第153話 彼女、シイナ・バーンズの話
ビール、おいちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――ッ!
「プッッッッハァァァァァァァァァァァァ~~~~! あ~、幸の福ですね~!」
ビールが、あぁ、ビールが、冷えに冷えたビールが、美味しいですねぇ~~~~!
「んっくんっく、あ、そろそろ焼けてますね。お肉をお箸でゲ~ッツ!」
鉄板の上でいい具合に焼けたカルビを、今、タレにつけて、お口へポ~イ!
あふん、ちょっと熱いけど、パッと広がるお肉のうまみが実にグ~ッド、ですね!
はい、そんなワケで、どうも。
今日も今日とて慎ましい暮らしを旨とする一般市民、シイナ・バーンズです。
本日は楽しい楽しい宅飲み会場からお届けしています。
「ぁはぁ~、牛タン焼けたねぇ~、もらっちゃお~っと」
こちら、宅のみ焼肉パーティー主催者、スダレ姉様です。
会場は『八重垣探偵事務所』内にある一室で、ホットプレートも姉様提供です。
私は何も持っていていないのかって?
ノンノン、そんなワケないじゃないですか~。ちゃんと持ってきましたよ。
ビ・ー・ル♪
あと、お・つ・ま・み!
いやぁ~、焼肉には欠かせないでしょう、ビール!
そしてビールを飲む以上、欠かせないでしょう、おつまみ!
決して、これから涼しくなるから買い置きのビールの残りを今日の焼肉パーティーで全部消費しちゃおう、なんて考えてませんよ。考えてても五割程度です!
そしておつまみも『ビールに合うもの』優先で買ってて、ビール飲まなくなったらもう食べなくなるのでは、とか思ってませんよ。思ってても五割程度です!
まぁ、別に問題はないじゃないですか。
家で持ち腐れるくらいだったら、こうして飲んじゃう方がいいに決まってます。
「突然のぉ、おシイちゃんからのお誘いだったけどぉ~、こういうのもいいねぇ~」
「でしょ~? この前、母様からちょっとお高いお肉をもらっちゃって、少し量が多かったので一人じゃ処理できなくて困ってたんですよね~!」
考えてみれば今の母様、あの『佐村』の跡取りなんですよねー。
そりゃ『ちょっとお高いお肉』なんて本当に『ちょっと』でしかないでしょうね!
うわ~、セレブ! 圧倒的セレブですよ、あのチビっ子母様!
そしてそんな私は母様のお零れに預かる小市民にして一般庶民。この格差!
いや、でもいいんです。
私はそれで一向に構いません。
だってこうして、美味しいお肉とビールにありつけているのですから。
はぁ~、肉親にセレブがいるって幸せェ~! それを記念してビールをもう一缶!
「おシイちゃんはぁ~、よく飲むねぇ~……」
向かい側に座るスダレ姉様がポカンとなっていますが、そうでしょうか?
個人的にはまだまだこれから、という程度でしかないのですが。
「姉様はもうちょっと飲んでもいいんじゃないですか?」
スダレ姉様は一缶をチビチビ時間をかけて飲むタイプのようです。
それもそれで味わい深いとは思いますが、ビールはやっぱり豪快にと思う私です。
やっぱりねー、お酒って、種類によって適した飲み方があると思うんですよね。
あくまで個人的な考えですので、他人様に押し付ける気はありませんけど。
なんて思ってるとですよ、スダレ姉様が缶を両手で持って口に当てつつ、
「ウチは~、ジュン君から飲み過ぎないでって言われてるからぁ~、わ、すごい顔」
はい、言われずともわかっています。
今の言葉で、脱力しきっていた私の表情筋が一気に引き締まりました。
ビシッ、バシィンッ!
って感じですよ、スダレ姉様! わかりますか、姉様!
「それってぇ~、ウチのせいなのぉ~?」
「むぐ、そうやってすぐに上目遣いしてくる~! 可愛いんですよ、この既婚者!」
何ていうかですね、スダレ姉様は色々とあざといんですよ。
その口調とか、容貌とか、仕草とか、いちいちあざとエロいんですよ、本当に!
そもそもスタイルがよすぎなんですよ。何ですかそのけしからんお胸は!
これで普通に家事もできて、料理もケーキ作り以外は真っ当に上手なんです。
そして情報の扱いに長けた銀椀女探偵なんですよ? 属性載せすぎじゃないです?
つくづくジュン義兄様もいい嫁捕まえましたよねー!
あー、既婚者恨めしや! あー、リア充呪わしや! 妬ましさ今まさに有頂天ッ!
「わぁ~、お肉とお酒、同時にいってるぅ~、すごいねぇ~」
「フン、これくらい、私ほどの一般人ともなれば造作もないことです!」
「そぉなんだ~、すごいねぇ~」
と、言いつつ、姉様はのんびりと牛タンをモグモグ。
くふぅ、絵になります。その食べる所作だけでも、下手をすればお金が取れます。
そういえば昔、母様が言ってました。
自分の『女っぽさ』を一番受け継いでるのは、スダレ姉様だ、って。
今になって、私はそれを実感しています。
この年下の姉、探偵やってなかったらモデルか芸能人かの二択ですよ、絶対。
「おシイちゃんってさぁ~」
「はい、何です?」
「可愛いよねぇ~、すっごくぅ~」
いきなり、ニヘラと笑ってそんなことを言ってくる姉様に、動きが止まります。
は、いきなり何言ってるんですか、このあざとエロの権化は……?
可愛い? 私が?
お肉とビールを同時に嗜む高等庶民技能を誇る、この何の変哲もない一般人が?
「あ、なるほど、既婚者マウントですね」
私はポンと手を打ちました。それしか考えられません。
「つまり、いつまでも彼氏もできず独り身な年上の妹である私が、年下で、尚且つ既婚者でもある姉様から見ると『わぁ、無駄な嫉妬してる。可愛い~』という感じに映るということですね。何ですかクソアマ、ケンカなら買いますよ。指相撲で!」
「わぁ~、さすがおシイちゃん。解釈のしかたが屈折してる~!」
うるさいんですよ! 屈折云々はマリク兄様の領分でしょうが!
「でもぉ、そんなに独り身が気になるならぁ~、結婚すればいいのにぃ~」
「はぁ? 言ってくれますね、今度こそ既婚者マウントですね! いいでしょう、ちょうどお腹もいい感じに膨れました。受けて立ちますよ、私のこの親指が!」
こう見えて、指相撲にはいささかの自信ありです。
リア充のスダレ姉様といえども、指相撲では私には及ばないでしょう。フフフフ!
「結婚、しないのぉ~?」
まだ言ってきやがりますか、この姉……!?
「結婚なんてしたくてもできません! どこに相手がいるっていうんですかぁ!」
「おクマ君がいるでしょ~」
その答えに、私は絶句してしまいました。
まさか、ここでタクマ君の名前が出てくるなんて、思いも寄りませんでした。
熱くなっていた体と脳髄が、一気に冷め切ったような感じを覚えます。
「……姉様」
「あっちじゃいざ知らず~、こっちなら別にいいんじゃないのぉ~?」
スダレ姉様は、タクマ君と同じことを私に言ってきました。
実は、家族の中でこの人だけが、私とタクマ君のことを知っています。
というか、家族内でこの姉に隠し事ができる人なんていません。
バーンズ家の情報処理統括担当は、伊達ではないのです。
だから、異世界の頃から、姉様には色々と相談に乗ってもらっていました。
でも、それも随分と過去の話です。
そして、昔も今も私は変わりません。今さら、変われません。
「こっちでもあっちでも、タクマ君は家族です。家族とは、結婚できませんよ……」
「そうなのかなぁ~? 家族ってそこまでこだわる部分なのぉ~?」
「だって、家族同士で恋人になるなんて、そんなの『普通』じゃないです」
私が言うと、スダレ姉様は何も言わずにそれを聞いてくれました。
「私だって、好きな人と一緒になりたいですよ……。短大の友達だって、どんどん結婚していくし、招待されて結婚式に出ると、すごく幸せそうにしてる姿を見せつけられるんですよ? 妬ましいとかじゃなくて、羨ましいんです。いいなぁ、って」
「そうなんだねぇ~、でも、おクマ君はぁ~」
「はい、タクマ君は家族です……」
私は、飲みかけのビールに目を落とします。
タクマ君――、タクマさん。
私を好きだって言ってくれた、喧嘩できないあの人。
「私はタクマさんが好きです。きっと、母様が父様を想うのと同じくらい、私はあの人を想っています。……でも、ダメなんです。どうしてもダメなんです」
「家族を恋人にするのは『普通』じゃないから~?」
「そうです。『普通』じゃないから、です……」
何で、踏み出せないんだろう。自分でもそれが不思議です。
だけど、私にはどうしてもタクマさんの手を取ることができません。どうしても。
「私は、最低です」
「おシイちゃん……」
「私のことを好きだって言ってくれたあの人にいつまで経っても応えられず、あっちの世界では最終的にお見合いに逃げました。そして今、こっちでも同じことを繰り返そうとしています。何とか彼氏を作って、また逃げようとしてます。……最低です」
ああ、もう。また視界がにじんできましたよ、この弱虫。泣き虫。
スダレ姉様が、私の隣に座ってくれます。そして、私の肩に腕を回してくれます。
何ですか、この姉は。本当に、フニャフニャしてるクセに優しいんだから。
抱きしめられると、私はもう涙を我慢することができなくなります。
「……何で、タクマさんは私なんか好きになるんです。バカ、あのバカ」
そして、そんな言葉が私の口を衝いて出るのです。
「私は、こんななんですよ? こんな、小さくてつまらなくて、可愛げのない、性格も歪みきった人間なのに。そんな私をどうして、何で……。何で……ッ!」
「関係ないよ、そんなの」
私の頭をやさしく撫でてくれながら、スダレ姉様が言います。
「だって、好きになっちゃったんだモン。それだけで十分で、それが全部なんだよ。おクマ君にとっては、ね。……おシイちゃんは、違う? そんなことない?」
問われて、私は必死にかぶりを振りました。
「私の中でタクマさんは全部です。好きです。愛してます。それが全部なんです。あの人がどんな人でも、きっとそれは変わりません……。――でもッ!」
「家族だから、好きになっちゃいけない。そう思っちゃうんだね、おシイちゃんは」
言われて、私は声もなく何度もうなずきました。
「ごめんねぇ。お姉ちゃんは、おシイちゃんに答えを教えてあげられないよ。でも、こうして抱きしめてあげられるから、泣きたくなったらいつでも言ってね」
スダレ姉様の私を撫でる手が、とっても優しくて、母様みたいで、私は……ッ!
「ぅぅぅぅぅぅぅ~~~~、スダレ姉様ぁ~~……ッ!」
「よしよし、泣いちゃえ泣いちゃえ。今はとにかく泣いちゃいな、ね?」
私はしばらくの間、スダレ姉様の腕の中で年甲斐もなく泣き続けました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――朝です。ちっくしょー。
「……うぅ、頭痛が痛い。完全に二日酔いです」
終電前に帰るはずだったのに、結局、泊めてもらいました。
というより、泣いてるうちに寝ちゃいました。うぁぁぁぁぁ、子供ですか、私は。
思わず頭を抱え込みそうになりますが、これも全部あの姉のせいです。
何なんですか、あの包容力。おかしいでしょう。全部委ねちゃいましたよ……。
これが既婚者の余裕ってやつでしょうか。
いや、違うなー。単純にあの姉、母性がバリ高ゲキ深なだけですね。
え~い、高スペック姉め。感謝感謝大感謝ですよ。
また何かあったら存分に頼っちゃおう。
「おかげで悔しいくらいにスッキリしてますね、今……」
頭痛こそしますが、それは魔法で治せます。
むしろ、昨日までメンタルがギリギリだったのですが、やや持ち直しました。
依然として何も解決はしていませんが、ひとまず、前は向けそうです。
そう、私は前を向くのです。そして、彼氏を作るのです。
タクマ君には悪いですが、それしかありません。
結婚さえすりゃあ、こっちのモンですよ。
少なくとも、この悶々とするしかない状況からは抜け出せるでしょう。
……で、肝心の相手は?
うるさいですね、私の中の私。これから探すんですよ!
とりあえず、一回帰って寝ましょう。今日は休日ですから、自堕落に生きます。
「はぁ、本当にこの先、どうなることや――、あっ」
歩きながら呟いていると、体がガクンとつんのめりました。
段差があることに気づけなかったみたいです。ヤバ、転んじゃう……!?
「おっと」
しかし、目をつむる私を、どなたかが受け止めてくれました。
聞こえたのは、男の人の声。
そして私の肩を、その人のものであろう両手が掴んで支えてくれます。
「大丈夫ですか?」
「はい、あの。ありがとうございます……」
私はお礼を言って、目を開けてその人の顔を見上げました。
初めて見る顔でした。でも、見覚えのある顔でした。
「あ、あの、あなた、もしかして――」
「あれ、もしかして君……」
相手の方もわたしを見て、同じような反応を返します。
そして、私と彼は互いに言いました。
「ユウヤ、さん……?」
「シイナなの、か?」
私は、再会してしまいました。
あちらの世界で私の夫だった彼――、ユウヤ・ブレナンに。




