夜のほとりの魔法使い2
爆音と騒音が城を揺るがす。
伝令が彼のもとへ辿り着くより先に、それらは玉座へ到達した。
つい昨日の血溜まりを拭い去ったばかりの床へ今度は吹き飛ばされた扉の破片が散った。
鱗の民の中でも特に強靭な肉体を持ち、日々不死身の兵士を相手にしているゼノの前では、ただの人間の兵士など紙人形にも等しい。
鉾のひと突き、尻尾のひと薙ぎで容易く蹴散らされた。
鋭い眼光で玉座の鉄の王を捉える。
ゼノは何も言わず何も聞かず、純粋な殺意でもってグウェトに鉾を突き立てた。
グウェトは鉄の左手で切っ先をかろうじて逸らした。だが衝撃は体全体に響き渡る。
「狂乱を一匙」
死角から石柱が突進した。
ゼノの背後に隠れて見えなかったスタラナの魔法が玉座の間の床を変化させたのだ。
右足と左腕の骨が剥き出しになっている少女は小瓶から魔法薬を振りまく。
数十本の石の棘が壁に叩きつけられたグウェトを一斉に突き刺した。
「よーっす元気ぃ? 元気ならかかってこいよ。ご自慢の鉄の体メキャメキャにしてやんぜ」
スタラナは道化の笑顔を忘れ、瞳孔が限界まで開いている。
すると石の棘が割れ、グウェトは身を起こした。
家臣たちなど盾にもならない。
流血する部位を鉄に変え、王自らが立ち向かう。
「これは宣戦布告と取って良いな? 魔法の国の大臣よ」
それに誰かが答えるより速くゼノが再び鉾を突き立てる。
今度は防御が間に合わず腹を貫かれたが、そこはすでに鉄化していた。グウェトは身を捻って鉾先を滑らせ、竜人の首を目がけ左手を突き出す。
薄皮一枚、切れた。
「先に喧嘩を売ったのはそちらだよ。鉄の国の王」
入口付近にいるルジェクが左腕の木の根を伸ばし、玉座の間の壁を覆った。援軍をどこからもいれないためである。
すでにここは拷問部屋と化していた。
「攻め入るも殺すも好きにするがいい。ただしあの子を傷つけることだけは許さない。ユピを切った先祖同様、お前は決して触れてはならないものに触れた。だが僕らは夜の王より寛大だ。懺悔には耳を貸そう。フィニィをどこに閉じ込めている?」
「――はっ」
グウェトは笑い飛ばした。
単純におかしかった。数々の侵略者へ絶望を与えてきた魔法の国の化け物たちが、そろいもそろってあの小さな子供を崇めていることが、である。
ならばますます彼はフィニィを手放せない。
その直後にスタラナが灼熱の炎球を投げつけた。
受け止めた鉄の腕がじりじりと溶けそうなる。だがこの程度で音を上げはしない。
先ほどの仕返しのように首を狙った鉾を、顔の半分まで鉄化させ止める。
貫かれねば歴戦の兵士の刃も怖くはない。
ゼノは小さく舌打ちをした。
「いいよぉゼノゼノ。全身鉄にさせちゃえばこいつは勝手に死ぬ。狙うは心臓! ガンガンいくぜ!」
スタラナが翼にぶら下がっているカラフルな骨たちを取って宙に放ると、それらが自動的に組み上がり首のない骨の巨人となり、黒い服の兵士たちを蹴散らす。
ゼノは誰にも邪魔されずグウェトの心臓を狙う。
「バジー、見えたかい?」
ルジェクは隣の男に尋ねた。
目隠しを外し、バジーは水晶のような瞳を伸ばしてグウェトの過去を覗いていた。
「ちょお待っとってください? 激し過ぎて見にく・・・あー、なんや黒い、鉄の塔なんかな? 下に入口はないなぁ。城の中からでないといけんみたいです。扉の鍵は、あー、こりゃ鉄の王さんが自分で持っとんね」
「わかった。こちらルジェク。ヴィーレム、聞こえてる?」
ルジェクの肩には紙の猫がいた。
それを通じて、城の上空に浮かぶ巨大なピューイの上のもう一人の大臣へ声が届く。
「おう聞こえてるぞっ。すでにアクウェイルたちが行ってくれてる。が、そうか、城の中から行かんとだめかぁ。となると・・・」
その時、轟音が響いた。
本来は城の外に口を向けている大砲がピューイを狙っていた。
砲弾はピューイの腹に当たり、そのまま落ちた。
下の建物は惨事となるが、ピューイは長い毛に隠れなんでもない顔で浮き続けている。
白い腹毛には緑色の薄いスライムのようなものが張りついていた。
「おぉ、見たかアクウェイル? 君の弟子の魔法はなかなかのものだっ」
羅針盤にヴィーレムが話しかけると、ふんと鼻息が聞こえてきた。
『私が手直ししたのだから当然だ。鉄自体に魔法は効かずとも、その魔法は衝撃を消せる。だがあまり撃ち込ませるな。所詮は付け焼刃だ』
「うむ。ってことだ、アクルタ商会。城壁の上を頼む」
『喜んで。ご依頼承りました』
小さなピューイに跨ったミルカが上機嫌に応えた。
直後、やむを得ず大砲に次弾を装填する城壁の兵士たちの背後へ、マスクを外したリアンが降り立った。
顔の上半分は美しい青年。
下半分は身長よりも長い舌をでろりと垂らした夜の子の顎を持つ者は、舌を振るい打ち上げた兵士と大砲を、下顎の鋭い牙にぶつけてばらばらに砕いた。
「ば、化け物!」
震える手で武器を構える兵士たちの頭上には、金色のきらきらした糸が降った。
すると仲間どうしが互いに向かい合い、鏡のように同じ動きをし、それぞれの鎧の隙間に槍をゆっくりと突き刺した。
「皆様ごきげんよう。本日はアクルタ商会の新商品【理想のあなた】のご紹介です。この魔法の糸はお客様の理想どおりに人を動かすことができます。操り人形の気分をどうぞご体感ください。ええきっとご満足いただけることでしょう。お求めはぜひ店頭へ!」
上空で指揮者のようにミルカが両手を振るのに合わせ、兵士たちが血を噴きながら踊り、落ちていく。
地上は阿鼻叫喚だ。
糸を避けることができても、リアンの牙に砕かれる。城壁の上のどこにも逃げ場はなかった。
奇襲攪乱は成功を収め、緒戦は魔法の国の優勢である。
だがフィニィを鉄の塔から救い出さない限り、彼らの勝利はあり得ない。
☾
目覚めるとなんだか外が騒がしく、フィニィは黒い壁をよじ登り細い通気口から様子を窺おうとした。
アクウェイルの紙の蝶は頭の上に留まっている。
蝶を辿って間もなく迎えがくるはずなのだ。それだけを心の頼りにフィニィは泣かずに耐えていた。
「・・・誰も私を救えはしない。私が誰も救えなかったように」
フードから出てきた哲学ネズミが鼻をひくひく揺らす。
すると細い視界を白い羽根が横切った。
「フィニィっ?」
キーラの声がした。
フィニィも慌てて声を上げた。
大きな羽根に乗っているキーラとディングの二人の顔が見えた。
「フィニィ! どこか怪我はしていない? なんて可哀想に。今すぐ出してあげますからね!」
「もう少しの辛抱だ。アクウェイル殿も今くる。おーい! 見つけたぞー!」
フィニィはほっとして涙が湧いてきた。
しかし、まだ塔からは出られない。
「隙間から頭は、出せないわよね。狭過ぎるわ」
通気口の隙間はフィニィが指を出せる程度しかなかった。
「鉄には魔法が効かないからな、どうしたものか。考えるからちょっと待っていろ。泣くなよ。ほら飴だ」
ディングが飴を一つつまんで子供の口に放り込む。
フィニィは涙目でころころと味わう。爽やかなハーブの匂いのする飴で、甘くておいしかった。
そこへ先に塔の周りを偵察したアクウェイルがやってきた。
彼は唯一乗り物に乗っていない。足場も何もない宙に平然と立っていた。
「どうだ? アクウェイル殿」
「だめだ。どこにも破れそうな場所はない。あとは、塔を引っこ抜いて持って帰ることもできなくはないが、少々面倒な準備がいる。現実的ではないな」
「確かに魔法なしでどう運ぶかが難しいところだ」
「ルジェクたちが鍵を持ってくるのを待つか、フィニィ、お前が自分で出られれば楽なのだが」
そんなことを言われてもフィニィはどうしたらいいのかわからない。
彼らがそうして悠長にしていると、近くの見張り塔から矢が飛んできた。
「悲哀を一匙」
「愉悦を一匙」
水の幕、砂の壁が矢を落とす。
キーラとディングは塔を離れて迎撃態勢を取った。
「こちらは私たちにおまかせを! アクウェイル様はフィニィの救出をお願いいたします!」
夫妻を見送り、アクウェイルは改めてフィニィに向き直った。
「ともかく、だ。フィニィ。今何を持っている? 全部言え。使えるものがあるか考えよう」
フィニィは一度床に下りて、鞄をひっくり返した。
残り少しの浮き薬、運試しの実、鉄の壁には通用しなかった黒い杭、トーチ、夕陽石、光吸石、空飛ぶ羽根、地図、携帯用の鉄の釜、魔女の釜の水、空の小瓶がいくつか、などなどだ。
他にあるのは鉄の国の禁足地で集めた素材たち。
溶炉の谷の火の玉、死霊の湖の触手、凍れる山の巨人の氷、角の王に巣食うきのこの菌糸と粘液。
それらを報告するとアクウェイルの目が輝いた。
「取ってきたのか!? 原初の怪物たちの素材を!?」
一気に興奮が高まり通気口に取りついた。
フィニィがぐずりと鼻を啜る。
いつもの癖で素材をよこせと口走りそうになった魔法使いは、状況を思い出してぐっと堪えた。
「・・・火は使える。火の川の竜の欠片ならば鉄を溶かすことができるだろう。いや、それどころか――」
塔の外にうっすら浮いている顔と目が合った。
アクウェイルもこの塔が夜の呪いを受けた者で造られていることに気づいている。
「こいつらの呪いを解いてやれるかもしれん」
フィニィは大きく目を見開いた。
「魔法の国には夜の呪いを解く王のレシピが伝わっている。私はそれを読んだ。だが昼の子には作れない。夜の欠片を与えられた者にしか作れんものだ。呪いが解ければここから出られる。教えてやるから言う通りにやってみろ」
当人は突然言われても戸惑ってしまう。
夜の呪いを解く魔法薬は特別なものだ。フィニィは魔法をつくったこともないのに。
しかしアクウェイルは問答無用だった。隙間から命令口調で作業を促す。
フィニィは言われるがまま携帯用の鉄釜に真っ黒な魔女の水を注いだ。
「呪いを解くには多種類で多量の魔法の力が必要だ。その点、夜の王や不死鳥とも並び立つ原初の怪物たちの魔法の力ならば十分に足りるだろう。まずは触手と氷をいれろ」
瓶に詰めた青く光る触手と、グウェトの左足をつららの中から取る時に採取した溶けない氷を放り込んだ。釜が浅いため完全には沈まない。
釜をかき混ぜるにはトーチの持ち手を使った。
「氷は溶けたか? それなら粘液と菌糸をいれろ。その赤いやつと白いやつだ。色が混ざって黒くなるまでよくかき混ぜろ」
人差し指だけ隙間にいれ、床に並んだ材料を指し示す。
フィニィは一生懸命かき混ぜた。材料をいれる前より水がずいぶん重くなっていた。
「できたか? では最後に火の玉をいれろ。そしてすぐに涙をいれるんだ。夜の子の、お前の涙だ」
解呪の魔法を浸透させるためには、夜の王の魔法の力をまぜてやる必要がある。
それは夜の王本人か、その子供の体液で代用できる。
初めて夜の呪いを解いた時、泣けない魔女はアンテの涙を使った。フィニィは今もはっきり覚えている。
頭を傾けて、まなじりから一滴、雫を落とした。
そうして一言、呪文を唱える。
「よるをひとさじ」
ふーっと釜に息を吹き込んだ。
闇の欠片が星のように静かに降って、釜の中が透明に変化した。
水面下で美しい火の玉が泳いでいる。
それを床に流してやると、瞬く間に広がり黒い部屋が透明になっていった。
鉄が溶けていく。
中から人が現れる。
遠い昔に呪われ死を迎えたもの。誰にも弔われることのなかったもの。
その体が、魂が、解放された。
そしてそれも塵となって風にさらわれる。
解呪の魔法は塔の上から下へみるみる広がっていき、足場を失くしたフィニィは落下した。
だが地面に着く前に長い腕が子供を抱き留めた。
宙で仰向けになり、消えていく塔を見上げ、アクウェイルは大笑した。
「よくやったフィニィ! お前は良い魔法使いだ!」
初めて自分でつくった魔法。
夜の呪いを解くことができた。
嬉しいのと安心したのと、それから魔女を思い出し寂しくなって、フィニィはアクウェイルにしがみつき、わんわん泣いた。




