第108話 初日/温泉/水着があるからこそ許される温泉の話:前
郷塚賢人にとって生涯忘れられぬ日となるのは、翌日のこと。
だが、この夜もまた、インパクトでいえばそれに劣るものではなかった。
何故なら、すでに状況が彼に告げている。
おまえはここで男になれ。これはそのための試練なのだ、と。
「……ゴクリ」
トランクス型の水着をつけたケントが、横引きのドアの前で生唾を飲み込む。
意を決してドアを開けば、そこには暗い空、月と星、立ちこめる白い湯気。
それらを背景にした、少人数用の露店風呂がケントの前に姿を現す。
決して明るすぎない照明が、程よい雰囲気を演出している。
大きな岩を組み合わせた、そこそこ大きな温泉には、すでに二人ほど先客がいた。
「あ、来た~!」
「遅かったわね、待ってたのよ」
ケントが来たことに気づいた二人が、彼の方を向く。
一人は、タマキ・バーンズ。
岩に座ってケントに背中を向けた彼女が、上体を振り向かせて元気に手を振る。
その見事な肢体が帯びているのは、明るいオレンジ色のビキニ。
タマキが手を振るたびに、その豊かな双丘がフルンフルンと震えるのがわかる。
それを認識した瞬間、ケントの全身を電撃が走った。
溌溂とした、屈託のない笑みを見せるタマキが見せる、凶暴的ワガママボディ。
しかも、ただ胸が大きいだけに留まらないのが彼女の恐ろしいところだ。
肩などに若干の幼さを残しつつ、首筋や背中、脇腹はグッと引き締まっている。
までにお手本のような『出る所は出て引っ込むところは引っ込んでいる』体型だ。
これは、ヤバイ。
全身を見るまでもなく、すでに現時点でケントの理性がダメージを被っている。
「どうしたの、賢人君。早くこっちに来たら?」
と、もう一人も誘ってくる。もちろんそれは菅谷真理恵だ。
彼女は、下半身だけを湯につけて、半身浴のようなことをしていた。
身に纏っているのはタマキと同じビキニだが、こちらは布面積が大きい。
腹部の上辺りまでを覆うタイプのもので、色は爽やかな空色から紺色へのグラデ。
そんな彼女の水着姿を見て、ケントの心臓がまた跳ねる。
タマキのように豊満というワケではないが、非常にスマートな体型をしている。
胸も、決して小さいわけではない。
むしろ標準より大きめではないだろうか。え、菅谷さん着痩せするタイプ!?
その事実が、ケントに新鮮な衝撃を与えた。
菅谷真理恵は背が低く小柄だが、それは幼いというわけではない。
いや、むしろ逆だ。
落ち着いた色合いの水着を完璧に着こなす今の彼女は、非常に大人っぽい。
見るがいい、湯に浸かり、ほのかの上気した彼女の肌を。
湯の心地よさに弛緩した頬も赤く染まり、瞳は潤み、唇は濡れている。
小さく水音を鳴らすその艶姿は、こちらの劣情をあまりに容易く煽ってくる。
タマキの水着姿が一撃必殺の大ダメージなら、こっちは多段ヒット。
様々な要素が渾然一体となることで生じる大人の色気に、理性ゲージは削られる。
固まってしまったケントを前に、二人の美女が唇を開く。
そして紡ぎ出されるのは、彼の脳みそを甘く蕩けさせる誘いの言葉。
「ケントしゃん」
「賢人君」
「「こっちに来て、一緒に入ろう?」」
――ウオオオオォォォォォォォォォァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?
その叫びはまさに、ケントの魂の悲鳴であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ときは一時間ほど遡る。
「温泉! 温泉ですか!? つまりそれは、湯上がりのビールも可、ですね!?」
「何でもビールに繋げてくるなぁ、おまえ……」
もうね、温泉行くよって伝えたときのこのシイナの反応がね。
ちょっと一周回って、これもこいつの個性なのかなぁって思い始めてるよ、俺。
「ちなみに混浴よ」
「え」
ミフユの一言に固まるシイナ。
「でも水着着用よ。買ってあるわよね、水着」
「ああ、ならOKです。セーフ! セーフです!」
オーバーリアクションでセーフのポーズをするシイナに、タクマが笑う。
「シイナ姉の水着ッとか、可愛いンッじゃねーの?」
「はぁ~!? 何を言うんですかタクマ君! それを言うなら綺麗でしょ~!」
腕組みをして言うタクマに、シイナが青筋を浮かべて突っかかる。
しかしタクマはそれを笑顔で受け流し、さらに余計な一言。
「そりゃ無理ッしょ。だッてシイナ姉、ちんまいッじゃん?」
「うぎ~! 言いましたね、タクマ君! よ~し、それなら君は私とお風呂です!」
「ッはぁ!? ッんで、そうなンだよ!」
「もちろん、私の『綺麗な』水着姿をその目に焼き付けさせるためです!」
タクマが助けを求めるように俺とミフユを見てくる。
しかし、さすがに煽りすぎですねー。俺達は二人で首振りをシンクロさせた。
「そんッなぁ~……」
タクマががっくりと肩を落とす。
バカだね~、シイナを煽ったらそうなるってわかりそうなモンでしょうに~。
「フッフッフ、タクマ君がいけないんですよ。さぁ、駐車場に行きましょう!」
そして俺達は駐車場でタクマ運転のバスに乗って、温泉へと向かった。
バスに乗っておよそ二十分ほど。
温泉、といっても源泉に温泉を使ってるだけで、実情はスーパー銭湯に近い。
浴場の種類は様々で、多人数用の大型浴場やら少人数用の露天風呂なんかもある。
今回は、何人かずつに分かれて少人数用露天風呂を楽しむことになっていた。
その上で、一応弁明はしておく。
ケントの組み合わせが『ケント、タマキ、真理恵』になったのは故意ではない。
温泉のことを話したらタマキがケントと入りたいと言い出したのだ。
そして、それを聞いた真理恵が「私もそっちで!」と続けて希望してきた。
つまりいつものパターンってコトだぁ!
ケント本人がいないのにこうなっちゃうの、可哀相だけど笑うわ。
あ、橘颯々もいません。
あいつは元々俺らとは違う、ソロキャンプの人だからね。
そもそも混浴露天風呂、予約が必要だから途中参加できんのだよね。
ということで、温泉に到着。建物が立派ですなー。
「アッハッハ、でっかい建物だねぇ! 五階建てで三階までがお風呂で、四階と五階は泊まれるようになってるんだとさ。ゲーセンとか、レストランもあるらしいよ!」
「ふぇ~、一大レジャー施設なんだねぇ~」
お袋の説明に、スダレがしきりに感心するけど、ここ見つけたのはおまえです。
「それじゃあ、事前に説明した通りの組み合わせで、お風呂に行きましょう」
シンラの言葉に従って、俺達は二階の混浴露天風呂に向かった。
組み合わせは以下の通り――、
俺とミフユ。
シンラとお袋。
スダレとひなた。
シイナとタクマ。
そしてケントとタマキと菅谷真理恵だ。
露天風呂は一室ごとの設計になっている。
部屋ごとに男女に隔てられた脱衣所があり、そこで水着に着替える形だ。
「……ケント、どうなるかしらね」
脱衣所で着替えていると、壁越しにミフユが言ってくる。
「さぁ? 死ぬんじゃねーかな。きっと」
「そんな無責任な……」
いやいや、俺だってそこまでは面倒見切れないって。
「だが、健闘は心から祈ってるぜ!」
「笑えないわねぇ~……」
我が友、ケント・ラガルクよ、君に幸あらんことを願う!
これであいつも少しは元気が出るといいんだがなー。それはそれとして笑うけど。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――ケント・ラガルクに元気が出たかどうか。
「……勘弁してください。勘弁してください。マジで勘弁してください」
露天風呂の隅っこで縮こまりながら呟き続けている彼を見れば、一目瞭然だろう。
あまりにも神々しい二人を前に、委縮しきって心が死にそうになっていた。
「賢人君、どうしたの?」
「ケントしゃ~ん、もっと近くに来なよ~」
だが、ケントがどれだけ逃げても露天風呂はお風呂であり、端は存在する。
そして、震える彼の方へと、水着の女神二人がゆっくりと迫ってくる。
「ケントしゃ~ん♪」
胸の真ん中から下を湯に漬からせて、タマキが無邪気な笑顔で近寄ってくる。
ケントは目を瞠った。
近づいてくるタマキの、その胸。谷間部分。対流が起きて渦ができている。
……ぶ、物理的に起こりうるというのか、そんなことが!?
ケントは物理学に関する知識はあまりない。
ないからこそ、目の前にある事実をそのまま受け止めるしかなかった。
温泉の中をタマキが進むと、その胸の谷間に渦ができる。
この事実は、もしや学会にセンセーションを引き起こす歴史的な新発見云々。
学会とか見たこともないのでアレだが、とにかくインパクトがありすぎた。
「お、お嬢! あの、あのですね……!」
「なぁにぃ~?」
頭真っ白のまま声を上げるケントに、タマキが止まって小首をかしげる。
クソッ、これだけのボディを持ちながら、彼女の反応があまりに無防備すぎる。
ケントを信頼しきっている純粋な瞳が、何の疑いもなしにこっちを見つめる。
その瞳はまっすぐで、だからこそ煩悩を抱える彼は心底から死にたくなっている。
うおおおおお、俺は何て汚れたイキモノなんだァァァァ―――!
って、いう感じで。
「あのね、環さん……。いくらお友達でも、もう少し、節度は持つべきじゃない?」
ここで救い主、菅谷真理恵が参戦。
滅亡への道をひた走っていたケントの心理状態に、一条の光が差し込んだ。
「何だよ~、オレ、何も悪いことしてないだろ!」
「そういうことじゃなくて、賢人君は恥ずかしがってるのよ。見ればわかるでしょ」
唇を尖らせるタマキを、真理恵が大人らしくたしなめる。
実情は恥ずかしいどころの話ではないのだが、何とか助かった。菅谷さんに感謝!
などと、一瞬でも思うケントは未だ現実を理解していなかった。
彼は忘れていた。目の前の女神二人が、基本的に仲が悪いという事実を。
「むぅ~~~~!」
真理恵に言われたタマキが、その頬をぷくっと膨らませる。
この時点で、ケントにはイヤな予感と不安と戦慄とちょっとした期待しかない。
「うるさいんだよ、変態女! ケントしゃんは俺に遠慮なんかしないモン!」
バシャ~ンとお湯を跳ね上げて、タマキが勢いよく立ち上がる。
そして彼女は、まるで真理恵に見せつけるようにして、ケントの方に飛び込んだ。
「ね~! ケントしゃ~ん!」
「ぬわあぁぁぁぁぁぁぁ! ちょっ、お嬢ォォォォォォォォ――――!?」
「ちょっと、環さん!? あなた、何をしているのよ!」
タマキが抱きつくのを見て、真理恵も立って二人を引き離すべく寄ろうとする。
「あ」
途中、真理恵は足を滑らせる。
実は彼女自身には自覚はないが、真理恵はちょっとしたドジっ子属性持ちだった。
タマキは、左側からケントに抱きついていた。
そして今度は、滑って転んだ真理恵が、右側から彼に抱きつく形になる。
「あ、ごめんなさい、賢人君……」
耳元すぐそばに聞こえる、真理恵の柔らかな声。
視覚が、聴覚が、触角が――、過剰な多幸感からオーバーフローを起こす。
「ひぐ……ッ」
結果、彼は固まった。目を剥いたまま、石化してしまった。
「あれ、ケントしゃん? ケントしゃ~ん?」
「賢人君? どうかしたの、賢人君?」
二人に抱きつかれた形のまま、ケントの魂は、遥か高い場所へと昇っていった。
別名、失神したともいう。




