第114話 二日目/異階/俺は英雄なんかじゃない
ドラゴが、壁に金属符を貼りつける。
洞窟内が『異階化』し、伸びた竜の尾が壁をバシンと叩きつける。
「ドラガは」
人の姿のときとは打って変わって、力ある声が洞窟内に響く。
「愚かで、そして頭が悪かった。今回の件でも、まともに進めようと思えば、その愚図さが私の足を引っ張るであろうことは容易に想像がついた」
ドラゴの語り口は、実に落ち着いていた。
冷静で、スマートで、弟とは一線を画す上位種の気品が感じられた。
「だから私は、今回の件を進めるための第一歩として、まず弟の心を粉々に砕いた。痛みと、言葉と、無力感をもって、徹底的にア否定し、プライドを踏みにじった」
「な、何故……?」
ケントの口から出る、当然の疑問。
それに応えるドラゴの声も、実に落ち着き払っていた。だが、
「アレのプライドが邪魔だったからだ」
その答えは、劣悪なモノだった。
「プライドを持っていいのは強者だけだ。弱者が持ったところで、枷にしかならない。その枷を己の力として扱える者だけが、自らを誇る権利を得る」
ドラゴが語っているのは弟のこと、自分には関係ない。
しかし、今まさに己の弱さに悩むケントに、その言葉は深く食い込んでくる。
「ドラガとそのまま組むくらいならば、弟を道具にして扱った方が上手くいくだろう。その目論見は見事にハマり、弟を失うこととはなったが、今、この機を得た」
語りながら、だが、ドラゴには隙が無い。
相対するケントはこれが本当にあの『人竜兄弟』なのかと、不思議に思っていた。
異世界で立ち合ったときとは、まるでモノが違う。別人のようだ。
「――学ぶさ。おまえに殺されたのだから。さすがに私は、弟とは違う」
見透かされた。
その事実がケントの心の温度を上げる。
「随分とエラそうにのたまってるが、要は弟を囮にしてずっと逃げ隠れていたってことだろう? 笑わせるなよ、ドラゴ・ゼルケル! ドラゴンが聞いてあきれるぜ!」
「その通りだとも、ケント・ラガルク。おまえに敗れた私は、未だ弱者さ。卑怯で結構。臆病で結構。目的を果たすためならば、私は逃げるし隠れもするぞ。魔力を用いた念話を利用して、弟と電話するフリまでして指示を与え、ついにここまで来た!」
ドラゴの背後の空間が、グニャリと歪む。異面体が出現する。
「見ろよ、呪樹駕塔。今こそ、我が誇りを取り戻すとき!」
歪みの向こうに現れたのは、宙に浮くトーテムポールのような奇妙な存在。
木目が見える灰色の塔で、高さはドラゴの三倍ほど。
図案化された様々な獣の顔が重なるその見た目は、まさしくトーテムポールだ。
「ケントしゃん……」
身を強張らせるケントの腕を、タマキが不安そうな顔で触れてくる。
ケントは、その顔を見ようとはせず、だがタマキの前に壁となるように立つ。
「その娘を守るつもりか、ケント・ラガルク。……守れるのか、今の貴様に?」
「黙れよ、ドラゴ。あの雨の日と同じ結果にしてやる」
「できないさ。おまえには、できない」
「うるせえェえェェェェェェェェェェェェェェ――――ッ!」
もう、何も聞きたくない。何も考えたくない。
ただ目の前にいる旧い敵を殴って、蹴って、ブッ倒して、一時の愉悦に浸りたい。
そう考え『戟天狼』を展開するケントの頭の中に、タマキの姿はなかった。
「ウオォォォォォォォォォォォォ――――ッ!」
初手から全速、全力、全開で殴りかかる。
「ジュジュガト!」
ドラゴの叫びに応じ、傍らに浮いていたトーテムポールがその巨大な瞳を開く。
瞬間、殴りかかろうとしていたケントの全身に、強烈な重圧がかかった。
「な、ァ……ッ!?」
「フハハハハハハァァァァァァァァ!」
そこにドラゴが飛び込んできて、繰り出された右の拳が彼の顔面を直撃する。
激痛、そして折れ曲がった鼻から、血が噴いた。
「ぐぅ……、このッ!」
痛みに顔を歪めながらも、ケントは後方に飛び退き、また突撃していく。
「この野郎ォォォォォォォォ――――ッ!」
彼は、ドラゴへと肉薄するが、再度の重圧がゲキテントウの超加速を相殺する。
ドラゴが、ニタァ~、と、笑った。
「どうした、ケント・ラガルク! ご自慢の異面体が形無しだなァ!」
今度は、右の前蹴り。
竜人の強靭な膂力による蹴りが、未成熟の彼のみぞおちをまともに抉る。
「ぐぅ、あッ……! ぅあ、ぁ……!」
痛みを堪えきれずに、ケントはその身をくの字に折り曲げる。
苦しい。痛い。目から涙が零れ落ちる。
「何だ、ケント・ラガルク! 貴様はこんなにも弱かったのか? そうか、そうか! やっぱりなァ! ケント・ラガルクよ! 貴様はやっぱり弱かったんだなぁ~!」
「ぅッ、が、ぎ……ッ!」
顔をあげられずにいるケントを、ドラゴが笑いながら上から殴ってくる。
ガッ、ゴッ、と硬い感触を頭に幾度も受けて、伝った血がケントの口に入った。
ジワリと広がる味は、辛酸そのものだった。
「う、グ、ナメるなァッ、アアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!」
手も足も出ず、一方的に嬲られる悔しさに、ケントは歯を食い縛って殴りかかる。
「ジュジュガト」
だが、起死回生をかけたその一撃すらも、ドラゴの異面体に阻まれた。
体が重い。鉛の海の中にいるかの如く、全身の動きが緩慢になってしまう。
「貴様は弱いな、ケント・ラガルク」
ドラゴがケントをそう嘲笑って、その顔面に右の拳を叩きつけた。
「…………クソ」
激痛と共に『勝てない』という認識が、ケントに押し寄せてくる。
彼は吹き飛ばされて、そのままタマキの横に転がった。
「ケントしゃん……?」
タマキが、震える声でケントを呼ぶ。
だが、答えはない。体力は残っていても、気力が尽きた。気を失ってしまった。
そんな彼を見るタマキの瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
「ハハハハハハハハハハハッ! 雪辱、ここに成れり! クハハハハハハハハハ! ケント・ラガルク、貴様は弱い。とんだ雑魚だ! ハハハハハハハハハハハ!」
洞窟内に響く、ドラゴの勝利の哄笑。
世界を超えて果たされた復讐に、彼は心から歓喜していた。しかし、
「うるさいよ、おまえ」
喜びの熱を一瞬で凍てつかせる、冷たい怒りに満ちた声。
倒れたケントを抱きかかえるタマキが発したものだ。彼女は、ドラゴを睨んだ。
「……フン」
ドラゴは、タマキを鼻で笑う。
「私がうるさいとしたら、どうだと?」
上から問うドラゴにタマキは言葉は返さず、ただ、握った拳をギチリと鳴らした。
「ク、フフフ! ケント・ラガルクに守られる程度の小娘が、この私とジュジュガトに勝てると? フハハハハ、思い上がりも甚だしいな! 人間風情が!」
「何でもいい。ケントしゃんをバカにするおまえは潰す」
いつもの陽気さは鳴りをひそめ、その目つきは研ぎ澄まされた刃のよう。
タマキは顔の前で両腕を交差させて、そのままバッと大きく広げる。
「――変身ッ!」
地に風が起こり、空から一条の稲妻が落ちた。
そして炸裂する閃光が消えたとき、そこには純白の戦士が立っていた。
「神威雷童」
「クッフ! どんな異面体を出してくるかと思えば、よりによってケント・ラガルクと同じ装着型か! それで手も足も出なかった男がいたことを忘れ――」
「長いぜ」
異面体を装着したタマキが動こうとする。
ドラゴが反応する。さすがに素早く、そして鋭い。
「ジュジュガト!」
ドラゴの声に反応し、ジュジュガトがタマキを見た。
その全身に、ケントと同じく強大な負荷がかかり動きが止ま――、らない。
「えッ」
「軽いけど?」
短く驚くドラゴの眼前に、タマキはすでに迫っていた。
「これは、ケントしゃんの分のお返し、一発目ェ!」
純白の篭手に覆われたタマキの右拳が、ドラゴの鼻っ面をグシャリと潰す。
「グゥ、おッ!?」
「これで止まると思うなよ?」
のけぞるドラゴへ、さらにタマキは追随する。
ジュジュガトによる重圧を浴びているにも関わらず、動きのキレは全然鈍らない。
「バッ、カな!? ジュジュガトの加重化能力が効いていないだとッ!」
「効いてるよ。すごく重い。でも……、こんなのが何だあァァァァァ――――ッ!」
突き上げられた左アッパーが、ドラゴのあごを的確に打ち抜く。
「げぼァッ!」
なすすべなく浮き上がるドラゴを前に、タマキは、両の拳を強く握りしめた。
「おまえなんかッ、こんなズルしなきゃ、強がれないクセにィィィィィ――――!」
咆哮と共に、タマキによるドラゴへの滅多打ちが開始される。
音よりも早い拳が、巨岩を両断する蹴りが、竜人の体に無限にブチ込まれていく。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
ジュジュガトは、相変わらずそのまなこを見開いてタマキをねめつけている。
重圧に包まれているはずだ。全身が重くて仕方がないはずだ。
なのに、それが何だと言わんばかりに、タマキはドラゴを殴り続ける。
殴り、殴って殴って殴って、殴る。蹴って、蹴って蹴って蹴って、蹴り飛ばす。
「おまえの方がずっと雑魚だ! ケントしゃんより、全然弱いんだよォ!」
「グゥゥゥゥゥオオオオオオオオオオッ、ギアアアァァァァァァァ――――ッ!?」
ドラゴは、ただのサンドバッグと化す。
ジュジュガトも浮いているだけのオブジェとなり、その意味を失った。
異階の中に響くのは、怒声と悲鳴。打撃音と打撃音と打撃音。
途切れることのないその音の中、ようやく少しだけ回復したケントが目を覚ます。
「……全快全癒」
彼は、傷を癒して身を起こす。
手足に装着していたゲキテンロウは、彼が気絶した時点で消えている。
そして彼は見た。
自分が全く敵わなかったドラゴを好き勝手に蹂躙するタマキの姿を。
「あれが、お嬢の異面体……」
初めて見る、純白の全身装着型の異面体。
ドラゴの血で赤く染まったその姿は、ケントなどより遥かに鋭く動いている。
ジュジュガトの過重圧の中にあるはずなのに。
圧倒的。
そう形容する以外になかった。
だって、対策なんてしていない。真っ向からの力業で、敵をねじ伏せている。
強い。強い。強すぎる。
仮に自分が戦ったって、天地が逆転しても勝てっこない。
「何だよ……」
ケントの口元に、ヘラリとした笑みが浮かぶ。
そしてその瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「……別に、俺が守る必要、ねぇじゃん」
ああ、やっぱり俺は、誰かの英雄になんてなれやしないんだ。
郷塚賢人の心は、このとき、折れた。