第135話 勇者アキラ・バーンズの所業
苦痛の悲鳴はまだ尽きない。
「……ッ! ァ……、ァァ……ッ! ……ァ……ッ、ッッ……、ッ! ……ッ!」
バルボ・クレヴォスはまだ生きている。
口を大きく開けたまま、白目を剥いてひどく痙攣している。
悲鳴は漏れ続けているが、もう声は出ていない。
ただ、ビクンと震えて涙と鼻水を垂れ流しているだけだ。
声が出ていないのは、その身を苛む苦痛が限界を突破しているからだ。
叫ぶどころの話ではなく、悶えることもできず、ただ身を引きつらせるだけ。
その身にたかるゴウモンバエに少しずつ喰われ、今は最初の八割程度の体積だ。
手足は五指を失い、顔や露出している部分は皮膚がなくなって肉が剥き出し。
それでも、状態だけを見れば命に別状はないレベル。
精神の正常をたもつイバラヘビが、非常にいい仕事をしている。
是非、このまま存分に苦しみ尽くして、ゆっくり死んでいってほしい。
「さて」
『終わりか?』
「いや、あと一人だ」
俺はバルボが隠れていた物陰に、再度目をやった。
「逃げられると思うなよ、ラーミュ・クレヴォス」
「ひ、ひぃ……ッ」
俺が名を呼ぶと、ミフユそっくりの声を漏らし、ラーミュが這い出てくる。
バルボの末路を覗き見していたのだろう、腰を抜かしている。
「ひぃ……、たす、助けて、た、助けて……」
何とか俺から遠ざかろうと両手で地面を掻くラーミュ。
しかし、腰が抜けた状態ではそれもうまくいかないようで、全然動けていない。
「逃がすか、ボケ」
俺は、ラーミュの片足を無造作に掴み、そのまま地面を引きずった。
「ゃ、ぃや! ッ、やだ! いやぁ、助けて、助けてぇ! ぃ、いやよぉッ!?」
「知らん知らん。聞かん聞こえん。聞いても無視する。ほ~ら、こっちよ~」
俺は、あとは朽ちていくだけのバルボをその場に残し、ラーミュを引きずった。
向かう先は、適当に広い場所。狭いとやっぱり諸々やりにくい。
「ああ、あそこがいい」
「ふぎゅッ! ぎぁ、ぃ、痛い、痛いィ!」
降り注いだ土砂のおかげで、すっかりザラザラになった地面。
その上を無遠慮に引きずられて、ラーミュの綺麗な体が傷だらけになっていく。
「ほい」
だが俺は構わず、庭の一角に彼女を放り投げた。
打ち所が悪かったか、鈍い音がしてラーミュは「げァッ!」と悲鳴をあげ悶えた。
「あぁ、ぁぁ、あ、っあぁ、痛い、ぃ、痛いよぉ……」
「知らん。どうせこれからおまえは死ぬ。精々、生きてる証の痛みを案じておけ」
「し、死ぬゥ……!?」
俺が告げた現実に、ラーミュは今さらそんな驚きを見せる。
その顔は、擦り傷だらけで、それでも元々の美貌に衰えがないのはさすがだ。
「そ、んな……、し、死? わたくし、が、……死ぬ?」
「そうだよ?」
本当に今さらな呆然っぷりだよ。
何を言ってらっしゃるのだろうねぇ、この成金お嬢様は。
俺がそう思っていると、ラーミュは地面に這ったまま俺を見上げてくる。
そして、本当に理解できていない顔でこう言うのだ。
「どうして、わたくしが、死ぬのです? 恨みを買ったのは、父でしょう……!」
「おまえにも恨みがあるからだよ?」
う~む、このお嬢様、ズレてますねぇ!
これは多分、アレですね。ええ、間違いなく、アレでしょうねぇ!
「あのさ、ラーミュ・クレヴォス。もしかしておまえさぁ、これ本当にもしかしてなんだけどさ、おまえって『自分は何も悪いことしてないのに』とか思ってる?」
「あ、当たり前ですわ。わたくし、何も悪いことなんて……!」
はい、邪悪確定でぇ~~~~す!
「おめでとう、おまえは邪悪です! 自分を邪悪と思ってない、とびっきりです! いや~、よくいるよねぇ~、おまえみたいなヤツ! 殺さないワケないじゃん!」
「な、わ、わたくしが……!?」
親指をあげて邪悪認定する俺に、ラーミュはただただ唖然とするばかりだった。
うん、こいつ、才能あるわ。何の才能って、もちろん、邪悪のだよ。
そして、このあとの展開も俺はもうわかってます。
ただただ呆けているばかりだったラーミュが、キッ、とこっちを睨みつけてくる。
「あ、あなたの方こそ、邪悪そのものではありませんか!」
「うんうん、こうなること、知ってたわ」
笑って言って、俺はガルさんをラーミュの眼前にザクッと突き立てた。
「ひッ……」
ラーミュが息を飲む。
だが、俺を見上げるその瞳には、怯えと共に激しい怒りも浮かんでいた。
「さ、最低ですね……、図星を突かれたから、恐怖で私の口を閉ざそうとするだなんて。本当に、あなたがそんな方だなんて、思いもしませんでしたわ……!」
吼えるラーミュに、俺は笑う。笑って、彼女の次の言葉を待つ。
「見てみなさい、周りの光景を。ちょっと前まで、平和そのものだったクレヴォスタリアの街を、こんなにメチャクチャにして、大勢の罪もない人達を殺して……!」
言いながら、ラーミュはその瞳に涙を浮かべた。
今のこいつには、俺はどう見えているのやら。少なくとも人には見えちゃいまい。
「あなたは、人として最低です。ひどすぎます。あなたこそまぎれもない邪悪ではありませんか! ちょっと恨みで、お父様含めどれだけの人を殺したと……!」
うんうん、そっか、なるほどね。ラーミュの言い分はよくわかった。
じゃあ、そろそろこっちからもいいかな。いいよね。
「全部、君の言う通りだ!」
「……え?」
「俺は邪悪だ! 人として最低で、ひどすぎるヤツだ! 街もメチャクチャにしたし、街の住民も虐殺した! ちょっとした恨み程度でだ! それは間違いない!」
ラーミュが見ている前で、俺は大仰に腕を振り、声を張り上げて肯定する。
その上で、こう尋ねる。
「で、それが何か問題あるの? おまえが邪悪なコトと、何か関係あるの?」
「…………、……はぁ?」
「何を勘違いしてるかわからんけど、俺がおまえの言う通り邪悪だとして、それはおまえが邪悪じゃないコトの証明には繋がらないよ? 正義も善もここにはないよ?」
本当に、何を勘違いしてるんですかね?
もしや俺に文句をつけることで、自分が善側に立てるとでも思ったのかな?
少しでもそう思ったなら、笑うわ。クッソ笑うわ。
目クソが鼻クソを糾弾したって、クソはクソなんですよー。
あ~、笑うわ。これは笑う。
「まぁ、善悪論はどうでもいいや。どっちがどっちでも、おまえが俺の恨みを買った事実は消えやしねぇ。おまえはこれから死ぬ。それだけが確定事項だよ」
「ま、待ってくださいまし……ッ!?」
ラーミュが、ついにその瞳から涙を溢れさせる。
お~っと、今度は泣き落としかぁ~? 色々やってくるねぇ、この人。
「わ、わたくしは、ただ、アキラ様をお慕いしているだけなのです……。ただ、あなたを好きになった。恋をしただけなのです。それが、悪いのですか……!?」
「悪いよ」
本気で何を言ってるんだ、こいつは。
悪いに決まってるだろ、そんなの。っつーか、それが一番悪いわ。
そこに対して、理解どころか一片の自覚もないのはちょっとビックリした。
オイオイ、すげーよ、この女。邪悪のエンターテイナーかよ。
「ひ、人を好きになることの何がいけないというのですか……ッ!」
ほらぁ~、これよ、これ。すごくない?
この期に及んで全く事態を理解していない。これは、天然か。天然モノか。
もうちょっと見てたいけど、話が進まないから、教えてやるよ。
「あのね、俺、既婚者なの。既婚者を好きになっちゃ、あかんしょ」
「そ、そんなことはありませんわ! あなたに妻がいても、わたくしは一向に――」
軽く振った右足の爪先を、喋りかけているラーミュの口に叩き込んだ。
ガチュッ、という、なかなか聞けない音がした。
「ぎゃひぅッ!?」
「何で、おまえの都合基準で話を進めてるの?」
もう一発、叩き込む。
「ぐぃ、ぎひッ!」
「どうして既婚者側がおまえを選ぶ前提で話をしてるのかな? ねぇ?」
二発、三発、四発、五発。六、七、八、九、十。
ガツッ、ゴツッ、と音が響き続け、ラーミュの折れた歯が地面に落ちる。
「も、ぉ、ゃ、め……」
十一。
「ぎひゃあッッ!?」
ラーミュの顔が弾かれて、辺りに血がパッと散る。
俺は屈んで、彼女の髪をガシと掴み、すっかり歪んだ顔を強引に振り向かせる。
「なぁ、ラーミュ。おまえはまだわかってないんだなぁ。自分がしたことを」
「わ、わかりました。ご、ごめんなさい。ごめんなさい……、もう、もうやめ……」
「いいや、おまえはわかってない。全然わかってない。何もわかってない。自分が何をしたのか、今、この期に及んですら自覚がない。俺にはわかるよ、ラーミュ」
「わ、かってます……。ごめんなさい、ご、ごめんなさ、ぃ。あなたを、好きになってごめんなさいぃ……、だから、やめて、もう蹴らないで……」
ラーミュは、涙を溢れさせてそう懇願してくる。
うんうん、殊勝な態度は好印象だね。でも、今ので改めてわかっちゃったわー。
「や~っぱり、わかってない。おまえがした最悪なことは、噂を流したことだよ?」
既婚者の俺を好きになる。これが一つ目の最悪。全ての元凶。
そして、二つ目。俺との仲に関する噂を流した。
俺にしてみればこっちこそ最悪オブ最悪。絶対に看過しない。容認もしない。
だが、そう告げた俺に対し、ラーミュが見せたリアクション。
彼女は、意外そうに目を丸くしていた。
「……え、そんなこと?」
「――そう、そんなこと」
俺はうなずく。
「だ、だって、え、そんな、その程度のことで……」
「あのさぁ、ラーミュさぁ、君、散々俺を邪悪だとか言ってたけどさ、事実無根の噂を流して、俺の嫁さんを追い詰めようとするのは、邪悪ではないとおっしゃる?」
「ぇ、え、あ……」
「俺をストーキングして、周りにありもしない俺との仲をアピールして、父親に頼って俺と嫁さんを引き離そうとするのは、邪悪ではないとおっしゃる?」
「ぁ、あの、わ、たくし……」
「いや、いいんだよ? おまえさんがさ、誰を好きになるのも自由だよ、極論。それが既婚者の俺でも、感情は止めようがない。特に恋なんてね。わかる。わかるよ」
俺は腕を組み、うんうんうなずいてラーミュの主張を一部認めるフリをする。
その上で、続けてこう言ってやった。
「でもさ、それならさ、俺に恋してるおまえが、嫁さんから俺を奪うために色々したように、嫁さんに恋してる俺が、おまえから嫁さんを守るために色々やったっていいよな? なぁ、ラーミュ・クレヴォス。おまえは俺の嫁さんの敵なんだからなァ!」
「いやぁ、いやッ、ヤァ! わ、わたくし、まだ、し、死にたく……!」
ラーミュが俺に背を向けて、地面を這いずって逃げようとする。
俺は、ガルさんを逆手に持ち替えて、振り上げた。
「おまえは死ぬ。俺が殺す。一回しか殺せないのが残念でたまらないが、その一回を大事にするよ。おまえに、地獄の苦痛を味わわせることでなァ!」
そして、俺はガルザント・ルドラをラーミュの背中に突き立てた。
漆黒の刃から、彼女の体に濃縮された呪いが注ぎ込まれていく。
「ぐひッ!」
一声あげて、ラーミュの体が震え出す。
その身の内には、今、数多のバッドステータスがひしめきあっている。
毒、病、呪い、老化、火傷、感覚不調、痛覚肥大――、その他、数えきれない程。
そしてラーミュの肉体が、内側に向かって変形を始める。
「……あ、ぁば、ぐ、が、ば、ぷぁ、ぁぁ、あ、ああああ」
ミシミシ、ミチミチと、湿った音を立てながら全身が骨格から変形していく。
指は五指とも反り返って、骨を折りながらさらに丸まっていく。
肉体は凝縮され、圧縮され、人の形を徐々に失っていく。
その輪郭も丸みを帯びていき、やがては片手に乗るサイズの肉団子になり果てる。
「ぅぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁ、ぅぃぃぃぃ……、ぁぁぁぁぁぁ……」
表面に出ている片目から、そんな呻きと共に涙が溢れている。
今も、ラーミュは尽きない苦痛に晒されている。もう元に戻ることもない。
「おまえの最大の過失は、俺の嫁さんを敵視したことだ。ラーミュ・クレヴォス」
肉団子を右手に掴み上げ、聞こえてもいないだろうが、そう告げる。
「俺は、ミフユ・バビロニャを守る勇者でなくちゃいけないんでね」
「ぅぅぅぅ……、ぁぁぁぁぁ……」
「じゃあな、ラーミュ・クレヴォスだった肉塊」
別れの言葉と共に、俺は肉団子を放り投げた。
そして、傍らに待機していたマガツラがそれを掴み、グチャリと握り潰した。
『無駄に時間をかけおって』
ガルさんの小言が、少しだけ耳に痛かった。