第100話 初日/バス車中/今日も元気だご飯が美味しい
狩間湖までは、大体四時間ほどかかる。
距離的にはそんなにも離れてるワケじゃないんだが、地方なので道が少ないのだ。
それでも現地のキャンプ場は割と人気が高く、客も多いという。
その分、キャンプ場のスタッフも人数がいて管理も行き届いてるらしいが。
「アキラ~、席変わってよ~」
窓側の席で外の風景を眺めていると、隣に座るミフユにそんなことを言われた。
「は、何言ってんすか、おまえ」
と、ミフユの方を向くと、棒状のチョコ菓子が鼻先にあった。
「これがお代よ。わたしも少し外を眺めたいのよ~」
「むぅ、少しだけだぞ」
言って、俺はチョコ菓子を口にくわえつつ、ミフユと席を交換する。
その際に、一番奥の片隅に座っている三人に目をやる。
「ケントしゃん、お菓子いる~? これ美味しい~ぜ~!」
と、左側からタマキにスナック菓子を提供され、
「賢人君、顔色が悪いわ。はい、これ。少しだけでも飲むといいわ」
と、右側から菅谷真理恵に緑茶を差し出されて、
「アハ、どどど、どうも。どうもありがとーゴザイマス。ドーモドーモ」
テンパり過ぎて言動が胡散臭い外国人になってしまっている、真ん中のケント。
「見てて気の毒になるくらい面白い構図ね」
「おまえ、それはさすがに酷いだろ。確かに面白いけど」
面白いけど笑えない。そんな現実の真っただ中にいるケント君。
いや~、第三者的に見ると、これは笑うわ。でもシイナの予言のことを考えるとな。
「うぅう~、ヴ、ヴヴヴヴェェ~……、あヴ、いヴヴヴヴヴヴァ~……」
「すごいねぇ~、聞いたことない生き物の声してるねぇ~」
一方こちら、その予言をしたバーンズ家きっての庶民派の現在のお姿です。
成人女子にあるまじき茶色い顔をして、成人女性にあるまじき声で鳴いております。
さっきからスダレが甲斐甲斐しく背中をさすっておるわ。
「ううう、何でタイヤなんてあるんですかぁ~……!」
おい、こいつ乗り物酔い憎しからとんでもねぇコトいい出したぞ……。
「今は21世紀なんですよ? 平成の次の時代なんですよ? タイヤのない、空飛ぶ車くらい、普通に量産されてるべき時代じゃないですかぁ~、いヴヴ……」
来年には未来の猫型ロボットのプロトタイプを完成させろと言い出しかねないな。
まぁ、それだけ乗り物酔いがキッツイんだろうけど……。
「あのね~、おシイちゃん~」
「うぷっ、何ですか……、スダレ姉様……」
「あるよ~、空飛ぶ車~」
「あるんですかぁ!?」
あるのぉッ!?
「量産化されてないだけでぇ~、試作型でそういうのは何個かあるよぉ~」
「しかも複数あるんですかぁ!?」
試作型! もう、その響きだけでカッコいい試作型!
「え~っとぉ~」
と、スダレが手にしたタブレットPCを操作する。
「あ、これこれ。わぁ、量産モデル作るかもしれないんだ~、すごいね~」
「へぇ~、どれどれ……」
タブレットの画面を覗き込もうとするシイナ。しかし、途端に顔色が土色になる。
「うヴぇヴぇヴぇヴぇヴぇヴぇ~、あびょヴぁヴぃヴぁヴぇ……」
「あ、ごめんねぇ~、乗り物酔いしてる人にパソコン画面見せちゃったぁ~」
本当に謝る気あるのかわからん言い方をしつつ、スダレはまたシイナの背中をさする。
まぁ、車の中でスマホしたり本読むと、気持ち悪くなる人、いるよね……。
さてさて、ミフユは外の景色を楽しんでいるので、俺はもう少し中の様子を窺おう。
シンラは――、ひなたを膝に上に乗せて、一緒に外を見てるなぁ。
「おとうさん、パトカー!」
「ああ、パトカーだね~、おまわりさんだぞ~」
「おまわりさ~ん!」
うん、実に微笑ましい親子の姿で……、視線。
「何すか……?」
お袋が、ニヤニヤとムカつく笑顔を浮かべながらこっちを見ていた。
「随分とシンラさん達を羨ましそうに見てるじゃないかい。何なら来るかい、ここ」
そう言って、お袋が自分の太ももをポンと叩く。
誰が行ってたまるか、ボケェッ!
「いいんだよ。アタシはアンタが可愛くて仕方がないからねぇ。七歳でも、別にいいんだよ~。アンタを膝の上に乗せて、一緒にパトカーを見てはしゃいだりするのもね」
「……それはもはやプレイなんよ。しかも羞恥系の」
クソォ、『出戻り』してから一気にはっちゃけやがって、このオバサンはよぉ……。
「それと、アキラ」
「ンだよ~」
憮然としながら返すと、お袋はいきなり表情を引き締めて声を落として言う。
「ケント君のこと、ちゃんと見ておくんだよ?」
「……わかってるよ」
「わかってても、だよ。あの子はアンタの命の恩人なんだろ。だったら、今回でその恩を返しきるつもりでいるんだよ。それが傭兵の仁義ってヤツさね」
「ああ」
俺はうなずく。
当然だよ、ああ、当然の話だ。
ケントには、異世界で何度助けられたかわからない。
俺の身代わりになってくれたあのとき以外にも、何度も俺のことを助けてくれた。
同業者にタマキが拉致されたときも、それを救ったのはケントだった。
「ケントが本当に厳しくなったら、俺が必ず助けてやるさ」
「じゃあ、今助けに行ったらどうだい。きっと感謝されるよ?」
いやぁ、今は別にピンチじゃないし。それに見てて面白いしねッ!
「そッろそろサービッスエリア着ッくぜ~。ここで昼ッ飯だから、皆の衆ッ、ヨロ!」
運転手タクマの陽気なアナウンスののち、俺達はサービスエリアに降り立った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
気づいたのは、バスを降りたあとでのことだった。
「あれ、ここ、サービスエリア?」
「そうよ。一緒にバスを降りたでしょう、大丈夫?」
と、傍らにいる菅谷真理恵が、呆けていたケントに言ってくる。
「あ~、いや、大丈夫っすよ。はい」
そう、大丈夫だ。
体調は特に問題はない。気分も悪くはない。
ただ、精神的にギリギリの境界まで追い詰められているだけだ。今、このときも。
「ほら、お昼ご飯、一緒に選びましょう? 何にする?」
隣に立つ菅谷真理恵が、笑ってそう促してくる。
これは何? どういうシチュなの? 憧れのお姉さんと、一緒にランチって!?
「え~、えーと……」
いかん、また頭が真っ白になりそうだ。と、ケントは頭をブルブル振る。
それを見た菅谷が、途端に心配げに彼を見つめてくる。
「賢人君、本当に大丈夫? 気持ち悪いなら、少し休んだ方が……」
「いえッ! 大丈夫です、本気で大丈夫です! 心配はいりませんから!」
ケントは声を大にしてアピールした。
たかが体調一つで、せっかくの菅谷とのランチをふいにしてたまるものか。
「そう? ならいいけど……」
言いつつも、まだ少し菅谷は心配そうにケントを見る。
この、どこまでも優しい彼女の性根と気質に、ケントは参ってしまったのだ。
ただし彼女は刑事で、郷塚家の一件以来、ほとんど会えていない。
だからこそ、今回のキャンプはまさに奇跡的に到来してくれた大チャンスなのだ。
そう、ここで彼女との仲を深め、あわよくばそのまま告白しちゃったりして。
そして夏の夜、二人っきりで一緒にどこかで月を見て、互いに愛を語らって……。
やがて気持ちも盛り上がり、そのまま引き寄せられるように二人は、キ、キ!
キ……、キッ、キスとか……ッ、うぉああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!
己の妄想に身をよじるケント。
妄想が微妙にプラトニックなのは、彼が小学生に毛が生えた程度の中坊だからだ。
これが高校生だったら、もっと妄想らしい妄想もできただろうに。
「……賢人君、本当に休まなくて平気?」
「いや、大丈夫っす。大丈夫ですから、ご飯選びましょ。腹減りましたよ、俺」
何とか取り繕って、ケントは菅谷と共にメニューを選ぶ。
様々な品があるサービスエリアで、少し悩んだが空腹だったのでカレーにした。
菅谷は、ざるそばのようだ。
「菅谷さん、それでもつんですか。刑事とか体力勝負でしょ?」
「そうなんだけど、元々あんまり食べられない方なのよ」
苦笑する菅谷を見て『そんなところも可愛い!』とか思ってしまう。
だが、そんな平和な思考も、カウンターでメニューを受け取るまでの話だった。
「ケントしゃ~ん、ここ空いてるよ~!」
タマキの声だ。
そういえば姿が見えなかったので気になってはいたが、先に頼んでいたらしい。
呼ばれてしまった以上は、無視するワケにはいかない。
「あ、お嬢、そんなトコ、に……」
言いかけて、絶句する。
隣にいる菅谷の「えぇ……」といううめき声がやたら耳に残った。
「おっひる~、おっひる~♪」
と、鼻歌を口ずさむタマキの前に、サービスエリアメニュー満漢全席が完成していた。
和、洋、中、お構いなしに、所狭しとメニューが並んでいる。
山のような料理と、それと相対する小柄で可愛い女子高生。
その異様な対比の構図に、他の客達もザワつき、中には写メを撮る者もいた。
「……マジで食べるんすか、それ」
「え、うん。そーだけど? 少し欲しいならあげるぜー!」
いやいや、いやいやいやいや。
と、ケントも菅谷も、揃って首を横に振った。
「いただきま~す!」
両手を合わせて元気に言って、タマキは右手に箸を、左手にスプーンを握る。
そして食べ始める彼女を前にして、席に着いたケントは思った。
「やべぇ、これ見てるだけでおなかいっぱいになりそう……」
カレーライスは、少し冷めつつあった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――狩間湖キャンプ場管理小屋。
「はい、はい。わかりました。今から一時間後ですね、それではお待ちしております」
キャンプ場の管理を任されているスタッフの男性が電話を置く。
「橋村さん、今の電話、誰です?」
そこにたまたま居合わせた若いスタッフの青年、国府津がその男性に尋ねる。
「ああ、お客さんだよ。人数が多くてバスで来るらしいから、先に連絡をしてくれたんだよ。国府津さん、そのお客様が来たら案内をしてもらっていいかね?」
「構いませんけど、バスで来る人は珍しいですね」
国府津が言うと橋村は「そうだねぇ」と軽く笑う。
「で、そのお客さんのお名前は?」
「風見慎良、という人だよ。あとはお友達が十人くらい、だそうだ」
――風見慎良。
その名を聞いて、国府津の目尻がかすかに動く。
「わかりました。資材の運搬ついでに、駐車場の方に行っておきます」
「ああ、お願いするよ」
そして管理小屋を出た国府津は、すぐに自分のスマホを取り出して電話をする。
「兄貴か、来たぞ」
『そう、か。ついに来たか』
電話の向こうから聞こえてくるのは、国府津によく似た男性の声。
「《《あいつ》》の言ってたことは本当だったな」
『ああ、ついに機が熟したというワケだ』
二人の声は、互いに暗い喜悦と期待に染まっていた。
これから訪れるそのときを、ずっとずっと待ち望んでいた。そんな声だった。
『仕掛けるそのときまで決して気づかれるなよ、隆我よ』
「ああ、そっちこそな、柳吾の兄貴」
電話を切って、国府津隆我は小さくほくそ笑む。
「待っていたぞ、待っていたぞ――、郷塚賢人。……いや、ケント・ラガルク」
笑いを押し殺す彼の額には、短い角が生えていた。
普段は偽装しているそれこそは、人を超える膂力を持つ竜人の特徴だった。
「今度は、殺す。殺してやる」
彼の名は、国府津隆我。
だがその前世の名は、ドラガ・ゼルケル。
かつて異世界にてケント・ラガルクにプライドを踏みにじられた、竜人の傭兵。
つまり彼は――、『人外の出戻り』であった。




