昼の王たち
その日は新しい王の即位式で国中が祝いに湧いていた。
花飾りがどこの家々にも見られ、王の威光を示すパレードが大通りを練り歩いている。
ただし、煌びやかな兵の護衛する山車は四角い箱で、窓の一つもない。
まるで豪奢な棺桶だ。
中に王がいるのかどうか、果たしてよくわからぬままに祝いの言葉を投げかける背の低い民たちは、どこか少し無理をしている。視界の端にちらつく影に目を背け、努めて愚者となり明るい明日を信じようとしている。
空遊魚に乗って街の様子を見下ろす間、そんなふうにヴィーレムは感じた。
ともあれ、彼も本日は祝福の使者である。
ここは若人の国。
大人も子供も童顔で背が低く、あまり年を取って見えないことからそう呼ばれている。また長くても五十年程度しか生きられないために、老人が少ないことも由来の一つだ。
短命ゆえか彼らは非常に働き者で、細工仕事などは特に評判が良い。目を惹く彩色を施した彫刻や、金色に縁取られた絢爛豪華な建築物は、どの国のものよりも陽のもとで美しく輝く。
若人の国はその地理的条件から陸の交易路の重要拠点でもあったため、新しい王の即位には多くの国が祝いに駆け付けている。
ヴィーレムもまた夜の森のほとりに住む者たちの代表として、五色の宮殿に降り立った。
魔法薬の売り込みで押しかけることはあっても、王から正式に招かれることはなかなかに珍しい。
巨漢の外務大臣の肩にも届かない背丈の若人の民たちは、ヴィーレムの喉元に剣を当てている裁定人を盗み見しつつ、他国の王を迎える時と同じうやうやしさで彼を控えの間へ通した。
若人の王との謁見を待つ部屋である。
調度品はすべて緑の孔雀石で作られていた。表面を丁寧に磨かれ泡のような模様が浮かぶ。見事な輝きを放つそれらに、指のあぶら一つでも付けることは許されないように思える。
さて、とヴィーレムが内心で苦笑を堪えていれば、硬い蹄の音が聞こえた。
「きてしまったのか」
偶蹄の白い山羊足を持つ初老の男が控えの間にやってきた。
「蹄の王、お久しぶりです。その後、膝の調子はいかがですかな?」
「この通りだとも」
蹄の王は、とん、とその場で本物の山羊のように跳ねてみせる。
彼はヴィーレムの顧客であった。出先の事故でひどい怪我を負った王の足を、偶然居合わせたヴィーレムが魔法でたちまちに治したことによって交流の機会を得、今では蹄の国で魔法薬が堂々と流通している。
ヴィーレムは穏やかな気性のこの王を気に入っていた。
それは向こうもそうで、だからこそ蹄の王は再会が嬉しくなかった。
「お前はくるべきではなかった。ここにも鉄の罠が張り巡らされておるのだぞ」
「なるほど」
控えの間の中にはむろん、そのようなものはない。蹄の王の背後に形なき罠が仕掛けられている。
「なぜ鉄の国に手を出したのだ」
蹄の王は沈痛な面持ちだ。
もうしばらく前の話になるが、ヴィーレムらが鉄の城を襲撃した件を彼は子供が蜂の巣をつついたように感じたのだろう。
「我々は大事な子を取り戻すために赴きました。すべての瞬間においてあの子を孤独にはできんのです。全と一とを秤にかければ必ず一のほうへ傾くのが我々、夜の森のほとりに住む者なのです」
たった一人の子のために、大地を平らにならし、箱庭を作り上げた魔法の王の遺志をヴィーレムらは受け継いでいる。
「そうだから、お前たちは・・・」
老王は嘆息した。
「夜の子とゆえなく蔑まれていた我が国は、かつてお前たちの王に救われた。だが、今、鉄の王の痛ましい姿を目の当たりにしてしまっては、何を信じて良いかわからぬ。お前たちの言を信じたい。信じたいが――夜は日ごとに我らのもとへ迫っておる。それだけは事実なのだ」
こい、と蹄の王が招く。
逃げることも簡単にできたが、それで気の優しい老王が他の王たちに責められてはよろしくない。ヴィーレムは比較的、情を大事にする性分だ。
それも見込んで蹄の王を遣わせたのだろう。あの思い上がりの鉄の王は。
ある程度は予測していたことだ。
ヴィーレムは迷わず蹄の王についていった。
☾
鎧戸まで閉じた暗い部屋のU字の卓に、七つの国の王が座っている。
岩のように分厚い皮膚を持つ火山の国の王。
青い鱗に覆われた尻尾を揺らす鱗の国の王。
毛髪のかわりに緑金色の羽を生やした羽の国の王。
人より大きな銀灰色の狼の毛皮を被った毛皮の国の王。
さらに山羊足の蹄の王と、顔の左半分を残して鉄に変じた鉄の王。
スタラナの魔法に溶かされた体は鎧になりかわったらしい。かろうじて心臓は肉のまま残っているのだろう。半分だけの顔で器用に笑みを作っていた。
そして真ん中の首長の座には、本来、表のパレードに出ているべき若人の国の新王が、頭から全身を黒いベールで覆い、いた。
若人の国は兄弟の最後に生まれたものが王位を継ぐ。
だから新王はまだ十分に若かった。椅子を立っても背丈はヴィーレムの胸にも届かないだろう。シルエットではか細い少年にしか見えなかった。
「――ご即位、心からお祝い申し上げる。若人の王」
ヴィーレムは先に言うだけ言っておいた。
するとベール越しに、
「黙れ」
と少年の声が言う。やはりまだ幼いが、存外に力強い声だった。
仮にも王たる者が命じるのであれば、ひとまずは口を閉じる。
若人の王以外、いずれの王ともヴィーレムは面識がある。また先代の若人の王とならば知り合いで、この宮殿にやってくるのも初めてではなかった。
さて、いかなるつもりかと、ヴィーレムは成り行きを見守ることとした。
「三つの問いに答えろ。逡巡も沈黙も許さぬ」
他の王は差し置いて、若人の王がこの場を仕切るようだった。
「夜の森の広がりは、魔法の国の者のせいか」
「おっと。そこまで話が遡るのか」
逡巡も沈黙もせず、ヴィーレムは軽々と口を利いた。
商売の傍ら、彼はずっと魔法と夜とユピの森のことを昼の国の王たちに説いて回ってきたのだが、どうも王たちの理解は芳しくないらしい。
あるいは誰かの煽動によるものか。
「貴殿らの頭は百年より昔に戻られたのか。夜の森は夜の国の浸食を抑え、夜の王を中に閉じ込めている。夜の森がなくなれば昼の国はたちまち夜の国に呑まれます」
「夜の森がすでに昼の国を蝕んでいるではないかっ」
火山の国の王が机を叩く。火気にも耐える皮膚の下から、焦りと怯えが滲んでいた。
ヴィーレムはむずかる子に話すように落ちついて言い聞かせる。
「この数年、夜の森の拡大は完全に止まっています。広がって見えるとしたら幻覚でしょう。そもそも夜の森が広がるのは内なる夜の国が肥大しているせいであり、森がなければこの程度では済まされない」
「ではまたいずれ、夜の森は広がるのだろう」
鉄の王が口を出した。
さすがにこの男のことはヴィーレムも愉快に思えない。背後に浮かぶ裁定人がわずかに瞼を上げる。
「夜の森に呑まれることと夜の国に呑まれることとは何がちがう? 同じだ。夜の国があるのは夜の王のせいなのだろう? 我々は何百何千年と昔から侵略されているということだ。ならば戦うべきではないか? それを阻んでいるのがお前たち魔法の国だ」
「貴殿がさらなる呪いを受けたいのであれば、止めはしないとも。だが先に忠告申し上げる。夜の王は不死であり、いかなる力をもってしても殺すことはできない。夜の王の命の形は我々のものとは理がかけ離れている。想像されよ。夜とは何もない闇なのだ。ないものをいかにして消す?」
「そう言い張ってお前たちは阻むのだ」
「大体にして魔法の国は狡いっ」
気位の高い羽の国の王が、カナリアのように啼いた。
勢いよく立ち上がった拍子にどこかの羽根が二、三枚散る。生え変わりの始まる時期なのだろう。
「自分らの中で夜の魔法を防ぐすべを秘している。それにお前たちは魔法薬を売りつけるくせに、国としての協定には応じない。味方にも敵にもならないばかりか中立ですらない。一体なんなんだ」
「我々は夜の森のほとりに住む者。貴殿らの国とは在り方が大きく異なる。そもそも魔法の国には民も王もないのです。ならば国としての約束事などどうしてできましょう」
「あの街に集う者たちは民ではないと?」
鱗の王も口を挟んだ。青黒い鱗が頬にまで及んでおり、日向の亀のように目をすがめていた。
「滅んだ国の跡地で勝手に商いをしておる者たちの集まりでしょう。我々は彼らに税も役も何も課していない。大臣と呼ばれるこの身さえ、やっておることは魔法薬を売り歩くことだけだ。貴殿らとて正式に魔法の国を認めたことはないでしょうに。お忘れか?」
「王がなくとも王の子はいるだろう」
また鉄の王が余計なことを言った。
ヴィーレムは静かにそちらを見据える。
「お前たちは夜の子を崇めている」
さらに、若人の王が問うた。
「夜の子が生まれるのは、魔法の国の者のせいか」
「否。夜の王が夜の子を生む。あの子は夜の王に無理やり夜の欠片を飲まされた。だが陽の欠片も飲んでいる。あの子は陽と夜の子だ。哀しく、優しい子だ。この中では鉄の王、貴殿が最もよく知っていよう」
「ああ。王の子は私の呪いを解けると言った」
すると周囲の王たちが色めき立った。そこまでの話は聞いていなかったのだろう。
ヴィーレムは無言でいた。
「夜の魔法を防ぎ、夜の呪いを解ける――それでなぜ、お前たちは昼の国のために何もしない? 答えよ、ヴィーレム!」
毛皮の狼が噛みついた。獣の皮を被って変身する独自の魔法を持つ彼らでも、夜への理解に乏しい。
「・・・幾度も申し上げている。夜は誰にも消せない」
激する王たちへ、もう無駄であろうと悟りつつ、それだけ告げた。
最後に若人の王が三つ目の問いを発した。
「王の子は夜の呪いを解けるか」
これに対し、ヴィーレムはわずかにベールの向こうを憐れんだ。
「さあ。ことに貴殿の場合は――どうだか」
途端に少年が椅子を蹴った。
「今すぐ、ここへ、王の子を、連れてこい」
そんなことをすれば裁定人の四本の剣がヴィーレムの首を切るだろう。だがそうでなくとも、ヴィーレムはフィニィを知る者として死んでも彼らの要求には応じられない。
この場で語る言葉は尽きた。
各国の思惑を知れただけでも収穫であった。
一人、沈黙を守り続ける蹄の王に目礼をして、ヴィーレムは非難と罵声を背に宮殿を去った。
☾
「なぜ逃がした!」
暗闇の中で若人の王が激高している。
彼の小さな兵たちが魔法の国の大臣を恐れ、みすみす取り逃がした旨の報告を聞いたのだ。
他の王たちはすでに部屋から去り、重い体を一人で動かすことのできない鉄の王だけがその場に残っていた。
「捕えることなどできまいよ」
ひたすらに恐縮する兵らにかわり、グウェトが王をなだめた。
憤懣やる方のない若人の王は悠然としている鉄塊を睨む。
「大臣を捕えて王の子をおびきだすのじゃなかったのか」
「不可能だ。奴らは王の子の安寧のみが頭にある。仮に捕えることができたとしても、あの後ろに浮かんでいた夜の子が男を殺し、また別の守り手を選ぶだけだ」
「ではどうする気だ」
「我らの呪いを解く方法は二つしかない。魔法の国を従わせるか、夜の国を滅ぼすかだ」
元凶を叩くのならば、むろん後者であろうと囁く。
グウェトは夜の王を目の当たりにしたことがありながら、やはり恐れを抱かない。万物は必ず断ち切れるものと考えている。
「一つ、試していることがある。私の先祖は夜の森を斧で切り拓き、ユピに触れたことで呪いを受けた。だが今なら斧以外のすべがある。ユピに一切触れずに森を拓けば、さあ、どうなるだろうな。そして魔法の国はどうするか」
がちゃりと鎧の擦れる音が響いた。
「若き王よ。勇気はあるか?」
ならば力を貸そうと差し出された鉄の左手を、少年は昏い瞳で見下ろしていた。




