フィニィの魔法2
かつて、世界には陽が二つあった。
常に光が満ち、誰も闇に怯えることなく生きていた、伝承の時代である。
だがその頃でさえ、光の届かぬ場所が確かにあった。
それは例えば深い森の中、水の底、洞窟の奥。誰も訪れることのない、寂しく冷たいところに生まれた闇が、やがて温もりを求めて手を伸ばした。
陽の一つを抱き込めて、大切に大切にしようと思ったのに、力の加減がわからず砕いてしまった。
世界の光の半分が消え、結果として夜が生まれた。
砕けた陽の欠片は夜の国に閉じ込められて以来、その王から逃げ回り続けている。
ユピの囲いの中にいた頃は、彼らの光で夜の王のいる場所以外が年中照らされていたが、ユピが消え夜の力が世界中に広がってしまった今では彼らの光も押さえつけられ、どこにいるのか見回しただけではわからなかった。
「陽の欠片たちは私を見ると逃げてしまうよ、フィニィ」
頬に涙の跡を残した夜の王が気弱に言う。
フィニィはエンシオの手を引き、背後に夜の王を連れて陽の欠片探しを始めていた。
加減を知らない夜の王があまり子供らへ近寄り過ぎないよう、間には処刑人が入り要所要所で王の首を刎ねて牽制する。
花人は先で花を撒き、道を作ってくれていた。
「私の国で陽をつくるなんて無理じゃないか」
フィニィは時折振り返って、不安げな夜の王に大丈夫だと言ってやる。
それでもいちいち人を挫けさせるような弱音は止まらなかった。フィニィの邪魔をしたいのではないが、臆病なのである。示された希望にすら怯えてしまう。
「あれは?」
エンシオが前方を指した。
黒い丘の上で、歯車の回る音を響かせ、機械仕掛けの木馬が駆けていた。
木の軸を骨格とし、大小の歯車が細かく組み合わされている。木馬が動くたびに歯が噛み合って回り、足を前へ前へと進めてゆくのだ。
木馬もフィニィらに気づき、足を止めた。
瞳も歯車の形をしていた。これだけ他の歯車に噛み合っておらず単体でぐるりと回ったかと思うと、すぐさま丘の向こうへ逃げ出す。
フィニィはエンシオの手を離してぱっと駆け出した。
歯車の瞳の裏に隠れた陽の欠片の頭が見えたのだ。
「ま、待て!」
置いていかれてはたまらないエンシオもすぐさま後を追う。
先行する花人が勢いよく転がって丘を登り、フィニィも懸命に足を回すがなかなか追いつけない。
フィニィは鞄の中から大きな羽根を出して飛び乗った。
軸を握り込み速度を出す。
間もなく追いついたところで、馬の背に思いきって飛び移った。
激しく回る歯車に指でも挟まれればちぎれてしまう。フィニィは背骨に器用に立ち、木馬の左目の裏側に人差し指と親指をいれた。
つまみだされた陽の欠片がわたわたと足を振る。
その時、木馬が前足を高々と掲げ、フィニィを後方へ飛ばした。
ばさりとフィニィは花玉の中に落ちた。
無傷で花人の外に出ると、エンシオと処刑人が傍に追いついた。
「それが、陽、か?」
唇を震わせエンシオが確かめる。
フィニィは少年の顔の前でゆっくり両手を開いてみせた。
光が二人の周りを淡く照らす。
それはまだ弱々しく、エンシオを焼くような力は持っていない。まるで星のようにか細い。それでも彼にとっては初めて見る、本物の陽の光だった。
陽の欠片は涙ぐむエンシオを見上げるように、星形の頭を傾けた。
おそるおそる差し伸べられる手に自ら乗る。
柔らかな温もりが手のひらからエンシオの全身に伝わって、不意に、彼は幼い頃に抱かれた母の胸の温かさを思い出した。
「っ・・・」
やっと陽の光に触れられた。嬉しいのに悲しくなる。
今頃、家族はどうしているだろうかと思う。これまで自分が母たちにどれだけひどい言葉を吐いてきたか、その償いの機会すら永久に失ってしまうのであれば、悔やんでも悔やみきれない。
また王として、彼の民を愛すことのできなかったことが不甲斐なく思えた。
ぼろぼろ泣く少年の様子をフィニィも陽の欠片も静かに見守っていた。
だが、間もなく陽の欠片は少年の背後にいる闇に気づいて飛び上がった。
フィニィは咄嗟に落ちた陽の欠片を捕まえた。
手の中で欠片が逃げようとして暴れている。
明滅する光を夜の王は暗い瞳で見つめていた。
「ほら。私は嫌われている」
フィニィは手の隙間に何度も大丈夫だよと言い続けた。
陽の欠片を胸に当て、怯えが消えるまで頭をなでてやる。
そうして、夜の王を傍に呼んだ。
夜の王は戸惑いを顔に浮かべる。
差し伸べられる手は彼が切に望んでいたもの。だが、いざ目の前にして怖気づいてしまう。
そんな王の震える指先を握って、フィニィは陽の欠片のもとへ導いた。
今度こそ砕かぬように。
以前、フィニィと手を繋いだ時のような力加減で触れるよう教えてやった。
指先が陽に触れる。
闇は光を侵さずに、赦しを乞うて待つ。
怯えてフィニィに縋りついていた陽の欠片はやがて、そろそろと頭をもたげた。
いつでも泣き出しそうな真黒な瞳に光が映り込んだ。
「どうか・・・恐れないで、くれないか」
夜の王は黒衣の下で自らの両手を握る。卑屈に首を竦めて、ただただ懇願した。
「私からは触れない。もう触れない。我慢する。だから、どうか、嫌わないでおくれ」
長身が憐れに丸まっていく。
誰よりも強いのに、誰よりも脆い夜の王。
それを赦すことができたのか、顔のない陽の欠片から言葉を得られることはないが、欠片は逃げずに留まった。
おとなしくフィニィの鞄に入る。
次を探しにいこう、とフィニィは王たちを励ました。
もともと一つであった陽の欠片たちは、なるべく皆と固まっていたがる習性がある。
彼らもまた互いの光に焦がれているのだ。
木馬の走っていた丘を越えて程なくし、釣り鐘型の光る花をぶら下げた蔦が宙を漂っていた。
何かが傍を通って揺れるたび、高い音が鳴る。
アンテの声に似ているとフィニィは思った。
処刑人に頼んで抱き上げてもらい、特に明るい鐘を一つ手で鳴らす。
すると、中に潜んでいた陽の欠片が落ちてきた。
着地した途端に欠片は走り出したが、フィニィの鞄から飛び出した陽の欠片がそれを追いかけて、しばらく互いの頭を突き合わせていた。
そして二つともフィニィのもとへ戻ってきた。
どうやら片方が片方を説得してくれたらしい。欠片たちは後ろで縮こまっている夜の王には念のため近寄らず、急いで鞄の中に入った。
長く連なった釣り鐘型の花には、他にも光り方の強いものがたくさんある。フィニィはエンシオと一緒に鐘を残らず叩いて陽の欠片たちを回収した。
陽の欠片が増えるごとに、周囲の闇が晴らされる。
「う」
鞄に欠片が入りきらないほどになると、だんだんエンシオはつらくなってきた。
ベールをかぶって後ずさる。
黒い処刑人と並んで立てば、鎌と仮面を忘れた小さな処刑人のように見える。
「この程度の光で・・・」
エンシオが悔しそうに唸る。
皮膚が焼かれて痛いらしい。すると花人が転がってきて、日除けのためエンシオを自分の中にしまった。
これでいくらかつらくないだろう。
「何か、熱を冷ますものが必要なのかもしれない」
闇から夜の王がぽつりと言う。
熱を冷ますもの、冷たいもの、と連想し、フィニィは恐ろしい巨人のいる凍れる山を思いついた。
「――氷の巨人だね。悲しみを暴れることでしか表せない可哀想な者だ。あの冷気を魔法に混ぜようというのか? フィニィ」
何も言う前から夜の王には伝わった。
フィニィが頷くと、かすかに顔をしかめる。
「私が、採ってこよう。あれはお前には危ない。氷はたくさん必要か?」
フィニィは首を横に振る。
おそらく、ひと欠けらもあればいい。
「わかった。お前たちは残りの陽の欠片を探しておいで」
黒衣を翻すと夜の王の姿が消えた。
フィニィは陽の欠片たちを引き連れ、言われたとおり探索を続ける。
何かが変化し始めていた。
☾
多くの陽の欠片が集まってきた。
夜の王に砕かれた当初、陽の欠片は今よりもっとたくさんあったのだが、その一部を魔女がフィニィに飲ませたり、さらに昔にはアンテがユピを夜の魔法から守るために飲ませたり、様々なことがあって本来の数より少なくなっている。
とはいえ、フィニィたちの集めた陽の欠片はゆうに百を超えていた。
他にも必要な材料を集めつつ、一体どれほどの時間探し回っていたのかわからない。何か月も経ったようにも思えるし、瞬きほどの時間さえ経っていないようにも思える。夜の国はそれくらい曖昧だ。
だが、陽の欠片はこれで全部ではないらしい。
フィニィの手のひらに乗った欠片の一つが、上に向かって何度も跳ねた。彼らに手はないが、懸命にどこかを指しているようだ。
ちょうど、甲殻の隙間をぎちぎち鳴らして泳ぐ竜が頭上を横切った。
その腹の中ほどが一部、明滅している。
「あれが最後の欠片か」
氷を採って、夜の王はすでに戻ってきていた。
「エリトゥーラの分身なら、あの腹も切れるだろうが」
処刑人はすでに大鎌を構えている。しかしフィニィはできるだけ夜の子を殺したくなかった。魔女もそう考えるはずだ。
フィニィは鞄から空飛ぶ羽根と、眠りの木の葉、発火の実を取り出し、フードの中の哲学ネズミだけを連れて竜のいる空までのぼった。
上からの景色は、風がない他は以前の夜の海で見たものに似ている。
見渡す限りの夜の中、今頃人々は光を探してさまよっているのだろう。
「私の希望は、君だった」
肩に這い出てきた哲学ネズミが頬に鼻を押しつける。
「何者にも脅かされずに、君と生きられる明日を信じていたかった」
「・・・うん」
わかっている、とフィニィは頬ずりした。
おそらく誰もがそうだろう。今日の痛みがいつか癒され、明日が幸福であることを夢見る。フィニィたちをたくさん苦しめた人々でさえ、きっとそうなのだ。
フィニィは羽根から竜の頭に飛び移る。
甲殻に覆われた竜はやはりフィニィが上に乗っても気にしない。
フィニィは革袋の中にメクメスの葉をたっぷりと詰め、そこにキッチを放り込み、袋ごと竜の硬い角に叩きつけた。
中でキッチの殻が割れ、飛び散った火花がメクメスの葉に引火する。
袋の口から煙が出てきた頃、フィニィは竜の額に移動して鼻の穴に袋を詰めた。
さすがに竜は嫌がったが、なおも袋を押し当て続けていると、少しずつ高度が下がり、着地した。
深い眠りに落ちたのだ。
フィニィは夜の王に、竜の口を開けておいてくれるよう頼んだ。
「恐ろしいことを平気でするのだね」
意図を察した不死身の王のほうが気が気がでない。「エリトゥーラはお前に何をさせていたのだ」などとぼやく。
仕方なく、頼まれたとおり鋭い牙のある竜の口を両手でこじ開けてやった。
フィニィは念のため哲学ネズミを外に残し、竜の中に入る。
狭くぬめぬめした食道をずっと這っていく。
道のりはとても長かったが、無事に腹の中ほどに留まっていた陽の欠片を見つけた。
縮こまっていた陽の欠片は迎えにきたフィニィに飛びつく。
帰りは苦労しながら後退し、竜の口から生還した。
これで材料がすべてそろった。
髪のべたべたするのを清浄の水菓子で洗ったら、フィニィはさっそく魔法作りに取りかかる。
ここに大釜はないが、夜の中はそれ自体が魔法の力の満ちた釜の中のようなもの。
材料を混ぜ、核を吹き込めば魔法ができる。
フィニィは陽の欠片たちを足元に集めた。
鞄から出したトーチを混ぜ棒がわりに、彼らの頭上でくるくると闇を回す。すると、渦が生じて陽の欠片たちが舞い上がった。
陽の欠片たちはその場で回転したり足を広げたり、楽しそうにはしゃいでいる。とても数が多いため、星雲のような大きな光の渦ができた。
「こおり、いれて」
夜の王が採ってきた氷の塊を手で細かく砕き、渦に放り込む。
フィニィはさらに、道中で採取した糸吐きもぐらの粘り気のある銀の糸が絡みついた枝と、浮き薬を追加した。
薄緑色の塗り薬とほぐれた糸がはしゃぐ陽の欠片と氷の欠片に絡んでいく。フィニィは様子を見て、やがて材料と魔法の力が十分に混ざり合ってきたと思ったら、最後にそれらを一つの魔法に固めるための核を吹き込む。
核には心の中にたくさんあるものを使う。それはいつまでも消えず何度でも生まれるもの。
「ねがいをひとさじ」
金色の光の渦の中に、様々な色彩を持つ光の粒が注がれた。
鮮やかな粒が渦の上を跳ねて中心に向かい、それらを包み込むように陽の欠片たちが集まってゆく。
氷で熱を冷まし、糸で繋げて。完成したのは、金色の丸い陽だった。
大きさはフィニィの背丈ほど。
昼の陽に比べればずっと小さく、光も弱いが、夜の陽はこれでいい。
フィニィは陽を空へ放った。
ゆっくりと上昇し、金色の光が照らす範囲を広げてゆく。
フィニィは花人の中からエンシオを引っ張り出した。
ベールを少しずつめくり、空を見上げた彼を、夜の陽が優しく迎えた。
「いたい?」
呆然と陽を見つめるエンシオはしばらく何も答えなかった。
その後、小さく首を振った。
夜の陽はすべてを明らかには照らさない。
だが隣にいる者の表情を、昼の子の目でも見えるくらいにはしてくれる。道の先にいる誰かの影を知らせてくれる。
フィニィは地面に仰向けになり、哲学ネズミを腹に乗せた。
「どうした?」
エンシオに日向ぼっこだと答える。
少年は一瞬驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
彼もフィニィの横に寝転がる。生まれ初めての日向ぼっこだ。
そして反対側のフィニィの横には、夜の王が音なく倒れた。
「今度は私のことも照らしてくれるのか・・・赦してくれるのか・・・」
声が震えている。
もう手を伸ばさなくとも光は彼とともに夜の中に在ってくれる。フィニィがそのように願い、陽の欠片たちが応えてくれた。
夜の王は目の端から絶えず涙を流している。
彼の体から立ちのぼる闇は抑えられ、それ以上広がらない。
フィニィたちの周りにはいつしか夜の子やなりかけらが集まってきて、金色の陽のもとに佇んでいた。
陽の魔法はそんな彼らから徐々に夜の魔法を剥がし、崩れた魂の形を復元してゆく。
「かなしい?」
フィニィは夜の王へ尋ねた。
「――悲しいよ。光の中にあっても、まだ寂しい。お前と同じだ。これは、永遠に抱えているしかないのだろうか」
ああそうか、と夜の王は腑に落ちた。
「だから皆、夜の中で嘆くのか。お前たちは色んなことが悲しくて、それをどうにもできず何かのせいにしながら、毎夜自分を慰めて生きてゆくことしかできないのだな」
夜の王は初めて、心の底から生き物たちを憐れんだ。
彼らはもっと祝福された存在だと思っていたのに。
たとえ光のもとで愛する者と共にあっても彼らが完全に救われる瞬間は永久にこないことを理解した。
なぜなら夜の王も彼らも過去の痛みが癒えず、いつか失う未来に恐怖し続けるからだ。
「可哀想に・・・」
王は静かに目を閉じる。
フィニィも哲学ネズミとともに眠った。
短い夢を見ている間、世界の闇は少しずつ、少しずつ薄れ、空の端が白んできた。




