅了薬に、あたしの血まで飲んじゃったんだもん。体が熱いでしょ? 何も考えられないわよね。だって、あたしの『魔血』が持つ『魔女特性』は『獣化』。人を人でなくする性質だもの!」


 最悪だ、と、タクマは思った。

 ジルーが作った魅了薬。つい最近、その話を聞いたばかりじゃないか。

 異世界で、バルボ・クレヴォスが造らせた超絶効果の魅了薬。


「ハ、ハハッ、おッかしいな、なら何ッで俺ァ、こッして話せてるんだろッな?」

「そうよ」


 同意して、マヤの顔がグシャリと歪む。


「おかしいのよ。おかしいでしょ! 何であんたはまだ正気なのよ? 魅了薬に加えて、あたしの血まで飲ませて、どうして自分を保ってられるの! 何でさっさとあたしの虜にならないのよ! それに……、それに――ッ」


 マヤがきつく歯軋りして、その名を叫んだ。


「シイナ、ですって!? シイナ・バーンズ! あんたの中にいたのは、あの女だったのね! やっと、やっと正体がわかったわ。あたしの邪魔をする影の正体が!」

「マヤ……」


 憤怒、そして歓喜。

 マヤの顔に、二つの激情が混じり合った、複雑な笑みが浮かぶ。


「ずっと感じてたわ。あんたの中にいる誰かを。結婚する前からずっと、ずっと……! でも、あんたは私と結婚してくれた。そのときは思ったのに。勝った、タクマはあたしを見てくれた、って、そう思ったのに! それなのに――ッ!」


 まさに咆哮。まさに絶叫。そして悲鳴。

 マヤは瞳を大きく剥き、その手で自分の髪をガリガリと掻きむしる。


「あんたは結局あたしを捨てた。『やっぱ』なんて言って、最初からダメだってわかってたみたいな言い方をして、最低の終わり方をくれたわよね、タクマ!」

「……ああ」


 それは、タクマも認めざるを得ない。

 自分は目の前の女性と、最低の形で別れた。全て自分のせい。自分が原因で。


「――シイナのせいだわ」


 だが、マヤが告げた結論に、タクマは戦慄する。


「お、ッまえ……、待てよッ、マヤ、そいッつぁ……」

「シイナさえいなきゃ、あの女がいなきゃ、あんたはあたしを見てくれる。そうよ、絶対そう。シイナさえ、シイナさえいなきゃ……! あの女さえぇぇぇぇぇッ!」

「マヤ!」


 タクマが、マヤの名を叫ぶ。

 すると彼女は、今度はいつくしむような顔になって、彼を見る。


「待っててね、タクマ。……あたし、あんたのたった一人の女になってみせるわ」

「何ッでだ。何でおまえはッ、そこまで、俺を……」


 呼吸を乱し、ぼやけそうになる視界を目をこすって何とか保ち続ける。

 そんな彼を前にして、マヤは笑みを深めた。

 ザックリと切り裂かれた、三日月の形をした傷口のような笑みだ。


「覚えてないわよねぇ~。そりゃあ、覚えてるワケないかぁ~」

「……覚えッてる」


「あら、そうなの? そっかぁ、そうよね。だってもう、ずっと昔の話だモンね」

「おまえ、やッぱり俺の記憶も……ッ!」


 タクマは記憶を封じられていた。マヤの異面体によって。

 そして、彼女は言う。

 その顔から一切の表情を消して、丸く剥いた目にタクマの顔だけを映して、言う。


「あんたが、あたしを殺したのよ」

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