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【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
第六章 愛と勇気のデッドリーサマーキャンプ
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第110話 初日/湖岸/一日目の終わり、月に跳ねる魚と

 寝苦しさから、郷塚賢人は夜中に目を覚ました。


「んぁ……」


 だが、のっそり身を起こすと、そんなには暑く感じられない。

 夜のテント内は静かで、周りには自分以外の三人が小さく寝息を立てている。


 建てられたテントは、窓の部分がネットになっていて、夜風をよく通している。

 身を起こしたまま、しばらくまどろんでると、外からパシャンと音がする。


「何だろ……?」


 意識がはっきりしてくると、急に音の正体が気になりだした。

 少し待っても聞こえないから、二度と立つことのない音かもしれない。


 だが、そう思ってしまうとさらに気になる。

 ケントは体にかけていた薄いタオルケットをめくって、立ち上がった。


 音を立てないよう最大限注意を配りつつ、テントの外に出る。

 虫達が鳴いている、夏の真夜中。頬を撫でる空気は爽やかで涼しく、心地よい。


「あ~……?」


 辺りを見ると、昼間に見た景色と同じ地形。同じ空。少しの距離を開けて並ぶテント。

 違うのは時間帯だけ。しかし、気温も、空気の質も何もかもが違うように思える。


 月は丸くて青白くて、星は大小さまざまで、夜空が広い。あまりに広い。

 その下に並んでいるテントは四つ。

 大きなものが三つに、小さなものが一つ。


「……あれ、四つ?」


 三つじゃないっけ、と思った。

 男性陣が寝るテントが一つ、女性陣が寝るテントが二つ。それと――、


「ああ、あの人のか」


 考えているうちに思い出した。

 菅谷真理恵の高校の後輩だとかいう、あの橘颯々とかいう女だ。


 真理恵のことが大層好きらしく、常に甘えて近寄っていく感じの犬のような印象の女。

 そして、真理恵以外には全く興味なさげで、ケントにいたっては敵意すら見せる。

 そういう意味でも、本当に犬のような人だと思うケントである。


「でもなぁ……」


 湖岸にあった大きめの岩に座って、ケントは考える。

 わかるのだ。颯々があれだけ真理恵に懐く理由。きっと自分と同じなのではないか。


 真理恵に、助けてもらったことがあるのではないか。

 根拠もなしに、ただ直感でそう思った。もちろん本人に尋ねられるワケもない。

 いや、尋ねたら尋ねたで、自慢げに話しそうか。真理恵が止めそうだが。


 しばし考えたところで、ケントは一旦思考を中断する。

 颯々のことを考えるとあまり気分がよくない、思い出してしまうことがある。


「結局、あのとき俺が見たのは、何だったんだ……?」


 ドラガに狙われていると知ったとき、颯々に自分の内心を見透かされた気がした。

 だが、当の颯々は真理恵と話していた。こっちを見ていなかった。


「……いや、いい。もう済んだことだろ」


 また、かぶりを振る。

 いけない。どうにも思考がネガティブに寄っていく。楽しいことを思い出そう。

 そうしてケントは、疾風怒濤だった今日一日を振り返った。


 バスに乗って、タマキと真理恵に挟まれて。

 SAでの昼食で、タマキと真理恵に挟まれて。


 ボートに乗って、タマキと真理恵に挟まれて。

 夕飯のカレーも、タマキと真理恵に挟まれて。


 そのあとの温泉でも、タマキと真理恵に挟まれて。

 寝る前までやってた宴会でも、結局、タマキと真理恵に挟まれて。


「…………」


 回想を終えたケントが、立てた両膝の間に深く頭をうなだれさせた。


「…………生きた心地がしなかった」


 幸福な地獄の一日を終えて出た感想が、それだった。

 傍目に見ればどう考えてもリア充。野郎ならば誰しもが羨むであろうシチュだった。


 ああ、認めるとも。それは認める。実際にケントは、幸せを噛み締めた。

 だがその三千倍くらい、疲れたのだ。気疲れした。寿命が縮んだ気がしてならない。


 感度三千倍じゃなく寿命消費速度三千倍は、さすがにヤバイ。勘弁してくれ。

 いや感度三千倍もヤバイのだが、そこはエロ猿中坊。むしろよい単語に思える年頃だ。


「――お嬢、真理恵さん」


 思い浮かべた二つの顔。名を呼んで、また目を閉じる。

 アキラは言った。自分でやれと。タマキにちゃんと自分の気持ちを告げろ、と。


 ああ、最初はそのつもりだったさ。

 しんどいけど、言わなきゃいけないことなら言うしかない。そのつもりだった。

 そして、あわよくば真理恵にも自分の気持ちを告げられれば。


 そう考えていた。

 シイナの予言を聞くまでは。そして、ゼルケルの存在を聞かされるまでは。


 ドラガ・ゼルケルがアキラに始末されて、危険は去った。

 だが、それでケントの精神が安定したというワケではない。


 一度揺れ出した心は、結局、まだ揺れ続けている。

 こんな状態で、タマキに気持ちを伝えられるのだろうか。真理恵に気持ちを――、


「……クソ、結局、俺にどうしろっていうんだよ」


 毒づいてきつく目を閉じていると、また、パシャン、と音がした。

 さっき聞いて、妙に気になった音だ。


 顔を上げると魚が跳ねていた。

 この湖に来たときと同じで、魚が水面から飛び出したのだ。


「ああ、この音だったのか。真夜中だってのに、元気だなぁ……」


 魚が跳ねる高さは、結構なものだった。

 それはケントが軽く見上げるほどで、跳ねた魚の向こう側に丸い月が光っていた。


「絵になるな……」


 柄にもなく、そんなことを思ってしまう。

 そして目で追いかけていた魚は、そのまま水面に落ちてまた音を立てて、


「……ん?」


 ケントは、それに気づいた。

 水面。そこに映り込んでいる自分の姿と、すぐ後ろに立つ誰か。


「あれェ~? 郷塚君、こんな時間に起きてたんですかぁ~?」


 そう言って座っているケントを横から覗き込んでくるのは、橘颯々だった。


「た、橘さん……?」

「フフ~♪ こんばんは、郷塚君。いい夜ですねぇ~」


 ケントは軽く混乱する。

 自分が起きているのだから、他の誰かが起き出すこともあるだろう。颯々も含めて。

 しかし、何故わざわざ自分に話しかけてくるのか。それがわからない。


「どうしたんですかぁ~、真夜中なのに? 暑くて寝れませんでしたかぁ~?」

「……まぁ、そんなところです」


 楽しげに、からかうような言い方をしてくる颯々に、ケントはつっけんどんに返す。

 こうして話してみて感じる。やはり自分は、この女が苦手だ。


「ねぇねぇ、郷塚君、どうしてそんなに私に冷たいんです? 私、何かしました~?」

「別に、冷たくなんてしてないですよ。無愛想なのは生まれつきです」

「ふぅ~ん?」


 颯々が、ジロジロとねちっこくこっちを覗き込んでくる。

 ケントは深く息を吐いて、抗議の意味を込めて彼女の顔を横目に睨む。


「あン♪ そんな怖い顔しないでくださいよぅ~、私、怖がりで小心者なんですから」


 颯々はかすかに身を引いておどけてみせる。全然怖がってないじゃないか。


「ところでぇ~、郷塚君は何に悩んでるんですかぁ~?」


 ニッコリと微笑んで、颯々が尋ねてくる。

 その目は、まるで彼を探るようか、突き刺して抉ろうとしているようにも見える。


「悩み? いえ、別に……」

「嘘つかないでくださいよぅ~。ね、環ちゃん、可愛いですよね~♪」

「……はぁ?」


 またしても混乱をきたす。

 何故、わざわざこのタイミングでこの女は、タマキを俎上に載せるのか。


「環ちゃん、君のことを随分信じて、頼ってるみたいじゃないですか。ね、郷塚君」

「な、何でそれを……!?」


 ケントが息を飲み、取り乱す。

 すると颯々の瞳がクニャアと潰れて、浮かぶ笑みがいびつに変わる。


「知ってますよ~、私、それくらいは知ってますから。ね、郷塚君。本当は重荷なんでしょう? 環ちゃんから頼られて、好かれて、持ち上げられるの。辛いんでしょ?」

「そ、そんなことない。そんなワケないでしょ!」


「嘘嘘、そうやって誤魔化したって、心の底にヘドロが溜まっていくだけですよ~? そしていつか溢れちゃうかも。最悪のタイミングで、環ちゃんを傷つける形で、ね……」

「ぐ、ぅ……!」


 何故颯々がそんなことまで知っているのか、今のケントはそこに気を回せない。

 ただ、図星を突かれて呻くことしかできずにいる。


「辛いですよね~、『強者』って思われてるの。環ちゃんが勝手にそう思い込んでるだけで、本当の郷塚君は弱いのに。全然強くない、ただの雑魚なのに。ねぇ~?」

「……う、うるさい!」


 颯々が思い切り目を見開き、ケントに顔を近づけてくる。

 何だ、何なんだ。この女は一体、何がしたいんだ。ケントは全くわからなかった。


「どうしたんです? 否定はしないんです? 環ちゃんに頼られるのは苦じゃないって、断言しないんですか? やっぱり、苦しいんですか~? 苦しいんですよね~? 自分よりも全然強い相手から持ち上げられて、期待されて、頼られるのが辛いんでしょ~?」

「うるさいな! あんたは、何が言いたいんだよ!?」


 手玉に取られている悔しさに身を焦がしながら、ケントが声を荒げる。

 すると颯々はそっと彼の耳に唇を近づけ、小さな声で囁いた。


「――逃げちゃえばいいじゃないですか、真理恵センパイに♪」


 あまりにも甘い、毒蜜の誘いであった。

 その声は耳を伝って脳へと伝わり、そして髄に深く響き渡った。


「……菅谷さんに、逃げる」


 一転して、その瞳を虚ろにしたケントが、短くそれを繰り返す。

 隣に座る颯々が「そうですよ♪」と横から笑いかけた。


「それが最善だと思いませんか、郷塚君。だって、センパイは君に優しくしてくれるでしょう? 君に、そんなハードルの高い要求はしてこないでしょう? 違いますか?」

「ぃ、いや、違わない。……菅谷さんは、ずっと俺に優しくしてくれてた」


 そうだ、今日だってそうだ。

 ずっとずっと、菅谷真理恵はケントをいたわっていた。守ろうとしてくれた。


「それってぇ~、郷塚君が『弱いから』ですよね?」


 ……弱い? 俺が?


「あれ、違いましたぁ~? 郷塚君は、自分が強いと思ってるんですか?」

「お、俺は、俺は強くなんか……」

「ですよねぇ~、知ってますよぉ~。だって結局、今日も何もできてませんものね♪」


 弱々しくかぶりを振るケントに、颯々はますます笑みを深め、声を弾ませる。

 その声が、ケントを抉っていく。切り裂き、開いて、わざわざ傷口を大きくしていく。


「自分でもわかってるなら、もう逃げちゃえばいいじゃないですか。ね?」

「う、ぅう……、ぅ……」


 逃げる。

 逃げても、いいのか。自分は、郷塚賢人は、菅谷真理恵に逃げてもいいのか。


「センパイはぁ~、郷塚君が弱いから守ろうとしてくれてるんですよぉ~? 優しいですよねぇ、憧れますよねぇ、尊敬しますよねぇ~? 甘えたくなりますよね~?」


 ああ、そうだ。その通りだ。

 自分は菅谷真理恵に憧れている。彼女の優しさに触れて、心から尊敬している。


「センパイならきっとぉ~、郷塚君のこと、守って、救ってくれますよぉ~?」

「…………。…………」


 菅谷真理恵に逃げる。真理恵はきっと、受け入れてくれる。

 その考えが、ケントの中で急速に大きさを増していく。思考を乗っ取っていく。


「ね? 環ちゃんから重い期待を背負わされるくらいなら、自分の弱さを認めて、逃げちゃいましょうよ、郷塚君。真理恵センパイに、逃げちゃいましょうよ。ね?」

「ぁ、あ……、ぅ、あぁ……」


 颯々の声に、意識が麻痺していく。

 彼女の言っていることこそが正解のように感じられてならない。


 そうだ、タマキからの期待は重い。頼られるのは辛い。持ち上げられるのは苦しい。

 だったら、プライドも何もかも捨てて、自分の弱さを認めてしまえばいい。


 逃げることは許されている。

 きっと、菅谷真理恵はそれを許してくれる。ケントの弱さを、受け入れてくれる。

 もう、それでいいんじゃないのか。それで、そして、それで……ッ!


 ――水の落ちる音が聞こえた。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 絶叫と共に、ケントは颯々に向かって腕を振り回した。

 だが、当たるはずのその上ではあえなく空を切った。何も手応えがない。


「……ぁ、あ?」


 そこに、橘颯々の姿はなかった。


「ンもぉ~、何ですか今の大声~、目が覚めちゃったじゃないですかぁ~!」


 離れた場所から、抗議の声。

 四つ目のテントを開けて顔を出したのは、橘颯々だった。


「あれ、郷塚君、そんなところで何してるんですぅ~?」

「え、あ、あれ? 橘、さん……?」

「はい、橘ですぅ~。橘颯々ですぅ~。……何か?」


 そんな風に問われても、こっちが何が何やらなケントであった。

 結局、彼は颯々に謝って、テントに戻った。何が起きたのかはわからずじまいだ。


 ――そして、ケントにとって生涯忘れ得ぬであろう二日目が、始まる。

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