夜に備えて3
夜の国を抜けた先、森を出た場所は夜明けの頃だった。
夕暮れと夜明けはよく似ている。赤く染まった雲がそびえる岩山の向こうに見え、まだ紺青の空には星が瞬く。
岩山の麓でフィニィが腕を上へ向ければ、山の上から金色の不死鳥が降りてきた。
フィニィの腕にとまろうとするが、細すぎてうまくいかない。フィニィは受け止めた鳥を地面に置いた。
長くカーブを描く首筋をなぞる。不死鳥は嬉しげに鳴いた。
もうすぐ世界が夜に覆われることを不死鳥にも教えてみたが、鳥は気にもしない。
フィニィはナイフで尾羽を二枚折り、鞄にいれた。折れた尾羽からはすぐ新しい軸が伸びて、羽毛が生えた。
森に戻るフィニィの後を不死鳥がひょこひょこ歩く。普段は夜の国の手前で帰ってしまうが、今日はそのまま付いてきた。
フィニィは不死鳥の尾羽を一つ、手に持って振りながら夜の国をいく。
不死鳥に続いて陽の欠片たちも走り寄ってきた。珍しく夜の国にきた不死鳥の背に飛び乗ったり、フィニィの振る羽の先に掴まろうとして飛び跳ねる様が、実に楽しそうだ。
霧の立ちこめる花畑を通り、巨大な獣の頭骨の埋まった丘を越え、緑の火の踊る岩場を横目に避けて、灰の降る村と、天地が逆さまの廃墟を抜けた先に、ようやくユピの本体が見えてきた。
夜の王の留守の間に、ここにも陽の欠片たちが遊びにきている。フィニィと不死鳥のもとへ喜んで駆けてきた。
フィニィはユピの幹を背に、腰を下ろした。
不死鳥は久しぶりのユピに挨拶するように、張り出した根から根を飛び移って幹を一周し、陽の欠片はそれを追いかけるか、フィニィと一緒に休むかしていた。
フィニィのもとにユピが細い根を伸ばす。目の前でそれらが絡み合い、小さな玉の形にまとまって、ぽとりと手のひらに落ちた。
中にユピの魔法の力がたくさん込められている。
これを地上の魔法使いたちへ持っていけというのだろう。何も言わなくともユピは地上の出来事をなんでも知っているようだ。
目的のものは得られたが、それでもフィニィは動かずにいた。目を閉じて、優しく手足に絡むユピから様々な話を聞いていた。
ふと、冷気が上から降りてくる。
押し潰すような闇の濃さにたまらず陽の欠片たちが逃げていくが、一匹だけ逃げ遅れた者が、フィニィの上着の中に潜り込んだ。
腹の辺りがぼんやり光っている。
それに目をすがめ、夜の王がやってきた。
「眠っているのか」
秋の終わりに夜の王は青年の姿へ近づいている。若さが戻り、強い力を持つ。しかし心は相変わらず寂しい。
「私に会いにきてくれたのだね。きっとそうだろう。そうでなければお前はすぐにどこかへいってしまうから」
逃がさぬよう、すかさず手を伸ばす。だがその頭へ不死鳥がじゃれてきたため、慌てて振り払った。
「寄るな、鳥め。私はお前などいらない。お前も私がいらないくせに」
思いきりはねのけられた鳥は、夜の王をからかうように高く鳴いた。
不死の存在どうしはあまり仲が良くないが、殺し合いなどしても互いに無意味なために、腹が立とうとそれ以上は何も起きない。
気を取り直して、夜の王はフィニィの前に膝をついた。
眠っているその頬に触れる。
フィニィは薄く目を開けた。薄い緑の透き通った瞳が夜を映した。
「やっと私を見てくれたね」
嬉しげに言う。
卑屈で不気味なその笑顔をフィニィは静かに見つめている。
もうあまり怖いと思わなくなった。
「昼の国など、どうでも良いじゃないか。皆、私たちを置いてゆくのだ。光が残してくれるものは、消えた後の寂しさだけじゃないか。私と、ユピと、ここにいよう。三人きりの世界だよ。誰も独りにせず、独りにさせず、永遠に寄り添い合っていよう」
フィニィはゆっくり瞬きをした。
腹の上にいる光が震えていたから、なでて、安心させてやる。
「ユピが、しんじゃったら?」
フィニィはまっすぐ尋ねてみた。
途端に、今度は闇が震えた。
「・・・やめてくれ。そんなことは、考えさせないでくれ」
怯えている。
本当は気づいているくせに、知らぬふりをしている。そうしていなければ心が裂けてしまうのだろう。
夜の王はフィニィから離れ、黒い頭をかきむしった。
「なぜだ? フィニィ、どうしてそんなひどいことを言う? お前の心はこんなにも悲しいのに、どうして耐えられる? やめてくれ・・・フィニィ、考えないでおくれ」
一瞬でまた傍にきて、フィニィの両腕を掴んだ。
指が食い込むほどに、縋りつく。
「私も、お前も、エリトゥーラにはなれない。心を持って生まれてしまった。これ以上、悲しいことには耐えられない。もう嫌だ。無理なんだ。そうだろう? そのはずだ。もうやめてくれフィニィ」
夜の王は懇願し続ける。
その触れているところから、夜の魔法がフィニィを侵そうとするが、陽の欠片と不死鳥の羽が守ってくれていた。
そしてユピの根も。
フィニィの腕に絡んでいたものが伸びて、夜の王の震える手に這った。
ごめんね、とユピは言う。
もう一緒にいてあげられない。あなたが嫌いだからじゃない。ただ命が終わるだけ。
そんなふうなことを言っていたが、途中で夜の王が耐えられず逃げてしまった。
ひどく怯えて、ユピの作ってくれた籠の中へ自ら引きこもる。フィニィはしばらく待ってみたが、いつまでも出てくる気配がなかった。
かわりに寝ぼけた哲学ネズミが、上着を滑って腿に落ちてきた。
「・・・耳を塞ぐことは罪か。目を閉じることは悪か。弱さを吐き出せば無となれるのか。虚飾にまみれた魂に、価値はないのか。それを覆うだけの形骸は。――何ひとつ成せずに、在るばかりの身でさえ愛されたなら――私は――何者になれただろう?」
仰向けに転がったネズミがぽろぽろ涙をこぼす。泣いている理由を自分でもおそらくわかっていない。
フィニィはネズミの腹に頬ずりし、あなたが何者でも大切だと伝えた。
うずくまる闇は動かない。
先に、フィニィは夜の国を出た。




