第162話 ソライロエクスペリメンツ/2
片桐商事は今日も元気に営業中。
本日二件目の仕事を終わらせ、時刻は午後、昼下がり。
宙色市内のとあるパチンコ屋の駐車場。
広々としたそこに、片桐商事のミニバスは勝手に止まって現在ちょっと休憩中。
「ねぇねぇ、タクマさ~」
「あ~ン?」
運転席で今週発売の漫画雑誌を読んでいたタクマを、横からマヤが覗き込む。
「あたしとさ~、ヨリ戻そうよ~、ねぇってば~」
「現在ッ、検討中ッしょ~」
「何が検討中よ~。あんたの視線、今週の『馬術飼戦』に釘付けじゃない!」
と、言われても、面白いんだから仕方がない。
読んでいるのは魔獣の力を継承した馬による『魔競馬』なるものを扱った作品だ。
題材こそ競馬だが、同時に異能バトル要素も合わさったゲテモノ作品である。
それが非常にウケているのだから、世の中、何がウケるかわからない。
「ねぇってば~、一緒に暮らしてるんだしさ~。あたしとヨリ戻そうってば~」
「だッから、検討中ッつッてンだろがよ~」
パチンコ屋で買った缶コーヒーを飲みつつ、タクマは返事にならない返事をする。
あの日以来、マヤからのタクマへのアプローチが露骨になった。
それについては、予想できていたことだ。
と、いうか、アキラにマヤを匿えと言われた時点で、すでに確信していた。
異世界の頃からマヤは自己アピールが激しかった。
今でこそ、実年齢はタクマの方が上だが、異世界では彼女の方が三つ上。
だから、という面もあるだろう、常にタクマを引っ張ろうとしてきたのがマヤだ。
「ねぇ、何であたしじゃダメなのよ~。ねぇってば~?」
「頬をグリッグリすんな。ちッと痛ェッつの……」
さすがに、漫画を読んでいるところを邪魔されると、タクマでもイラっとなる。
だが、横目に睨めば、そこにはマヤの明るい笑顔があった。
「やっとこっち見てくれたね、タクマ」
「おッめ~が向かせたんだろッが!」
「あたしの努力の成果ってコトね~、やればできる子だわ、あたしって!」
スゲェ~ポジティブ。
さすがに、それには少し感心するタクマである。
だが同時に、そこから連想して対極の位置にある一つ上の姉を思い出してしまう。
あいつは常時ネガティブオーラを纏ってたよなぁ、とか。
そして、一気にタクマの気分が沈む。読んでた漫画の内容の頭から消し飛んだ。
依然として、シイナとは連絡が取れていない現状であって、悶々。悶々。
「ねぇ、タクマってさ~」
「ンッだよ?」
「本当は、あたし以外に、誰か好きな人いるんじゃないの?」
ギクリッ、と、なった。
まさにその相手について考えていたところで、さすがのタクマもやや面食らう。
「いッね~よ……、ンッでそーなんだッよ?」
だが、彼の面の皮の厚さも相当なモノ。
探るような目をするマヤを前に、いけしゃあしゃあとそう言ってのける。
「だぁ~って、別に彼女いないならあたしでいいじゃんよ~って、なるじゃない?」
「なんねッわ」
そして、まだ突っかかってくるマヤに肩をすくめて、舌に乗せるのはこんな言葉。
「実はッよ、ウチのシイナ姉ちゃんがッよ、会社社長に告白ッされたらしんだわ」
「あ~、シイナさん。あっちでも仲良くさせてもらったけど、えッ、告白!?」
「それ自体はッ別にどッでもいんだけどッよ」
全然、少しも微塵もよくないが、少なくとも表向きはそう言っておく。
「その社長ッてのが二十ッ代でデケェ会社やッてンだッてよ。ムッカつくッしょ」
「はぁ、何それ? 嫉妬するポイント間違えてない?」
「俺ッちだッて社長ッしょ。何か格差見せつけられたッ気ィしてるわ、今」
悔しいは本当に悔しいので、そこについては素直に感情を表に出しておく。
すると、マヤは半ばポカンとなりながら、
「じゃあ、何? あんたが彼女とか作らない理由って……」
「仕事第一だからッしょ。もッと業務拡大してッんだよ、俺ッちは」
それ自体は、まごうことなき本音であった。
今現在、裏仕事も受けてはいるが、やはり表の仕事をもっと伸ばしたい。
「じゃあ余計にヨリ戻す方が都合いいじゃないのよ~! 夫婦経営でさ~!」
「今ッ、彼女なんぞ作ッたら、ゼッテェそッちメインになるッしょ!」
「わ、こいつ、自分の意志の弱さを自覚してる~!?」
そうして、二人の午後は過ぎていく。
だが、そのワチャワチャしていた時間も、唐突に終わりを告げる。
先に気づいたのは、マヤだった。
「……ねぇ、タクマ」
「ンッだぁよ、今、雀ピース読んでットコだッての」
「見て、アレ――」
「あ?」
マヤが指さす先、フロントガラスの向こう側に、タクマは見た。
片桐商事のミニバスを囲むような形で歩いてくる、何十人もの男達の姿がある。
その全員が、見るからにカタギではない。
また、その全員が、瞳に魔力の輝きを帯びている。
「オイオイ、こいッつぁ……」
その連中が何者か、タクマは一発でわかった。
そして、血相を変えてマヤに問う。
「マヤ、指輪ッ!」
「してる、あたし、ちゃんとしてるよぅ!」
マヤが言い訳するような調子で自分の右手を見せてくる。
そこには確かに、銀色の『魔力封じの指輪』がはめられていた。
「「無駄ナコトハヤメロ、マヤ・ピヴェル」」
声がした。
誰の声でもない。
ミニバスを囲む男達全員の声が、完全に重なって一つの言葉を紡いでいた。
マヤの名を知っている以上、その言葉の主は考えるまでもない。
「……ジルー・ランガット、ッかよ」
「そう、みたいだね」
マヤが、タクマの服にギュッとしがみついてくる。その手はかすかに震えていた。
「「ソロソロキミカラ採取シタ『魔血』ガ尽キカケテイテネ。僕ノトコロニ戻ッテキテクレナイカ。コノママジャ実験ヲ継続デキナクテ、困ルンダ」」
「だ、誰があんたのところになんか……!」
と、マヤは明確に拒否するが、ミニバスを囲まれた状況に顔色は蒼白だ。
「……クソ」
タクマが、そっと自分のスマホを手に持ち出して、家族に連絡しようとする。
「「ソッチノ男、多分、バーンズ家ノ一人ダネ。無駄ナコトハヤメナヨ。他ノバーンズ家ハ、今頃モウ一方ノ騒ギヲ鎮メニ行ッテルダロウカラサ」」
もう一方の、騒ぎ……?
つまり、今この瞬間、別の場所で何かが起きている、のか?
「「マァ、本命ハコッチダケドネ」」
声と共に、男達がジリジリとミニバスへの間合いを詰め始める。
マヤが、一層タクマに身を寄せてくる。その手の震えから、彼女の怯えが伝わる。
どうするべきか、タクマは選択を強いられた。
最初にマヤと再会したときのように、バスの内部を『異階化』するか。
いや、ダメだ。
あのときはアキラという戦力がいたが、今はいない。
ここで『異階化』しても、結局は二人っきりで孤立することになってしまう。
それに、すでにタクマは知っている。
仮に『異階』に逃げても、そこに追いつく道具もまた、存在する。
夏のキャンプで見知った『空断ちの魔剣』。
アキラは使い切りの二本しかないと言っていたが、そうとは限らない気がする。
自分達が生きていたのは戦乱の世だ。
戦争こそは、技術の発展を最も促進させるものだと聞く。
異世界のどこかで『異階化』に対抗する手段が開発されても何もおかしくない。
「マヤ……」
ここまで考えた上で、タクマは一つの結論を出した。
「な、何、タクマ?」
「無理矢理ッ行くッからよ、しッかり捕まッてろ!」
「――うん!」
マヤが、運転席のすぐ後ろの席に座る。
それを見届け、タクマはミニバスのアクセルを踏みこんで、発進させようとする。
ガタンと、ミニバスが大きく揺れた。
その動きに、バスの前側にいた男達が驚きの表情を浮かべて身を避けようとする。
男達はジルーに操られているが、自我は失いきっていないようだった。
そして絶好の隙ができる。タクマが魔法を発動させた。
「風戟!」
風属性の攻撃魔法、ではない。
単に、指定された場所に一瞬突風の渦を発生させるだけの魔法だ。
しかし、体勢を崩した男達をその場から転ばせ、どかすには、それで十分。
前方にミニバスが通れる程の隙間が空く。今度こそ、タクマはアクセルを踏んだ。
「行ッくぞ、マヤッ! 頭ぁ低くッしてろ!」
「わ、わかったァ~ッ!」
そして、そのままミニバスは急発進。
真っすぐ先にある縁石をガツンと乗り越えて、道路へと出ていく。
「よしッ、これッなら……!」
逃げることに成功した。
半ば、そう安堵しかけるタクマだが、それをマヤの悲鳴が吹き飛ばす。
「追ってきてるよ、あいつら!」
「なッに!?」
ミラー越しに後ろを見る。
すると、あまりよくは見えないが、確かに幾つもの人影が追いかけてきている。
魔力の任せた雑な強化魔法で、人ならざる速度を出しているのか。
この辺りは宙色市でも端の方。
道路は広く、交通量も少ないため、ミニバスも走りやすくはある。
だが同時にそれは、敵方もこちらを追いかけやすいということだ。そして、
「ダメ、タクマ! あいつら、追いついてくる!」
「クッソ、これッ以上はッ、速度が……ッ!」
自分のスマホが鳴っていることにも気づけず、タクマは運転に専念する。
しかし、必死にハンドルを操るタクマは、自分の真横に並ぶ男の姿を見てしまう。
「……なッ!?」
驚くタクマに、男はにやりと笑って、窓ガラスを殴りつけてきた。
ガゴンッ、という音と共に砕け散るガラス。その破片が、タクマの顔を浅く切る。
「クッソォ……!」
傷を作りつつも、しかしタクマはさらにアクセルを踏む。
並走していた男が徐々に遅れていく。そこは持久力の差が出たようだ。
しかし、まだまだ危機は続く。
「タクマ、タクマァッ!」
必死な様子の、マヤの声。
ミラー越しにタクマが見たのは、追いつき、ミニバスの車体に張り付く男達の姿。
外から、メリメリと金属の軋む音がする。
マヤを追う男達が、バカげた握力でミニバスにへばりつく音だ。
上から音がする。横からも音がする。
タクマからは見えようがないが、すでに二桁近い数がバスにしがみついていた。
――車体を左右に振って落とすか?
一瞬、そんな考えが彼の頭をよぎる。
方法としてはありだ。振り落とされた男達が無事な保証はないが、状況が状況だ。
しかし、そこからさらに思考を進めようとしたところで――、
『あ■■■、■■■を■■■の■』
耳の奥に何かが聞こえた気がして、直後に、体が震え出す。
「クッソ、いつッも通りッかよ、こんな場面ッでも!」
タクマは顔をしかめて毒づいた。
人を害そうとすれば、どうしてもこうなってしまう。相手が誰でも関係なく、だ。
「タクマ、どうするの! タクマァ!?」
マヤの声がする。追い込まれて、泣きそうになっている。
それを聞くだけで、タクマは己の無力さを痛感する。毒づく。状況に、自分に。
バギンッ、と、金属が破られる音。
ミニバスの天井部分を、男達がついに破り始めた。侵入されるのも時間の問題だ。
もう、車体がもたないのは目に見えている。
エンジンを破壊されれば、その時点で詰みだ。逃げ場がない。
だが、光明がないワケではない。
「……もうッ少し、あとちょッとォ!」
最後の角を曲がって、その先に、見えた。
「マヤッ!」
角を曲がった時点で、タクマは運転を放棄した。
そしてミニバス前部のドアを開放して、マヤの腕を掴む。
「ちぃッとばッか、アクションすッからよッ! 大人ッしく、してろな!」
「な、何? 何する気よッ!?」
怯えるマヤだが、説明しているヒマはない。
タクマは、マヤの腕を引っ張って強引に立たせると、そのまま抱きしめる。
「ねぇ、タクマ……?」
そこに、天井に開けた大穴から、ついに男達が侵入してきた。
だが、タクマは男達に向かって勝利の笑みを見せる。
「五秒、遅ッかッたな」
彼はその笑顔のまま、マヤを抱いて前部のドアから身を投げる。
「キャアアアアァァァァァァ――――ッ!?」
耳をつんざく、マヤの悲鳴。
直後に、走る車から身を投げ出したタクマの体は、道路をバウンドしながら転がる。
タクマを襲う、衝撃、激痛。衝撃、激痛。そして――、
「……いいッ位置だ」
駆け巡る痛みの中に、彼は呟く。
運転者を失ったミニバスは、そのままの速度で真っすぐ突っ込んでいった。
――仁堂小学校を囲む、外壁へと。




